カテゴリー「書籍・雑誌」の62件の記事

2017年2月26日 (日)

スタン・ハンセン 「日は、また昇る」

 今日は東京マラソンのお仕事があり、午後はそのご苦労さん会でけっこう飲んでしまった
 夜は夜で、またこうして飲んでいるのだが、酔いつつ昨日から読んでいるスタン・ハンセンの「日は、また昇る」を読破した 
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 スタン・ハンセンというナチュラルで圧倒的なパワーと破壊力をもつプロレスラーは、日本のプロレスファン(多分40歳以上(^^;))にとって、忘れることのできない金字塔のような存在であろう
 しかし、彼の凄まじいファイトとは裏腹にクレバーで紳士的な人間であることも、引退後は世間で理解されてきているようだ
 彼は著書でも、インタビューでも人の悪口をいわないし、感謝と希望に溢れたテキサスの男である
 「日は、また昇る」 は特段、センセーショナルな話題ももなく、だだ淡々とスタン・ハンセンという男が何を思い、何を選択し、生きてきたかを物語っているのだが、巷に溢れているキャッチーな自己啓発や成功本よりも、自然にこころにしみ入る素晴らしい本であった
 エピローグの「いま、困難に直面している人たちに」では、東日本大震災で被災された方々への想いなどとともに、困難に直面している人たちに向けてのメッセージが書かれている
 私たちは、人生を歩むうえでさまざまなことに耐えていかなくてはならない。
 それは自分で選べることもあれば、選べないこともある。
 自分以外の人間の考え方や行動をコントロールすることはできないものだ。
 私たちがコントロールできるのはただ一つ、それは自分の考え方だけだ。
 私たちは、自分の周りで起こっていることに対して、怒ったり、落ち込んだり、取り乱したりしそうになる衝動と常に闘わなくてはならない。
 ビジネスはもちろん、ましては地震などの災害にしても、それをあなたが支配することは不可能だ。しかし、どんな状況に置かれていたとしても、自らの考え方をコントロールするという方法によっては、違った世界が見えてくるだろう。

 今日は昨日とは違う新しい一日なのだ。
人生をどのように捉えるかも自分次第である。安らぎへの道は自らで選ばなくてはならない。
私の友人スティーブ・ウィリアムス(プロレスラー)は、喉に癌を患いながらも、そうやって最期を過ごした。自分を哀れむことなく、堂々と胸を張り、毎日を最大限に生きた。

 私も彼のように毎日を生きられるように努めている。われわれには、自分の考え方を変えることで、世界を変える力が備わっているのだから。

 

 自分の考え方を変えれば、世界は変わるというのは、自己啓発においては、よく聞くメッセージだが、友よ、スタン・ハンセンのリングの闘いを観れば、その言葉の重さは伝わってくるはずである!! 

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 ※以前、スタンハンセンの前著「魂のラリアット」を読んだなぁと思い、当ブログで検索したらありました(^^)http://tempulove.air-nifty.com/blog/2012/04/post-273b.html
 このブログは日記というか、データベースの役割してるなぁと勝手に感心したのでした
 

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2016年3月27日 (日)

ポール・スタンレー自伝

 週末に読んだ本があった。 

 522ページもあり、しかも二段組みの「ポール・スタンレー自伝」をちょっと読み出したらとまらなくなった。

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 言わずと知れたKISSのフロントマンである。  
 この自伝はスタンレー自身の回想録であると同時にKISSの歴史を綴った内容となっている。 
 僕がびっくりしたのは、スタンレーは生まれつき右外耳が欠損しており、聴覚がないという事実だ 
 
 よくも左耳しか聴こえないにもかかわらず、あれだけの音楽活動ができたのかと驚いたとともに、彼のこども時代はそのために周囲から「片耳モンスター」と苛められ、それが彼の大きなトラウマとなり、彼の性格を支配し、精神科医のセラピーを受けていたことに衝撃を受けた。 
 あのエネルギッシュで自由奔放なスタンレーが、華やかなステージを降りた日常生活のなかでは暗い葛藤のなかにあったとは..... 
 
 彼は、メンバーとの確執や、ビジネスでの課題、女性関係でのトラブル等々の問題を経験しながら、結果的には富や名声ではなく、自分が本当にしたいこと、求めていたものを自覚し、64歳になる現在もパワフルな音楽活動をし続けている  
 
  この自伝は、ロックスターの栄光と成功話や、音楽業界の裏事情を赤裸々終始する類の本ではなく、人は自分の人生にどう向き合い、受納したらいいのか、何に挑戦しようとしているのかを問いかけている自己啓発本である。 
 (彼は成功してからも、右耳欠損という負い目を引きずっていたが、「アバウトフェイス」という異質な顔をもつ子どもたちを援助する団体の職員と偶然知り合い、その団体と関わるようになった。
 そこで彼は自分だけが耐えてきた辛い想いを語ることで、自分が自由になっていく感覚を得た。彼はその団体のスポークスマンになった。)
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 分厚い本ではあるが、だれることなく、面白く読み進める内容であったが、ロックスターの女性関係や、酒、ドラッグなどの描写も赤裸々に書かれており、良い勉強?になった 
 僕は1978年にkissを日本武道館で観た記憶があるのだが、彼らはなんと定期的にソープランド通いをしていたとのことで、kissが吉原かぁと可笑しかった 
 読むのが速い僕でも、日中まるまる「スタンレー自伝」に費やしてしまったが、 
  KISS ARMYの僕としては、とても良い勉強?になった
 
 ベースのジーンシモンズの書いたビジネス本が来月日経BP社から出版されるようなので、それも読んでみようっと (^^) 
 
 

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2016年1月27日 (水)

暗殺教室

 「生存教室」という新書を読んで、そこで紹介されているコミックの「暗殺教室」の1~10巻までをこの数日間で読み、今夜はツタヤで借りた映画版を晩酌しつつ観た。

 512cyv9lizl_sx300_bo1204203200__3 正直申し上げて「生存教室」自体は、あまり面白いとは思わなかったのだが、ジャンプ連載の「暗殺教室」という僕が普段は全く関心をもたない分野にスポットを当ててくれた点は、大いに感謝する。 
 詳細は省くが、先生を暗殺するという異常な目的をもった落ちこぼれの生徒たちが、暗殺者として成長していく過程を通して、教育とは何かを考えさせる不思議なマンガなのであった。 
 
 暗殺者としての成長というと、殺傷能力の習熟というイメージになりがちだが、この物語は真の暗殺者になるためには、総合的な知力が必要だということで、落ちこぼれクラスの生徒たちに、学力テストでの高得点に挑戦させる。こうして文章で書くと、妙に教訓じみてしまい、真意が伝わりづらいが、プロになることの厳しさと意味を、このパロディ漫画はストレートに訴えてくるのだ。  
F596ab12dcc341fd3287e3b99f4837cb_2 かつて教育は、諸外国から脅威に対抗すへく、または諸国の中で少しでも優位にたつべく目的があって成り立ってきた。しかし、現在の教育は曖昧で観念的な人間形成といったベースに基づきながらも、経済競争に組み入れられているような印象がある。 
 
 どこか、手に取るような、身に沁み入るような手応えがないまま、学習システムに推し進められて人間はどこまで成長できるのだろうか。
 
 「暗殺」というのはかなり極端なコンセプトではあるが、人間は心身が没入するようなテーマ設定があってこそ、可能性が開花していく。 そのことをこの変なマンガは教えてくれているような気がする。
 
 それはきっと教育だけではなく、経営も、社会活動も、ひょっとしたら生活全体にも当てはまるように感じたのだが、どうなんだろう....。
 ※昨年、このマンガの映画ポスターを観た瞬間に、日本映画界はここまでコドモに媚びをうらなければならないほど、落ちぶれたのかと呆れた記憶があるのだが、このように物事を表面的に捉え、批判するオジサンの不甲斐のなさを笑ってほしい......
 

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2016年1月11日 (月)

天龍源一郎

 先週末に書店に寄ったら、昨年11月に引退した天龍源一郎の本があったので購入した。

 なぜならば、僕は天龍に惚れて、いい夢をみさせてもらった恩があるからだ。 
 
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 僕は若い時は猪木信者であり、新日本プロレスを愛していた。しかし、プロレスブーム時代に突入して、派手な演出やクーデター騒ぎやらで、胡散臭さを感じていた頃に、天龍のストレートで妥協しないファイトを観た。
 天龍の鍛えられた肉体から発するオーラや、彼の凄まじい肉弾戦は僕を釘付けにした。
 
 そして、何より天龍の笑顔がとても素敵で、男が男に惚れるというのはこういうことなのだろうか。
 僕は色々なプロレス団体の試合を観てきたが、特に天龍の旗揚げしたWARという団体が大好きだった(6年位で終わってしまったが)。本当に面白かったなぁ。
 Photo_3 ご存知のように天龍の入場曲は高中正義の「サンダーストーム」だが、僕が30代前半でアウェイの新しい職場に異動したときは、ウォークマンでこの曲を聴きながら職場に通勤して、自分を奮い立たせるようにしていたことを思い出す。 
 
 以前、天龍選手とはあるパーティーでお会いしたことがある。 
 僕は車椅子の少年を同伴させていて、天龍選手が記念撮影をするのに彼を抱っこしてくれたのだが、カメラのバッテリー状態がよくなくて、復旧までに1分程の時間がかかってしまった。その間、天龍選手は嫌な顔ひとつせずに、笑顔で障害をもった少年をずっと抱きかかえていてくれた。強くて優しいひとだなぁと感心した。 
 
 今日は、購入した本を一気に読んだ。 
 無骨で我儘で努力家で、家族に多大な迷惑をかけながら、家族から愛されていた大将「天龍」の破天荒な人生のありのままが描かれていた。 
 
 男が惚れる男「天龍」よ"!
 
  プロレスではない世界にも、大将をモデルに生きようとする男がいることを忘れないでほしい....
 
 

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2016年1月 3日 (日)

イニシエーション

 今日は地元の牛嶋神社に初詣にいって、ゆで太朗でおそばを食べてから、半日読書に勤しんだ。

 
 本の名前は「イニシエーション」  
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AMAZONの紹介文
 
世界17ヵ国語に翻訳、数百万部のベストセラー、待望の日本語版!
夢か、それとも現実か?
大ピラミッドのイニシエーションから、数千年の時を経て
ついに今、果たされる〈自己〉との完全なる合一!
幼い頃から、なぜか繰り返される夢、ビジョン、まだ見ぬ故郷への憧憬・・・
それは古代エジプトで女性神官として生きた過去生の記憶だった。
時空を超えた、壮大な覚醒の物語。
これは20世紀に生きた一人の女性の魂の軌跡であると同時に、
人類普遍の愛の物語です。
この本を読むこと自体が、イニシエーションの一部です。
 
 この本は保江邦夫先生がおすすめというので、買って読んでみた。
 とにかく704ページという分厚い本なのだが、暮れに2割ほど読んでおり、残りを何とか本日読破いたしました
 
 内容は濃い濃い、途中に幾何学的な説明もでてくるし、ノンフィクションのようで冒険小説のようでもあり、とにかく量、質とも圧倒される内容で、巷のスピリチュアル本が戯れに思えるほどであった。 
 
 僕もスピ系の本はけっこう読んでおり、最近は食傷気味で手にしなかったが、この本は僕をノックアウトした!
 
.................保江先生、そういうことなのですね!
 
 
 かなり長期間、12月はずっとヘビーに飲み続け、新年になってからもヘビーな毎日で、今日くらいは本当に久しぶりに休肝日にしようと思ったのだが、夕飯は奥さんが僕の好物のアヒージョを作ってくれたたため、赤ワインを買いに行ってしまい、食後もこうしてワインを飲みながらPCに向かっている。 
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 食事をしながら、正月録画しておいたEテレの浦沢直樹と東村アキコの対談を観ていたら、漫画家たちのプロ根性と努力に感銘しつつ、現在の自分は本当のプロになっているかと自省しました...... (-。-;)
 

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2015年12月 7日 (月)

50男、厚切りジェイソンの本を買う!

 今、ブレイク中の厚切りジェイソンの本がかなり売れているらしい。

 流暢な日本語と、あの漢字ネタといい、ビジネスでもIT企業の役員である彼には興味があったので、初著の「日本のみなさんにお伝えしたい48のWhy 」を購入した。 
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 おじさんは正直言って、この手のタレント本はどうぜ売らんかなのゴーストライターが書いており、食指が伸びずにいたのだが、金スマに出ていた彼の人生やパーソナリティーを知って興味が湧いた。

 ネットの評判では、大学生向き、若い人にはいいかもといったような、まぁある意味では好意的?な意見が多かったようだが、なぜか無性に読みたくなり、ショッピングに行ったうちの奥さんに頼んで買ってきてもらった。

 彼がツイッターでやっている質疑応答に、解説を加えたものだが、なかなか面白かった。自分で目標を選択し、それに向かってガムシャラに行くような答えが多いので、いかにも欧米人的ではあるようだが、彼は若くしてアメリカ特有のエリート出世競争に勝ちながらも、自分のやりたいことを優先し、転職して日本に来た。 
 
 日本語の勉強を「エンタの神様」のようなお笑いで学んだというのも好感がもてるではないか! 彼のお笑いデビューのきっかけをつくったのが、ザブングルの加藤さんというのも面白かった。 

 おじさんはこれまで、欧米的な成功哲学、自己啓発本をかなり読んだような気がするが、ちょっと飽きてきた。それよりも仕事とお笑い、そして家族(奥さんは8歳年上の日本人)に真面目に向き合い、生き様を通して、自分の夢を実現しようとしている厚切りジェイソンをおじさんはこれからも応援したいと思ったのだった。

 
 ちなみに現在、我が家ではやっているのはTKOの「古いぬいぐるみ」の喋れるようになったぬいぐるみの口調である。「喋れるようになったよう」というのを「喋れるようになたよお~」というような感じである。ばか夫婦である。

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2015年7月26日 (日)

卑怯者の島

 隅田川花火大会も大盛況で無事に終わった。

 インパクトのある花火が打ちあがる度に、観客から大きな歓声があがるのが、とても新鮮で嬉しかった。
 偶然、消防班のテント前を通りかかったら、数年ぶりに会った合気道仲間が消防庁担当者だったので驚いた。
 
 100万人ほどのイベントとなると、大会運営も大変だが、常識に欠いた人々も多いのも事実だ。システマティックに安全で円滑な運営をしようとしても、人間の情動はその通りにいくことはない。過度に自己主張する人たちと全体進行との板ばさみに苦労したスタッフよ、お疲れ様でした。
Cimg4830                   過酷な花火従事のため、腕時計が汗で曇った!!!!
 
 今日の午後に、小林よしのり氏の「卑怯者の島」をいっきに読んだ。
 パラオ・ペリリュー島を想定した南の島。玉砕戦に臨む日本兵を主人公に、壮絶な戦闘シーンと極限の人間ドラマを描ききる。
 フィクションであるが、戦場における壮絶な絶望と、自己犠牲と自己欺瞞の葛藤、祖国への熱望等々を、渾身の力で描いている力作である。当然ではあるが、読後の爽快感はなく、戦争という地獄の強烈な絶望、狂気に圧倒される。
 
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 隅田川花火は江戸時代から続いている、歴史文化的な行事であり、外国の方々からも評価が高い。これからも、その伝統を受け継いでいくことが大切だと思うし、100万人近くの観衆が秩序を守りながら花火鑑賞ができているのは日本人の良さで、世界でも稀な国なのだと誇らしくも思う。
 しかし、その日本人の精神文化が個人的にも、社会的にも変容し、はっきりいえば大人がいない国になっていっていると思えるのだ。かくいう私自身も偉そうなことをいえない人間だということは十分承知しているだけに、自省の意味を込めて、こうしてこのブログを書いているのだが.....
 

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2015年6月15日 (月)

武道会話術

 今日はある委員会に出席して、質疑を行なった。

 そのために、昨日の日曜も資料整理などを行い、委員会準備をしていた。
 (まあ、夜は晩酌しつつ、ベイマックスを観たりしたのだけど)
 ここんとこ、鼻づまりが酷くて、かなりの鼻声になっていたので、今日は質疑で話すのは嫌だなぁと思いつつ、約30分ほど説明することなった。
 
 本日、帰宅してハンバーグ、スパゲティ、ピザをつまみにビール、焼酎、日本酒を飲む。
 その後、PCに向かい、本日の委員会審議をネットで確認できるため、冷酒を飲みつつ鑑賞したら、如何に自分の説明がタドタドしく、弱弱しいかがわかった。
 
 そのため、ついつい、酒量(主に日本酒)が増えてしまい、現在かなり酔ってなう。
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 一昨日の土曜にamazonから届いた剣術作家の多田容子さんの「一発逆転の武術に学ぶ会話術」を一気読みした。内容はまぁ武術といいつつ、一般的な自己啓発的な事項が多いよのぉというのが正直な感想だった。
 
 しかし、最後の方で、 まだ、言葉になっていないものにまで思いを致して話すのが、無に近い話術だと考えられます。とあった。そのまま読み進めると
 
 ここにはいない人、好きな人、嫌いな人、仲間、敵、社会全体、亡くなった人、まだ生まれてない人、人間以外の生き物、無機的な物、自然など、すべてが、実はその場の会話に関連しているのです。そうした「大きな全体」の一部分が自分でもあります。うっすらとでも、心の中でそんなイメージを抱きながら話してみれば、わざわざ私心を消そうと頑張らなくとも、自ずと寛大で視野の広い発言が生まれてくるはずです。 

 多田女史畏るべしと思ったフレーズであった。オイラは負けたと思った。
 
  ......といいつつ、本日は、武道的な会話とはかけ離れた、自己保存、自我我欲的で話してしまった!..................猛反省っす( ̄Д ̄;;

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2015年5月27日 (水)

 内臓とわたし

 人間には、それぞれ師と仰ぐ人、師まではいかなくても尊敬する人、或いは自分に影響を与えた人が少なからずいるはずだ。

 僕にも多くの教師のような存在がいる。現実的に出会っている人もいれば、お会いしたことがない書物や映像だけの人もいる。
 漫画家の東海林さだお氏は、ちょっと系統の変わった部類ではあるが、僕に影響を与えた作家の一人である。
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 最近、東海林氏の新刊である「猫大好き」を読み、いつもながらの大笑いしながら、なるほどと膝を打つ場面があった。
 なかでも「内臓とわたし」という連続4回のエッセイはさすがであった。
 
内臓とわたしⅠ 「人は皆オーナー、されど......」
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 自分のカラダをつくっているのは、自分である。しかも、100%天然素材でつくっている。
 しかし、自分は果たしてカラダのオーナーなのだろうか。
 ワンマン経営でやってきたつもりが、部下はいいなりになっているだろうか。
 言いなりにならないばかりか、別の命令系統に従って動いている連中がいるのだ!
 
  目玉は、私が見たいと思った方向に動く。では、瞬きはどうか?
   人は1分間に20回瞬きをするといわれている。それを誰がやっているのか?
   オーナーであるわたしが「20回やれよ」と命じたことは一度もない。思えばこの件に関しては丸投げである。
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 この目玉は何でできているか。食べ物である。
 ということは、目玉のレンズはゴハンやサンマ、タクアンや納豆でできていることになる。
 どこでどう配分してタクアンがメダマのレンズになるのか。
 
 そして、この問題はこれらのことがオーナーのあずかり知らぬところで行なわれていることである。
 こうなってくると自分のカラダは自分のもの説はあやしくなってくるではないか。オーナーなどといい気になっている場合ではないのだ。目玉はオーナーに相談することなく、自分のやり方でやってきた。
 
 自分のカラダについて、これまでわかってきたことは次のような事実だ。
 自分のカラダは自分のものである。
 自分は人体という巨大な組織の頂点に立ち、ブレジデントであり、オーナーである。
 ワンマン社長であるから思いのまま振舞えると思ったら、大間違いだった。
 思いのまま振舞えるのはほんの一部であり、あとはほとんど全部丸投げてある。
 経営も運営も、事業計画も全部人任せであり、誰が何をやっているのかさえ知らない。
 このオーナー社長は部下を掌握していない。めったに部下に面会したことがない。特に内臓系は誰一人として面会していない。
 自分の肺を見た人はいるだろうか。自分の身内でありながら肝臓を見たことがない。
 
内臓とわたしⅡ 「人は皆、生まれながらの管理職である」

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 自分は自分のカラダのどのような位置にいるのか。
 ウエの方にいるということは何となくわかる。会社で考えると、管理職だ。
 
 管理職として、一度として部下たちに直接会ったことがあるだろうか。部下たちと面識のない上司などいるだろうか。
 胃は、釘をも溶かす強い酸(塩酸)を一日換算で3リットル、食べ物に浴びせている。塩酸といえば危険物である。
 
 管理職としての自分に何の報告もなく、胃はそういう危険物を取り扱っていたのだ。「聞いてないぞ」と言っても遅いのだ。
 
 
内臓とわたしⅢ 「身体をめぐる哲学論文」
 
 自分と自分の内臓はどのような関係にあるのか。
 
 デカルトもわたくしと同じ考え方であった。オーナー説、大家さん説をとなえていた。心身二元論である。人の本質は意識の主体(心)にある。身体(物質)は第二義的なものである。
 ところが、一つ一つ検討していくとカラダは、配下の立場をわきまえない行動があまり多い。
 
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 早い話がヒザである。ヒザ下を叩くと、命じていないのに勝手にピクンと跳ね上がる。何の意味も持たないので、主体(わたくし)としては非常に不愉快であるから、次回からは現場の跳ね上がりを阻止しようと身構える。何回やっても現場はウエからの指令を無視する。
 
 沸騰したやかんに手を触れると「アチッ」といって瞬間的に手を引っ込める。このとき自分はこの行動に参加していない。ウエの判断を待っていたのでは間に合わないのは確かだが、ウエとしては何となく面白くない。
 
 「アチッ」は常に事件発生の0.何秒か後である。「アチッ」は、事後承諾を求められた本人の悔し紛れの叫びなのだ。
 この「アチッ」事件は結果的にはよかったことになるのだが、「ヒザカクン」のほうは何の意味もないところが今もって悔しい。バカにされたとしか思えないのだ。
 この両事件は、必ずしも身体(内臓を含む)が主体の意向どおりに動くものではないことを如実に示している。
 
...............と、コラムは続いていくのだが、ほろ酔いで打っていたら、かなりの量になってしまい疲れてきたので、ここらでやめますが、興味のある方は文藝春秋社から出ている東海林氏の著作シリーズをご覧ください。
 
 とりあえず部分引用しようとしたら、面白いのでかなり引張っちゃいました。
 
 僕のいいたかったことは、日常的には脳化された世界が中心となり、仕事の出来や、人間関係での喜怒哀楽、経済感覚や損得勘定、妄想、不安等に一喜一憂しています。しかし、身体的存在としての自分は、無意識的に生存のために呼吸や栄養摂取、腸煽動、免疫作用等をダイナミックに行なっており、出世がどうのとか、あいつが許せんとかの意識とは、かけ離れた世界で頑張っているということです。どうでもいいことに意識が振り回されそうになったら、ダイナミックに生きようと身体活動をしているもう一人の自分自身に眼をむけることです。
 
 そして、これらは武道に通じます.....
 
 と書いていたら、零時になりますので、ここらへんでおやすみなさいm(_ _)m 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2015年5月24日 (日)

友だちはいらない

 映画監督の押井守氏の新刊本が出たので、amazonで注文したら、翌日に届いた。

 題名は「友だちはいらない」
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 普通ならば、遠慮したいようなタイトルではあるが、僕は押井監督に親近感を持っているのである。
 監督作品の完成度の高さもあるが、55歳から空手を始められて現在も修行中であること、犬や猫を溺愛していること、そしてガンマニアであり、よくグァムに実弾射撃にいかれていることなど、監督のパーソナリティーも大変魅力的である。
 
 一気に本書を読んだ。
 簡単にいうならば、人間は孤独であるという当たり前の事実を受けとめ、ともだちをつくらなければという幻想を捨てて、まず仕事をしよう、そして師をもとうというメッセージであった。
 facebookやlineなどで、友達の数を競い、自慢したり、落ち込んだりするのは馬鹿げている。そもそも友だちとはなんなのか、どういう存在なのか。
 
 私たちは明確な答えがないまま、友だちが大事、友だちが多いほうがいいと思っている。
 押井監督は自分には友だちがいないと断言する(噂では敵はイッパイいる)。友だちが必要なのは中坊までで、自分を導いてくれる師匠、自分をバカだと知らせてくれる肉親や家族、そして何かをいっしょにつくっていく仕事仲間、もうひとつは孤独にならないための小さな生き物(犬や猫)、それがあれば人生なんの問題もないとおっしゃる。
 
 押井監督は「自分がイラクで捕まったとき、助けに来てくれるのが友だち。そんな奴がいないから、友だちはいない」とのことであったが、監督の師匠の鳥海永行さんがそうなったら、駆けつけるという。自分が駆けつけたいと思えるような人に出会ったことが、人生の幸せだともいう。
 
 そういう押井監督の生き方は、幸せだと思うのだ。
 
 数日前に、東海林さだお氏の「猫大好き」を読んだが、東海林氏も幸せものである(唐突だが...)。
 
 そういう僕も幸せものであろう (^-^;
 

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