« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »

2019年2月

2019年2月27日 (水)

パーキンソンのHくんに負けた

 昨日、久しぶりにかつての職場の後輩であるHくんに、エレベーターで会った

 
 彼は広島出身で吉川晃司の同級生であり、水泳が得意なスポーツマンであったが、数年前にパーキンソン病となってしまった 
 
 脚を引きづるように歩く彼に、「最近、酒飲んでるか?」と訊いたら、「飲んでますよ〜」とニヤついて答えてきた
 
 「大丈夫なのか?」と聞き返すと、「半端に缶ビール1本ぐらいだと翌日調子悪くなるんですけど、とことん飲んで二日酔いになるくらいだとかえって調子がいいんです」と答えてきた
 
 本当かなぁ...でも歩行困難な彼が言うんだからホントなんだろうなぁ...彼と一杯やりたかったが、「カラダ大事にね!」と言って別れたのであった
 
 心身ともにかなりハードな状況でありながらも、ユーモアを忘れずに生きているHくんには、一本取られたと思った!!
 
 
ここ最近のtakkunの報告事項
 
※鍼治療に行ったら、先生が換気扇をつけたまま、ハダカの僕を長時間放置したため、カラタが冷え切ってしまい、先生が焦って緊急対応としてホットストーンを使ったのだが、それがまたすこぶる気持ちがよかった。そのため、僕はアマゾンでホットストーンを購入してみた。 
 
 通常はうつ伏せになった背中にアロマオイルとホットストーンでマッサージするのだが、我が家では面倒くさいために、床に直接ホットストーンを敷いて、その上から仰向けに寝るため、かなりキツめで熱いやり方となっているが、なんかカラダは活性化しているようだ!
 
 
 ※「いだてん」の中村勘九郎さんに会った 
Photo_2
いだてんに出ている役者さんたちは、○○さんが○○役を演じているように見えるのだが、いま僕の眼の前で話しているのは、中村勘九郎さんではなくて、金栗四三のようにしか見えない」と言ったら喜んでくださった
 
※同じく「いだてん」脚本の宮藤官九郎さんにも会った
1
クドカンさんは本当に普通に街でみかけるあんちゃん風であったが、物腰の柔らかさ、礼儀正しさは只者ではないと思った
 
 まだまだ、有名人ネタとかあるんすが、帰宅してからジンサワーを飲んだらホントに酔っ払ってきたので、この辺で失礼します(^-^;
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月10日 (日)

児童虐待した奴への報復

 ホテルや旅館などの宿泊業界の面々との新年会があった 

 宴がすすむにつれて、新聞社の方もいたので、野田市の児童虐待死の話題となった
 
 一同、「ぜったいに許せん!!」となり、僕も「あの父親は、八つ裂きにしてやる!!」と息巻いた 
 
 本当に痛ましくて、やるせないぐらい胸を締め付けられる事件だった 
 
 なぜ、虐待がなくならいのか!  せめて件数が減少していかないのだろうか 
 
 政府は立ち入り調査の強化などの緊急総合対策をまとめたが、それが児童虐待をなくすことにどれだけの効果があるのかは、正直いってよくわからない 
 
 ニュースでは、父親は「しつけでやったので、間違いだとは思っていない」と言っているらしいが、それを聞いた途端、おまえ、本気で言っているのか!? バカ野郎!! 思い切り地獄の痛みを味あわせてやるぜ!! と僕はフルアドレナリン男となってしまった 
 
Photo_3
 
馬鹿親と自分
 
 僕は、馬鹿父に対して、言葉で言っても無駄であり、思い切り身体的暴力、拷問をしてやりたいという衝動にかられた 
 
 新聞によると、奴は職場では「真面目で穏やか」 と周囲に思われていたとの記事があり、どうやら完全にいってしまっているサイコパスではなさそうである   
 
 奴の意識では「あくまでも躾の範囲であり、事故であった」ということなのだろう  
 
 もし、僕が罰として、奴に冷水と火炎放射を浴びせ続けたら、奴は反省せず自分をいわれなき暴力の被害者と思うはずだ 
 
 ここから、わかるのは、僕も奴と同じように、
相手を悪とみたら暴力的な衝動が起こること(僕は実行しないけど)」だ 
 
 そして、「自分の意識が、目の前の現実を意味付ける(僕には許せない犯罪でも、奴の中ではこの事件は冤罪)」だ
 
 
報復しようとする意識
 たぶん、虐待する多くの親の言い分は、こどもがうるさかったり、言うことをきかないことへの制裁手段なのだろう  
 
 相手を「悪」と見た途端に生ずる、人間の「暴力衝動」 ....それを直視せずに、虐待相談や立ち入り調査を徹底しようとしても、根本解決には至らないように思えるのだ   
 
 もちろん、人間の意識の領域を問題とするのは、困難であり、現実的ではないという御仁も多かろうが、その方々に言いたいのは、虐待という現実を引き起こしているのは「意識」であるという事実だ 
 
 もし、本気で、心から虐待をなくしたいと願うならば、虐待している大人への対応だけではなく、その大人の暴力衝動という意識にスポットを当てる必要がある 
 
セクハラも同じ

Photo_4

 セクハラの対策として、組織として法令遵守とか、労務管理の徹底等を掲げるところも多いようだが、職員一同集めて、注意してもなくなるものではないだろう。
 
 お堅い職業の方のセクハラ事件がマスコミをよく賑わしているが、なぜそれなりの立場があるのに、むしょうに女性に触りたくなるのか、したくなるのか?
 
 左脳的意識が優秀なエリートでも、意識に傾向としての「性癖」は、完璧なアンダーコントロールができないのだ 
 
 言い方を変えれば、性癖が人格に憑依してしまい、人生を狂わせてしまう
 
 それは、表面上の組織的な対応では、性衝動の暴走を防御することは困難なのである 
 
 
 
意識に眼を向けてみる
 
 人間の暴力的な衝動については、政府や、自治体はもちろん、他者も介入することは困難である
 
 人間が変わるためには、その人自身が自分の心をみつめ、動き出さなければならない
 
 児童虐待とか、未成年者への強制性交だとか、もううんざりした!!!
  その根絶は、事後対策ではなく、事件をおこさせないことであり、暴発しようとしている意識を自覚し、沈静化させることである 
 
 誰もが自分を知っているようで知らない 
 
 誰もが現在の自分の心の闇を直視しようとしていない
 
 意識が自分を、意識が社会をつくっている 
 
 従来の既成概念をとりあえず脇に置いて、人間の意識について再確認してみる時代に入ってきたように思えるのだ
 
 虐待したあいつは、多分虚偽ではなく、本当に躾のためだったと思って正当化していることだろう 
 
 あいつへの報復は、直接的暴力ではなく、あいつと同様に流れている僕の中の暴力性とひとまず対峙することだと思った 
 
 それが、あいつの存在理由を消滅させることになるはずだ
 それがあいつと、あいつを生んだ暗黒面への報復なのだ.......
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »