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2014年11月

2014年11月29日 (土)

フューリー

 昨日公開された「フューリー」を観た。第2次世界大戦下、たった一台の戦車で300人のドイツ軍部隊と戦った5人の兵士たちの物語である。

Images_2 この映画は戦争というものをリアルに描いており、眼を背けたくなるようなシーンや、心が痛くなるシーンがある。映画でさえ、こんな気持ちになるのだから、実際の戦争というのは本当に怖ろしく、狂気の世界であるとつくづく思うのであった。
 肉体破壊のおぞましきシーンもあると事前に聞いていたので、小心者の僕としては覚悟していったが、それほどのダメージ、トラウマはなかった。「プライベート・ライアン」によって免疫性がついたのかもしれない。
 
この映画の余韻を引きづりながら、夜は奥さんと母と合流して初めての創作料理店に行く。いつも予約いっぱいで断られていたが、今日はなんとか予約できたのだった。が、母が料理がなかなか出てこないので、近所にオープンした中華料理店は今なら生ビール100円だからそっちの方がよかったと言ったので、苦労して予約した僕はぶちきれた! 行く前はどこでもいいと言ってたくせに!!
 
 お腹がいっぱいになっての帰宅途中に、母が生ビール一杯100円にこだわっていて、次に中華料理屋に行こうと二次会に強引に誘ってきた(ちなみに母は生ビール4杯飲んでいる)
。もう、お腹いっぱいだからイヤだと断ると、男のくせにだらしないと罵詈雑言を浴びててきたので、仕方なく明日いくからと約束してしまった。 
 
 映画のタイトルである「フューリーFURY)」は激怒という意味である。戦争における怒りと、わがまま言っている母に対する怒りとのあまりにも激しい落差に自我忘失となってしまったのであった。(-゛-メ)
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 こんなことで、一喜一憂できる平和な時代と平和な国に生まれたことに感謝しなくてはならないと、この映画が諭してくれているような気がする(。>0<。)
 
 
 

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2014年11月21日 (金)

高倉健さんに捧ぐ

 先日亡くなった高倉健さんのことを自分のブログに書いた記憶があったが、殆ど読み返さない為に、どういう内容だったかが不鮮明だった。晩酌しながらグーグルで検索!!したら、出てきたので、改めて掲載しておこう。

2012年10月20日 (土)

 さて、今朝は久々にゆっくりと読書三昧した。数冊読んだが、なかでも「高倉健インタヴューズ」(プレジデント社)は良かった。高倉健という人物の魅力がひしひしと伝わってきた。特に印象に残ったのは、あとがきに書いてあった、ある上場企業経営者の話だ。

 彼は大学時代にRKB毎日でADのバイトをしていた。健さんを迎えに行けと指示され、ホテルに行くとエレベーターから出てきた健さんが、そばにきて「高倉です。よろしくお願いします」と不動の姿勢(直角)でお辞儀をしてきた。

 衝撃でしたねぇ。世の中には立派な大人がいるんだと思った。だって、はたちかそこらの何にもわからないガキに対して、最敬礼して、ちゃんと尊重してくれる。そんな人いないですよ。僕らバイトは死ぬ気で働きました。バイト仲間とはあの頃、「大人になったら高倉健みたいになりたい」と話しました、いつの日か、立派な大人になるんだ、と。

 後に、彼は就職し、冷遇され苦労しながらも、怒りをコントロールすることが立派な大人になることだと思い、悪口を言わず、人と会えば最敬礼することにした、年下のバイトにも優しく接した、やがて彼は認められ、立派な経営者となった。

 現在、こうしてPCに向かっいつつ、テレビを観るとNHKで「プロフェッショナル高倉健」を放映中である。健さんの優しさと孤独、品格がテレビ電波に乗っている。私もこんな大人になりたいと思った。もうかなりの大人の年齢なのだけど.....。

 ※午前中に「高倉健インタヴューズ」を読み終えて、まどろんでいたら、私の中学卒業時の寄書きに担任だった田中先生から「君はユニークだけど、真面目に生きてください」というメッセージを書かれたことを不意に思い出したのであった。

2012年9月 8日 (土)

話は変わって、今夜は、こんな情けない僕とは大違いの男である「高倉健」さんの特集をNHKのプロフェッショナルがスペシャル番組として放映していた。

 高倉健さんの真面目で優しく、ストイックな生き方には、昔からずっと魅かれるものがあったのだが、この番組でより健さんの魅力を感じることができた。

 番組途中で健さんの持っている台本と皮カバーが紹介されて、ページの最後には被災地での少年の写真や、相田みつをとかの詩が貼ってあった。そして、何と「希望という名の光」の歌詞がプリントアウトされて、はさまれていた。健さんは大震災以降、毎朝山下達郎のその歌を聴いているらしい。涙が出そうになった。

 俳優という仕事に、あそこまで自分の人生を賭けて、演技に魂をこめている人間を僕は知らない。健さんは映画という世界だけではなく、人生そのものに対して、礼儀正しく、厳しく、そしてユーモアをもって向き合っているような気がしてならない。

 奥さんと食事しながら、健さんの番組を観ていたのだが、健さんと見比べると、いかに僕という男が軽率で、自分勝手で、せこい男かが、露呈されてしまうようで、落ち着かなかったのであった。

 

 改めて「希望という名の光」ほ聴いていたら、健さんの優しさとダブって泣きそうになりました。

 高倉健さんのご冥福をお祈りいたします。

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2014年11月18日 (火)

富山の地酒

 昨日、今日と富山県に出張に行って来た。

 東京も寒くなったが、それ以上に北陸は寒かった。w(゚o゚)w
 昨夜は富山県の方々と、美味しい料理とお酒で愉しい時間を過ごせた。
 その宴席では富山県でつくった日本酒の飲み比べをして、かなり酔ってしまった。
 そしてよせばいいのに、その後、富山ブラックラーメン屋に入った。はじめて食べた黒いスープのラーメンだったが、想像していたよりもしょっぱくはなかった。
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 今日はあいにくのお天気だったが、黒部峡谷のトロッコ電車にのった。紅葉と壮大な山川に圧倒された。ここは、穴場である。11月末までしかやっていないのだが...。
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 来年には北陸新幹線が開通し、東京からもアクセスが便利になるので、機会があったら家族で行きたいものである。
 
 昨日飲んだお酒4種類(だったかなぁ)は全部美味しかったが、特にというと「勝駒」があげられる。明治39年創業。日露戦争の戦勝を記念にして、勝駒と名づけたとのことである。それだけの歴史と伝統を感じる味わいだ。そして最初に飲んだ「羽根屋」も美味しかったなぁ。
 僕は最近、家では白鹿純米パックを飲んでおり、コストパフォーマンスはいいと思うのだが、どこか侘しいというか、さもしいような心持になることがある(白鹿ごめん!)。
 
やはり、ここは地元優先といわれている、富山のお酒をなんとかネットで探して買おうかと迷っているのだ。
 
 
※今日は僕の敬愛する高倉健さんが11月10日に亡くなっていたとのニュースが流れていた。森光子さん、森繁久弥さんも同日に亡くなっていたそうだ。
 
 11月10日......そう、その日はうちの母の誕生日でもあるのだ!!w(゚o゚)w

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2014年11月15日 (土)

藩主さまの御一行とお会いした

 昨夜はかなり飲んでしまって、今日はお酒がずっと残っているような状態である。

 しかし、午後には九州の旧藩主の御一行が、東京にいらっしゃっるので、お会いすることになっていた。
 本日お会いするのは、関が原の戦いに参加した歴史的にも有名な武将の御子孫である。
 その17代藩主と市長さんたち、30名ほどの御一行が、江戸上屋敷などをご覧になるため、東京にいらっしゃったのだった。
 市長さんがおっしゃるには、現在もその藩主を「殿さん」と呼んでいるとのことだった。関が原の戦いから400年以上経っていながら、まちの人々が藩主を殿さんと呼び、親しんでいる姿は微笑ましく、東京では考えられない光景であろう。
 その地域に息づく歴史と文化のリアリティさに、僕は少しカルチャーショツクを受けた。これこそ「クールジャパン」の一つの売りとなり得る? のではないかと思った。
 
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 旅行業者よ、日本のイメージフレーズをスシ、テンプラ、フジヤマ、ゲイシャ、マンガ、オンセン..というなかれ、日本には武士道文化があるではないか!" 高度で文化的な戦いの歴史があるではないか!! サムライ、ダイミョウ、ローニン、ニンジャ、ハラキリ......。
僕が若い頃は、日本の歴史は封建的で、身分制度に束縛された暗黒時代と思い込んでいたのだが、その時代を経て培われた日本独自の世界観を、大事にすべきと今考える。
 今日の殿さんと一緒にきた市民の方々は、抑圧された人々でも、過去にトラウマ持った末裔でもなく、自分たちの地域やシンボル(象徴)としての殿さまを愛して、はるばる遠くから東京にやってこられた。そして、愉しく有意義な時間を過ごされた。
 何か、とても忘れかけた大切なものを気づかせてくれたような、大名御一行であったのだ。
 
 

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2014年11月14日 (金)

 今日はイスラム関係のセミナーがあって、その帰りにうちのスタッフたちと新宿で飲む。
 イスラム教では豚肉、アルコールがご法度であり、気がひけたが、居酒屋に入ってまっさきにそれら注文した。
 1時間半予定が4時間半となり、三人で生ビールと酎ハイ10杯、日本酒一升を飲んでしまった。帰宅して、カッフーラーメンとアイスクリームを食べて、これから就寝。
 わが身体よ、いろいろと負担かけてごめん!!
  おやすみなさいm(_ _)m 

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2014年11月10日 (月)

アニマル浜口・プロレスラー

 今日の夜はアニマル浜口会長と面白い出会いをした。

 
 最初は、琉球空手とか、武道の話しをしていたら、浜口会長は声を張り上げることの意味に始まって、特殊なスクワットでの掛け声について語りだした。そして、突然、今からそのスクワットをやってみると言って、通常のリズミカルなスクワットではなく、1,2,3という掛け声を気合を入れて、声自体にかなりのエネルギーを注入するスクワットを100回行なった。
 
 一般的なスクワットとは違った、凄まじいスクワットを行なう浜口会長を目の当たりにして、私は50回ほどでもういいんじゃないかと思ったのたが、そのまま100回までいってしまった。
 浜口会長曰く、現役時代も50回までを1セットとしていたそうで、100回やったのは初めてだと言う。今回は、僕が一緒にいたこともあり、やってみようと初挑戦なさったとのことであった。
 
 その凄まじいスクワットは国際プロレスが崩壊し、新日本プロレスに憎まれ役として登場した当時の、新日本、観客に負けてはなるかという鬼気溢れるスクワットである。そのスクワットを眼にした私は浜口会長の現役時代(特に国際はぐれ軍団時代)を思い出した。最近では、京子ちゃんの父親キャラクターが強い浜口会長だが、今日は現役時代の反逆的プロレスラーを彷彿させるような気迫があった。
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 私は、浜口会長が国際はぐれ軍団にいた当時は、猪木信者であり、観客を敵に廻すアニマル浜口を心底憎んだ。蔵前国技館では浜口死ネェと叫んだ。それがこうして師匠のような存在になるとは、誰が想像できたであろう。運命とは面白いものだ。
 
 浜口会長に今日はうちの母の82歳の誕生日です。母は中生4杯は飲みます。二次会誘われないようにピクピクしていますと言うと感動なさった。
 
 そして、大きな声で私の名前を呼んで、これは不思議ですねえ。初めて行なったスクワット100回というのは、お母さんの誕生日とつながってますねぇ。100まで長生きしてくださいというメッセージですねぇと驚いていらっしゃる。
 私はなるほどと思い、母に伝えますと言って会長と別れた。 
 
 途中酒屋でスパークリングワインを買って、母宅に向かった。
 
 まぁいつもながら酔っ払ってしまったのだけど、100歳まで母が生きるのならば、私の方が先に天上界に帰ると言ったら、うちの奥さんが「お母さん、一緒に見送りましょう」と元気な声で母に語りかけていた。 ちょっと複雑な心境......
 
 浜口会長の人間的な深さと、若々しく柔軟な心を実感した夜であった。
 
 

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2014年11月 9日 (日)

東恩納盛男師範の自分革命

 今日はパシフィコ横浜で開催された高橋佳子講演会に参加した。

 不思議なご縁があって、この講演会に招待されたのたが、第一部で国際沖縄剛柔流連盟連盟主席師範で、世界に10万人の弟子をもつ、東恩納盛男師範が高橋先生と出会い、人生がどう変化していったかという映像記録が流された。
 輝きしい武歴、経歴をもちながら70半ばにして、人生に再チャレンヂした東恩納師範の生き様は、会場全体に爽やかな感動の風を起こした。師範は名著「祈りのみち」を知人から贈られて、その内容に感銘し、GLAに入会したらしい。私も、東恩納師範のように快苦の世界から抜け出して、魂としての生き方をしたいものだと願ったのだった。
 
Cimg4296                講演会パンフレットより
 
 そして、講演会終了後は、悪友たちと中華街に繰り出し、おいしい点心とビール、紹興酒を頂き、かなり酔っ払ってしまった。少々反省.......
 
 
 

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善光寺

 善光寺参りに行ってきた。82歳の母と87歳の叔母、母の友人78歳に、僕たち夫婦がボランティア、使役のように付き合わされた。

 
 レンタカー「NOAH」は新車同様で総走行距離4000キロしか走っていなくて、快適であったが、後部席のお婆さんたちが、ずっと喋りっぱなしで、親戚の誰がどうした、あの鍋は1000円でとか、どうでもいい会話が途切れ途切れに聞こえてきて気が散るので、音楽を大きめにかけて運転したのだった。
 
 午後2時に善光寺に着いて、山門前の有名な和菓子屋さんで、お婆さんたちはお土産のお菓子を大量に注文したため、店側は品薄でパニックとなり、新たに品物が到着するのが3時半になるとのことであった。酒蔵見学やお茶をして時間を潰したのだった。
 
 ホテルは白馬グリーンプラザホテル。ここはかなり大きなホテルである。夕食はバイキング方式で飲み放題コースを頼み、お婆さんたちは色々と注文なさっていた。普段は部屋に帰ってからも東京から持参した缶ビール数本を飲まれるのだが、今回は飲み放題で大量に飲んだため、1本しか飲まなかったということであった。
 
 翌朝は、白馬から松代まで行って、皆神神社に御参りをした。駐車場に皆神山はUFO発信基地との表示板があるのだか、本当だろうか?。神社の紅葉がとても綺麗であった。
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 東京に帰るまて時間があったので、高速を途中で降りて、世界遺産になった富岡製糸工場に見学に行くことにした。見学前に入った蕎麦屋さんで、お婆さん方は私は2回行ったとか、あんな混んでいるとこは行きたくない等々の発言をなさっていたが、製糸工場まで数百メートルの地点でそのようなことは言われてもしょうがないではないか!と憤慨モードに突入したのだった。
 
 製糸工場は世界遺産登録だけあって、かなりの観光客が団体で訪れていた。工場内では繭から糸をつむぐ実演を行なっており、うちの奥さんが挑戦した。
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......夕方、東京に帰ってきて、本所みず穂で打ち上げを行なったのでした。
 
 いろいろ大変なお婆さんたちに振り回されつつ、まぁあの高齢の方々のお役に立てたのだからと自分で自分を納得させるのだが、来年もまたつき合わされるのではないかと戦々恐々とするのであった(;;;´Д`)
 
 

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2014年11月 2日 (日)

 歌舞伎座に行ってきた!

         今日は柔術稽古後に、急いで東銀座の歌舞伎座へと向かった。

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  稽古で汗をかいたのでビールを飲みたかったが、午後4時半~8時50分という長い上演時間のため、最初からお酒を飲んだら、途中で寝てしまう危険性があったのでノンアルコールビールを歌舞伎座地下で買って、一気に飲んだ。
 
 第一幕の「御存鈴ヶ森」の後に30分の幕間があったので、がまんできなくなり、売店でスパークリングワインと生ビールを買ってきて、お弁当をつまみにして美味しかったぁ。 

 第二幕の「勧進帳」の後の幕間では、冷酒ワンカップと生ビールを購入し、第三幕の「義経千本桜」をほろ酔いで鑑賞していた。
 歌舞伎座でこれだけ飲んでいる人はあまりいないようである。いくつもの種類のお酒を飲み続けていたので、周囲の眼が気になったのだった(-。-;)。

 
 また、酒のはなしばかりになってしまってすまない。肝心の歌舞伎だが、市川染五郎が、父の九代目松本幸四郎の当たり役となった「勧進帳」の弁慶に初めて挑んだ。なかなか迫力のある弁慶で、染五郎もいい役者だなぁと思ったおじさんなのであった。
 
 歌舞伎は何をいっているのか、どういう場面設定なのかがわからないことが多いので、今日借りたイヤホンガイドは非常に良い仕事をしてくれた。外国人も多かったが、歌舞伎どうだったんだろうと気になった。


 ※最近は、午前5時台に目が覚めるようになってしまった。これは、おじさんとしては日頃の激務のストレスゆえ、不眠症になってしまったのかとあきらめていたのだが、先日の飲み会である大手出版社の方から、歳のせいではないかというご指摘をいただいた。
 歌舞伎から帰宅して、それを思い出してネットで調べたら、高齢者の睡眠の特徴は、夜中に目を覚ます中途覚醒の回数が多いこと、早朝に目を覚ます早朝覚醒の回数が多いことが挙げられるそうだ。
 ...ということは、私も高齢者の部類に入ってしまったということなのか!(;_;)
 お酒飲んで寝ると、夜中に目を覚ましやすいともいうし.....。
 まぁ、気にしていても仕方がないので、自然体でいきます。
 それにしても、今日の染五郎弁慶の日本酒ガブのみはうまそうだったなあ。 
 
 
 

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2014年11月 1日 (土)

 昨夜はブログにハロウィンのことを書いたが、今朝(7時5分)に読み返してみたら、あまりにも大人気なく、ひどい内容なので(毎度のことだが)、もうお酒を飲んで書くのはやめたほうがいいのではないかという気分になった(ノ_-。)。 5年程前にブログを書いた当初からこんなだっけと、少しだけ読み返してみた。

 僕は、あまり自分の書いたものを読み返さないのだが、まぁ当初は読書感想などまじめに書いており、現在よりも少しはマシかなぁと思った。
 
 5分くらいで適当に読み飛ばしていたら、「押井守監督の生き方」というタイトルがあった。そういえばそんなことを書いたこともあったかなぁというぐらいの記憶しかなかったのだが、押井監督の本から引用している箇所を読んだら、自分に迫ってくるものがあったので、ここで改めて紹介しておく。 
 
  社会とのかかわりを持たないことが自由とはいえない。それでは我々はどう生きればいいのか。それはより本能的に、より感動的に生きるしかないということらしい。たとえ話として、家路をいそぐあなたにすり寄ってきた小さな子犬がいて、本当に可愛らしく、抱きしめたい衝動にかられる。しかし、あなたはそこで犬を連れて帰ったら、家族から叱られるか、飼えたとしても餌代はかかるし、毎日の散歩、旅行にもいけなくなる。...そう考え、あなたは無情にも子犬を置いて、立ち去る。

 確かに子犬を連れて帰らないことで、あなたの暮らしは変わらない。だが、子犬を連れて帰っていれば、もっと愉しい豊かな生活があったかもしれない、それこそ、旅行なんて行きたくもなくなるような、毎日の散歩が苦行でなく楽しくて仕方のないような暮らしがあったかも知れないのだ。

 あなたは何も捨てていないようで、実は大きなものを捨てている。少なくても何も選択しないうちは、何もはじまらない。

 子犬を抱き上げることができたなら、未来の可能性を留保するより、今の選択を優先できるはずだ。子犬の命を引き受けたように、次は他人の人生を背負い込むようになるだろう。そうやって社会とのチャンネルをが増えていき、あなたを必要といる人が一人ずつ増えていく、

 かつてのあなたが、その姿をみたらなんと言うだろうか。ああなんて不自由な暮らしと嘆くだろうか。だが、きっとあなたにはそんな過去からの声は聞こえない、その代わりに、何物にも代え難い大きな満足を得ているはずだ。

 先ほど、この文章を読んだ僕は自分自身に対して、子犬を家に連れて帰らず、何かを守ろうとして、大切な選択の機会を自ら放棄していないだろうかと問いかけた。

 僕は子犬を連れて帰ってはいない。でも、まだ連れて帰る選択を放棄していない。だから、この言葉がこころに響いてきたのだと思えたのだ。
 

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