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2014年1月

2014年1月31日 (金)

酔っ払い日記

Imagescaezn61q  今日の仕事の大半は例えていうと、対立する国同士をどう和解させ、協定を結ばせるかということであり、実際はかなり矮小化した業界内のはなしである。調整、交渉と一日振り回された感じであった。

 さて、このブログは僕の日記、備忘録でもあるのだが、関係者のことを考慮すると、表現をそれなりにはぐらかしつつ、そしてtakkunというニックネームを使わざるを得ないのが実情である。

 何か、偉そうな書き出だしであるが、今日はかなり飲んできている。本日の仕事にも絡んでいるホテルでの新年会に出て、ビール、ワインを飲んでから、帰宅して焼酎、熱燗を飲んでいるのだ。酔っ払った勢いもあるので、微かに残っている理性心に配慮しつつ、書きたいことを書こう(シラフになってから削除することはないと思いますが....)。

 実は、プログに書いたとおりに、最近はエアガンに凝っている。先日は合気道の鏡開きがあってその後40人ほどの宴会を行なったが、その席で今年の抱負を個々に語る場面があり、僕は酔った勢いで、ガンファイティングと合気道について語ってしまい、この男は何なんだ!? という視線に包まれたのであった。

 そうなのだ! やはりオレは50を過ぎて、このようなガンファイティングに熱中している、おかしな中年男なのだよ、友よ、妻よ、母よ、諸々の人たちよ..すまない!

 さて、今日の新年会でぱ重鎮相手に酒をガバガハ飲み、生意気な態度をとってしまった。まぁ、それでいいのだ。今日の自分は「24」ジャック・バウアーのようであったと思うのだ。そう思ってしまったので、お開きになった後に、近所に出来たガンショップに立ち寄り、衝動的にマシンガンを買ってしまったのだ!! (゚ー゚;! さすがに、この歳で10歳以上対象製品を買うのには勇気が要るので、今回だけ中学生の息子(実際には存在しない)にせがまれ、仕方なくプレゼントする父親を演じようとしたのだが、レジで会員になりますかと聞かれ、つい「なります!」と言ってしまったため、自分の年齢を記入するハメとなってしまったのだ(;;;´Д`)

 早速帰宅して、試射してみたら、凄い!!  興奮している自分を冷静にみると、これまた凄い中年男なのである"!

さて、本題に入ろう。

 結局、僕は年末から、一ヶ月ちょっとで、ハンドガン2丁、ショットカン1丁、マシンガン1丁を購入してしまったのだ!!! Cimg3352  なんということをしでかしたのか!!! というお叱りはごもっともであるが、一応室内でのシューティンクを想定しているため、10歳以上仕様を中心にして、18歳以上は1丁のみである。よって、経費面では4丁併せて、14000円程度である。その値段でこれだけのコストパフォーマンスは凄い! さすがはものづくり大国ニッポンである。

 それにしても、今日衝動的に購入したマシンガンの威力には圧倒された。

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 なかなか、世間様にはいいづらい趣味ですが、このプログをご覧頂いている皆様には、つい正直に告白しちゃいました。こんなtakkunにあきれないでくださいね(゚ー゚) 

 

 

  

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2014年1月26日 (日)

天風GALLERY

今日は昼前にレンタカーを借りて、親戚とご先祖のお墓参りをしてきた。ここのお寺は石川啄木の葬儀が行なわれ、啄木生誕七十年の昭和三十年、彼の歌碑が建てられたそうだ。Cimg3316

そして昼食時になり、親戚と母は飲みに行くというので、僕たち夫婦はせっかくの晴れた日曜日を有効に過ごすために、護国寺までいくことにした。

 護国寺で参拝した後、敷地内にある天風会館にギャラリーができたということなので、見学してみた。中村天風先生の原稿や、書画、愛用の品々が展示されていた。

 Cimg3343_3   Cimg3320Cimg3322

 天風先生の 直筆の講演記録や、 原稿をみると、中村天風という男が、伝説やファンタジーとしての存在ではなく、実在した人間だということが、実感として伝わってきた。そして、おしゃれで、ちょっときざな天風先生らしいファッションも微笑ましい。            

Cimg3327 Cimg33233

 レンタカーを護国寺近くのコインパークに入れたので、料金節約のため短時間で見学をきりあげたという、せこい僕ではあったが、まるで天風先生が、   

船に乗っても、
もう波が出やしないか、
嵐になりゃしないか、

それとも、
この船が沈没しやしないかと、
船のことばかり考えていたら、

船旅の愉快さは
何もなかろうじゃないか。
人生もまたしかりだよ。

 .....とおっしゃているような気がしたのであった。

Cimg3341

天風GALLERY

開館日 : 平日/第1・第4日曜日 9:30~16:30 
閉館日 : 土曜日/第2・3・5日曜日/祝日  入場無料(見学自由)東京都文京区大塚5-40-8天風会館 TEL 03-3943-1601  

母と親戚たちは、11時半から5時まで神谷バーで飲み続けたらしく、ベロンベロン状態であった。いっしょにいかないでよかったぁ...(^-^;

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2014年1月23日 (木)

拳銃と合気道

自然酒 

 5年程前に、千葉県の蔵元当主の寺田啓佐さんの「発酵道―酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方」という本を読んで面白かった。そして,2週間前に2012年に発刊された寺田さんの「斎藤一人 発酵力 微生物に学んだ人生の知恵」を読んでみた。そうだったのか、寺田さんは「発酵道」以降に斎藤一人さんと出会い、親しくなって影響を受けたのかと、興味をもって読みすすんだ。最後のあとがきが寺田さんの息子さんになっていて、よく読むと2012年にお亡くなりになっていたのだ。

 寺田本家のお酒は、昔ながらの木桶を使った「生もと(きもと)仕込み」で仕込まれ、蔵人たちが酒造り唄を唄いながら、酒造りが行なわれている。

Cimg3312  日本酒好きの僕としては、普段の純米バック酒ではなくて、手仕事で作られた本格的な日本酒を飲んでみたくなり、早速、自然食品の会社のネット注文で「五人娘」「香取」と他社の純米酒を注文したのであった。

 まだ「香取」しか飲んでいないのだが、このお酒は香取神宮のお神酒として奉納されているとのことである。香取神宮は武道の神様として有名であり、僕も昇段審査の前に「勝運守」という武道のお守りを購入した。これもご縁があるのだなぁという感じである。味わい深い千葉のお酒にはまりそうな今日この頃です。

自然体

 さて、つぎの話題は、なんと最強のガン・ファイティング?!!

Cimg3313

 かなり昔、僕がガンマニアだったことを以前のブログで書いたが、それなりの年相応になってきた自分が再度、エアーガンを手にすることは、もう一生ないと思っていた。しかし、なぜか年末に何気なく観たワルサーを衝動的に買ってしまったのだった(もちろん酔っているとき)。

 そして今週、近所の図書館で仕事関係の本を探しているときに、ふと武器関係コーナーの前で止まって「テッドアライの拳銃護身術」という本を手にとってしまったのだ。この本は1993年刊行の20年以上前の古い本であり、内容もどうもマニアックな感じがして、普段ならば見向きもしなかったはずなのだが、なぜか興味が湧いてきて、結局借りる羽目となった。

 内容はガンやライフルの解説や、弾丸の種類、撃ち方等々の話題満載であり、さっ.-と速読的に読んでみたのだが、途中で僕の目が釘付けになるページがあった。

 シューティングの姿勢の解説のページであったが、そこには「気の威力」 「藤平光一」という文字が記されていた!!

 ガンファイトと心身統一合気道宗主になんの関係があるのか!! と驚いた僕は、文章を読み進める。そこには、射撃姿勢について悩んでいたときに、ある人から藤平光一先生の「気の威力」という本を贈られて、そこに書かれている内容に感動し、影響を受けたようなことが書かれていた。射撃姿勢にはからだの姿勢の安定が必要で、気を充満させることが大切であり、心を落ち着かせて、相手の目を見ずに口元をみろというような内容であった。

 しかも、自然体のつくり方というイラストまで.....

Cimg3315_3 

 僕がエアーガンを撃つこと(室内でだが)へのためらいのひとつとして、世間体はもちろんだが(゚ー゚;、合気道門人として「和合」「争わざる」「平和共存」という合気道の重要な精神から、かけ離れ、脱線してしまうのではないかということがある。

 しかし、今回の驚くべき発見から、射撃姿勢を通して自然体を学ぶという稽古の一環とするならば、植芝先生、藤平先生にもお許しいただけるのではないかという勝手な解釈をさせて頂いたのであった。m(_ _)m

 

※テッドアライさんについてウィキペディアで調べてみた。

 テッド・新井(テッド あらい、本名:新井 国右〈あらい くにすけ〉1931年(昭和6年)- 2007年(平成19年)2月5日)は、日本の元傭兵、軍事アドバイザー、作家

 海外の戦場を傭兵として転戦したのち、アメリカで興信所とガンスクールを起業。私立探偵とガンインストラクターの仕事をかけもちしながら、日本やアメリカの銃雑誌に多数の原稿を寄稿して有名になった。2007年2月5日、パラグアイの首都アスンシオンで自動車を運転中、信号待ちで強盗に襲われ格闘の末、強盗犯の拳銃による至近距離からの射撃で銃殺される。

ご冥福をお祈りいたします

 

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2014年1月19日 (日)

植芝盛平

 初めて冠光寺流柔術についての本を読んだときは、カトリック修道師に伝えられていた活人術!! ということに驚いたとともに、ほんとうにそんなことがあるのかという疑問が湧いた。それは僕だけではなく、愛することを基調にした武道というのは、一般的にはうさんくさい感じがするのではないか。

 数日前にこのブログで、たまたま合気道開祖の植芝盛平翁のことを書いたので、5年ぶりに「合気道開祖・植芝盛平語録 合気神髄」(八幡書店) に目を通してみた。すると、5年前には殆どが宗教的でよくわからなかった印象だったが、今回はなるほどと膝を叩く文章が多々あった。

 愛は争わない。愛には敵はない。何ものかを敵とし、何ものかと争う心はすでに宇宙の心ではないのである。真の武道には敵はない。真の武道とは愛の働きである。

 合気は真実そのものの現われであって、愛で世の中を吸収、和合させ、いかなるものができても、これを和合していくのである。我々は真の世界人類を至仁、至愛に同化させてゆかねばならない。怒ってくればこれも和するのである。武士のことを「さむらい」というが、これは愛の道に従順という意味であって、やたらに斬り合うのがさむらいではないのである。神、肉体ともに鍛錬しあって国の柱となり、愛の運動に進みたいと思う。

 武道の鍛錬とは、森羅万象を正しく産み、まもり、育てる神の愛の力を、わが心身の内で鍛錬することである。

 合気道の極意は、己れの邪気をはらい、宇宙の動きと調和させ、宇宙そのものと一致させることにあるという。では、宇宙の心とは何か? 宇宙のすみずみに及ぶ偉大な「愛」であると植芝翁は断言する。

 だが、合気道の極意が宇宙全体の愛と一致させることだというのは、余りにもスケールが大きすぎて理解不全に陥ってしまうのが普通の感覚ではないか。だから、そのことはひとまず置いといて、武道として身体動作や、心身調和といったことをベースに稽古せざる得ないのが現実であろう。

 冠光寺流柔術の愛する武道というのは、キリスト教的色彩が強くなるため、「武道とイエスキリスト」というトンデモな組み合わせとなり、変な色物として扱われてしまう傾向にあるのだろう。しかし、植芝翁の愛はキリストも含めた包括的、宇宙的な愛であり、その意味では、愛する活人術というのは、本来の武道の姿に近いのではないか。

 そして、次に出てくるのは、その愛するとはどういうことなのか? という疑問だ。

 それは星の数ほどの言葉がでてきそうだが(家族や恋人を愛すること、自然や動物を愛すること等...)、頭で考えているだけは到達できないものである。そのためにも、あるべき論では到達できない世界に、武道の鍛錬を通して近づいていくのだろう。

 ※昨夜、うちの奥さんとY田さんが、武道・格闘技界では有名な団体の新年会に参加してきた。二人ともその世界にはまったく興味がなかったのに、たまたまご縁があって行ってきたのだが、武道猛者たちのあっと驚く宴会に驚き、楽しんだようだ。Y田さんには、これからの人生を考えるうえでの参考となったとの情報有(*^-^)

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2014年1月17日 (金)

宴会心得

 今日は元職場の仲間の退職祝い会があった。今年に入ってから随分と外で飲む機会が多いなと数えてみたら13回であり、殆ど毎日のように新年会等で飲んでいる。特に、現在の仕事に就いてからは、仕事絡みでの会合が多くて、色々な方々とご一緒に飲食する機会が増えた。 

 私の人生、かなり多くの宴会に参加してまいりました。そして、その中で、飲み会には成熟度や、幸福度、達成度というものがあって、そのレベルがわかるようになってきた気がします。もちろん、その度合いに大きく影響するのが、参加者の意識です。宴会はその人の人間性や、成熟度を体現する、ある意味ではシビアな場なのです (すんません、ワタクシ今夜はかなり飲んだためさらに偉そうです(゚ー゚;)。

 それは、内田樹氏の宴会心得と通ずるところがあるので、引用さぜていただく。

 武道的力量はつきつめれば「人としてよく生きた」というかたちで事後的にしか検証しえぬものであり、数値化することも比較考量して優劣を競うこともできないものなのである。

 すべての身体技法が最終的に要求している「他者との共生能力」は人間の能力のうちもっとも計測しにくいものの一つである。
なぜなら、それは属人的な能力ではないからである。
 その能力は現に所与の、偶然的な「場」において、「共生を果たした」という当の事実を通じて事後的に判定されることしかできないのである。

 宴会というのも厳しい言い方をすれば、いわばある種の「共同的身体運用」である。
そこで自分のいるべき場所を探り当て、自分のなすべき仕事を見つけ出し、「宴会する共-身体」の一部になり切ることが実は求められているのである。
知らなかったでしょ。
なんと、私は宴会しながらも、門人諸君の身体能力の開発を心がけているのである。
「自分の割り前」の仕事をそこで果たすことと「自分の取り分」の愉悦を確保することは似ているようだが質の違うふるまいである。
門人諸君もそのあたりの呼吸をよく呑み込んで「宴会道」の極意めざして、さらなる精進に励んでいただきたいと思う。

 

 私たちはなぜ、お酒の場を通して、他者と出会おうとするのか。その出会いのいのちはなんであるのか。 

 それでは、おやすみなさい!!

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2014年1月14日 (火)

汝の敵を愛せよ

今日は母と浅草歌舞伎を観た後、合気道の親しい仲間との昇段祝い&新年会に参加した。

 二次会まで行ってかなり飲んでしまったが、忘れずに記憶しておきたいことがあるので、こうしてPCに向かっている。

 今日は、キリストの「汝の敵を愛せよ」ということについて、飲み会で語ってしまった。

 それは、今まで敵を愛すということは、人類皆友達的な観念論で捉えていたり、道徳的、儒教的なイメージとして解釈していたように思える。

 しかし、時代背景を考えれば、イエスはパリサイ派、ユダヤ教徒や、ローマ人からの迫害をリアルに受けていたはずだ。そこではイエスは実際に敵から迫害され、攻撃されていたはずであり、観念的に敵を愛するというレベルでは通用しない眼の前の危機に常にさらされていたはずである。イエスはその危機的状況を「敵を愛する」という姿勢で、乗り切ってきたのではないか。しかし、イエスは最後に十字架にかけられたではないかという人もいらっしゃるかもしれないが、イエスご自身はその死を受容なさったのだ。

 もう一度戻るが、「汝の敵を愛せよ」とは、みんな仲良くしようねという観念論、道徳ではなく、自分を迫害する敵という実態に対する定義ではないだろうか。攻撃してくる相手を愛して、その攻撃をかわし、ずらし、むしろ違う世界に導くのだ。そこにキリストの活人術がある。

  敵が攻撃してきても、愛することによって、敵のその拳を和らげ、静かに倒すことが可能となるのだ。

 武道にとって「汝の敵を愛せよ」とは、最強の武器となるフレーズではないかと思ったのだった。これは深い.................

 植芝盛平

 合気道の開祖である植芝盛平翁は、大本教の出口王仁三郎の警備のため、蒙古遠征に同行し、数多くの敵を倒したという。植芝爺は「合気は愛じゃ」と語っていらっしゃる。

合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。

いかなる速技で、敵がおそいかかっても、私は敗れない。それは、私の技が、敵の技より速いからではない。これは、速い、おそいの問題ではない。はじめから勝負がついているのだ。

敵が、「宇宙そのものである私」とあらそおうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。すなわち、私と争おうという気持をおこした瞬間に、敵はすでに敗れているのだ。そこには、速いとか、おそいとかいう、時の長さが全然存在しないのだ。

・「愛は争わない。」「愛には敵がない。」何ものかを敵とし、何ものかと争う心は、すでに神の心ではないのだ。

真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。即ち絶対不敗とは絶対に何ものとも争わぬことである。勝つとは己の心の中の「争う心」にうちかつことである。あたえられた自己の使命をなしとげることである。

高橋英雄 編著『武産合気』より



 

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2014年1月11日 (土)

中村天風 至誠の書

さて、炭粉先生から畑村会長に贈られた天風先生の書であるが、どうだ!凄いであろうと何人かの方にその書の写真をお見せしたところ、「何と書いてあるのか? どのような意味なのか?」 という問われて、答えに窮してしまった。

 そこに助け舟の情報が届いた!

 次のような読み、解釈ができるそうである。

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  「読み下し文」(日本語としての読み方)としては、

嗚呼(ああ)、人々至誠の二字を服膺(ふくよう)し、拳々として失う勿(なか)れ。
ただ身の修むべく、家の斎(ととの)うべきのみ。
その積徳の及ぶ所、光四海を被(おお)う。
また難(かた)きにあらざるなり。

‐意味‐
一行目は、至誠の二字を拳々服膺(心に抱き忘れずに守る)せよという事。
二行目以降はその説明で、中国の朱子学(儒教の一派)的意味では、至誠とは天理の誠に通じる事で、宇宙の生成から万物の存在根拠に通じる最高原理を悟るという極めて難しい高尚な意味になるが、それを「ただ我が身を修め、家をととのえる」という日常の道徳を積んでいくだけでいいのだと言い切っているところが、この句の妙。そしてその日用人倫の実践が、やがては四海を覆うまでになる。それは決して難しい事ではないのだ、と結ばれている。

 炭粉先生の解説によると.......

「拳々」とは、うやうやしく両手で物を捧げ持つという意味。
即ち、宇宙真理を知ろうとする事は難しい事ではなく、ただ至誠を忘れず身を常に正しく修め家を整えさえすれば良い。だから真理を得る事は決して難しい事ではないのだ、と説いている訳です。
中国の古典「四書」の中の「大学」と「中庸」のテーマですね。

....

(゚ー゚) 以上のような、壮大な宇宙真理と日々の生き方について説かれた内容だったんですね! 天風先生がその素晴らしいメッセージを自筆で書かれている貴重な書でありました。

 

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2014年1月 5日 (日)

中村天風先生の色紙

 炭粉先生から畑村会長に贈呈された、中村天風先生の自筆の書。

 日付は昭和35年と記されている。

 Photo

 

 炭粉先生から私に贈呈された、中村天風先生の筆画の色紙。

 日付は、1958年と記されている。

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神戸 お正月旅行

このお正月は、関西旅行に行ってきた。

 お正月に旅行というのは初めてであるが、昨夏に父が亡くなって母も少し自由になったので、86歳の従姉妹と旅行に行こうと二人で勝手に決めたのだ。僕は気乗りしないというか、自己主張のお強いお二人のお婆さまたちとは行きたくなかったのだが、無理矢理に付き合わされたのであった。

 行く場所は任すというので、数日にわたってお婆さまとずっといるのもイヤだし、炭粉良三先生(海鳴社の合気シリーズ著者)ともお会いしたかっので、先生のいらっしゃる神戸周辺を目的地にしてみた。先生にも正月のご都合をお伺いしたところ、幸いご都合のつく日があったので早速、旅行の手配をすることとなったが、年始の帰省ラッシュを考えると、新幹線、宿の手配が大変だと思い、旅行社の団体旅行に申し込んだ。

 有馬温泉、神戸、京都という組み合わせの三日間の団体旅行である。僕たち夫婦とお婆様二人で申し込んだが、炭粉先生とお会いてきるというので、泪橋冠光寺倶楽部の事務局のY田さんと、K本さんをお誘いしたところ、数日たってから、お二人から同行参戦します!!というお返事を頂いた。まさにバラエティに富んだ総勢6名の旅行グループが結成されたのだった。

 一日目

 東京駅に8時10分に集合。このツア-の参加者は45名で、やはり年齢層が高めである。特に僕たち6名のグループは異質な感じがした。

  Cimg3237新幹線で新大阪に着いてから、バスで有馬温泉「太閤の湯」に向かった。正月ということで混んでおり、入口には60分待ちの表示があったが、僕たちはツアー旅行のため、そのまま入浴することができた。温泉はいろいろな種類があり、天然温泉でとてもからだが暖まった。しかし、予定よりも早く着いたため、3時間ほど温泉に滞在することになり、時間をもてあましてしまった。Cimg3240

 ツアーでは、夕方の神戸港からのディナークルーズがコース内容に含まれていたが、僕たちは炭粉先生と三宮でお会いするため、お婆さまたちを添乗員さんにおまかせして、別行動することとした。少しだけだが待ち合わせ時間に余裕があったので、行く途中に生田神社で参拝した。

 炭粉先生の御馴染みのお店には、先生の奥さまと、気空術の畑村洋数会長(拳友会)と師範の方が参加してくださり、神戸組4人と東京組4人の面白く楽しい組み合わせとなった。

 そこでは、凄いサプライズがあり、炭粉先生が所蔵しておられた中村天風先生の自筆の書が、畑村会長に贈られ、僕には天風先生の筆画が贈られたのであった。中村天風先生の自筆の色紙は、大変価値があるもので、天風ファンにとっては、喉から手がでるくらい欲しいものであろう。その書を頂けた喜びとともに、天風先生を敬愛してやまないはずの炭粉先生が、その作品を二人に譲って下さるとはまさに天風哲学を実践なさっているのだなと感激したのであった。

 そして、僕の奥さんと、事務局の二人は畑村会長とも初対面であったが、会長の暖かいお人柄と、誠実さゆえに、初めてとは思えないくらいうち解けていった。畑村会長と炭粉先生からは、武道家としての追求心と、人間味溢れるユーモアが強烈なオーラのように発信されていた。まさに、この二人は最強コンビであり、不滅のバッテリーである !

 そして、先生の奥さまも素敵な方で、初対面だったのにもかかわらず、何のご縁か、なんとY田さんと、僕の奥さんが奥さまとこの1月、ある団体の新年会で合体することになった !。 このように愛魂は人をひきつけ、繋いでいくのかと感心したのでした。

 また、拳友会の師範も、武道家としての大きな可能性をもった方で、武道の強さとともに、優しさを兼ね備えた好青年であった。

 こうして、神戸組と東京組の新年会は、殆どが初対面にもかかわらず、楽しく愉快に、未来につながっていく可能性を秘めた時間を過ごしたのであった。

 二日目

 朝、母と会うと、「飲むものがなくて大変だった。仕方なく洗面所の水を2杯飲んだ」と小言を言われた。........どういうことか、よく聞いてみると、夕べは船で中華コースと生ビール2杯のんでホテルに戻り、9時に寝た。朝、のどが渇いたが、部屋になにもなく、自動販売機も廊下になかったので、洗面所の水を飲むしかなかったということである。....外にコンビニもあるし、フロントにきいてもいいし、まして部屋で沸かすポットには洗面所の水を使うんですから、その水は飲めるんです!! と答えても、母はやはりご不満の御様子であった.......のだ。Cimg3245  二日目は神戸フリーの日である。お婆さま二人のことを考えて、移動のためにレンタカーを借りた。まず、二人が行ったことがないという淡路島に行って、伊弉諾神宮と石屋神社に参拝した。

Cimg3256 その後、昨夜の宴会で教えて頂いた増田屋というお寿司やさんで昼食。肉厚で安いお寿司に皆喜ぶ。お婆さま方はビールがすすんだ御様子。

 その後、六甲山に登る。寒かったが、とても綺麗な夕日と夜景に見とれてしまった。

Cimg3262 夜は、お目当てのステーキランドが満席のため、元町のステーキ屋さんに入った。その後、近所で炭粉先生と合流。お婆さまたちも炭粉先生に会いたいというので、連れていく。結局、零時近くまで飲んでしまったけど、とても楽しい時間であった。

 三日目 

 8時のバスで京都に移動。伏見稲荷、祇園、西本願寺と巡るが、さすがに疲れ気味である。午後5時半京都発の新幹線に乗って、ビール、にごり酒などを飲んで、酔っ払っているのは、車内では僕たちのグループだけであった。

 午後8時半に帰宅し、ホッとする。

 今回の旅行では、神戸の皆様とも楽しく有意義な時間を過ごせたし、限られた時間ではあったが神戸観光を満喫できた。

 そして、僕は、炭粉先生、畑村会長と出会い、自分の中途半端さ、いい加減さに気づかされたのだった。もちろん、僕は武道の専門家ではないのだが、生き方としての武道、人とのつながり、世界との関わりとしての武道を学んでいる身としては、お二人の武道者として、或いは探求者としての一貫した生き様には、感服するしかなかった。今回、自分が感じ取った何かをさらにさらに掘り下げていきたいと思います。どうも、ありがとうございました。

 最後に....いろいろうるさいお婆さまたちに付き合ってくれた、Y田さん、K本さんにも感謝 !

 今年はますます良い年になると確信しました !

 

 風呂に入って、晩酌していたら、旅行中のお婆さまたちの暴言フレーズを思い出しましたので、ご紹介しておきます(*^-^)

○(炭粉先生に対して) 私よりあんたの方がずいぶん年下なんだから、「先生」と呼ぶのはおかしいわよね。あんた、今度、この子ら抜きで、わたしと一対一で飲みなさい !

○(宿泊したのがシティホテルで馴れていないため) お風呂に入ったのは、有馬温泉の一日だけ。旅行してお風呂に入れなかったのは初めて (ホテルの部屋のバスタブにお湯をためればいいだけだったのに、上膳据膳の温泉旅館しか泊まったことがなくて、自主行動には至らなかった)

○(神戸に行ったからには神戸牛を食べたいと言っていたのに) 私は牛肉よりも豚肉が好き。牛肉だったら、もっと味が濃いほうがいい(レストランの最高級のステーキを注文したくせに!)

○(夜景が綺麗な六甲山に苦労して登っていったのに) 寒いから、夜景なんかいい! (では暖かい車内から景色を見ましょうといっても、拒否的態度)

○(お寿司を食べながら) この値段でこれだけのものが出るんならいいわ。でも、ご飯が多すぎるわ。

※夜の睡眠時間以外は、車内でも、どこでも、お婆さまたちはずっと喋りっぱなしだった。二日目は午前四時に目が覚めて、洗面所の水を飲んでから、そのまま喋っていたそうである。(お婆様たちは同室)。

※一日目の午前の新幹線車内から、ビールを飲んでいたのはお二方だけであった。

 

  

 

 

 

 

 

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2014年1月 1日 (水)

元旦に観る 宇宙・ルルドの泉

 今日は一年の始まりの日だ。世間では「あけましておめでとう」が飛び交っている。ただし、僕は昨年父と兄を亡くしているので、その言葉をいうことは世間ではタブーとなっている。

 しかし、せっかくの元旦なのにあたらしい年を迎えられて「おめでたい、ありがたい」と言うことを避けなければならないというのは、不自然な気がするのだ。父も兄も同様の考えのはずである。だから、今日何人かに「あけましておめでとう」といったら、それは言ってはいけないでしょとたしなめられてしまったのだが....(;д;)

200  本日は、昼に映画館に行って、新年に相応しい宇宙映画の「ゼログラビティ」を観た。

 宇宙に投げ出された宇宙飛行士のハナシだが、とにかく映像が凄い。3Dで観たのだが、本当に宇宙空間を漂っている感じだったし、宇宙の深遠な暗さ、静寂さがリアルに伝わってきた。これこそが絶対に映画館でみるべき映画である。今までも評判のアクション映画やSF映画は映画館でみるべしと言ってきたが、この映画こそが本当にスクリーン、できたら3Dで観てください!

 ちなみに映画を観ながら、僕は自分が宇宙空間を漂い、綺麗な地球を見ている感覚になっていたのだが、ふと、地上生活が浮かんできて戸惑った。宇宙の広大な神秘の世界から、地上の職場でのストレスや、宴会でのバカ騒ぎ、アホなテレビ番組等々を思い浮かべたら、どちらが真実でどちらがまやかしか、見境がつかなくなってしまったのだ。まぁ元旦早々、宇宙からみた地球生活をイメージできたので、ありがたかったよ善哉善哉(^-^;

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 そして夜は、昨日AMAZONから届いたDVDを観た。フランスのルルドで聖母マリアを目撃した少女ベルナデットの生涯を描いた「聖処女」という凄い題名の1943年のアメリカ映画である。

 ルルドの泉は世界的に有名であり、ベルナデットも聖者として崇められている印象をもっていたのだが、彼女の奇跡を阻止しようとする警察や検事といった役人たちの妨害や、教会関係からの疑惑や圧力があったことを知り、大変ご苦労が多い生涯であられたのだなと驚いた。

 それにしても、戦時中の昭和18年に、このようなキリスト教の大作映画を作るとは、アメリカという国のもつ強さと懐深さはたいしたものだと感心した。ただ最近のアメリカがどうも....という感じなだけに、時代の変遷に思い馳せたのである。

 ちなみにこの映画はアカデミー賞(1943年度)で5部門受賞している名作なのである。

 正月元旦に宇宙と、ルルドの泉を観る時間をもてて、幸せであった。良い年になりそうだなぁ(゚ー゚)

 

 

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