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2013年6月 8日 (土)

空手とわたし

朝ウトウトしていたら、空手に関する僕の遍歴がグルグルと浮かび、廻る、浮かび、廻るを繰り返していたので、整理しようと思う。

 僕の年代層に多大な影響を与えたものに、まずブルース・リーという存在がある。そして、もうひとつは「空手バカ一代」という漫画である。梶原一騎原作、つのだじろう画の故大山倍達先生を描いた作品は、雑誌だけではなく、午後7時半からの30分アニメとしても放映された。その影響を受けて、中学3年生の僕は大山先生の「100万人の空手」を購入し、毎日独習していたのだが、受験勉強もしないで! と母から叱られた。

 高校一年生になってからは、池袋にある極真会館総本部に入門したのたが、その頃は極真ブームであり、一日百人位が入門していたともいわれている。僕にとっては、通うのに片道1時間かかり、稽古も厳しく、一年経たないうちに通わなくなってしまった。そのことが僕にとっての後悔としてずっと残ってきた。

 極真会館では、大山先生から直接、体重とパワー、スピードによる攻撃についてのお話を伺えたり、大道塾の東孝塾長が指導員でいらした時に、僕が稽古中に勝手に肩車しながらのスクワットをはじめたので注意されたが、自分が注意されているのかわからずにニヤッとしたら、「キミは、日本人かね!!」と大勢の前で叱られたこともあった。

  高校では部としてではないが、体育教師が空手道場の師範代をしていて、高校に空手同好会をつくったので、そこに入って、稽古に励んだ。

Cimg2649

 Cimg2650卒業のときに写真を撮っていただき、先生は立派な額にしてくださった。額の裏には...

 「静なり澄みり 常に身が心 波立たん水どぅ 影や映る」

  当時、その言葉はよくわかったようなわからんようなものであったが、それから長い歳月が経ち、齢を重ねたおじさんには、染み入るような句だなぁとしみじみ実感するのであった。

  大学に入ってからは、縁あって障害者ボランティア組織を立ち上げることになり、そのリーダーとして多忙になったが、車椅子を押しながら筋力トレーニングを積んだ...わけではないが、毎日、腕立て連続200回、ヒンズースクワット500回をしながら鍛えていた。

 卒業後は、障害者施設で働くことになり、リハビリ室があったので、そこに武道具店で購入した空手用サンドバックを置かしてもらい、休憩時間にトレーニングした。夏のお祭りでは、盆踊りのやぐらでプロレスショーをボランティア大学生と行なった。僕がアントニオ猪木っぽくて、大学生が覆面レスラーである。彼もプロレス研究会に属していて、かなり本格的な攻防戦となり、800人の観客がかなりヒートアップしてきたのが、闘っている? 僕たちにも伝わってきた。

 クライマックスでは、場外の僕に彼がブランチャー(トップロープを飛び越え、水平に飛んで頭から相手にぶつかる技)を仕掛けたため、大きな歓声があがった。彼はその後捻挫したのだが......。

 大好況のプロレスショーだったため、打ち上げでは、劇団主宰者から、うちの劇団に入らないかとお誘いを受けた。 

 あらら、空手の話から、プロレスの話になってしまった。

 その後は小学生だった娘がいうことをきかないので、極真空手に入門させたこともあったなぁ。代々木体育館だったか、大きな大会があり、少年部も演武があったので、僕は道場の指導員や若手たち10人くらいと、山手線に乗って道場から体育館まで移動した。僕たちは極真Tシャツを着た筋肉質の男たちで、小脇にはキックミットを抱えているという怖ろしい集団であったのだが、なぜか僕は異様に興奮していたことを憶えている。これは暴走族と同じような高揚感なのであるかもしれないと後から思ったのだった。

 その後、現極真会館の松井章圭館長とも、数回だが仕事の関係やお酒の場でお会いしている。僕の自慢のひとつに、館長と初めてお会いしたときに、ゴッツイ体してますねぇと言われて嬉しかったというミーハーっぽいものがある。

 それからも、空手や武道、格闘技にまつわるエピソードはいろいろあるのだが、オジサンが酔ってベラベラ喋っているみたいなので、この辺にしておきましょ。

 最後に、なぜこんなに空手にまつわるエピソードを思い出し、書いたのかというと、一昨日お会いした空手の先生との出会いが、僕に何かを伝えてきているからなのだ。

 合気道に入門し、黒帯を許して頂いた僕にとっては、武道の中で最も攻撃的である空手には距離を置いて眺めてきた。相手との和合を求めることなく、相手を拳と蹴りで叩きのめす空手には危険な香りがして、近寄ってはならないと思っていた。

 しかし。よーく考えてみれば、合気道の本質も武道であり、殺傷能力をもつ危険な技をもっている。街の路上で呼吸投げをしたら、簡単に怪我をさせてしまう結果となろう。植芝盛平翁は「合気道は剣の理合」であるとおっしゃっていた。斬る,斬りおとすを体技として、完成させたのである。

 最近は武道を自己啓発ツールとしてPRする傾向が強くなってきている。もちろん、それも必要なことであるとは認められるが、しかし、武道をソフトなスピリチュアル系に群がる人たちの集いの場としてはならない。

 まだまだ未熟な自分であるが、偉そうに言わせていただくとしたら、武道とは、その技を通して、極限まで自分を追いつめ、鍛えぬきながら、技を超えた真理に到達していく道なのであろう。

 一昨日、空手の先生を囲んだ会では、ヨガとか瞑想の話題になり、参加者のひとりが「和尚」と口にした途端、先生は「バクワン!」とおっしゃり、僕は「シュリ・ラジネーシ!」と続けた。バクワン・シュリ。ラジネーシを知る日本人と出会うことは、普通はないはずである。

 武道家でありながら、精神世界も追求なさってきた先生と、自分も同じ世界を歩いてきたような気がして、嬉しかった。

 強くなければ(喧嘩にではない!)、真実の実に触れることは難しい。だから、修業せよ。それがどんな武道であれ、芸術であれ、宗教であれ、人付き合いであれ、懸命に生きよ!

空手(武道)のメソッドを自己啓発に利用することではなく、自己啓発の為にも空手道に励めということに、とりあえずまとまったようだ。

 

 

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コメント

押忍!
自分でも意外ですが、空手の先生との出会いによって、インパクトを与えられたようです。

投稿: takkun | 2013年6月 8日 (土) 19時31分

その通り!誠にもって、その通りです!素晴らしい御意見を、有り難う御座いました。

投稿: 良三 | 2013年6月 8日 (土) 18時12分

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