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2013年2月

2013年2月24日 (日)

 今夜、熱燗で晩酌しながら観た「秘境の地からやって来た!仰天ニッポン滞在記」シリーズは何度観ても面白いし、タメニなるにぁ。

 このシリーズを観て想うのは以前のブログ同様、ジャングルの奥地で、原始的生活をおくっている家族でも、日本に着いた当初は驚愕するが、短時間で日本の生活様式に適応できてくるということ。

 そして、私たち日本人の方が、ジャングル生活している人たちよりも、かなり高度な文明人だと思いがちだが、たまたま運よく日本に生まれてきただけで、人間的にはまったく変わらないということ。むしろ、人工的になりすぎた私たちよりも、喜怒哀楽、未知への畏怖に満ちた秘境の地の人の方が、より人間的であり、自然な存在であるように思えた。

 彼らが秘境に戻ってから、日本での体験が良き思い出となることを祈らずにはいられない。 

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2013年2月22日 (金)

ペコロスの母に会いに行く

 今日は大事な委員会がある日だった。かなりシビアな委員会であり、関係者は恙無く議事が進行していくことに最新の注意を払っているのだが、昨日はある委員からおそろしい情報が入った。

 僕が委員会を通さずに、独自にすすめた方策に対して、委員たちからブーイングの嵐となって、委員会軽視だ!! 問題だ!! という声が上がったらしく、大丈夫なのかと心配してくれたのだった。

 それを聞いた関係者たちは、まずい、委員会に根回しすべきだったと忠告してきたが、僕としては、委員会の所掌すべきことではなく、僕のセクションで決めるべきものと判断して、進めてきたのだ。

 さすがに昨夜はマズイと思い、部下たちには、明日僕は委員会で磔、火あぶりの刑になるかも知れないから、骨を拾ってくれと言い残し、帰宅して熱燗を飲んで、いい気持ちになって寝てしまった。

 かなりヤバイ状況であり、焦りが生じた反面、まぁ大丈夫だよ、何とかなってうまくいって、委員会後は美味しいお酒を飲んでいるよという確信もあった。

 工学博士の五日市剛氏はイスラエル旅行中に窮地に追い込まれ、老婦人に救われたという。老婦人からは、困ったことがあったら「ありがとう」といいなさい、うまくいってたら「感謝します」といいなさいと教えられ、それを実践された。アントニオ猪木も五日市氏に影響を受けたらしい。

 僕も、それを思い出して、今日の委員会開始前に、ありがとうございますと小声で呟いてみた。

 結局、美味しいお酒を飲んで、こうしてブログを打っているのだが......。

  (゚ー゚)   (゚ー゚)    (゚ー゚)

 Images 明日が奥さんの誕生日なので、前祝に近所の鰻屋で食事をしてきた。その後、NHKBSで放映されていたイッセー尾形主演の「ペコロスの母に会いに行く」を観る。

 認知症となった母親との交流をユーモラス且つシリアスに描いていた。僕は、なるべく非現実的な物語を好む傾向にあるのたが、このほのぼの淡々としたドラマの中にある、悲哀と笑いに打ちのめされた。

 笑いの凄さ。それは、人生を掘り下げ、深部に入っていっても、呪縛されることなく、むしろ苦悩を解き放ち、現在に意識を向かわせる力があるということだろう。

 それにしても、長崎弁はいいものだ。

 このマンガは、映画化されるらしい。

 

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2013年2月19日 (火)

南雲先生、御用達のお店発見!

 うちの奥さんが2月8日のぴったんこカン★カン 『南雲吉則先生と行く!20歳若返るツアー!』を観ていたら、どこかで見覚えのある街並みを南雲先生、藤田紀子 さんと安住アナが歩いていたらしく、よく見たら我が家のご近所であったらしい。

 先週、買物のついでに番組で紹介さたれ南雲先生と29年の付き合いがあるというご主人のお店を探したら、何と我が家から徒歩3分の距離であった。半年前に新規開店したらいが、目立たない場所にあった。

 人気番組放映直後のため、混んでいると思ったらそうでもなく、カウンターに僕と奥さんが座り、ご主人と女将さんとゆっくりとお話ができた。

 ミーハーっぽいが、美味しい料理を写真に撮らせていただいた。

Cimg2231_2  南雲先生も一緒に考えたというのが、アジのさしみ韓国風。叩いた丸ごとのアジをサンチュエの葉と韓国味噌、にんにく、ネギでいただきます。にんにくがよく合うので、追加してもらいました。僕はアジの叩きが好物なので、韓国風ネェ?と思いましたが、どうしてどうしてヤミツキノアジになりそうです。

  Cimg2226

 この「穴子のちまき」もおすすめ!!!!

  甘だれをつけた穴子と、もち米が、本当に美味しいハーモニーとなって、もっと食べたい攻撃をしかけてきた!! いくらでも食べられてしまいそうな錯覚に陥るほど美味しい""                                                            

Cimg2224 そして、 魚を丸ごと頂ける「鰯のつみれちゃんこ」が圧巻だ! 味噌と酒粕がほどよく交じり合って、酒粕の臭みが薄まっており、このお汁だけでもグイグイと丼ぶりで飲みたい欲求に襲われてしまった。こうして書いていても、喉がのみたいのみたいいうておる。

 わたくしtakkun、予期せぬいろいろな出会いがありますが、今日も大収穫でありました。感謝。

  

                                                                 

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2013年2月17日 (日)

法要後に思う

 昨日、兄の49日法要も無事に終わった。

 読経後、本堂に十界図が貼ってあったので、小学生の甥二人に説明をした。人間の心の境地を地獄界、餓鬼界といった恐ろしい世界から、菩薩界、仏界まで十種に分類した絵が描かれており、小学生には刺激が強いものであっただろう。

 本当にこれってあるの?と8歳の甥から聞かれた。

 あるんだよと反射的にこたえていた。

 人間が死んだら、天国や地獄があるのかは知らないが、あの世はないと思って実際にはあったよりも、あると思って実際はなかった方が、傷は浅い。

 人間の了見を越えた世界が存在すると思う方が、人間が作り上げた了見がすべてであると思っているよりも、むしろ人間らしく生きられ、不測の状況にも向き合えるのではないのか。甥たちにはそんな想いが向けられていたのだ。

 先日のロシアでの隕石大爆発を、テレビニュースでは大自然の驚異と伝えており、違和感を覚えた。宇宙からの隕石は大自然の驚異なのだろうか。北極の動物たちや、オーロラや、ナイアガラの滝のはなしではない。宇宙からやってきた隕石のはなしなのだが、そのレベルにしてしまっていいのだろうかと。

 地球は巨大な宇宙の中のほんの小さな惑星である。この三次元世界そのものは圧倒的に地球以外のもので構成されている。街の地下鉄、派手なマクドナルド、地味な日光江戸村、話題のアベノミクス、北朝鮮などは、宇宙空間とは別物だと錯覚しがちだが、俯瞰的に眺めてみれば、大宇宙の惑星群の中で成立している小さな出来事でしかないのだ。

 宇宙からの隕石を大自然の驚異などと、動物ドキュメンタリーのようなフレーズで語れるのは、まだ地動説の人類、鎖国状態の国と同じようなものというのは言い過ぎであろうか。

 僕は妄想癖があるので、宇宙人からみた地球というのを想像することがある。自分が地球以外の宇宙人として、地球に降り立ったたらどう感じるかを考えるのだ。まるでスターウォーズにでてくるような未知の惑星のイメージが拡がる。BMW、ベンツやロケットも、化石燃料を使った原始的な乗り物に思えたり、ファッションも動物鳥類による求愛生態と同様の風習に見えたりもする。好戦的な遊び(スポーツ)や映画などを好むのは、爬虫類としての脳幹が大きいからで、まだ進化途中である人間たちなど.....。

 まずい! はなしが変な方向に行きはじめている!!

 いずれにせよ、現在の人間が握っている情報がすべてと思い込み、自分たちを中心に世界(宇宙!)が存在していると錯覚しているのは、生きているこの世界を狭めてしまい、新たなる未知の領域に踏み込む機会を失うことになってしまう。

 十界はあるのか? 是。あるという証明もできないが、ないという証明もできない。ただ、十界図が描かれたということは、存在する可能性があるということ。

 隕石は、大自然の驚異か?否。この宇宙に人知では掌握できないものが天文学的に存在しており、驚異でもなんでもない。意外性があるのが、普通のことなのだ。むしろ、地球至上主義に陥っている人間の意識が、宇宙全体からみたら驚異なのだろう。

 あ-まずい!! 危険な男だと思われつつあるようだ。急いでハナシを戻そう。

 昨日は納骨後の会食を食べ終えてから、なんと母が二次会まで予約してあり、住職もお誘いした。住職は先月、こんなに楽しいお葬式は初めてだと語っていらっしゃったらしいが、夕方に用事があるからと遠慮なさった。しかし、無理矢理に貸し切った店までお連れしたのだ。かなり飲んでしまった。すみませんでした。

 

 冷え性だという奥さんのために、「たけしの家庭の医学」でとりあげていた足湯の器を購入し、昨日の夜に届いた。赤井英和さんが20年前から、毎日足湯をして効果を上げているらしい。

 足湯のグッズは多種多様で、ただのバケツっぽいのや、プラスチック製のバイブレーター付、水を使わない電気の脚温器等々があり、どれにすべきか迷ったが、リフレクソロジーサロンで使われているという発泡スチロール製の「フットバス」にきめた。Cimg2223

  配送されてきたダンボールを開封すると、出てきたのは本当に発泡スチロールの箱そのものであった。\6300という値段を考えると、ドウナンダ!と複雑な気持ちになったが、魚屋から発泡スチロールを分けてもらって魚臭い足湯もイヤだし、底にはイボイボが突起していて足裏のツボ刺激をするようだし、マッ、イイカァと自分を無理矢理に納得させたのである。

 奥さんだけだはなく、僕も実際に使ってみた。読書しながら30分ほど足を浸けてみたが、全身から汗が滲むという感じではなく、使用後も足元は温かいというか、長時間冷たさを感じなくなっていた。

 ただ、発泡スチロ-ルに目イッパイお湯を入れると、10キロくらい?の重さになるため危険であり、バケツにお湯を入れて、移していく必要があり、ちょっと面倒くさい。

 奥さんも喜んでくれているし、花粉症にも足湯はいいらしいので、しばらく続けてみることにする。

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2013年2月10日 (日)

ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日

20121031006fl00006viewrsz150x_2 「ライフ・オブ・パイ」を昼に鑑賞した。場内が暗くなった予告編のあたりから、僕の真後ろから「あ-、暑い」という苦悶の呟きが聞こえてきた。数回繰り返して呟いてる声は、間違いなくオバチャンの声である。

 僕は嫌な予感がしたが、「気にしない、気にしない」とアニメ一休さんのフレーズを思い出し、自分に言い聞かせた。

 本編が始まった。オープニングは素晴らしい動物たちの映像たが、真後ろからは10秒ごとに鼻をすする音、突然グァァとタンを吐き出す音が聞こえてきた。や、やばい.....。しばらくすると、ビニール袋の音が聞こえてきた。何かを食べているらしい。3パターンが繰り返されたので、多分ヤマザキの菓子パンを3種類ほど食していたのかと想像する。

 まぁ、その真後からの音攻撃も、しばらくしたらまったく気にならなくなっていた。映画の世界にドンドンと引き込まれていったからだ。

 ベンガル虎とボートに乗って漂流するハナシだが、とにかく映像が素晴らしい。3Dではなく2Dだったが、圧倒されるほどの映像美だ。鑑賞後に、映画のドラマ部分はとりあえずいいから、自然や動物たちの映像だけをみながら、シャンペンを傾けてみたいものだと思ったぐらいだ。

 それにしても、虎の存在が圧巻である。虎が吼えもせずにただ海を見ているシーンがあるのだが、不気味というよりも、悟りのようなものを感じてしまった。

 人間は、あらゆることを考え、焦り、苦悶するが、虎はただ、海に浮かび、海を眺めているだけ...。 

 主人公の少年は無事に陸に着いた直後、虎があいさつもせずにジャングルに消えていったことを悲しんだ。そのシーンを観ながら、僕も先月亡くなった兄貴とお別れの挨拶もできずに、あの世に見送ったことを思い出してしまった(虎といっしょにして兄貴ゴメン)。

 この映画は、どぎついハリウッド的映画はなく、むしろすーっと時間が流れていくような物語であった。この映画の話題になっているラストの解釈よりも、自然の驚異、美しい映像と、虎の圧倒的な存在感に打ちのめされた感じである。

  ※amazonから韓国ドラマ「サイン」のCDが配送されてきた。テレビドラマ51fhe9jupxl__sl500_aa300_のサントラを買うのは初めてである。年始に一挙放送を録画し、先週やっと観終えたが、このままドラマのみんなとお別れするのだが淋しくて、CD購入した次第のおじさんであった。

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2013年2月 8日 (金)

居酒屋と合気?

 今日は久々に合気道稽古に行った。今年初めてとなる。

 稽古後に、同門の悪友Sさんからのお誘いがあり、ちよっと一杯やることになった。

 もうこの歳になると、騒がしい店は避けたいので、多少値がはっても落ち着ける飲み屋にしようということで、Sさんのおすすめの居酒屋に行った。

 路地を入った昔ながらの居酒屋であり、雰囲気も良い。しかし、閉店まで1時間しかなかったのだが、ちょっと一時間程度飲みましょうということだったので、そこに決めたのであった。

 まぁ、店は良い雰囲気であったのだが、すでに酔っ払っていた会社員、年配OLたちの金切り声と、ろくでもない会話が飛び交っていた。あー失敗したかと思ったが、そこは中年武道コンビとして、この逆境を修練の場とみなし、楽しく飲もうと慰めあったのだ(;д;)

 それにしても、注文を頼んだ若い女性店員までも、まったく愛想がなく、Sさんも心を痛めていらっしゃるご様子であった。 

 武道...居酒屋...ときて、この状況を変える不思議な力「合気」....そう思えば、浮かんでくるのは炭粉良三氏であろう。

 氏の著作に書かれていたシーンがスピーディーに想起された。氏がカウンターで飲んでいたら、見ず知らずの女性がワインを注ぎにきたというエピソードだ。その女性もご自分の行為に驚かれらしいが、それぞまさに合気のちから....。

 私とSさんはそこまでは到達できまいと思ったが、保江先生がおっしゃっていた相手を愛することが合気であり、愛することが難しかったら相手に関心を持てということを思い出した。

 無愛想な店員のお姉ちゃんを愛することは難しいが、関心をもとうということで、お姉さんにアプローチした。「俺たち合気道の稽古やってから、気が出ているいい店ないかと探したらこの店があった」と話しかけると、お姉さんがこの店は気が出てますかと聞いてきたので、「良い店だが、あの客のように悪い気を撒き散らしている客がいるから、お姉さん大変だね」といったら、いつも金曜日は混んでますのでと笑顔でこたえてきた。

 今日、思ったのは、合気を使うとは、誰かを不幸にすることなく、むしろ誰かを幸せにすることであり、合気を使えなくても、なんとか相手に対して言葉や表情で一体化しようとすることで、合気に近づくことができるということだ。

 酔っ払って奇人変人化する輩が多い居酒屋で働くお姉さんは、必然的に無愛想で硬直化してしまったが、彼女に関心を寄せることで、彼女のカラダはほぐれ、彼女と笑いあうことで、気が高まっていったのではないか。

 人は、誰かに関心をもたれること、気持ちを汲み取ってもらえることで、本人の気が変化していていくものだと教えられたようだ。もちろん、相手に関心を向け、理解しあおうとする側にも気は高まり生じていく。

 伝説の合気道家である塩田剛三先生は弟子から「合気道で一番強い技はなんですか?」と訊ねられ、「それは自分を殺しに来た相手と友達になることさ」と答えた。自分は今まで、このエピソードをユーモアのある比喩としてとらえていたが、そうではなく、合気というものをまさに適格に表現しているものだと気付いた。

 居酒屋での滞在時間は一時間程で、急ぐように生ビール、焼酎サワー、冷酒を飲んでいったが、色々と勉強になった。

 エッ! なんで、そんな店員に媚びを売るのかって?  それは店員と客の立場であろうと、貴重な人生の時間に出会った関係ならばこそ、不快ではなく理解しあえる関係を持ちたい。そして、合気のちからというものを、底辺から検証してみたいと思ったからなのだよ。

 帰宅してもまたマッコリ飲みながら、こうしてブログを書いていて申し訳ない。しかも、明日の土曜日は出勤しなけれはならないのだが、どうしても書きたくなって、飲み直しつつ、PCに対面してしまったぁ。

 おやすみなさい人( ̄ω ̄;) スマヌ

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2013年2月 3日 (日)

今日は僕の誕生日だ。2月3日の節分の日なのでわかりやすい。

 Cimg2210奥さんが、手料理をつくってくれて、母と姪と2歳の息子がお祝いにきてくれた。 

写真手前の瓶が、姪が持ってきてくれた濁り酒スパークリングというお酒なのだが、栓を開けたとたんに、滝のように中身が溢れ出して、フローリングがベトベトになり、パニック状態になった!!(゚ロ゚)

 記念すべき誕生日である今日もおじさんには色々と失敗があったのだが、夕方風呂に浸かりつつ読んだ、生物学者の池田清彦氏の本には昨日のブログで書いた内容とダブる記述があった。

 それは、自分自身の身の処し方として、「気ままに上品で生きる」といっておられる。「上品に生きる」とは自分自身の楽しみ、欲望を徹底的に追求しながらも、自分が社会の中のワン.オブ.ゼムにすぎないことを明晰に意識している生き方であるらしい。

 上品に生きること、すなわち、かけがえのない自分を追及しながら、いつもかけがえのある自分を意識することは、楽しく生きる最大のコツとまでおっしゃっている。

 濁り酒スパークリングは個性的なお酒ではあったが、万の数ほどある酒の中でさほど美味とはいえなかった(姪よ、すまぬ!)。もっと飲みやすい酒買ってこいよとネガティヴにならず、ただ、こういう変わったお酒もあって、面白い! 善哉善哉と納得した方が楽しい生き方ではないか。

 まぁ、この比喩も無理はあるのだが、そんなことは気にせず、楽しく日々を過ごしていこうと思う誕生日であった。善哉善哉。(◎´∀`)ノ

 

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会社の歯車で悪いか!? 「クールの誕生」

今日は、録画しておいたD-BOYSの「クールの誕生」という演劇を鑑賞した。 51infsnnwml__sl160__2

  高度経済成長期の昭和40年代を舞台に、サラリーマンたちの生き様を描いたコメディであった。

 最初は会社人間たちの哀れな姿をみて、滑稽だなと笑っていたのだが、だんだんと彼らの情熱や、悲哀、そしてそれらを俯瞰してみるクールさにのめりこんでしまった。

 かつて、会社に忠誠を尽くす人間たちは、モーレツ社員と呼ばれ日本を経済大国にしてくれたが、24時間戦えますかというリゲインのCMとともに、バブルは終焉していった。 経済の低迷、構造改革などから、会社は社員を人事考課し、効率的にリストラを行っていったが、その結果、会社は冷血な組織とみなされて、会社人間というのは化石扱いされるようになっていった。

 格差社会、非正規雇用、M&A.....。組織は自分を守ってくれない、むしろ、自分を利用しようとしているだけだという見方が社会に浸透してしまった。会社組織のためにガムシャラに働くのは、自我の損失であり、会社からは別のところに自分らしい世界が存在していると、マスコミも世論も吹聴した。

 組織の一員、歯車になることに対しての嫌悪感は、個人重視の生活や生き方を推奨することになり、個としての権利意識や、嗜好性が高まっていった。

 さて、少し、話を変えるが。

 昨日、自治体の災害対策担当の方とお話する機会があった。首都圏を襲う震災がいつくるやもしれぬ状況の中で、震災の被害を食い止める役割は大変重要である。しかし、首都圏の自治体職員たちが、勤務する自治体の地域に居住している割合が著しく低いことに対して、気になっていることを話した。交通機関が遮断されたら、自宅から勤務地域まで数時間かけて徒歩、自転車で移動しなければならない人たちが圧倒的であろう。

 今まで、何回か自治体職員と震災時の行動について話す機会があったが、意外にもすぐに勤務地に向かわずに自宅で待機して、居住地域で救助活動をするという人たちが多かった。確かに女性で子どもが小さかったりすれば、長時間の移動を控えるのは当然であろう。しかし、殆どの職員の方々は家庭をもっているはずである。もし、家族がいるからという理由だけで、職員が勤務する自治体に駆けつけなくなったら、その自治体の災害救助活動に従事する職員数は大幅に不足する事態になりかねない。

 どんなに完成度の高い防災、救助のマニュアルが作られていても、動く人間がいなければどうにもならないことは誰にでもわかる。大地震が起きて、大きな被害を被って死傷者が出ている状態では、住民を守る立場にいる職員は何がなんでも現場にかけつけなければならないと思う(乳幼児を抱えているような場合は除くが)。少なくとも、その気概をもつべきではないだろうか。自分の生命をかけて、住民たちを守るという気概を。

 かなり理想だといわれそうだが、私たちには「献身」ということが時代から求められているのではないか。子を親が守る。地域を住民が守る。住民を公務員、国が守る....。そのような国であってほしい、そうありたいとつくづく思う。万が一、大震災が起きたら、被災地では、自分の個性とか、特別性とかはどうでもよくなって、懸命に生き延び、みんなと連帯して、救援のために動くことになろう。

 まずい! 話がエラそうで、くどくなってしまった(゚ー゚;

 「クールの誕生」では、社員が会社の歯車となることがなんだと笑い飛ばしている。会社には替えがいくらでもいることは当たり前なのだ。そんなことに一喜一憂して、逆に会社を嫌悪の対象とすることなどないのだ。

  自分という存在を替えがきく組織に求めているのが、間違いのもとなのだ。自分の恋人、家族、友人たちから観た自分は、自分でしかありえない特別な存在なのだ。多くの人たちから、自分は特別な人物として存在している。

 だから、会社組織では歯車として懸命に働いて、貢献して、業績をあげて、自分の生活を維持向上していけばいいのだ。すでに自分は特別な存在であり、また組織の歯車でもあるのだという開きなおりの大切さを、このような面白い演劇から教わったような気がした。

    

 

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