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2012年11月18日 (日)

紅葉で考えたこと

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極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず

 昨日は、101歳で大往生した叔父さんの49日法要だった。正直言って、今まで法要でのお経も、説法もきちんと聞いたことはなかったのだが、読経後に住職が語った日蓮の教えにある「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」には、感ずるものがあった。

 安楽な世界で100年修業したとしても、この娑婆世界での一日の修業の方には及ばないらしい。なるほどと感ずるものがあった。清濁混然とした人生を過ごし、清廉潔白な人物にはなれずにいる僕としては、勇気づけられる言葉だった。

 忍土と呼ばれるこの世が、自分に内在する可能性の種を育むために不可欠な世界ならば、この一日をくだらない日とか、イヤァナ日とか、どうでもよい日などと貶めてはいけない。確実に死に向かって日々を送っているのだから、燃焼させるしかないのだ!。若さを保つ食事法などといった本を先ほどまで読んでいた僕は、日蓮の言葉を思い出し、その本をバタンと閉じて、ヒンズースクワットをはじめたのであった。

 ※このブログを書きながら、僕が高校生の時に読んだ山頭火の本にあった「お茶でもすませる今日が暮れた」という句を思い出した。その句が印象的だったのは一日をお茶を飲みながら過ごしていく、はかなさと無常観に惹かれるものがあったからだろう。

 ここで山頭火の句を思い出したのは、大切な一日を無為に過ごしてしまう空しさということだけではなく、人生に放浪する人間の魂の痛みと叫びが蘇えってきたからだ。山頭火はぼろぼろになって、地を這いつくばりながら、何かを掴もうとしていた魂の求道者だったと思えるのだ。

 レンタカーガス欠!?

 さてさて、今日は紅葉を観たいという奥さんのリクエストにお応えして、朝5時にスヤスヤ寝ている彼女を起こして、紅葉狩りに出発した。クルマはタイムズプラスで借りた日産ノートである。しかし、ノートにはガソリンが殆ど入っていない。タイムズプラスは満タン返ししなくていいというメリットの反面、こういう事態が生ずるのだ。

 早朝のため、指定された会社のガソリンスタンドがやっていないので、そのまま首都高に乗り、八王子インターで降りる。スタンドを探したがなかなか見つからず、ガソリン不足表示が点灯しはじめた。ナビで指定会社のスタンドを探して、国道を迂回する。やっとみつけたが、セルフで給油機が給油カードを読み込まない。

 絶望の淵に立つ寸前、事務所におじさんがいるのを発見し、何とかしてくださいと直訴する。おじさんは、僕の給油カードを読取機にかけ、読み取れれば大丈夫という。結果がでるまでの10秒間がやけに長く感じる。駄目だったらどうしよう、いやそんな弱気ではいけないポジティヴになれ、あーかみさまぁと脳内が混乱してきた。

 読み取れました。 そのおじさんの一言で、レンタカー発車後30分でガス欠という不測の事態は避けられたのであった。

 まずいっ、またくだらないハナシで文章が長くなってきた。

紅葉から考えたこと

Cimg1844  今日は昨年の11月にも行ったけど、午後遅くだったし、散り始めた時期の紅葉だったので後悔が残った鳥居観音と秩父御嶽神社再度チャレンジした。

 午前8時の鳥居観音は、人も少なく、紅葉も映え渡って、素晴らしかった。

 

 それから、名栗湖に行ったけど、ここの湖畔はそれほど紅葉が観れなかった印象。

Cimg1855  そして、秩父御嶽神社。ここも紅葉が見ごろで、東郷元帥像と紅葉がコラボして、なんともいえない日本の美しき四季を感じることができた。

 なぜ、人は紅葉を見るために、時間とお金を費やし、人混みの中に入っていくのだろう。

 木の葉が紅く染まる色彩が美しいからだろうか。では、人工樹の葉をリアルな紅葉に模すれば、人は集うのだろうか。そうではあるまい。

 人はその紅葉の色彩を好むだけではなく、四季を通して生死をたどる樹木の葉だからこそ、その死する直前の血の如く燃えるような紅に惚れるのだ。枯れ落ちない紅葉があったとしたら、それは鑑賞物であって、美術品にはなっても、心がほとばしり、ときめくことはないだろう。

 .........ここから、入浴して、一杯やりながら夕餉............

 お風呂に入りながら、僕にはひとつの考え方が浮かんできた。

Cimg1870 、寒暖の差が激しいほど、紅葉は鮮やかになるらしい。最初の日蓮の「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」を思いだして欲しい。木の葉がずっとぬくぬくとした状況にいては、紅葉にはならないのだ。かといって、ずっと寒さが厳しい状況だけでは、木の葉は朽ち落ちていくだけなのだ。

 人間もそうだ! 安心安全の世界だけでは、強靭な精神と肉体は育まれないし、苦悩と過酷な世界だけでは優しさや希望に満ちた人間性は育まれない。

 修業は単に厳しさだけの中にあるだけでは、自己破壊につながり、心身が痩せ衰えてしまう。明るい慈愛に満ちた信仰の世界が基本にあるからこそ、厳しい世界での修業が成り立つのだ。

 暖かな慈愛の心、明るい未来への希望と確信をもちながら、この娑婆世界で葛藤し、苦悩してそれでも立ち向かっていこうとする人間は、きっと鮮やかな紅葉のような存在になっていくことだろう。

 私たちが寒暖を体験した紅葉に感動するように、神様はその美しく鮮やかな紅葉のようになった人間たちをご覧になって、喜ばれているのにちがいない。

 なぜか、そう想ってしまうのだ。 

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