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2012年11月

2012年11月27日 (火)

「野田と申します」の追体験

 16108aa_1みなさん、「野田と申します」というNHKの5分番組を知っていますか?

 この番組はバカバカしい展開ながらも、ハッとさせられるものがあったりするのです。

  一昨日、録画貯めしておいた野田さんを一気に観ましたら、「当たった大人が行きつくところ」という回でフゥムと唸った部分がありました。

 人は恥をかいた出来事も、後で誰かに笑い話として話すことで救われることがある。という部分です。ここで、書いていても、イメージできないでしょうから、NHK動画ステーションで放映してますから、観て下さいね!http://www3.nhk.or.jp/d-station/episode/noda/2467/

 今日はまさにその通りの出来事が起こったのです!

 !!(゚ロ゚屮)屮

 入浴中にその悲劇は起こった。

 私は浴槽で十分に温まってから、ひげをそるためにお風呂用のイスにすわって、シェービングクリームの缶を手にして、まっすぐ持っていた。そして、次の瞬間に何と!缶はそのまま直線的に落下して、私の大切なふくろの部分を直撃したのだ

 シェービングクリームは満タン状態で重さにして約300gの缶。しかも底は円形であるが、縁は1、2ミリで鋭角的触感があって凶器同然なのだ。その凶器が30cmほどの距離を猛速度で落下し、私の大切なスキンの一部をプラステチックのイスとの間に挟み込むようにして直撃したのだ!

 一瞬にして、何が起こったのかわからないまま、激痛がスポット的に生じ、私は身をよじりながら負傷箇所をみると、何と赤い血が滲んで来ているではないか。

 わが50年余りの人生のなかで、このような身体の箇所に傷を負うのは、初めての体験である。

 このような不条理な出来事が自分の身にに起こったことが理解できないまま、ひたすら負傷部分に冷水をかけ、冷やす。(冷やすことに意味はあったのだろうか?)

 そして、敗北感に打ちひしがれたまま、浴室を後にしたのであった。

 

 まぁ現在も、こうしてキーボードを叩きながらも、なんともいえないヒリヒリ感を味わっております。 

 .....このような人様に話せないような情けない出来事が起こっても、これは恥ずかしいけどブログに書いてしまおうと思うと救われるのです。(今回のようなことはいくら僕でも人様には話せませんもの)。 

 まさに野田さんのドラマのとおりです。ブログという媒体は、僕のようなおっちょこちょいには、貴重なツールなのかもしれません(^-^;

 

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2012年11月26日 (月)

意外なところの鮮やかな紅葉

Photo_3 今日は大雨だ。しかも暖かくなると言っていた天気予報ははずれ、かなり寒々しい。

今日の午後、東京郊外の大学の学長さんたちに打ち合わせに行ったら、何と眼をみはるばかりの紅葉があった。

 右の写真は大雨の中、午後3時過ぎにスマホで撮った写真であるが、もしも、これを晴天下で撮っていたらどうなっていただろう。

 昨日の丹沢湖、一昨日の六義園の紅葉たちが吹っ飛ぶほどの鮮明な紅葉が、こんなところにあったとは驚いた!!

今日の夜は職場の管理職たち10数名と飲んだ。かなり、僕は暴走してしまい、その後悔もあって帰宅しても焼酎を飲んでしまった。そして、なぜか酔えば酔うほど、今日の紅葉が反芻されてくるのだ。

 あー、来週までこの紅葉の鮮やかさが維持されていれば、もう一度訪れるのだが....

 ※最近は10代の頃の好きだった音楽を集めている。amazonや専門店、図書館などで懐かしい曲を探して、ドライブのとき等に聴いている。

 なかでも、「赤い鳥」は僕のお気に入りだ。その中でも特に「赤い屋根の家」は、学校でいじめられていた12歳の僕をなぐさめてくれた名曲である。今でも何度聴いても飽きることなく、美しい歌詞とハーモニーに感動する。 武道家の炭粉良三先生も赤い鳥のメンバーだった山本潤子さんのファンでいらっしゃるとのこと。不思議なご縁を感じる。

 今もこうしてPCに向かって赤い鳥を聴いているけど、何ともいえない気持ちになる。 

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2012年11月25日 (日)

またまた紅葉 丹沢湖

 ※最近は、老眼気味なので、文字を大きめにし直しました。

 今朝は6時に我が家を出発して、日帰り紅葉狩りに出かけた。

 それは歳のせいであるのだろうか。日曜日に家でのんびりくつろごうとしても、どこかの紅葉が見頃で、あと数日で色あせていくと思うと、もういてもたってもいられないのだ。これは煩悩である。

Cimg1976_2......ということで、今日もレンタカーはタイムズプラスのだったが、前回と同じようにガソリン残量が少なく、そのまま高速にのっ て相模湖に向かったのだった。

 7時に相模湖インターについたが、雲海状の雲が山に張り付いているようで、これは絶景であった。早起きしてよかったぁ。クルマを停めてじっくり観たかったがCimg1981_3、走行せざるを得なかったため、助手席の奥さんに写真を撮ってもらった。 

   そのまま、湖畔を周遊してと思ったのだが、ガソリンが心もとなくスタンドを求めて国道を走った。何件かあったが、まだ営業していないため、けっきょく愛川町方面で給油した。相模湖まで戻るのもシャクなので、丹沢湖とナビに入力して、東名に入ったら富士山が雄雄しく輝いて顔を出していた。

Cimg1995 Cimg1987 丹沢湖につくと、なんと今日はマラソン大会のため、周遊はできなかった。行けるところまで行こうということで、かなり山奥の道まで入ってしまった。

 クルマで小道を走っているとハイキングの方々と出くわすのだが、どうも気が引ける。なんでこんなに美しい自然の中を、排気ガスと騒音を撒き散らして走るのか! とか、この位の距離を歩けんのか! 軟弱者め! しかもタイムズのレンタカーか! とか。どうも、気が引けてしまう。だから、対向車とかに出くわすと妙にホッとするのだ。クルマは僕だけじゃないもんね と言った情けない自己弁護の気持ちがあるからなのである。  

 帰路は金太郎富士見ラインを通って、途中の「誓いの丘」に立ち寄った。「誓いの鐘を大きく鳴らし、富士山に向かってあなたの願いや誓いを宣言して下さい。」ということなので、恥ずかしかったが鐘を大きく鳴らして、日本と社会のために頑張りますと小声で誓った。

 Cimg2009

 帰りは、事故渋滞のため大井松田インターから、首都高速まで3時間近くかかってしまった。事故渋滞により、その反動でまた別の事故が生ずるのか。

 事故車両を見て思うのは、事故原因が競い合い(無謀な追越,割込み、速度超過)とするならば、いっそのこと、追い越し車線など無くしてしまえばいいということだ。

 追い越し車線を走っている心理は、早く行きたい、後続車にナメラレテたまるか! 前方車両と離れてしまうとマズイ! といった慌しいものだ(僕の場合は..)。一般走行車線をコーヒーなど飲みながらとろとろ走っていると、落ち着いたものである。

 現在はかつてのクルマの性能に問題があった時代とは違うのだ。最高速度100kmなど、どのクルマでも簡単に出せるのだ。それでもチンタラ低速車がいるならば、中央の追越車線を廃止して、左車線を低速専用にすれば良い。

 それから(帰宅して飲みながら)、もっと極論を言うならば、多様な車種があるから競い合うのだ。もしも、一般乗用車を統一(例えばDEMIOしか存在しない)、してしまったら変な競争心はなくなるはずだ。だって、トラック、バス以外が全部自分と同じクルマ(DEMIO)だとしたら、追越、割込みなんかどうだってよくはならないかい。

 交通標識もありきたりのでは効果がない。もっと本質的な標語にしよう。「クルマで勝とうとしている限り、お前は幼稚な敗北者である」、「無謀な運転がカッコ良いと勘違いして、無残な老後を過ごす馬鹿ドライバー」とかどうだろう。かなり抑え気味にしたのではあるが。

 ハナシは大きく変わるが、高校生のときに読んだ糸川英夫博士の本では、社会経済を高速道路を走るクルマ集団に例えていた。みんなが高速運転のため、減速したくてもできない状況にあり、社会経済活動も同様だというような記述であったと記憶している。40年近くたった現在でも通用しているのではないだろうか。

  さてさて、レンタカーは15分200円のために、渋滞はかなりのCimg2020ストレスになるのだ。午後3時前の帰宅予定が、夕暮れ時になってしまった。もうどうせなら、綺麗な夕日をみながら帰ろうと遠回りだがレインボーブリッジ経由にした。

 普段は無味乾燥で、あまり好きではない臨海都市だが、夕陽と海に囲まれたビル群はとても美しく、はかないほどの優しさに満ちていたのであった。

※今夜は頂き物の善光寺西之門 純米吟醸 を飲んでみた。炭酸っぽい味がしたので、気になって調べたら、<製法特性>アルプス酵母の特性である爽やかな酸味を引き出す。活性炭未使用の無濾過。 とのことであった。大事にのまなくちゃ(゚ー゚)

※そうそう、金太郎富士見ラインを通っていたら、数年前に決死の滝行をした夕日の滝があって驚いた。クルマを駐車して、滝にいってみたら、自分のイメージにあった滝よりも小振りで戸惑った。現実よりも、よほど意識の中では壮大な苦痛を伴っていたということなのか?Cimg2010

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2012年11月24日 (土)

六義園の紅葉

今日は午後から晴れたので六義園の紅葉を観に行ってきました。それなりにお酒を飲んだため、今日はコメントを最小限にします。

Cimg1897

Cimg1915_3  Cimg1903_5   

 かなり混んでいましたが、紅葉は見ごろでした。

 午後四時に入った茶屋では、私がエビス生ビール。おつまみにいそ辺焼き。奥さんはお汁粉です。

 ライトアップがあるのですが、暗くなるまで待つのもなんなので、園外に出たら、入園料300円を再び払わなければなりませんが、一旦出て、駅前の熊本居酒屋に入りました。

 そこで、熱燗、レモンサワー、生ビールという順番でお酒を頼みました。一見、通常とは逆ルートですが、冷えたカラダを熱燗であたため、落ち着いたところでサワー、そしてさらに安いビールといった流れでした。

 店内をよく観察してみると、夕方の紅葉狩りから寒そうに入って来る客が、数組いたのですが、予想通りみなさん生ビールを最初に頼みます。それは、冷えたカラダに冷たい陰性ビールを流し込むことになり、健康上よくありません。日本人なら、まず熱燗にして、カラダを暖めるべきてしょう! (`Д´) まぁ、どうでもいいですけど....。

 入園料を再度、払って入場。

 Cimg1924 Cimg1945

池に映る紅葉が幻想的な雰囲気を醸し出していた。 

 いろいろ書きたいけど、帰宅しても酎ハイを飲みはじめましたので、今日は自制して、紅葉情報を提供して、終わるとします。(*^-^)

 

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エクスペンタブルズ2 昭和の逆襲

 今日は金曜日で勤労感謝の日。今週は月曜から木曜まで4日間飲み会続きで、特に昨夜は飲みすぎたため、今朝は歯茎がが痛く、鼻が詰まり、頭が重くふらつく。故柳ジョージの「酔って候」の歌詞には「歯が疼き 目も眩み 耳鳴りしようとも いつでも 酔って候」とあるが、さすがに耳鳴りだけはない。

 月曜は職場のみんなと蔵前で飲む。30歳前後の野郎が多く、最近は若い連中と飲むのが楽しい。火曜日は、えーとなんだっけ? あっそうだ大事なイベントを忘れるなんて! 浜口京子ちゃんのお疲れさま会が浅草であった。久々に京子ちゃんと会った、長女が感激していた。水曜日は江東区の方々と本所で飲む。昨日は、研修仲間の恒例の会が北千住であり、居酒屋から寿司屋へと流れ、午前様となった。

........と、ここまでを午前中に書いて.........(*^-^)

 昼は北千住のお寺に奥さん、義父母と一緒にお墓参りに行ってきた。その後、駅前の日本料理の店に入ったら、今日は飲むまいと決心していたはすが、無意識にビールを頼んでいた。運ばれてきた瓶ビールをグラスに注ぎ、一気に飲む。冷たい! 旨い! 昼のビールはおいしい。こんなに旨いビールを飲んだのは久しぶりだ。それから午後2時に義父母と別れて、奥さんと有楽町に行った。

200_2 この手の映画を嫌がる奥さんを無理やりに誘って、あの「エクスペンタブルズ2」を観に行ったのだ。公開されて一ヶ月以上たつが、一作目よりもいいと評判が良く、それなりにお客さんも入っていた。

 しかし、テレビでも放映されていた映画冒頭の数分が一番迫力があるシーンで、あとは特筆するシーンはなかった印象である。まあ、この映画に練られた脚本とか、感動して息がつまることをを期待すること自体が間違っており、とにかく観る方もバカにならなければならないのだ。

 この映画は次々と往年のアクションスターたちが顔を出してくるので嬉しくなってしまう。たくさんの敵をバンバン撃ちまくって殺傷するが、自分たちが無傷なのがかなり不自然であるが、そんなことはどうだっていいのだ。スターたちの中では、特にチャック・ノリスの登場に期待した。彼はブルースリーの「ドラゴンへの道」で最大の敵役として、リーとローマのコロシアムで闘ったという経歴をもつ。かなりの年齢のはすだが、久しぶりに観たノリスは若々しく、相変わらず静かな雰囲気をもち、殺戮の専門家っぼくってよかったなぁ。

 映画の出来はまぁかなり頑張ったんだねといった感じだが、映画を観ながら思ったのは、この映画は世界的に大ヒットして、3作目もつくられるという。ということは、世界中のかなりの数の観客たちがこの往年スアクションスターたちの活躍を支持しているということだろう。

 それは、ひょっとしたら....彼らの映画を観て青春を過ごした(僕のような)多くの観客たちが、年老いても枯れずに再燃焼している姿をみて、ホントは俺もまだまだやれるかも ! と元気づけられるからかもしれない。いっちょ派手にやってやろうじゃないか!!という気持ちになるからかもしれない。(多分、仕事や家庭で派手にはできないだろうから...、あくまでも気持ちとしてね...(゚ー゚;)

 そして、若い世代の客層も多いようたが、エクスペンタブルズのようなアクの強いスターたちが、現在はいなくなっているかもしれない。スパイダーマン、バットマンといったヒット作品にしても、そのキャラクターは強烈だが、演じる俳優たちのインパクトはそれほどではない。若い人たちは、オールドではあるが、スタローンのような強烈な個性派アクションスターたちの演技を堪能したいのかも知れない。

 それにしても、オールドなアクションスターたち、ハーレーダビットソン、☠ドクロマーク、無敵すぎる戦闘能力、喫煙や飲酒が多いシーン...........。昭和の時代を象徴するようなこの映画が、大ヒットしているというのが面白い。

 まもなく、シュワルツネガーやバンダム主演のアクション映画も公開されるが、まるで昭和から平成初期の映画スターたちが、マヤ暦の終わる2012年に再襲撃をかけてきているようだぜ!☠☠☠       .........すみません(。>0<。)

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2012年11月18日 (日)

紅葉で考えたこと

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極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず

 昨日は、101歳で大往生した叔父さんの49日法要だった。正直言って、今まで法要でのお経も、説法もきちんと聞いたことはなかったのだが、読経後に住職が語った日蓮の教えにある「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」には、感ずるものがあった。

 安楽な世界で100年修業したとしても、この娑婆世界での一日の修業の方には及ばないらしい。なるほどと感ずるものがあった。清濁混然とした人生を過ごし、清廉潔白な人物にはなれずにいる僕としては、勇気づけられる言葉だった。

 忍土と呼ばれるこの世が、自分に内在する可能性の種を育むために不可欠な世界ならば、この一日をくだらない日とか、イヤァナ日とか、どうでもよい日などと貶めてはいけない。確実に死に向かって日々を送っているのだから、燃焼させるしかないのだ!。若さを保つ食事法などといった本を先ほどまで読んでいた僕は、日蓮の言葉を思い出し、その本をバタンと閉じて、ヒンズースクワットをはじめたのであった。

 ※このブログを書きながら、僕が高校生の時に読んだ山頭火の本にあった「お茶でもすませる今日が暮れた」という句を思い出した。その句が印象的だったのは一日をお茶を飲みながら過ごしていく、はかなさと無常観に惹かれるものがあったからだろう。

 ここで山頭火の句を思い出したのは、大切な一日を無為に過ごしてしまう空しさということだけではなく、人生に放浪する人間の魂の痛みと叫びが蘇えってきたからだ。山頭火はぼろぼろになって、地を這いつくばりながら、何かを掴もうとしていた魂の求道者だったと思えるのだ。

 レンタカーガス欠!?

 さてさて、今日は紅葉を観たいという奥さんのリクエストにお応えして、朝5時にスヤスヤ寝ている彼女を起こして、紅葉狩りに出発した。クルマはタイムズプラスで借りた日産ノートである。しかし、ノートにはガソリンが殆ど入っていない。タイムズプラスは満タン返ししなくていいというメリットの反面、こういう事態が生ずるのだ。

 早朝のため、指定された会社のガソリンスタンドがやっていないので、そのまま首都高に乗り、八王子インターで降りる。スタンドを探したがなかなか見つからず、ガソリン不足表示が点灯しはじめた。ナビで指定会社のスタンドを探して、国道を迂回する。やっとみつけたが、セルフで給油機が給油カードを読み込まない。

 絶望の淵に立つ寸前、事務所におじさんがいるのを発見し、何とかしてくださいと直訴する。おじさんは、僕の給油カードを読取機にかけ、読み取れれば大丈夫という。結果がでるまでの10秒間がやけに長く感じる。駄目だったらどうしよう、いやそんな弱気ではいけないポジティヴになれ、あーかみさまぁと脳内が混乱してきた。

 読み取れました。 そのおじさんの一言で、レンタカー発車後30分でガス欠という不測の事態は避けられたのであった。

 まずいっ、またくだらないハナシで文章が長くなってきた。

紅葉から考えたこと

Cimg1844  今日は昨年の11月にも行ったけど、午後遅くだったし、散り始めた時期の紅葉だったので後悔が残った鳥居観音と秩父御嶽神社再度チャレンジした。

 午前8時の鳥居観音は、人も少なく、紅葉も映え渡って、素晴らしかった。

 

 それから、名栗湖に行ったけど、ここの湖畔はそれほど紅葉が観れなかった印象。

Cimg1855  そして、秩父御嶽神社。ここも紅葉が見ごろで、東郷元帥像と紅葉がコラボして、なんともいえない日本の美しき四季を感じることができた。

 なぜ、人は紅葉を見るために、時間とお金を費やし、人混みの中に入っていくのだろう。

 木の葉が紅く染まる色彩が美しいからだろうか。では、人工樹の葉をリアルな紅葉に模すれば、人は集うのだろうか。そうではあるまい。

 人はその紅葉の色彩を好むだけではなく、四季を通して生死をたどる樹木の葉だからこそ、その死する直前の血の如く燃えるような紅に惚れるのだ。枯れ落ちない紅葉があったとしたら、それは鑑賞物であって、美術品にはなっても、心がほとばしり、ときめくことはないだろう。

 .........ここから、入浴して、一杯やりながら夕餉............

 お風呂に入りながら、僕にはひとつの考え方が浮かんできた。

Cimg1870 、寒暖の差が激しいほど、紅葉は鮮やかになるらしい。最初の日蓮の「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」を思いだして欲しい。木の葉がずっとぬくぬくとした状況にいては、紅葉にはならないのだ。かといって、ずっと寒さが厳しい状況だけでは、木の葉は朽ち落ちていくだけなのだ。

 人間もそうだ! 安心安全の世界だけでは、強靭な精神と肉体は育まれないし、苦悩と過酷な世界だけでは優しさや希望に満ちた人間性は育まれない。

 修業は単に厳しさだけの中にあるだけでは、自己破壊につながり、心身が痩せ衰えてしまう。明るい慈愛に満ちた信仰の世界が基本にあるからこそ、厳しい世界での修業が成り立つのだ。

 暖かな慈愛の心、明るい未来への希望と確信をもちながら、この娑婆世界で葛藤し、苦悩してそれでも立ち向かっていこうとする人間は、きっと鮮やかな紅葉のような存在になっていくことだろう。

 私たちが寒暖を体験した紅葉に感動するように、神様はその美しく鮮やかな紅葉のようになった人間たちをご覧になって、喜ばれているのにちがいない。

 なぜか、そう想ってしまうのだ。 

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2012年11月11日 (日)

傘寿祝いパーティー

 昨日は母の80歳の誕生日で、傘寿のお祝いパーティーを開催した。

 親戚、友人など約30名ほどのパーテイーとなった。Cimg1834_2 殆どが都内在住であるが、わざわざ仙台からおいでくださった方々もいて感謝。

  二次会では、若かりし母の姿をスクリーンに投影したら、みんなが綺麗だと驚いていた。

 午後10時にお開きとなったが、母は今朝7時半に茨城県の袋田の滝に行くバスツアーに参加するとのことであった。

 このパワーはどこからくるのか?

 パーティー参加者は2歳から85歳までの年齢層であったが、圧倒的に80歳代のパワーは強烈であった。

 こちらも負けてはいられないと思うのだか.........

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2012年11月10日 (土)

アルゴ

 今日は土曜日、今週ももう終わりだ。さて、今週は何があったかと思い出そうとしてもなかなか出てこない。毎日だらだらと飲んでいて、ブログ更新ができないのはいつものことだが。

 たしか、火曜日はバカ映画の会があり、有楽町で「アルゴ」を観た。事前にチケットショップに行って格安券を買おうとしたのだが、「アルゴ」という固有名詞が出てこない。眼の前で若い女性店員さんは僕が発するはずの映画名をじっと静かに待っている。

 始めがアというのはわかっていたので、「アッ、アッ、ア~」とうなりながら、次の50音を探すのだが、出てこない。仕方なく、店内に張ってある映画ポスターを順々に指差し確認するが、目的の映画が貼っていない。次にガラスケースの中の前売り券たちを指差し確認するが、そこにもない。

Tbn_880b0ad0e01e4f1f  女性店員の眼差しと態度は、お客さまに対するものから、不審者に対するものへと変化しつつあった。だんだん動揺してきた僕は、そのまま駆け出して店外へ逃げてしまおうかとか、マリオンでやっているあの中東からニセ映画で逃がす映画の券頂だいとかワケのわからない状況説明が頭をめぐり、混乱してしまった。

 監督・主演のベン・アレックの名前もきちんと浮かんでこなくて、「ベン、ベン....」と思い出そうとしたが、無理であった。「ベンが出ている映画ありますか」と聞こうとしたが、誤解され、本当に不審者扱いされそうなので諦めた。

  こんな俺ってなんなのさぁ...と溜息をつきながら、ふと、ガラスケースの上を見ると、小さな紙に「アルゴ 売切れ」と書いてあった........。徒労に終わった僕は「アルゴリズム」と連想するようにして、それを反芻しながら数件のチケットショップに行ったが、全滅であった。結局、通常料金1800円の券を4枚購入し、劇場入口で待つバカ会員たちと合流した。

 映画自体はまぁ、いかにもアメリカの視点でつくった救出劇であったが、映画としてはよくできていた。イラン革命の最中に、CIAがニセ映画製作という作戦で大使館員救出に向かったのが、事実だとすれば、アメリカという国はダイナミックで、面白い国である。ただし引っかかったのは、バーレビ国王の悪政を支援してきたアメリカ側の反省がないことだった。この映画をイランの人たちが観たらどう感じるのだろうか。そして、アメリカ人たちのウソである映画製作を信じてしまい、彼らを逃がしたイラン人たちは、その後ひょっとしたら処刑されたのかしらと気になった。

 鑑賞後には新橋寄り「エビス・バー」で反省会をした。ギネスやエビスビール、ワインやウィスキーをガブガフ飲みながら、今回の映画はバカ映画とはいえないのではないかという白熱したバカ議論が交わされたのであった。

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 今週はその他としてはお仕事で、警察の組織暴力関係の方々とか、医療系大学の理事長さん、学長さんといった方々、または土木建築関係の方々とか、いろいろな皆さんとお会いする機会があったが、一緒に飲んだり、飲まなくてもお酒の席の話をしただけで打ち解けたりとか、お酒にまつわる一週間だったなあ。今日も、夜は傘寿祝い会で飲むのだけれど。

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2012年11月 4日 (日)

30年ぶりの同窓会

 昨日は初めての大学同窓会だった。

 卒業してもう29年たつが、クラスとしての公式な同窓会は今回が第一回目である。当時の助教授(退職)二人と、助手(現在は学科長)一人 を来賓としてお呼びして、昔の学生は約20人ほどが集まった。

 個人的に付き合いがある学友もいるが、本当に30年ぶりという人もいて、久々の対面モードは数秒にして30年前にタイムスリップして、50歳過ぎた大人同士であっても、丁寧語ではなく学生同士のモードとなるのだった。

 卒業してから、はや30年........。

 おじさんには色々なことがあった。大変だったことや、嬉しかったこと、恥ずかしい過去、誇りたい自分、情けなく、やるせなく、切なく過ごした日々.が走馬灯のように頭を巡ってくる。

 おじさんは30年という時間によって、自分では随分と変わったつもりだったが、いざ学友たちと会うとあまり変わっていないことに気づき、少々驚いた。

 しかし今、よーく考えてみると、変わってきているはずである。久しぶりに大学時代の友人たちと会えば、話は必然的に昔話や、現在の仕事や家族の話になり、客観的な事象について語ることになり、そこには会話する自分自身の変化はそれほど影響しない。ただ、事実を述べているだけだったり、相手にうなづいたり、下らぬ冗談を言ったりするだけだったら、自分の思想、センスはそれほど重要ではないはずだ。  

 ただし、自分の変化を実感するとはどういうことなのだろうか。飲み会で得々と自慢話をしたり、感情面を出したり、ウンチクを語るだけでは本当の意味での変化とは呼べないだろう。

 自分は以前より、優しくなった、強くなった、やる気がなくなった、大人になったという判断を自分がする限りは、何か誤魔化しが存在するような、うさんくささがある。

 昔、宗教をやっている人たちから勧誘を受けたとき、皆さんは「宗教活動によって自分は前よりも明るくなった」とおっしゃっていた。ある人は「私は前より明るくなったと思うでしょう?」とかなり本気で聞いてきたので、絶句してしまった経験がある。

 (また変化とは違うのだが、自己イメージといったことでは、下町関係でよくいるのが、やたら自分の江戸っ子、下町気質を強調する輩である。おじさんも落語が大好きで、江戸庶民のハツラツとした生活や、キップの良さには魅かれるのだが、それを現代社会でアピールされるとどうも違和感を覚えるのだ。江戸っ子気質というは、長屋の貧乏暮らしで宵越しの金をもたず、喧嘩っ早く、自分が損しても人情に厚いといったシチュエーションから醸し出されたものと解釈するのだ。それを現在の社会システムの中で表現するのは、無理が生ずるのだが、飲みながら「オレは○○ダァ」という乗りで、彼自身の江戸っ子っぽい自己イメージを強引に押し付けられているようで不快感をおぼえるのだ。もちろん、現在でも、江戸っ子気質をもちながら、人とのつながりを大切にしていらっしゃる方々も多いのだが、その方々は粋という言葉がぴったりな大人なのである。)

 さて、 自分で自分が変わったと思うのは自由だが、それを誰かに吹聴したり、強要するのは何か違うと思うのだ。自分が変わったどうかを知ることは他者との関わりの中だったり、出来事に対する対応だったり、自分以外の要素があって、輪郭が見えてくるものかもしれない。

 最近会った人では「なぜ、みんな金に執着し、金銭欲が強いのか」と発言した人がいた。きっと彼は自分は金に縛られない善人だと思い込んでいたのだろうが、実際には彼は親に多額の借金をして、返す意志はない。自分が持っているセルフイメージはあやふやで当てにならない。

 戦時中には、自他共に認める強者として鳴り物入りで戦地にいった者が、初めての戦闘では腰が抜けてしまったという話がある。 逆に本人は自分に対して自信がなかったり、他者との関わり方に不安があったとしても、高齢者や障害者のために役立とうと一生懸命に働いて、周囲から信頼されている者もいる。まさに現実状況がその人物を決め、評価は曖昧なものでしかないのではないか。

 おじさんは、高校時代の友人からは「変わった」と言われているが、昨日の大学同期からは「変わっていない」と言われた。今日の夜は親戚と会うので、変わったかどうかを聞いてみてもいいが、本当のことなど誰もわからない。

 はっきりしていることは、肉体は確実に変化していること、死に近づいていること、仕事や家庭などの環境が変化してきていることだ。ややもすると心はその客観的変化の流れの中で、ただ反応しているだけなのかもしれない。きっと大切なのは、無自覚に刺激に対する反応で人生を過ごすのではなく、その環境の変化の中で、自覚的に何を為し、何を為さないかが心をつくっていくということだろう。

 同窓会でのバカ話を書くつもりが、またいろいろと偉そうに書いてしまったが、昨日のように縁あって同じ学び舎で過ごした仲間たちと、久しぶりに会えるのは愉しいものだ。

 そして、今回の一番の収穫はほんとうに久しぶりに会った親友二人と、僅かだがお互いの話をできたことだ。今回は、体調不良で参加できなかったもう一人の親友がいたが、また日を改めて三人で彼に会いに行こうという話になった。きっと、その日の出会いでは30年の時間が、自分たちに何を与え、教え、変化させたのを味あわせてくれることになるのだろうと思う。

 その歳月は誰が一番重たいか、充実していたかと競いあうものではなく、ただそれぞれが自分だけに与えられた唯一の人生を、友人たちと分かち合うことに意義があろう。

 せいぜい、あと30年ほどの人生の時間を、競い合いのために使うのは勿体ない。もっと、楽しく、誰かと生きていこうと感じたさせられたおじさんなのであった。

 

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2012年11月 2日 (金)

神戸に行ってきた!

大阪、神戸に二日間ほど行ってきた。神戸に宿泊したかったが、満杯のため、新大阪のホテルとなった。夜はお仕事で同行した三人と、居酒屋で飲んでから、ホテルに帰ってレストランで二次会となって、12時近くに部屋にもどった。二日目は一人で自由散策できる時間があり、どこに行こうかとスマートフォンで調べたら、ポートタワーの近くで水陸両用船による80分程度の観光があったので、そこに行くことに決めてから寝たのだった。

 二日目の朝は少々二日酔いであったが、きちんCimg1777と済ませることは済まし、 一人電車に飛び乗り、神戸の海へと向かった。...が...........遊覧船の案内所のおじさんに聞いてみると、水陸両用船は数ヶ月前から営業していないようだとの返事。連絡先に電話してみたら、やはり運行していないとのこと。

 仕方なく、シティーループバスにのって、異人館で降りたが、外観だけ見ながら、そのまま歩いて、神戸布引ロープウェイに行ってみた。平日のため、かなり空いており、中年男が独りゴンドラに乗っていることが妙に気恥ずかしくなる。

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Cimg1781_3   強風が吹いて、途中止まったりして、スリル満点だし、景色も素晴らしかった。ゴンドラの中で歓喜のあまり、小躍りしてしまった。

  紅葉はあともう少しなので、残念であったけど、山と緑と、海と高層ビルを大きな視界で、深呼吸しながら眺めてみると、ちっちゃいことは気にするな、ワカチコワカチコと世事の憂さ晴らしになったのであった。

 話は変わるけど、関西弁はいいなぁ。標準語と比べると人間味があって、あたたかさが伝わってくる。駅のホームで、おじさんに「これ、神戸いきますか?」と聞いたときの僕のイントネーションは関西弁となっていて驚いた。

 標準語はストレートに相手に意志伝達や事象説明などを投げかけるが、関西弁だと自分という存在を経由して相手に発せられる言葉のように感じたのだ。

 かつては、標準語が王座の位に君臨して、関西弁や、各地方の方言は、公式の場では標準語に直せなどと言われ虐げられてきた。しかし、最近は方言が恥ずかしいことではなく、地域性や自己PRのツールとして、標準語至上主義を打ち倒してきている感があるのだが.....。 

 今まで全国各地の人々と交流する機会が色々あったけど、特に気が合ったのは関西方面だったのも、僕の個性と会っているからかもしれない。

 まっ、そんなわけで、わずか3時間程度の神戸周遊であったが、なかなか面白かった。

 浅草に戻り、少々の疲れていたせいか、甘いものが食べたくなって、いかにも浅草っぽい食堂でチョコレートパフェを頼んでしまった。東南アジア系の親父たち5人が、酒飲んで騒いでいる隣で、日本中年男一人、チョコパを黙々と食べている姿を見て、店員さんたちはどう思って見ていたのだろうか。

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