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2012年11月 4日 (日)

30年ぶりの同窓会

 昨日は初めての大学同窓会だった。

 卒業してもう29年たつが、クラスとしての公式な同窓会は今回が第一回目である。当時の助教授(退職)二人と、助手(現在は学科長)一人 を来賓としてお呼びして、昔の学生は約20人ほどが集まった。

 個人的に付き合いがある学友もいるが、本当に30年ぶりという人もいて、久々の対面モードは数秒にして30年前にタイムスリップして、50歳過ぎた大人同士であっても、丁寧語ではなく学生同士のモードとなるのだった。

 卒業してから、はや30年........。

 おじさんには色々なことがあった。大変だったことや、嬉しかったこと、恥ずかしい過去、誇りたい自分、情けなく、やるせなく、切なく過ごした日々.が走馬灯のように頭を巡ってくる。

 おじさんは30年という時間によって、自分では随分と変わったつもりだったが、いざ学友たちと会うとあまり変わっていないことに気づき、少々驚いた。

 しかし今、よーく考えてみると、変わってきているはずである。久しぶりに大学時代の友人たちと会えば、話は必然的に昔話や、現在の仕事や家族の話になり、客観的な事象について語ることになり、そこには会話する自分自身の変化はそれほど影響しない。ただ、事実を述べているだけだったり、相手にうなづいたり、下らぬ冗談を言ったりするだけだったら、自分の思想、センスはそれほど重要ではないはずだ。  

 ただし、自分の変化を実感するとはどういうことなのだろうか。飲み会で得々と自慢話をしたり、感情面を出したり、ウンチクを語るだけでは本当の意味での変化とは呼べないだろう。

 自分は以前より、優しくなった、強くなった、やる気がなくなった、大人になったという判断を自分がする限りは、何か誤魔化しが存在するような、うさんくささがある。

 昔、宗教をやっている人たちから勧誘を受けたとき、皆さんは「宗教活動によって自分は前よりも明るくなった」とおっしゃっていた。ある人は「私は前より明るくなったと思うでしょう?」とかなり本気で聞いてきたので、絶句してしまった経験がある。

 (また変化とは違うのだが、自己イメージといったことでは、下町関係でよくいるのが、やたら自分の江戸っ子、下町気質を強調する輩である。おじさんも落語が大好きで、江戸庶民のハツラツとした生活や、キップの良さには魅かれるのだが、それを現代社会でアピールされるとどうも違和感を覚えるのだ。江戸っ子気質というは、長屋の貧乏暮らしで宵越しの金をもたず、喧嘩っ早く、自分が損しても人情に厚いといったシチュエーションから醸し出されたものと解釈するのだ。それを現在の社会システムの中で表現するのは、無理が生ずるのだが、飲みながら「オレは○○ダァ」という乗りで、彼自身の江戸っ子っぽい自己イメージを強引に押し付けられているようで不快感をおぼえるのだ。もちろん、現在でも、江戸っ子気質をもちながら、人とのつながりを大切にしていらっしゃる方々も多いのだが、その方々は粋という言葉がぴったりな大人なのである。)

 さて、 自分で自分が変わったと思うのは自由だが、それを誰かに吹聴したり、強要するのは何か違うと思うのだ。自分が変わったどうかを知ることは他者との関わりの中だったり、出来事に対する対応だったり、自分以外の要素があって、輪郭が見えてくるものかもしれない。

 最近会った人では「なぜ、みんな金に執着し、金銭欲が強いのか」と発言した人がいた。きっと彼は自分は金に縛られない善人だと思い込んでいたのだろうが、実際には彼は親に多額の借金をして、返す意志はない。自分が持っているセルフイメージはあやふやで当てにならない。

 戦時中には、自他共に認める強者として鳴り物入りで戦地にいった者が、初めての戦闘では腰が抜けてしまったという話がある。 逆に本人は自分に対して自信がなかったり、他者との関わり方に不安があったとしても、高齢者や障害者のために役立とうと一生懸命に働いて、周囲から信頼されている者もいる。まさに現実状況がその人物を決め、評価は曖昧なものでしかないのではないか。

 おじさんは、高校時代の友人からは「変わった」と言われているが、昨日の大学同期からは「変わっていない」と言われた。今日の夜は親戚と会うので、変わったかどうかを聞いてみてもいいが、本当のことなど誰もわからない。

 はっきりしていることは、肉体は確実に変化していること、死に近づいていること、仕事や家庭などの環境が変化してきていることだ。ややもすると心はその客観的変化の流れの中で、ただ反応しているだけなのかもしれない。きっと大切なのは、無自覚に刺激に対する反応で人生を過ごすのではなく、その環境の変化の中で、自覚的に何を為し、何を為さないかが心をつくっていくということだろう。

 同窓会でのバカ話を書くつもりが、またいろいろと偉そうに書いてしまったが、昨日のように縁あって同じ学び舎で過ごした仲間たちと、久しぶりに会えるのは愉しいものだ。

 そして、今回の一番の収穫はほんとうに久しぶりに会った親友二人と、僅かだがお互いの話をできたことだ。今回は、体調不良で参加できなかったもう一人の親友がいたが、また日を改めて三人で彼に会いに行こうという話になった。きっと、その日の出会いでは30年の時間が、自分たちに何を与え、教え、変化させたのを味あわせてくれることになるのだろうと思う。

 その歳月は誰が一番重たいか、充実していたかと競いあうものではなく、ただそれぞれが自分だけに与えられた唯一の人生を、友人たちと分かち合うことに意義があろう。

 せいぜい、あと30年ほどの人生の時間を、競い合いのために使うのは勿体ない。もっと、楽しく、誰かと生きていこうと感じたさせられたおじさんなのであった。

 

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