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2012年9月22日 (土)

なぜ親戚と付き合う?

(゚ー゚)今日はいつもに増してトリトメのない話になりますのでご注意を!

お袋がまもなく80歳になるので、その誕生パーティー準備会をやろうという僕の提案で昨夜は珍しく男だけの親戚数人が集まり、それなりにワイワイと盛り上がった。

 しかし、途中である一言によって僕のスウィッチが入ってしまい、怒りモードで声高になってしまった場面もあった。今まで、飲み屋で大きな声を出して飲む輩たちを冷淡にみてきた僕としては、自分が当事者となってしまったので、こうして土曜朝にPCに向かって反省している.............と書こうとしたのだが。

 感情的になったことは、自分の未熟さゆえということは承知しているが、カチンときたその「一言」は、その場限りではなく、かなり昔から、僕の両親やいとこたちを巻き込んできた問題を象徴する何気ない一言であったからだ。それについては、冷静に淡々と語るべき内容ではなく、感情的でもいいから実直に話すべきことだったと思う。ただ、その内容については、ここでは触れないでおく。

 今朝は親戚ということについて、ひっかかっているので、思い向くまま書いてみよう。

 最近は、親戚付き合いがなくなってきており、また人間関係も希薄になってきたと言う声をよく聞いてきた。確かに、それはあたっているだろう。

 そして、ここ数十年、飲み屋で聞いてきた範囲では、親戚付き合いをしていても、親類間の人間関係が良好で、仲良しという事例報告では稀少であり、むしろ劣悪で、人間不信に陥るようなケースが多々見受けられる。

 太古の昔、46億年前に地球が誕生し、○○万年前に人類が誕生して、種族保存の原理が動きだし、集団的な生活様式が発展し、固定化するなかで、血のつながりは絶対的基盤となり..  ..............(゚Д゚)ハァ......などと偉そうにウンチクっぽくいうまでもなく、親族というのは、人間の暮らし、人生に大きな位置を占めてきた。

 しかし、かつて親族たちは本家中心に居住エリアを構築してきたが、今日では住居も離ればなれになり、日常的に会う機会もなくなり、経済的に豊かになった今日では食べ物を分け合う必要性もない。生活困窮者が出たら、国家の社会保障制度によって救済されるシステムが出来ている。

 親戚と共生する必然性は希薄になり、特に都市部では慶弔の機会に集う程度となってきており、結婚も披露宴をせずに二人だけとか、ごく親しい人に限定されたパーティーにする傾向もみられる。

 まずいっ!  だんだん長文になってきた。しかもえらそうに! このままだとM永さんに怒られる!(゚Д゚)

 親戚と言う関係の必然性が消え、個人的に付き合いを選択できるようになってきたならば、一番身近な親族である夫婦、親子はどうなんだろう。

 夫婦である必要性を突きつめていっても、婚姻形態がないと税控除、保証人資格、財産分与などの社会制度を円滑に活用できないからだという人もいる。じゃあ、親子は? 親子関係は自由に選択できる範囲じゃないけど、親族形態をとるのは親の子供に対する扶養義務を明確化するとともに、やはり控除や教育制度、医療控除といった社会システムが絡んでくるのか。

 親戚の話題に戻る。親戚というある種の呪縛? から開放されたことが、どれだけ幸福度に寄与しているのだろう。親類が夫婦、そして親子(子が成人すると消滅傾向にあるが)といった狭い範囲で生きていくことが、面倒くさいこともあるけどそれなりに付き合っている親戚関係よりも素晴らしいのだろうか。わからない。

 自分の選択できないもの。自分の誕生日や出生地、身長、容姿とか、兄弟や親子関係、持病、過去の出来事たちと、どう付き合っていけるかっていうのが自分の人生を豊かにしていくための大切な要素なのだと思う。

 嫌な親戚たちと無理して合う必要はないけど、それをサッと断ち切ってしまっては、修復は困難になる。時間がたてばたつほどに。

 変な例えなのだけど、日本の古典芸能や、風習などをもう時代遅れだ、不必要だと判断して切り捨てる選択は存在するし、それを行使することは簡単なことかもしれない。でも、一度断ち切ってしまえば、それらの生命の息吹は蘇ることはない、数十年たってから、リバイバルさせても、継承された実体がないために、深みや熟成が失われていることだろう。

 この世に僕自身の出生から子ども時代、そして成人した現在までを知っている人間は何人い.るだろうか。現在、付き合っている友人知人たちは、圧倒的に大人になってからであり、一部は学生時代からである。僕自身の軌跡、それを知っているのは両親、兄弟以外では親戚だけである。

 自分でも憶えていない自分が赤ちゃんでハイハイしている姿を知っている人がいる。そして逆に、僕はハイハイしていて現在は偉そうに成長した人の目撃者でもある。親戚という、自分の人間としての軌跡を見てきた存在がいることの意義は大きくはないだろうか。 

 親戚の付き合い方を選択し、消去してしまえるように思えても、親族関係は存在し続ける(戸籍上でも、事実関係的にも)。実は、かつての僕も、親戚付き合いは、偽善的なまやかしだと思っており、避けていたのだが、最近は違ってきている。

 事実をありのままに受け入れ、動かせない関係があるのならば、この人たち(色々な方がいらっしゃるが)と、紆余曲折しながらでいいから、付き合っていこうと思った。そういう思いでいたら、随分と楽になって、むしろ付き合ってみると面白くなってきた。

 まとまりのない話で終わってしまうが、なんだこいつは!とあきれることも(逆にあきれられることも)あるけど、それが僕の属している親類なのだと割り切って付き合っていこうと思ったのだった。改めて、そう思う。

 そして、こんなことを書きながら、これからツタヤで借りた全員悪人の北野武「アウトレイジ」を観るのである。

 

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コメント

嬉しいです!
ぜひ、お会いできたらと思います。

先生もボール割られたんですね。
今までボールが割れたということを聞いたことはありませんでしたが、そういう人がいらしたんですねぇ......

投稿: takkun | 2012年9月23日 (日) 18時13分

おや?送れてないようなので、もう一度。
そういう事なら機を見て上京致しますので、是非呑みましょう!
私もボウリングの球を割った事があります(笑)。まさかお仲間がいようとは…

投稿: 良三 | 2012年9月22日 (土) 23時49分

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