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2012年6月

2012年6月30日 (土)

日光に日帰り旅行

 ずっと、うちの奥さんが日光の神社に行きたがっていた。

 今日は梅雨の中休みで晴天であり、常日頃奥さんに迷惑をかけていることだし、浅草から日光への日帰りツアーを決行したのだった。

 行きは午前8時10分浅草発の快速に乗ったが、車内は混んでいて、座席は優先席がかろうじて空いていたのでそこに座った。北千住からも、春日部からも多くの乗客たちが乗り込んできた。優先席のため、何かあったら席を譲らねば!といろいろと気を使った。立っている年配客も多かったが、ハイカー姿かそれに準じた格好が殆どであり、なおかつ、誰かに席を譲ったとしたら他の年配者たちから非難轟々となりそうで(「宇宙戦争」でのクルマを群集にとられるトム・クルーズを思い出した)、ひたすらおとなしく座っていた。

滝尾神社

Cimg1136 約2時間余りの時間を車内で過ごし、東武日光駅に到着した。まずは駅前からタクシーに乗って、滝尾神社に向かった。運転手さんの話だと、ここんとこ観光客が随分減っているらしい。今日はこれから湖には行かないかと誘われたが、NOと断り、10分ほどで神社に着いた。ここは日光三社権現のひと つで、弘法大師が創設したと伝えられている。                                       Cimg1141                                        

 最初の鳥居の真ん中にある穴に小石を3個投げて、通りぬけたら運が開けるとのことである。Cimg1145鳥居に石を放り投げることに抵抗がありつつも投げ、完敗する。 参拝客も少なく、スカイツリーで賑わう浅草下町界隈から3時間弱で、静かで霊験あらたかな世界にいることに、不思議な思いがしたのであった。

 

二荒山神社

Cimg1149そのまま、20分ほど山道をたどり、二荒山神社に参拝する。

ここでも、運試し輪投げというのがあって、3Cimg1152回輪投げをして、1回でも入れば運が開けるということらしい。鳥居といい、輪投げといい、この射幸心を煽るようなものが多いのはどうしてなのだろうか。 神様がおもしろがって、人間たちをもて遊んでいるということはない!と信じたい。これは多分、....多分であるが、入った入らないといった偶然の確立による運の良し悪しではなく、運が開ける人間とは、心が落ち着いた状態で、目標に集中できる人物であり、達人とまではいかなくても、狙ったターゲットに命中できる能力をもっているはずである。入ったから運が開けるのではなく、開ける状態だから入ったのであろう。すみません、ちなみに私は輪投げ1回入りました(偶然っぽいが...)。

Cimg1156

その後 

Cimg1161 昼食は、国道沿いの店で、ゆばトマトラーメンを食べた。 その後、カステラ屋さんで珈琲セットと氷イチゴを頼む。タオルを持参したので。日帰り温泉に入ろうと思って、輪王寺近辺の旅館に行ったら、清掃中とか水がでないと言って断られた。がっかり。電話してからいくべきだったのかも。そのまま世界遺産巡回バスで東武日光駅に戻る。

時間は午後2時。このまま帰るのも勿体ないということで、奥さんのガイドブックに駅からクルマで5分の距離で、10数種類の温泉があるという場所が紹介されていた。 そこに決定! タクシーで山沿いにある温泉に向かった。

 そこは駅から近いが、山の中にあるなかなか風情がある温泉だった。ただし、10数種類の割にはどうも建物が妙に小さいように思えた。Cimg1166

  脱衣場に入ってから中を覗くと、内風呂、露天それぞれひとつずつ、計2種類の温泉だけ である。ふと、洗い場をみると、かなりの多種のシャンプー、コンディショナー、ソープ類のボトルが並べられていた。後でわかったのだが、よく見るとガイド゙ブックには10数種類のシャンプー類がと、書かれていたのだ!(゚д゚;)。

 しかし、まぁ、森の中にある露天風呂は最高でした。

Cimg1176  帰りは、行きのタクシーの運転手さんに連絡して迎えにきてもらった。行きは殆どお互いに無言であったが、温泉に入って血の巡りがよくなったのと、タクシー乗り場での乗車から指名乗車へと発展したためか、打ち解けて話も弾んだのだよ。

 帰りの時間は快速がないので、特急を予約した。時間があるので、Cimg1179そのままカフェに入って、日光の地ビール「いろは」を飲む。 美味しかった。

 しかし、ここで母から電話。親父の具合が悪くなってしまい、今日入院したとのこと。命には別状がないとのことだが、心配なので明日、病院に行くと返事をする。その後、親父やお袋にどうも感謝が足りないのではないかと反省する。

Cimg1181 帰りは、景色をみながら、押し寿司と牛肉弁当をつまみにして、マッコリとウィスキーの缶を飲みながら、浅草に向かった。

  浅草に7時過ぎ到着。まだ空は少々明るいため、スカイツリーのライトアップにはまだ早く、隅田川沿いにはカメラを抱えた多くの人たちが、点灯の瞬間を待っていた。

 

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2012年6月28日 (木)

リズムで脳を刺激せよ

 まずいっ!、眠いし、酔っている.....

 今日は合気道の稽古後に帰宅して午後10時にシャワー浴びて、酎ハイをグイグイ飲んだから、酔いが一気に廻ってしまった(*´Д`*)

 でも、備忘録として、書いておかねば........

 ひとつめ。 最近は明け方に鼻がピーピーなったり、ごわごわ鳴って起きてしまう。それが長く続いているので、インターネットで調べたら、喘息、咳喘息、喘鳴等々の病名が目に飛び込んできた。

 なんか不安になり、行きつけの耳鼻クリニックに7ヶ月ぶりに行った。先生曰く、あなたはアレルギー性鼻炎だから、いつもの薬出しときますと素っ気無いお言葉。

 「ぴーぴーひゅーひゅー鳴っているんですよ。中年になってからの喘息が多くなっているとインターネットに書いてありましたよ」と、先生に言うと、先生曰く、「ピーピー鳴った、喘息だと大騒ぎする人が多いんですが、鼻喉がなるのと、気管支とは全然違うんです。あなたのように、週に数回咳き込むと程度いうのは問題外です。そもそも、あなたのように顔色がいい人は全く問題外だ!」と言われた。

 不安解消のためにインターネット検索すると様々な情報がでてくる。不安な情報、安心できる情報などが混在しているが、どの情報を見ても納得できなくなってくる。それはまるで、強迫性障害でドアの鍵を閉めたかを何度も確認するのと同じで、情報を辿れば辿るほど、不安は増大し、根深くなってくる。

 今回の件はまさに、情報をみすぎた結果、肥大化してしまった不安なのである。インターネット情報について、その渦の中に入っては危険で、達観した視点をもつべしというのが今日の教訓。

 ふたつめ。昨日の「ためしてガッテン」でやっていた「リズムで脳を刺激せよ!」を、本日の合気道稽古でK君に実験してみた。動作時にあわせる音の組み合わせが鍵となるので、合気道らしい音リズムを考えてみた。投げ技で力みがちだったK君に「ポワ~ッ」と言いながら、技をかけてみてと頼んだところ、力みが抜けて技が冴えた。数年の間、彼とは組む機会が多いが、こんな感覚で彼の技を受けたのは初めてである。

 技をかけるにあたり、言語レベルでは、臍下に意識を置く、肩の力を抜く、リズミカル等々のポイントがあるが、それを身体に反映させるのは困難であり、意識しすぎると余計に力みが入ったりする危険がある。

 それをポワ~ッという音声リズムにあわせて、身体を動かすと自然に力みが抜けて、ガチャガチャ感がなくなるのだよ。

 身体と音の意味については、かつて野口三千三さんが本に書かれていたので、いろいろと言いたいけど、もう12時になるます。眠くなりもうしたので、この辺にしておきます。

 おやすみなさい。(*v.v)。

   

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2012年6月24日 (日)

言葉が力を持ちすぎた社会

生物学者の福岡伸一氏の「せいめいのはなし」を読んだ。対談集でなかなか面白かった。

特に養老先生との対話は膝を打つものか多かった。

 ・人間の意識は「止まっているもの」しか扱えない。情報は止まっているものだからニュースで「こうでした」といえるわけで、そこを忘れると話が違ってしまう。

 ・日本社会が硬直化した情報化社会があり、物事をすべて情報にしてしまうから、自分までも情報化されてしまい、それこそが自分の個性だと思い込む。自分という概念が成り立つためには、「自分はこういう人です」とい自分が不変的なものだという前提が必要になる。

・ただ、効率ばかりを追求すると効率が悪い。つまり、部分的合理性が全体的合理性にあわないということに多くの人が気づきはじめている。

・言葉に現実を合わせようとするといろいろ厄介なことが起こる。原理主義は言葉で世界を抑えてしまう。無意識に現実を押さえ込む典型的な例。.......等々

 対談では言葉が力を持ちすぎた社会になったとも言っている。言語によってあらゆる法体系が構築され、社会システムが整備されてきた。人間存在のあらゆる側面が言語によって表現され、導かれ、規制されている。また、ニュースをみれば、政治経済、芸能スポーツ界での暴言や失言を記事にしていることの多さよ。

 先週は桐生市議員がツイッターで市内の献血活動について「放射能汚染地域に住む人の血って、ほしいですか」とつぶやき、炎上しても議員失職した。

 インターネットが普及していなければ、個人のつぶやき(ピーというレベルでも)を飲み屋で囁いたぐらいでは大騒ぎにはならなかっただろうが、ツイッターというツールは、本人が気軽につぶやいた言葉を世界に発信してしまうというある意味では恐ろしく慎重になるべき媒体なのだ。

 しかし、圧倒的多数の人間たちがツイッターに発信し、情報の洪水に浸っていると、その感覚が鈍くなってきて、自分からあたかも顔見知りの知人たちに語るような気軽さで、ツブヤクことにも違和感はなくなってきている。

 市議失職には賛否両論があるようだが、市政批判に力を入れていた方のようであり、言葉によって議会で様々な批判、問題提起をなさっていたと推測する。それは言葉を介して、市政を変えようとしたことであり、言葉のよる作用や威力を存じているならば、ご自分の発信した言葉がどのような作用を生ずるのかを、特に放射能の件では自覚が足りなかったようにも思える。

 (゚ー゚) 私もこうして、気軽にブログを書いています。(まぁ飲みながらも多いのですが)。自分の日記代わりといいつつも、多くの方々の目に触れるものであり、暴言や下品な言葉使いをしないようにと思います。

 よくいろんな人から「フェイスブックはやらないのですか」と聞かれるのだが、私は「やりません」とこたえている。理由のひとつに、私自身の現実の人間関係とは違った、ネット上での人間関係がパラレルワールドとして出現し、生身の私を通り越して、勝手に動いていくイメージがあり、それが面倒くさいのだ。

フェイスブックに魅かれる部分も勿論あるけど、自分の交友関係までが、相関図のように部分的に繋ぎ合わされて情報化され、一旦固定化された状態になることに抵抗がある。それがオレの世界ではない。.....といいつつ、突然フェイスブックやったりしかねない部分もある私です。

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昨日の土曜日は、銀座にある六雁 (むつかり)で会席料理を頂く。  お店の雰囲気も良いし、本当に美味しかった。  特に牛肉の「ざぶとん」という肩の稀少部位は、とろけるような絶品であった。  ただ、デザートの醤油アイスはホントに醤油とアイスとあられと海苔の味がして、なんか不思議な感じであった。  

少々奮発して美味しいものを食べた。  こんなに幸せなのに感謝を忘れて、小事に一喜一憂している自分に反省。

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2012年6月23日 (土)

酒飲みは酒をやめるとかえって早死にする

 昨夜は、8年前に研修講師トレーニングで出会った仲間たちと、言問橋割烹のスカイツリーの間で飲んで、二次会はスカイツリーまで歩いて行って、世界のビール博物館で飲む。

 それにしても、連日よく飲んでいる。いつ休肝日だったかまったく覚えがない(ただし、三日前が本当に珍しく夕食時にビールをコップ2杯飲んだだけで、その後家で翌日の委員会発表の準備をして寝た)。 

 今日はそんな自分の免罪符のために、NTT健診センター長の倉知美幸さんの「酒飲みは酒をやめるとかえって早死にする」を一読した。

 中身を読むと健康のためにはやはり禁酒してはいけない、ただし適量におさえておく必要があるんだと思ったのだが、各章のはじめに酒にまつわる名言があり、なかなか興味深い。

 「酒が私から奪ったものより、私が酒から得たもののほうがはるかに多い」 チャ-チル(英国首相)

 「酒をたしなまない人に思慮分別は期待できない」 キケロ(古代ローマ哲学者)

 「一杯の酒、一冊の歌、一皿の糧さえあれば、汝とともにたとえ荒屋に住むとも、心持ちはスルタンの栄華にまさる」 オマル・ハイヤーム(ペルシア詩人、天文学者)

  ......実に味わい深い言葉ではないか( ´_ゝ`)

51xmi4gl__sx230_ 昼から有川浩さんの「三匹のおっさん」を読む。

 還暦を迎えたおっさんたちが、柔道、剣道、スタンガン?で悪党をやっつける痛快小説と思いきや、なかなか深い世代間の描写や、ファッション考察などがあり面白い。

 読みながら、自分が高校生となっているような感覚を味わって不思議であった。 

 今日もこれから、義母の誕生祝いのため、銀座に行ってきます。適量は超えるだろうなぁ。 

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2012年6月17日 (日)

珈琲屋バッハ

昨日の土曜は、来週に仙台に引っ越す長女と、正月以来会っていなかった次女と会った。

320x320_rect_8292759  昼間にレンタカーを借りたので、長女が前から行きたがっていた山谷にある珈琲店「バッハ」に行ってみた。ここは知る人ぞ知る名店で、「バッハブレンド」は2000年の沖縄サミットの晩餐会で出され、コーヒー嫌いのクリントン米元大統領がそのおいしさに感動しお替りしたというエピソードをもつ。30年ほど前に初めて行ったときには、その美味しさと雰囲気に圧倒されたが、まさかここまで有名になるとは思わなかった。また、ここの自家製ケーキも美味しくて、私の従兄弟は毎年のクリスマスにホールケーキを予約している。コーヒー苦手な娘たちもカフェオレなどを頼み、ミルフィーユがとても美味しいと大喜びであった。

 バッハという店は間違いなくプロフェッショナルの空間である。30年前から変わらない珈琲に対する姿勢や、接客態度の徹底など、バッハから仕事や組織のあり方について教えられたような気がする。昔から、洗練されたオーラが醸し出されている店であり、貫けば大成するということを証明している。きっと娘たちには、良い刺激となったと思うのだ。

 さて、夜は長女の壮行会を我が家にて開催する。 奥さんの20120616_211127手料理を食べながら、お酒を飲んで、最後は持ち寄ったケーキで締める。

 朝までは、どこかのお店を予約しようかと迷ったが、1歳児がくるので、ホームパーティーっぽく、うちでやろうということなり、昼に急いで買い物に行って、そのまま僕は娘たちと合流して、バッハと親父の老人ホームに行ったので、料理の支度が大変だったようで、お疲れ様でした。 

 昨日はバッハといい、ホームパーティーといい、手作りのおもてなしの優しさや、暖かさを感じる良い一日であった。

 ※今日の日曜は、ダラダラと読書して、夜は「ミッションインポシブル・ゴーストプロトコル」を観て、これから寝るところです。

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2012年6月 9日 (土)

小津安二郎「お早う」

小津安二郎監督の「お早う」を観た。

数日前に観てから、毎日考えている。

大人の作法と、暮らしについてを。

Imagescasonhky  昭和34年の映画で小津作品としては、コメディの部類に入るが、タイトルがちょっとダサイので、期待しないでワインをチビチビ飲みながら鑑賞した。

 約1時間半....このたわいもない昭和30年代の庶民の生活を描いた映画が、一寸もだれるこなく、あきることなく、思わず笑ってしまう場面もあり、実になんともない映画のようだが、物凄い映画であったことに驚く。

Imagesca1e5xuw 家にテレビを買って欲しくって、うるさくわめく子どもを、父親(笠智衆)が叱ると、大人だって「おはよう」「こんばんわ」「良いお天気ですね」「どちらまで」「ちょいとそこまで」とか、どうだっていいような余計なことばかり言っているじゃないかと反論する。後にその話を聞いた若い男(佐田啓二)が、「面白いことをいう子どもたちだ。でも、余計なことがあるから世の中うまくまわっているんじゃんないか。無駄だと思われることが潤滑油になっている。それがないとギスギスした世の中になってしまう」というようなことを語る。Imagescahpu0da

 震災直後にテレビCMは自粛され、AC(公共広告機構)の「挨拶の魔法ソング」や金子みすずの詩朗読がしつこいほどに繰り返し放映されていた。挨拶が大切なのは誰もが頭ではわかっているだろうけど、挨拶が本来持っていたはずの生命力が衰退してきているのは事実かもしれない。私自身を振り返っても、知っている人と会って頭は下げても、無言かボソボソ小声という傾向はある。これではきちんとした大人とはいえない。

 無駄なこと、余計なこと....。挨拶だけではない.....。例えば、昨夜も合気道の仲間たちと稽古後に飲んだ。使ったお金と時間、家庭生活を考慮すると余計な行動かもしれない。でも、そのことによって、ギスギスしたり、ハターン化になりそうな自分の生活への潤滑油として役立ってくれている。

......いや、きっとその役立っているという発想自体が、いやらしく感じる。巷に溢れている効果的・効率的、成果主義、利潤追求、実力主義、権利、主張、ディベート....。まさに世の中や、人間関係をギスギスしたものにしてくれるものばかりだ。

 子どものころに、「アリとキリギリス」のキリギリスになっては駄目だぞ、不幸になって死ぬだけだぞと、教わってきて潜在意識に強く入っているけど、有名な「パレートの法則」ではアリも2割が働かず遊んでいるという。

 遊んで暮らせたらいいなぁというのが私のかつての口癖だったが、現実には遊んで暮らせてはいけないので、日々の暮らしの中で、仕事や遊び、学びといったことをそれぞれ一生懸命に大切にしていきたいと思う。

  そして、 映画を観ていて発見したのは、大人の男たちがみんな帽子をかぶっていることだ。飲み屋のシーンでも全員が帽子をかぶっていた。たしか、平川克美氏の「移行期的混乱―経済成長神話の終わり」には、昔の商店街には帽子屋が必ずあり、帽子は大人の男の必須アイテムであったというような記述があったように記憶している。

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 子どもと大人の境界線が消えつつある現在において、小津映画はむしろ若々しく新しい感覚で大人の身だしなみ、言葉遣い、酒の飲み方について教えてくれている。

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2012年6月 2日 (土)

35回目の「燃えよドラゴン」

 おじさんの思い出話をします。(◎´∀`)ノ

 昨日は、BS放映で録画してあった「燃えよドラゴン」を夜遅くまで観た。

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 「燃えよドラゴン」は僕が中二の時に、友達と銀座に観にいったのだが、最初はドラゴンというから怪物が出てくるのかと想像していたらトンデモなかった。カンフーアクションにぶっ飛んだ。そして、ブルースリー、カンフー、空手は世界的大ブームとなっていった。

 僕は空手とは無縁だったが、中学校の柔道部の先生が空手有段者なので、僕は柔道部に在籍していて、たまに突きや蹴りを教えてもらった。それまで運動は苦手な部類の僕は、体育の成績が5段評価の3~2の間に揺れていたのだが、ブルースリーの影響でキックをしてみたら、常人よりも高く蹴り上げられることに驚いた。 自分の身長よりも20センチくらい高い、廊下に掲げられている教室の「○年○組」という標示板も歩きながら蹴ることができた。 

Photo  それから、体育のボールを使った団体競技は相変わらず苦手だったが、跳び箱を使った運動などを華麗にこなすようになって、成績も4をもらえた。蹴りをトレーニングするうちに、前飛び蹴りでは高さ2m30cm位の標的ならば、つま先で触れることができた(蹴りとはいえないが)。

 その後、高校に入っても空手同好会に入り、ブルースリー熱は数年続いていく。高二の夏休みには飯田橋の名画座で上映されていた「燃えよドラゴン」を連日観にいった。30数回観たはずである。その後、テレビ放映などで観る機会もあり、多分35回程度は観ているのではないか。

 かなり久しぶりに観た「燃えよドラゴン」ではあるが、カンフー映画といいつつも武道の本質Images をとらえている箇所があったり、ブルースリーの武道家としての佇まいに感心した。しかし、高校生のときに、完璧な肉体として憧れたリーの肉体だが、現在の僕からみると痩せ過ぎていてどうも受け付なくなっている自分自身に驚いた。10代の僕はリーの格好を真似て、血糊代わりの赤い絵の具を体に塗りつけたり、飛び蹴りした写真を何枚も撮っていた(本当はブログに貼り付けたいけど、押入れ奥のダンボールにあり、散らかるのでまたの機会にね(*^-^))。

 しかし、その後はスタローン、シュワルツネガーたちや、プロレスラー諸氏たちの影響を受けた僕は、マッチョ志向へと変化していったのである。

 しかし、今、僕が、こうして、こういうおじさんになっているのは、少なからずブルースリー氏の影響を受けていることは間違ない。

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