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2012年4月

2012年4月29日 (日)

孫の婚約者の父の頭を叩く祖母(´□`。)°

長女が結婚することになったので、昨日は彼氏の両親が仙台からご挨拶にいらっしゃった。

まだ、明るい五時からスカイツリーの見える割烹で、接待する。

最初はきちんとお互いにご挨拶をしてから、乾杯となり、料理が次々と運ばれてくる。

普通、こういう席では瓶ビールで、ちっちゃなグラスに注いだり注がれたりするのが定番である。

 しかし、79歳の私の母は、そのコップでチマチマ飲むのが嫌いで、いつもジョッキでビールを飲むため、途中から瓶ビールをやめて、スカイツリージョッキ(といってもただ634mlのビールジョッキ)を注文して、一同グビグビ状態となる。 

 僕もコップで飲むのは嫌いで、飲み会では自分のコップにビールがなくなってきても、誰も気づかず注いでもらえない状況に陥ることがよくある。その場合は、誰かのコップにビールを注いであげて、僕のコップにもビールがなくなっているんだからね!メッセージを発信し、相手も、おっ、気づかずにごめんね、どうぞどうぞ!という対応をすることになる。それが面倒くさいので、ジョッキでグビグビがいいのだ。 

 しばらくすると、隣の大広間では、年配の方々が高校の同窓会ということで芸者衆を呼んでおり、三味線、和太鼓の演奏がはじまった。仙台のご両親も芸者さんを観たことがないというので、お店にお願いして廊下から見物させていただいた。とても、にぎやかでお祝いの席にはもってこいの余興であった。 

 我が母は、飲むと自分中心に喋って、周囲を聞き役に徹しさせる傾向があるため、事前に今日の大事な席では静かにしていなされと諭していた。乾杯当初までは、比較的おとなしめ(それでも相対評価ではうるさい)にしていたが、段々とアルコールが廻るにしたがって、当初はお父さんと呼んでいた呼称が、やがて隣に座り込みあんたと呼ぶように変化していった。 

 二次会ではBARに行ったが、そこでもご両親の間に座って、喋り続け、最後はお父さんの頭をひっぱ叩くようになっていったのだ。それも何度もで、パンパンッという音を聞かされるたびに ・・破談・・ という文字が宙を舞ったが、気さくなご両親で、そんなおふくろを気に入って下さったようで安心した。 

 それにしても、随分飲んだので、帰宅してから頭痛がした。 

 今朝は、幸い痛みは治まっていたが、パンパンッという音が、耳に残ってしまい早く目覚めてしまったので、自分を落ち着かせるためにこうしてPCに向かっているのである。

 パンパンッ....。また反響してきたぁ。。゜゜(´□`。)°゜。

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2012年4月21日 (土)

「サロゲート」...身代わりロボット社会

我が家は夜に予定が入っていないときは、だいたい夕食後の九時過ぎから、映画を観る。だから長い映画だと遅くまでみることになってしまう。昨日は夕食を終えて、鑑賞開始が10時近くになったため、ツタヤDVDの中から短めのを選んだ。

Images ブルース・ウィルスの「サロゲート」は、面白い映画であった。近未来社会では、自分と分身(サロゲート)が接続されており、サロゲートが社会生活を営み、自分自身は家で装置をつけているだけだ。まぁ、そこで事件が起こるわけだけど、ブルースのサロゲートは髪がフサフサしており、私も夏のボーナスでカツラをつくろうかと思ってしまうほど若々しかった。 

 人々は安全な自宅にいて、事故等のアクシデントがある外の危険な世界ではサロゲートが仕事をしたり、恋愛したり、人間的営みを行なっている。もし、サロゲートが事故でケガしたり、死んだりしても、代替品があり、何の影響もない。サロゲートは自分の好みに合わせて年齢も容姿を選ぶことができる。高齢になって歩行困難になっても、若々しい自分として社会生活を営むことが可能なのだ。 

 私たちは肉体をもった存在として、生まれて死んでいく。そこでは様々な危険もあり、喜びもある。病気にもなり、年老いていく。そこでのリスクヘッジを完璧にするために、サロゲートは開発された。しかし、どうも装置をつけて寝ている人間たちが、心身ともに病的であり、これが安全で快適な人生と呼べるのかと思う。 

 この映画は荒唐無稽であるけど、ある種のリアリティーも含まれている。特典映像では実際の最新のロボット技術が紹介されていたし、ケーム、SNSといったバーチャル世界で肉体をもたない自分が、誰かと出会ったり、戦ったりすることも現実になっている。  

 そういう私も、常にスマホやPCと接しており、寝るときやお風呂、稽古以外は身近にないと不安な依存症?である。もし、サロゲートが流行していったら、私も乗ってしまうタイプかもしれない。 

 しかし、私たちの生きているリアル世界は、食物連鎖の世界であり、生老病死の世界でもある。はっきり言えばバーチャルな世界は動植物を殺生し、摂取し、排泄する極めて原始的な世界から派生した擬似的て脆弱な仮想世界である。 

 最近騒がれている直下型地震が実際に襲ってきたら、バーチャルな世界に浸ることは困難となり、眼の前の現実的な極限状況と向き合い、対決しなければならなくなる。 

 このバカっぽくみえる映画は、実は肉体をもった人間としての人生、喜び、愛について問題提起している凄い映画だと、いま気づいたのだった。

 ※学生時代に東京タワーでアニメキャラクターの着ぐるみのバイトをしていたことがある。人気キャラのため、子どもたちはもちろん、若いおねえさんたちや外国人たちと握手したり、写真撮影されたり楽しかったのだが、反面、修学旅行の男子学生やガラの悪い男たちから頭を叩かれたり、こずかれることもあった(握手して思いきり力を入れてくるバカ者もおり、逆に握り返してバカたちに悲鳴をあげさせてやった。負け知らず)。

 そのバイトをしながら感じたことがあった。、自分に寄って来る人や、イタズラする人たちなどそれぞれに対して喜怒哀楽の感情がわいてくるが、人々の反応は着ぐるみキャラクターに対してであって、自分自身に対してではない。もし、魂というものが本当に存在して、人間は肉体という着ぐるみを着ているようなものだとしたら、肉体が本当の自分と思い込み、悩み、一喜一憂しているのちょっと違うのかもしれないと.....。 

 さて、真実はどうなんだろうか。(-ε-)

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2012年4月18日 (水)

バトルシップ

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 今日はバカ映画の会であった。今回は国のキャリア組の方もゲスト参加して頂き、「バトルシップ」を鑑賞した。昨年の「トランスフォーマー・ダークサイドムーン」がすごい佳作に思えるほどの、徹底した米国製バカ映画てあった。 この映画を選んだ僕としては、なんでこんな映画を観なきゃならないのかという周囲からの責めを想像して、鑑賞中も反省したのであった。

 しかし、この会は映画が社会性、人間愛、芸術性といった部分が見受けられない映画であるほど、盛り上がる集まりである。トランスフォーマーのときは、ピアノ生演奏があるスカイラウンジで反省会をしたが、予想に反して数分で終わるはずの映画の話題か数時間にわたって、トランスフォーマーネタで終始した。 

 今回の映画も、うちの奥さんと二人で観にいったとしたら、鑑賞後の気まずさが圧し掛かる超バカ映画だが、今日はバカ映画メンバーのため気持ちが軽くなり、いろいろと映画について語れた。 

 バトルシップは、戦艦と宇宙船がミサイル攻撃をドンパチやるだけの映画なのだが、そこから発展させて、指揮官のあり方、孫子の兵法、日米の戦略的相違などを語りあえるのは、やはり意義深い。

 終演後、串揚げ食べ放題、飲み放題の店で、一気に飲んで食べて、語ってきた。一気に大量のお酒を飲んでしまったが、多分二日酔いにはならない楽しい会でした。

 

 遅いからも、もう寝ます(*´v゚*)ゞ

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2012年4月15日 (日)

平成中村座

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 今日は浅草隅田公園の平成中村座に歌舞伎を観にいってきた。小笠原騒動という演目で、御家を乗っ取ろうとする家臣の勧善懲悪の話たが、狐の恩返しや、亡霊出現、家族の自害、大立回りといった展開で約4時間(三回休憩有)があっという間にすぎていく。 

 こういう話を映画で観たら、ちょっと引いてしまうだろうなと思う。これは、歌舞伎でなければならないのだ。それも昔の歌舞伎小屋を意識した仮設の平成中村座だからこそ、舞台と客席の一体感が心地良い異次元空間へと誘ってくれた。 

 今日は歌舞伎を堪能できたので、これからお風呂に入ってから、ちょっと晩酌しようっと。

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2012年4月14日 (土)

講道館、ブロレス....カリスマは何処へ

  昨日も少々飲みすぎた。一次会はホテル、二次会はサラリーマン居酒屋、三次会はイタリアンレストランという無秩序なコースを辿った。最初は紹興酒に中華料理、そしてほたるイカをつまみに酎ハイ、最後にピノノワールとスパークリングワインで締めるという無節操ぶりだ。そんなこともあり、今日は読書とDVDの一日だった。 

 夢枕獏「東天の獅子」を読み終えた。講道館創設期の武道家たちの物語だが、ほんとうに面白い。現在ではスポーツ化されてしまった柔道が、実はかなり実践的で危険な古武術から進化したものだということがわかった。投げただけで終わりではなく、相手が戦えない状態にするまで、戦い続けるのだ。アルティメットファイトの原型だろう。

 大東流創始者の武田惣角も出てきて、ダイナミックな武術の戦いが展開される物語だ。現代だと武術家というものが、評論家や、著作家、セミナー講師のようなイメージも持ったりするのだが、明治という時代には生命を賭けて、満身創痍で戦うことも実際にあり、その血と汗と痛みの上に、現代武道が成り立っていることに新鮮な驚きを覚えた。冒頭で作者が、こんな面白い小説を真っ白な状態で読める読者がうらやましいというようなことを書いていたが、作者が渾身をこめた作品であることが伝わってきた。

 
そして、午前の雨の中、佐川急便の配達の人が濡れながら、「燃えろ!新日本ブロレス」というDV61bdozvtil__aa115__2Dブックを届けてくれた。読む部分は殆どないが、昭和の新日本プロレスの名勝負をDVD化した厳選したコレクションシリーズだ。今回はvol.1を試しにamazonで購入してみた。

 最初の試合は猪木舌出し失神のIWGP決戦だ。私はリアルタイムで30年前の蔵前国技館の3階席でこの試合を観戦していた。猪木信者の私は、猪木が当然初代IWGPチャンピオンになると信じており、それが自分の人生の大きなイベントのようになっていた。しかし、まさかハルク・ホーガンのアックスボンバーにより、失神リングアウトになるとは..想定外!だった.....(`0´*)。

 聞くところによると、このコレクションは人気があるらしい。若い世代の方々は、ご存知ないだろうが、かつて新日本プロレス中継は、毎週金曜日午後8時という超ゴールデンタイムで大半は生中継で放映されていたのだよ(全日本プロレスは土曜夕方)。

 現在のようにプロレスが衰退して久しいが、技は多様化し、テクニックも向上しているはずなのに、どうしてあの頃のような凄い熱気を感じられないのだろうか。 

 今日の夕方に韓国映画「力道山」を観たのだが、テレビ初中継で力道山がシャープ兄弟に勝ったシーンで観客が総立ちになりバンザイをして、アナウンサーと解説者は泣きじゃくっていた。敗戦の屈辱と、白人に対する劣等感がプロレスによってカタルシスとなり、日本人を熱狂させた。

 では、第一次プロレスブームが戦後という要素が大きいとすれば、1980年代の黄金期は何だったのか。タイガーマスクという奇跡的なスターによるものか、長州、藤波の抗争、ハンセンやハルクホーガンといった白人レスラーか、UWFによる新しいムーヴメントか.....。 様々な要素があげられるが、私はプロレスラーの持つイメージが大きいと思う。 

 かつて、プロレスラーは普通の人間ではなく、怪物や超人的な存在だと思われていた。キャラクターとしての商品価値を高めるために、多くのレスラーが野獣、悪魔、巨人、呪術、仮面等々の西洋怪奇映画に出てきそうなキャッチコピーをもっていた。 

 何台も連ねた大型バスを引いたり、飛行機の酒を全部飲み干す、新幹線の食堂車メニューを全部食べる、多数の警官を叩きのめす等々のエピソードをもち、プロレスラーは一般人からかけ離れた存在として際立っていた。猪木、馬場といった大御所については、そこまで奇人とみられることはなかったようだが、天から選ばれたカリスマとしてのオーラを漂わせていた。 

 しかし、現在の過度な情報社会では、プロレスラーのミステリアスな部分を保持するのは困難であり、まして自身のブログやツイッターで情報発信しているレスラーも多くいて、レスラーは身近な存在(或いは一般人と同じ)となっている。また、プロレス団体も無数に乱立しており、素人の延長のようでもプロレスラーと称せられるので、他の競技のアスリートよりも位置づけが曖昧となっている。 

 ブロレスという競技は、絶えず八百長論が付随しており、他の競技とは違ったショー、見世物といった観点で見られがちである。特に近年、暴露本が出たり、スキャンダルが報じられ、プロレスの神秘性は失せかけている。 

 その特殊な競技世界をエンターテイメントとして割り切って、ネット上での情報交信を頻繁に行なうファンが多くなれば、必然的にプロレスは狭小なジャンルとなっていき、一般ファンを獲得するのは難しくなることだろう。 

 未だに佐山、藤波、長州、天龍、大仁田といった往年の選手たちが、現役として活躍?しているのはこの世界の特殊性ゆえだし、私も彼らの試合を楽しみたいとも思うのだが、この状況が続けば新たなプロレスの幕開けはないだろうと思う。

 こうして、私にブロレスについて語らせれば、かなりのボリュームとなってしまうので、この辺でやめておこうと思う。私も、若い時とは違って、プロレスを殆ど観ることはなくなっているが、最近、プロレスについて思いを巡らせる時間がでてきた。 

 実は私はブロレスに御恩があるのだ。就職に際して、昔に元部長から聞いた話だと、私は採用面接で有名校出身者と張り合っていたらしい。私は三流系大学で不利であったらしいが、プロレスを語り、かつ毎日プロレストレーニングを行なっていることが気に入られて、採用されたらしい........。(そのような組織の是非については省略....)

 微力ながらも、おじさんはプロレス界全体の復興を願っています。(゚▽゚*)

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2012年4月 9日 (月)

居酒屋化した花見?

 昨日は良いお天気でお花見日和だった。 Cimg0954

 Cimg0929うちから自転車で5分の隅田公園に行くと、凄い人出だった。最近は、浅草界隈はスカイツリー効果もあって、毎日かなりの人で賑わっているのだが、今日は拍車をかけての黒山のひとだかり状態。 

 やはり、桜とスカイツリーの写真を撮る方々が多く、私も負けじと両者を絡めた写真を撮った。
 

 それにしても、通路には少しの隙もないくらいに、ブルーシートが敷きつめられ、宴会をしているのだが、見慣れた風景とはいえ、どうも違和感を覚える。

 澄んだ青空と、満開の桜の木の下に、大量のブルーシートが敷きつめられて、缶ビールや一升瓶、ペットボトルに、唐揚げやポテトチップが並んでいる光景はどうもスッキリしない。 

 このモヤモヤはなんだろうか。ブルーシートは、ホームレスの方々を連想する傾向が強いこともあろう。シート上の酒盛りは居酒屋での飲み会の延長だったり、車座になって静かにジュースとスナックを食べている若者たちに対して、どうして桜の木の下に陣取っている必然性があるのかという疑問もあろう。

 お花見というと、のどかで健全な江戸時代からの娯楽というようなイメージをもっていたのだが、どうも違うようだ。例えるなら居酒屋、日帰り温泉休憩室、コンビニ前の集団という世界が、桜の樹の下にワープしてきたような感覚にかられてしまう。どうも、満開の桜は主役ではなく単なる景色であり、アラビア居酒屋の岩場、アクアバーの水槽の熱帯魚と同じようなものなのかもしれない。

 のんびりと静かに、ゆっくりとした時間と空間を自然のもとで過ごしたいと願っても、この都会ではなかなか難しそうだ。それならば、入園料を払って飲酒禁止の都立公園に行けば、なんとかなるものだろうか。

 あぁ花見の季節は、江戸時代にタイムスリップしたいと思う。現在と比較して娯楽がなかったあの時代には、満開の桜を観ることが大きな愉しみであったのだろう。ワクワクドキドキしながら桜たちをみつめ、愛でたことであろう。物凄く楽しいイベントであったのだろう。あぁ、そんな時代にワープして、のんびりとお酒を飲みたい。

 おじさんの私は、、自然溢れる露天風呂に浸かっているのに会社の話を長々としている男どもに怒り、骨抜きされた武道の必修化に怒り、花見客の居酒屋現象化に怒っている。失望している(;д;)。人混みの中を無理やり走る自転車や、隅田川の桜沿いで騒音撒き散らしているジェットスキーたちに呆れている。Images泣いている(ノ_-。)

 自然への畏怖と感謝を失いかけている現代人にとって必要なのは、とりあえず静かになることだと思った。

 我々がこのまま自然、神といったものに対する畏怖を忘れ、我欲に生きていくならば、大魔神(佐々木ではなく、大映映画)が、いつ復活してもおかしくはない。

愚痴っぽいおじさんを笑わば笑えぇ!o(;△;)o

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2012年4月 8日 (日)

どうした!?ビッグダディよ

 昨夜、ビッグダディが放送されていた。この番組はうちの奥さんが大好きで、毎回観ているので、私もつられて観てしまう。数年前は、偉そうで個性的な父親に違和感を覚え、やらせっぽいなと皮肉たっぷりの眼差しで観ていたが、だんだんと大家族の喜怒哀楽や、自然に溢れた奄美大島の暮らしぶりに魅かれてたのも事実である。 

 しかし、再婚してからのビッグダディは、奄美での強引で冷静で茶目っ気のあるリーダー的父親の面影は消えていき、若い妻をもってしまった普通の亭主のイメージが強くなってきた。そして、昨夜放送されたスペシャルにはかなり失望した。もう番組の大半は、夫婦喧嘩で、それも切ったウィンナーを鍋に入れる入れないとか、どうでもいいようなレベルのはなしばかりだ。まぁ、夫婦喧嘩というものは天下国家や、国際問題といったものではなく、掃除洗濯食事に関するものや、チャンネル争いといった低次元での争いが殆どではあるが...。 

 夕食後ほろ酔いでいい気持ちだった私は、長時間にわたる夫婦の口喧嘩の放映を観ていて、だんだ気持ちが殺伐としてきた。なんで、こんな罵り合いを見せられ続けるのだろうか。かつてのビッグダディは、従順な子どもたちと、それほど攻撃的ではない先妻という家族構図だったからヒーロー的存在として成立したのか。一般的な大人と対峙した場合には、彼はヒーローではなく、ちょっとだけ変わった一般の人物となってしまうのだろうか。 

 昨夜の番組のサブタイトルに「離婚の危機」とはやしたて、無理やり危機感を煽って、そのために口喧嘩シーンを多くして、視聴率を上げようとしているのはミエミエだ。だいたい、狭い台所で口喧嘩してシーンでも、夫婦の前には3~4名程度のスタッフが撮影していることを考えれば、それは夫婦の喧嘩ではあり得ない。夫婦喧嘩のお芝居である。 

 かつての番組は、演出が多くても、子どもたちの姿や、島の自然といった素の部分があって、それが大きな魅力だっが、ここ最近鼻につく不自然な芝居と、派手でオーバーなBGMによって、この番組がもっていた魅力は消えかけているように思える。最近は林下一家も安定してきて、大きな事件や話題がなくなってきたのかもしれないが、視聴率をとるために安易に離婚の危機を煽るというチープな発想の演出には呆れてしまう。  

 混乱し、疲弊した日本のなかで、どんな逆境でも生き抜く逞しさと、家族の絆の大切さを訴えていたビッグダディは、ひとつの清涼剤となってくれていただけに残念に思う。

 いつのまにか、ビッグダディのスペシャルが放映されるたびに、感想を書くようになってきた。それは、私の中に家族や人間のつながりへの郷愁が強く存在するからなのだろう。だからついつい、テレビ番組なのに、ああだこうだと感じて、考えてしまうのかもしれないが。 

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2012年4月 4日 (水)

新人への教訓にスタンハンセン!

昨日は全国的に暴風雨で大変だった。傘を一本駄目にして、ずぶ濡れで帰宅したら、部屋が揺れていた。最初は地震で震度2強~3ぐらいあるのではないかと勘違いしたが、7階建てビルの6階にある我が家は、強風によって揺さぶられていたのだ。

 入浴中も、浴室が揺れ、風呂のお湯が波打ち、換気扇からは強風により阿鼻叫喚の叫びが聞こえてきて、怖かったぁ。(;´д`)  風でここまで地震のように揺れるのは初めての体験だ。これは地震が日常的なものとなり、きっかけがあればすぐに結びつくためだろうか。

 週明けは新規採用となったフレッシュな職員たちをお迎えした。会議室で、我々のセクションにきた新しい仲間と管理職連中の初顔合わせということになり、出席した。 

 自己紹介の時間ということになり、ただ、所属と名前を言うだけのセレモニーと思っていたら、司会から新人職員たちに先輩としてのアドバイスを言ってくれとの注文が入った。唐突なオーダーに少々戸惑いつつも、ありきたりでなく、自分が実感していることは何だろうと考えたら、....あった。.......スタン・ハンセン.............。51jv75v7z3l__aa115_

 週末にスタン・ハンセンの自伝「魂のラリアット」を読んだ。ハンセン著となっているが、これはプロレスファン用の子供だましな内容なのではないかと疑っていたけど、内容は一般書として通用するものでハンセンの人柄や、プロレス業界についてきちんと書かれていた。 

 印象に残った箇所かいくつかあったが、新人職員に紹介したのは、あのハンセンがデビュー戦では、あまりにも緊張してパニックとなり、呼吸困難になったことからの教訓だ。 

緊張によってこれほどまでに体の動きがコントロールされる。という結論は、その後のレスラー人生において最高の教訓になった。逆に言えば、余計な緊張さえなければ40分でも60分でも戦いが続けられる。緊張は試合経験を積めば積むほど自由自在にコントロールできる。ベテランになればなるほど10の持っている力を10、あるいはそれ以上に保持できるというわけである。

 心身のパフォーマンスを最高に発揮するためには、リラックスが必要不可欠だ。だからといって緊張するなといっても難しいが、リラックス=力の発揮ということを憶えていてほしい。自分も改めて、それを自覚したと1分程度スピーチした。 

 何人かの管理職からは、スタンハンセンといった途端に失笑がおこり、改めて自覚したといったところでも今頃気づいたの?と隣からチャチャを入れられたが.............。

 

 あまりにもハンセンの本が面白かったので、続けて藤波辰爾自伝を読んだら、長州力がプロレスとは何かという質問に、間だとコメントしていた。これも深い。

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