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2012年3月 4日 (日)

ALWAYS三丁目の夕日'64

 昨夜は五日ぶりにお酒を飲んだ。食事前に養命酒を一杯飲むと、日本酒と同じ度数だけあって、すきっ腹にくーっときた感じであった。まさに五臓六腑にしみわたるとはこういうことなのか。しかし、数分したら、少し頭が痛くなった。かなりの空腹時にぐっと一気飲みはさけるべきだったかもしれない.....。

 日曜朝、サンデーモーニングが始まると何かを書きたくなる(これもおじさん症候群のひとつなのであろうか)。テレビでは原発事故報告書について、いろいろとコメントをしている。みなさん正論であろう。だからといって、今回の事故における誰かの責任を論じられても、なにか消化不良の気持ちが生じている。まぁ、テレビ自体が、世の中が混乱して大変ですよと伝えるだけで、解決しようとは思っていないので当然だが。

何だろう、このデッドエンドに陥って、グルグルまわっている感じは。 

 ミルクティーを飲みながら頭に浮かんでくるのは、一週間前に観た「ALWAYS三丁目の夕日'64」だ。しかも3Dで観てしまった。当日は体調不良だったせいか、作品自体は前の方がよかったように感じた。特に第一作はよかったなぁ。オープニクングから涙がボロボロこぼれて、終わったときには目じりから顎まで、涙の軌跡が塩のラインとして痕跡を残していた。 

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 今回のは、エピソードをいろいろと盛りこみ、「かなり綿密なプロットを仕組みやがったな。どうせ企画会議でここで観客をワンワン泣かせてやろう、ここでは爆笑シーンを入れて、年配に受けそうな東京タワーのCGにして、ついでに新幹線とオリンピックも入れて....。いっそ3Dにして盛り上げよう!と電通と日テレたちがペットボトルのお茶を飲んでホワイトボードの前でワイワイやってやがったんだろ!」と斜に構えた思いが生じたのだが、やはり涙腺が緩んでいた馬鹿なオレです。
 

 三丁目の夕日のヒットは、昭和という時代、高度成長期へのノスタルジーだといわれている。現在、日本の景気低迷は長引き、格差社会だ、年金制度破綻だなどいろいろ問題が多い。しかし、マテリアル的には各家庭にはカレーテレビ、冷蔵庫があり、エアコンやレンヂも普及し、食品、衣類、生活用具の選択範囲も拡大して昭和30年代と比較すると大きく生活環境は向上した。  

 それなのに、なぜ成長する前段階を懐かしみ、よかったよかったと映画が大ヒットするのか。多くの人はこたえるだろう。あの時代は物質的な豊かさはなくても、人と人との心のつながりがあった。幸せだったと。 

 では、あの時代に戻りたいのかと問うと、二つ返事でYESと答える人は少ないはずだ。では現代日本の行き詰まり(息詰まり)に耐え切れず、過去回帰への願望が生じてしまったのか。未来に希望がもてないから、未来に希望がもてた時代への羨望をもったのか。 

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 この映画は、未来というキーワードが大切な要素となっている。映画全体に未来への希望が満ちている。鈴木オートは会社を大企業にして、子どもに家業を継がせようとしている。茶川は貧乏生活をおくりながらも、作品が評価されることを願い、文学の魅力と可能性を信じている。六ちゃんは愛する人との幸せな結婚生活を夢見ている。それぞれの家族が、そしてあの時代の日本人たちが未来は豊かに幸せになれると信じ、懸命に生きていた。
 

 映画は「未来は変えられる」「頑張れば未来は開ける」というのがモチーフだが、現在の日本をみれば「この先、未来はわからない」(震災、原発問題、放射性物質の脅威、景気低迷、国際競争力etc.....)、「頑張ってもどうしようもない」(直下型地震の可能性、年金破綻、格差社会、政局混乱etc......)といった、まさにデッドエンド状態だ。 

 しかし、もう現状否定して過去回帰ばかりしていても仕方がない。お年寄りが昔を懐かしむように、過去を愛でても、現在という時間は変わらない。ただし、過去から学ぶべきところは多い。

 昭和30年代の高度成長期は、戦争特需などの外的要因もあるが、その頃の大人たちはみんな戦争、敗戦体験者だったという事実が大きいのではないか。一度、どん底を味わった人間はあとは這い上がるだけである。過酷な戦争体験と比すれば、仕事に精を出し、より高い収入や、物質的快楽を希求するのは自然な行為であっただろう。 

 そして、個人の生活向上は、国力と比例することを理解しており、東京オリンピックの開催や、新幹線の登場はまさに国民としての高揚感いっぱいで、日本の未来に胸を弾ませていたことは想像するに容易い。 

 さて、現代日本に生きる私たちは、戦争を知らないで自由を謳歌する世代が政局を握り、官僚となり、企業の中心となっている。国民も殆どは戦争を知らずに、特に若い世代は戦後の自由主義に浸った親や教師たちから影響を受けている。つまり、どん底も知らずに、それなりに危機感をもたずに生育してこれた国民によってこの国は構成されてきている。ノスタルジーとしての昭和30年代にうっとりすることはできても、当時と比すると社会的、人間的なバックボーンや、国との一体感、未来へ期待感など桁外れに違っていて、当時の生き様や世のありようを復活するなど到底不可能であり、模倣するにも限度がある。 

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 では、あの映画はたんなるエンターティンメントと割り切ればいいのだろうか。当然、そうであっていい。しかし、私自身がこだわってしまうのは、未来を信じ、開拓していこうという気配が感じられなくなっているこの時代に、かつての時代にあった情熱を少しでも吹き込むことはできないものかという焦燥感である。
 

 昭和30年代に大宅壮一が予言したように、テレビというメディアによって国民の思考力、想像力は低下してしまったのか。国民は自力で未来を開くことにエネルギーを注ぐよりも、消費マインドによってサービス受給者、購買者という受動的立場を軸におくようになっていった。サービスを受けるために、泣き叫ぶ脅すといったクレーマーたちが台頭し、自らの責任を省みず学校や、病院、行政に対して不条理な態度で圧力をかけていった。未来に対するヴィジョンがもてないまま、若者は漠然とした自分探しという体のいい言葉に躍らされたり、就職希望の職業、地域等を狭く限定してしまい、きちんとした仕事につけなかったりもする。 

 選択肢が多くなればなるほど、人間は混乱し、選択できなくなる。選択の科学のシーナ・アイエンガー教授は、自己決定権が寿命や幸福感を決めるといっているが、ネットの進歩とともに情報の洪水は津波となって、生活に飛び込んでくるようになった。放射汚染についても膨大で多種多様な見解があり、その騒然とした状況の中では、何が正しいのか、何を選ぶべきなのかがわからなくなってしまう。 

 映画の昭和30年代は、まだ一生懸命に働けば、それなりの成果がでると信じられた。仕事と人生が一体化できた時代であった。かつて生活を保障してくれた会社は成果主義が導入され、終身雇用は破壊された。農業は国際競争の波に翻弄されようとしている。漁業も放射能汚染水の影響を受けている。一生懸命に生きるよりも、トレーダーや、ネットビジネスといった虚業の如き業界が儲かって、もてはやされる時代である。個人の利益が優先され、国とか、地域とかは、もう関係のない時代になってきている。

 

 そこで、この映画だ。 

 このブログもかなり長くなってしまった。どんどんどんどん色んなことが浮かんでくる。私たちは決して30年代に戻ることはできない。産業構造や国際関係、居住環境、生活様式、行政形態等々を変えることはなかなか難しい。 

 だが、意識を変えることは可能でる。もちろん、それも簡単にはいかないことは重々承知しているが、意識は変えることができる領域なのだ。 

 橋本市長のような、オレが引張ってやる型のリーダー(これも昭和っぽいが)を、みんなが注目し、期待しているのはわかった。主張している道州制もシステム化しただけでは、産業活性化にはつながらないだろう。いかに各州が危機感をもって、命がけで対策に取り組んでいくかが問われるのだ。

 橋本さんよ、もっともっと危機感がなくなり、消費マインドの化身となった日本を挑発してほしい。高度成長からバブル崩壊、消費マインド、無縁社会といった一連の推移の中で培った意識では、現状打破できないことを訴えてほしい。あなたの主張の是非はともかく、半覚醒状態になっている日本に火をつけられるのはあなたかもしれない。 

 国や地域と一体化して、未来に夢を託して、行動していくこと。それがあの映画のモチーフにもつながっていくことではないのだろうか。個人の主張と、利益優先だけではなく、他の存在と一体化して、未来を想像し、現在を過ごす。

 なんか今日は当たり前すぎることで、終わってしまった感があるが、そんな結論になっている。

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