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2012年3月

2012年3月31日 (土)

武道必修化による武道破壊

今週は、飲み会が続いている。

 昨日の朝は、二日酔い気味で、花粉症マスクをしていたら、いつもと違うマスク臭がした。自分の口からアルコール分が排出されていることに気づく。午後は、職場のスタッフがケーキのサバランを買ってきたくれたが、かなりラム酒がきつくて、酔いが廻ってしまった。そのまま、年度末の飲み会に参加した。お酒を飲みすぎると睡眠に悪影響を与えるらしくて、今朝もこうして早く眼がさめたので、PCに向かっている。 

 昇段審査

 ちょうど、一週間前に泊りがけで昇段審査を受験した。肉離れが完治していないため、審査当日の朝一番で整骨院に行き、ガチガチにテーピングしてもらった。肉離れによって、受験できない可能性が大きかったが、何とか整形外科医から、無理しないという条件でお許しを頂いた。 

 この一ヶ月余りは、仕事と肉離れで、合気道の稽古は一時間しかできていないし、肉離れの痛みは残っていて再発の危険性もあり、審査で一緒に組む相手とは事前稽古もできないまま、ほぼぶっつけ本番になるという過酷な?条件を背負いながら、上野から東北本線に乗車した。 

 初日は、午後から夜までぶっ通しの講習があった。しばらくは肉離れを殆ど意識せずに、受講していられたが、多人数がけという乱捕りのときに、右ふくらはぎに痛みが走った。また、杖技でステップするときも痛みを感じた。これにより二日目の本番への現実的な不安が芽生えた。 

 講習を終え、入浴後、相方のTさんと缶ビールを飲む。私たち以外の受験者たちは真面目な方ばかりで、お酒は飲まれないようだった。ビールは一本だけにして、就寝。しかし、同室になった方のいびきが凄まじく、熟睡できなかった(;ω;) 

 二日目の朝は、雪がちらついていた。広い道場は当然、暖房はなく寒い。 

 何とか、肉離れを悪化させることなく、無事に審査を終えることができた。初段合格となる。

 当初一緒に組んで受験するはずだった負傷したkさん、ぶっつけ本番につきあって下さったtさん、道場の師範をはじめ、励ましてくださった仲間たちに感謝。

 武道必修化  

 ニュースをみていたら、昨日の産経に「大外刈り」禁止 中学柔道指針 試合は座った状態で 静岡 という記事がでていた。県教育委員会は、事故防止のため、全国的にも厳格な内容の安全指針をつくったらしい。

 何のため武道を必修化するのだろう。多分、教育委員会は武道による教育効果よりも、事故、責任追及への防止対策を重視しているのではないか。

 記事では、県教委では「中学校では柔道の試合を全く行わないこともあり得る。礼に始まり礼に終わる柔道の精神は十分に学ぶことができる」と強調した。とあるが、その根拠は何か? 

 武道が礼節を重んじるのは、自分と相手の生死を賭けた戦いの中で、生き抜くための英知であり、必然だからだ。戦国時代のように殺傷を目的とした武術を昇華させ、己を律し、相手を受容しすることによって、心身の最高パフォーマンスを発揮させる術としたのが武道なのではないか。  

 生徒に礼節を学ばすといいながら、大人たちが武道教育によるリスクを怖れるあまり死や戦さの要素を排除し、骨抜きにした武道もどきにどれほどの効力があるのだろうか。そこまで、いびつなカタチにいじるならば、茶道をやった方がいいのではないか。 

 そして、疑問なのは多くの教員が武道経験がないということだ。礼節教育=武道という短絡的な発想を武道経験のない人間たちが審議し、国策として推し進められ、武道経験のない教員が俄仕込みで武道研修を受ける。そして、投げ禁止、座ったままの試合、ヘッドギア着用等の厳重な安全対策がなされた柔道を年間12時間程度、授業として行なう。それにより、生徒は礼儀正しくなるというのは、無理があるんじゃない ? 書いていて苦しくなってきた。  

 そもそも、それを武道というのだろうか。祭礼の神輿を担ぐときにもケガ人は出るが、ケガ防止のためとして神輿をプラスティック仕様で軽量化したとしたら、それを神輿と思う人はどれほど存在するだろうか。日本全国でプラスティック神輿が普及したら、日本の祭りは存在し続けられるだろうか。

 

 戦後、GHQによってその危険性(技だけではなく、思想としても)からスポーツ化され、変容されてきた武道を、日本は今回はとことん自らの手で潰そうとしているのだろうか。今回の騒動については、米国は絡んでいないように思えるのだが.....。 

 

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2012年3月18日 (日)

東京大空襲と下町

 NHKスペシャル「東京大空襲」を観た。昭和20年3月10日には、1日で10万人の命が失われた。場所は現在、僕が住んでいる隅田川沿いの下町地帯だ。 

 偶然にも今日の朝は、半藤 一利『15歳の東京大空襲』(筑摩書房[ちくまプリマー新書]を読んだばかりなので、番組の内容とダブってイメージしやすかった。  

 普段の生活で当たり前のように利用している言問橋も吾妻橋も、浅草松屋も焼夷弾によって焼かれた人たちの屍で溢れていたなんて...。 

 国民が人間としてではなく、戦闘素材のような扱いを受け、ツタヤDVDのパニック映画に出てくるような死に方をしていた時代から、まだ60数年しか経っていない。 

 そして、まだ世界には、飢えている人、暴力の支配下にある人たちが溢れかえっている。しかし、幸運なことに僕たちは日本に住み、餓死の怖れも、暴力的な弾圧や搾取もなく、文明生活を享受できている。でも、その幸運に対する安堵や感謝よりも、不安と不平不満に満ちた生活を送ってしまっている。 

 東京大空襲や、終戦記念日、原爆投下日に、戦争は繰り返しませんということをマスメディアは強調するが、どうやって戦争を阻止するのか。言論の自由か平和を保障するというのだろうか。現在の言論の自由が確保されている(されていぬ説もあるが)状態ならば、平和が維持され続けるのだろうか。 

 マスメディアは、営利企業である。『15歳の東京大空襲』を読むと、改めてマスコミや、政府が戦時下で情報操作して国民を欺き、混乱させたかがよくわかる。 

 戦争絶対阻止。そう本気で思っている。だからこそ、僕は僕の暮らしの中で、できることからやろう。誰かを攻撃したり、自己主張ばかりせずに、他者の声を聴こう、できる手助けをしていこうと思うのだ。たいそうなことを言う前に、まずはそこからだと思う。

      ........  .......  .......  ..........  ......   ...... ....... ..... .... ..... ..........

 僕の奥さんが先週金曜から、イギリスの知人のお見舞いに、ロンドンまで行っている。そのまま週末、振休、春分の日と続くので、夕食はどうしようと考えていたら、予定が埋まって、土曜は母宅、今日の日曜は高校時代の友人と(何と母も乱入)、明日は久人振りに会う兄貴と母宅、火曜は娘と会うことになった。特に母との3連チャンは予想外であった。

 今日は、高校時代のM君と会って飲んだが、彼と僕の母は共通の(異常なほどの)テンションの高さを持っており、僕は殆ど口を挟めないまま、聞き役に徹していた。疲れた。 

 特に、M君は、荒くれ男の仕事をしているので、服装も黒の皮ズボンに皮チョッキで堅気ではない雰囲気をもっている。話していると彼なりの哲学や発想があって、たいしたものなのだが、声も大きいし、エキサイトした口調もうるさいし、ぞんざいな言葉、下ネタ....疲れた。 

 帰宅して、なんか疲れたなあと自問自答している。そうしたら、M君に疲れたというよりも、自分の中でかつて彼と同調していた高校時代の自分が葛藤していることに気づく。

 僕たちは高校時代から、一般的?高校生(普通に勉強している奴、不良ぶっている奴、スポーツ馬鹿等々)を斜に構えて馬鹿にしていたような気がする。自分たちは、どこにでもいるような奴らとは違って、かなり個性的な人間だと思っていたような気もする。 

 特に僕は中学時代から、サブカルチャー(音楽、映画、小説、評論等)に汚染され、一般人、普通の生活、日本社会といったものに対する嫌悪と、優越意識を持ってしまった。 

 僕はその偏った思いと、生まれ育った下町特有の露悪的雰囲気との相乗効果で、今まで色々な人たちに不快な思いをさせてきたのだと反省する。すまない。 

 僕は、現在の割とお堅い職業や、武道稽古などのなかで、「何真面目ぶってんだよ」とか「世の中なんて汚れてることを忘れるな、偽善者め!」と無意識的に自分を責め、揺さぶっている過去意識があることを実感している。それが自分の変化を阻み、苦しみの原因ともなる。今日は、高校時代の友人と会ったので、高校時代のノリも大切にしなければとは思ったが、どうも嘘くさく、演じるむなしさがあり、やめてしまった。もう、僕はあの頃とは違う存在になっている。それをつくづく実感した。偽りの自分を演じていれば疲れるだけだ。

 映画ALWAYSではかなり美化されているが、下町には魅力的なところがいっぱいある。でも、自分なりの下町人間像を演じたり、顕示することはハシタナイことだと思う。露悪的と正直であること、誠実であることは全く違う世界だ。 

 僕はおじさんになっても、意識は16歳のままだと豪語?していたが、どうやら訂正すべき時期にきているようだ。16歳の僕は、誰かとつながり、その環を広げていくことはできなかったはずだ。現在の僕は16歳ではなく、社会の一構成員である大人だ。若者がファッションや、言動で自分をアピールするが如く、自己固執するような者は大人ではない。子どもである。  

 子どものような柔軟さや、ビックリするチカラをもった上で、知識や経験が豊富で、優しくタフな大人。人情に厚い下町気質を持ち、世間に向き合う大人。そういう大人にわたしはなりたい........ 

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2012年3月14日 (水)

やはり、肉離れ!

ウワァ、やはり、肉離れであった。

 月曜モーニングに洗濯物を干してから(花粉対策もして)、みんなの出勤時間直前に電話して「肉離れなったみたいで整形外科寄ってくるから、お弁当も頼んでおいて。今朝のスケジュールどうなってたっけ」とkさんに伝えると、驚いた様子もなく「はい、わかりました」と淡々と対応してくれた。変に騒がれるより、その方がありがたい。 

 開院直前の整形外科に行くと、すでに何人かの高齢者の方々がリハビリしたり、診察したりしていた。 

 看護師さんに名前を呼ばれ、事情をドクターに話すと、即レントゲン撮影となった。数分後、先生からレントゲン写真をみせられる。最初、腓骨と筋肉の着き方?のようなことを色々といわれたのだが、どうもドクターが何をいいたいのかよくわからない。かなり運動とかをやっているでしょ?といわれ、合気道3年半というと首をかしげたように感じたため、ジムでウェイトトレーニング20年と言ったら、納得してくれた。どうやら、骨と筋肉の構造が普通ではなく、運動選手特有のものらしかった。ちょっと嬉しい。 

 しかし、ドクターはレントゲン写真を前にしながらも、私のふくらはぎについて何も言わないので、こちらから肉離れですかと尋ねると、そうであった。 

 来週末に審査があることを告げると、痛みは数日でとれるだろうけど、組織が完全にくっつくまで3週間といわれているとのこと。結局今週末に、再度状態をみせて相談となる。 

 歩行は片足を引きずっていたのだが、それはNGという。多少痛くても普通の歩き方をしなさいと指導される。ネットで調べると、無理して歩くのはよくない、再発、傷が拡がる等々の情報に溢れているので、少々戸惑いつつも、中村天風先生のおっしゃるように、船に乗ったら船頭任せ、医者にかかったら医者任せと開き直った。

 とはいいつつも、普通歩行はけっこう辛いものがあり、短い歩幅で摺り足をしながら歩く羽目になった。しかし、意外なことに自転車を漕ぐのは全然問題なし。登り坂でもスイスイ漕げてノーペインで前に進めた。

 職場に約1時間遅れで到着する。廊下での摺り足に気づき、普段はあまり話さない人も驚いて、どうしたんですかと尋ねてくる。それを何人にもなので、トイレに行くのもおっくうになる。  

 お風呂とかお酒は控えるべしなのだが、寒かったので、シャワーではなく湯船に浸かりたかったので、片足だけ浴槽から出して、お風呂に浸かった。ちょっと違和感はあるが、まぁ仕方がない。当然、お酒も少々?たしなむことになる。

 

 火曜日は、かなり痛みもひいてきた。しかし、まだ歩行は普通通りとは行かない。夜は、外食しようと10分ほどの距離を歩いて、蕎麦屋にもいけた。スクワット(脚の屈伸)も、ほぼ普通通りできたのでびっくりした。ただ、バックステップをした途端に、激痛が走った。まだ、無理は禁物。当然のことなんだけど....。

 本日、水曜日はかなりいい感じになってきている。まだ痛みも残っており、歩行時のバランスは痛めた右足4、かばう左足6という感じだが、見た目には普通の歩き方であるとの証言が多数であった。1時間前に帰宅し、片足出して入浴してから、こうして記録を書いている。  

 まだ痛みはあるし、慎重に行動しなければなるまいなぁ。さぁ、とりあえず、買ってきたお刺身でビールといきます。新鮮なたんぱく質を補給し、筋肉繊維を強固につなげます!

 

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2012年3月11日 (日)

審査前にまっ、まさかの肉離れ!!

ここ最近は、仕事が多忙であったり、インフルエンザにかかったりと、なかなか合気道の稽古ができなかった。

 先週は会議室に一日中ずっと座りっぱなしが殆どで、身体も鉛のような疲れを生じていた。

 昨日の土曜は、合気道の特別な稽古があり、数日前に参加申し込みをしたが、気持ちのうえでは。最高潮を迎えた仕事がやっと一段落つきそうでホッとしたいという欲求や、身体がどことなくだるいという気分が重なり、どうも稽古に行くには重たい気持ちになっていた。

 もちろん稽古は、強制ではないのだが、しばらくきちんと稽古していないし、二週間後は昇段審査があるしと、自分を無理やり駆立てていた。

 事件はそんな状況でおこった。稽古がはじまって数分後、私が相手に向かって横面打ちを少し力強く打っていったら、 右足のふくらはぎが、たまに朝に起こるこむら返りのような状態になった。ただちに稽古をストップして、様子をみたが、どうもよくならない。

 師範に足がつりましたと報告してしばらくストレッチしたりしたが、痛みは続いていた。

 最初は気持ち的には少々義務感で参加した稽古であったが、稽古がはじまると、時間を有効に使って、技を練磨したいという気持ちが高まっていた。何度か立ち上がってトライするが痛い。結局、一時間以上過ぎて、剣技のときから稽古に参加したが、剣を振り落とすのはいいが、足の移動時には痛みが生じた。一時間半の稽古で実質10分程度しか参加できずにいた。

 帰り際、路上を歩くと、普通の筋肉痛ではない痛みを自覚した。足をひきずるようにして、駅に向かう。当初の予定では、途中二つ目の駅で降りて、銭湯で稽古の汗を流して、岩盤浴に行っていた奥さんと合流して、外食することになっていた。

 電車にのりながら、インターネットで痛むときにお風呂に入っていいか調べたけど、よくわからないので、そのまま杖剣袋をほんとうに杖がわりにして銭湯を探す。初めてだったため、銭湯がみつからないのと、痛みがひどくなってきたため、駅に引き返し、お店に入った。後からきた奥さんと合流して、いろいろと飲み食いする。

 現在、私が調べたところ、この症状は肉離れではないかと察する。

そうだとしたら、昨夜、私は発症後の厳禁事項である入浴と飲酒というタブーに触れたことになる。まぁ入浴は免れたけど。

 そして、現在気になるのは明日からの出勤であり、もうひとつは二週間後の昇段審査である。通常、肉離れは三週間安静といわれているらしく、せっかくの審査に行けなくなってしまう。

 もちろん、審査に行けないのは、ずっと準備してきただけにもったいないなぁと思う。.....しかし、もし延期になったとしてもチクショウ! 口惜しい!という葛藤は意外にも少ない。数日前には、一緒に合気道に入門し、一緒に昇級し、三週間程前の判定会で僕と組み怪我をしてしまったKさんにメールで、なぜかKさんと一緒に夏に受験してもいいという気持ちになりましたと報告したばかりであった。

 まさか、その想いが現象化したわけではないと思うが、昨日の朝に少し読んだリズ・ブルボーの「からだの声をききなさい」には、あなたに起こる全責任はあなたにあると書いてあった。稽古してふくらはぎに痛みが生じた瞬間に、私はその言葉が響いてきた。

 稽古に行く前は、土曜はゆっくり休みたい、ここんとこ多忙だったんだから、無理する必要はないんだ。身体も疲れ気味だし、一時間以上もかけて道場にいくなんて変わり者だ,,,,,。否!、そんなワガママを言わずに稽古すべきであるといった、休んでゆっくりしたい気持ちと、それを批判する意識がカオス状態となって渦巻いていた。私の身体が私のルーズな気持ちに応えて、身体モードを脱力モードにしたのだが、私の意識が無理強いして身体を動かした結果、怪我が生じてしまった。

 この全責任は私にある。休むなら休む。稽古するなら稽古すると、はっきりとした気持ちで選択すべきであった。中途半端な姿勢が招いた結果であり、今回の教訓をこれからに活かし、昇華させることにしよう。 

 一年前の今日に震災が起こった。震災当日は、不眠不休でいろいろとお仕事をしたが、現在の自分の姿をみると、いざというときに役に立たない運動不足のおじさんでしかないようだ。身体のメンテナンスと、前向きな気持ちを忘れまい。忘れまい。

 それにしても、あーだるいなぁと午後に吾妻橋を渡りながら、数時間後は片足を引きずりながら、再度渡ることになろうとは....。人生はわからない。わからないから、真面目がいちばんだ

 ありがたいことに、退屈だったり、まどろんだりすることがない日々をおくっていることに感謝。

ただ、つらいのは、入浴とお酒がダメなことなんだよなぁ(ノ_-。)。

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2012年3月 4日 (日)

ALWAYS三丁目の夕日'64

 昨夜は五日ぶりにお酒を飲んだ。食事前に養命酒を一杯飲むと、日本酒と同じ度数だけあって、すきっ腹にくーっときた感じであった。まさに五臓六腑にしみわたるとはこういうことなのか。しかし、数分したら、少し頭が痛くなった。かなりの空腹時にぐっと一気飲みはさけるべきだったかもしれない.....。

 日曜朝、サンデーモーニングが始まると何かを書きたくなる(これもおじさん症候群のひとつなのであろうか)。テレビでは原発事故報告書について、いろいろとコメントをしている。みなさん正論であろう。だからといって、今回の事故における誰かの責任を論じられても、なにか消化不良の気持ちが生じている。まぁ、テレビ自体が、世の中が混乱して大変ですよと伝えるだけで、解決しようとは思っていないので当然だが。

何だろう、このデッドエンドに陥って、グルグルまわっている感じは。 

 ミルクティーを飲みながら頭に浮かんでくるのは、一週間前に観た「ALWAYS三丁目の夕日'64」だ。しかも3Dで観てしまった。当日は体調不良だったせいか、作品自体は前の方がよかったように感じた。特に第一作はよかったなぁ。オープニクングから涙がボロボロこぼれて、終わったときには目じりから顎まで、涙の軌跡が塩のラインとして痕跡を残していた。 

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 今回のは、エピソードをいろいろと盛りこみ、「かなり綿密なプロットを仕組みやがったな。どうせ企画会議でここで観客をワンワン泣かせてやろう、ここでは爆笑シーンを入れて、年配に受けそうな東京タワーのCGにして、ついでに新幹線とオリンピックも入れて....。いっそ3Dにして盛り上げよう!と電通と日テレたちがペットボトルのお茶を飲んでホワイトボードの前でワイワイやってやがったんだろ!」と斜に構えた思いが生じたのだが、やはり涙腺が緩んでいた馬鹿なオレです。
 

 三丁目の夕日のヒットは、昭和という時代、高度成長期へのノスタルジーだといわれている。現在、日本の景気低迷は長引き、格差社会だ、年金制度破綻だなどいろいろ問題が多い。しかし、マテリアル的には各家庭にはカレーテレビ、冷蔵庫があり、エアコンやレンヂも普及し、食品、衣類、生活用具の選択範囲も拡大して昭和30年代と比較すると大きく生活環境は向上した。  

 それなのに、なぜ成長する前段階を懐かしみ、よかったよかったと映画が大ヒットするのか。多くの人はこたえるだろう。あの時代は物質的な豊かさはなくても、人と人との心のつながりがあった。幸せだったと。 

 では、あの時代に戻りたいのかと問うと、二つ返事でYESと答える人は少ないはずだ。では現代日本の行き詰まり(息詰まり)に耐え切れず、過去回帰への願望が生じてしまったのか。未来に希望がもてないから、未来に希望がもてた時代への羨望をもったのか。 

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 この映画は、未来というキーワードが大切な要素となっている。映画全体に未来への希望が満ちている。鈴木オートは会社を大企業にして、子どもに家業を継がせようとしている。茶川は貧乏生活をおくりながらも、作品が評価されることを願い、文学の魅力と可能性を信じている。六ちゃんは愛する人との幸せな結婚生活を夢見ている。それぞれの家族が、そしてあの時代の日本人たちが未来は豊かに幸せになれると信じ、懸命に生きていた。
 

 映画は「未来は変えられる」「頑張れば未来は開ける」というのがモチーフだが、現在の日本をみれば「この先、未来はわからない」(震災、原発問題、放射性物質の脅威、景気低迷、国際競争力etc.....)、「頑張ってもどうしようもない」(直下型地震の可能性、年金破綻、格差社会、政局混乱etc......)といった、まさにデッドエンド状態だ。 

 しかし、もう現状否定して過去回帰ばかりしていても仕方がない。お年寄りが昔を懐かしむように、過去を愛でても、現在という時間は変わらない。ただし、過去から学ぶべきところは多い。

 昭和30年代の高度成長期は、戦争特需などの外的要因もあるが、その頃の大人たちはみんな戦争、敗戦体験者だったという事実が大きいのではないか。一度、どん底を味わった人間はあとは這い上がるだけである。過酷な戦争体験と比すれば、仕事に精を出し、より高い収入や、物質的快楽を希求するのは自然な行為であっただろう。 

 そして、個人の生活向上は、国力と比例することを理解しており、東京オリンピックの開催や、新幹線の登場はまさに国民としての高揚感いっぱいで、日本の未来に胸を弾ませていたことは想像するに容易い。 

 さて、現代日本に生きる私たちは、戦争を知らないで自由を謳歌する世代が政局を握り、官僚となり、企業の中心となっている。国民も殆どは戦争を知らずに、特に若い世代は戦後の自由主義に浸った親や教師たちから影響を受けている。つまり、どん底も知らずに、それなりに危機感をもたずに生育してこれた国民によってこの国は構成されてきている。ノスタルジーとしての昭和30年代にうっとりすることはできても、当時と比すると社会的、人間的なバックボーンや、国との一体感、未来へ期待感など桁外れに違っていて、当時の生き様や世のありようを復活するなど到底不可能であり、模倣するにも限度がある。 

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 では、あの映画はたんなるエンターティンメントと割り切ればいいのだろうか。当然、そうであっていい。しかし、私自身がこだわってしまうのは、未来を信じ、開拓していこうという気配が感じられなくなっているこの時代に、かつての時代にあった情熱を少しでも吹き込むことはできないものかという焦燥感である。
 

 昭和30年代に大宅壮一が予言したように、テレビというメディアによって国民の思考力、想像力は低下してしまったのか。国民は自力で未来を開くことにエネルギーを注ぐよりも、消費マインドによってサービス受給者、購買者という受動的立場を軸におくようになっていった。サービスを受けるために、泣き叫ぶ脅すといったクレーマーたちが台頭し、自らの責任を省みず学校や、病院、行政に対して不条理な態度で圧力をかけていった。未来に対するヴィジョンがもてないまま、若者は漠然とした自分探しという体のいい言葉に躍らされたり、就職希望の職業、地域等を狭く限定してしまい、きちんとした仕事につけなかったりもする。 

 選択肢が多くなればなるほど、人間は混乱し、選択できなくなる。選択の科学のシーナ・アイエンガー教授は、自己決定権が寿命や幸福感を決めるといっているが、ネットの進歩とともに情報の洪水は津波となって、生活に飛び込んでくるようになった。放射汚染についても膨大で多種多様な見解があり、その騒然とした状況の中では、何が正しいのか、何を選ぶべきなのかがわからなくなってしまう。 

 映画の昭和30年代は、まだ一生懸命に働けば、それなりの成果がでると信じられた。仕事と人生が一体化できた時代であった。かつて生活を保障してくれた会社は成果主義が導入され、終身雇用は破壊された。農業は国際競争の波に翻弄されようとしている。漁業も放射能汚染水の影響を受けている。一生懸命に生きるよりも、トレーダーや、ネットビジネスといった虚業の如き業界が儲かって、もてはやされる時代である。個人の利益が優先され、国とか、地域とかは、もう関係のない時代になってきている。

 

 そこで、この映画だ。 

 このブログもかなり長くなってしまった。どんどんどんどん色んなことが浮かんでくる。私たちは決して30年代に戻ることはできない。産業構造や国際関係、居住環境、生活様式、行政形態等々を変えることはなかなか難しい。 

 だが、意識を変えることは可能でる。もちろん、それも簡単にはいかないことは重々承知しているが、意識は変えることができる領域なのだ。 

 橋本市長のような、オレが引張ってやる型のリーダー(これも昭和っぽいが)を、みんなが注目し、期待しているのはわかった。主張している道州制もシステム化しただけでは、産業活性化にはつながらないだろう。いかに各州が危機感をもって、命がけで対策に取り組んでいくかが問われるのだ。

 橋本さんよ、もっともっと危機感がなくなり、消費マインドの化身となった日本を挑発してほしい。高度成長からバブル崩壊、消費マインド、無縁社会といった一連の推移の中で培った意識では、現状打破できないことを訴えてほしい。あなたの主張の是非はともかく、半覚醒状態になっている日本に火をつけられるのはあなたかもしれない。 

 国や地域と一体化して、未来に夢を託して、行動していくこと。それがあの映画のモチーフにもつながっていくことではないのだろうか。個人の主張と、利益優先だけではなく、他の存在と一体化して、未来を想像し、現在を過ごす。

 なんか今日は当たり前すぎることで、終わってしまった感があるが、そんな結論になっている。

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2012年3月 2日 (金)

インフルエンザに感謝 !

 五日前の日曜に熱が出て、月曜に病院にいったら、まさかのインフルエンザだったのだ!  

Images前日の土曜は半日仕事をして、身体がなんとなく筋肉痛だけど、日頃の鍛錬のせいだと思い、そのままジムにいって、少し運動してから冷水シャワーを浴びた。日曜はヨドバシカメラで空気清浄機を買って、重量5キロだったがそのまま梱包してもらい手に持って移動して、シネコンで「オールウェイズ三丁目の夕日3D」を観て、移動して、亀戸の升本でコース料理をたらふく食べた。日曜も身体がなんか痛むなと思っていたが、生ビール1杯とサワー3杯のんだら、どうも調子がおかしい。顔が赤くなりボーっとしてきた(普通は酔えばそうなるけど、普通じゃない状態で!)。

 帰宅して熱を測ってみたら37度8分であった。これはいけないと思い、すぐに布団に入った。しばらく寒気がしたが、明け方には汗をかいていた。熱は平熱にもどったが、一応念のために職場にお休みをいただいて、病院にいった。検温すると6度3分であったため、「これじゃインフルエンザじゃないですねぇ」と勝手に診断を下した僕に対して、ドクターはまだわからないから、インフルエンザか調べてみましょうと、鼻の中に綿棒のような検査キットを挿入された。少し苦しかった。 

 結果がでるまで15分というので、一旦病院の外に出て、マルエツで買い物をしてから、病院に戻って、名前が呼ばれた。「インフルエンザA型がでました」......。「熱がたいして出てないのにですか?」....「症状は人それぞれです」....。 

 今週後半は重要な会議があって、ぜったい休めない日程なのだった。どのくらい安静にしている必要があるかと問うと、学校の基準を参考までにと渡してくれた。インフルエンザは解熱した後2日を経過するまで登校してはならないとのことである。大人の場合は明確な基準はないが、学校保健安全法を目安にすることが多いらしい。 

 解熱して48時間ということならば、翌日も職場は休まねばならないと心は沈むが、重要な委員会には間に合うと思うと、良いタイミングであったとホッとした。火曜日は自宅で委員会準備したかったので、誰もいない朝早くに職場にいって、資料をかきあつめた。8時に人がきたので、すぐに帰宅した。  

 それにしても、7度台の熱がパッと出た日曜は、朝から木刀片手素振り200回、冷水浴、買った空気乾燥機を持っての移動、映画鑑賞、暴飲暴食という盛り沢山の一日であった。また、前日の土曜も休日出勤、トレーニング、冷水シャワー、夕食は奥さんが仕事のためホットモットで買ったステーキ弁当つまみに飲んで、午後11時頃からシーフードヌードル食べから、茶碗蒸し(残したヌードル汁で卵をとき、レンヂで暖める。テレビでやっていて一位となった驚きグルメ!)を食べるという暴挙に出ていた。

 こんな生活をしていて、よくぞ7度8分一発で終わってくれたものだ診断結果が出たときは冷水シャワーを2ヶ月やってきたのに、なんでインフルエンザなんかにっ! と思ったが、インフルエンザの予防接種をしても完全防止はできないらしいが、感染しても軽症で済むといわれている。これは冷水シャワーの予防接種効果だと納得した。 

 今回のように夜7度8分の熱が出て、薬も飲まずに翌朝平熱になったら、普段だったら当然の如く出勤していたのだが、2週間前に職場のO係長がまさかのインフルエンザ休暇になったこともあり、もしインフルだったら他の人に感染させてしまうリスクがあつたため、念のため受診したのだった。  

 3年前の初夏にも、同様のだるさと全身痛があったが、就業後に回転寿司で飲み食いして、映画を見に行って、帰宅してどうしても辛いので測ったら8度3分の熱があって、数日間寝込んだ経験があった。ひょっとしてインフルだったかもしれない。そのときは3日間休んで平熱に戻した。  

 仕事に行くとインフル関係者が多くいたが、みんな8度以上か、薬をすぐ飲んで平熱に戻した人ばかりであり、自然治癒でインフルの熱を一晩で下げたと言ったら、尊敬のまなざしでみられて嬉しかった。;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

 今日は大事な委員会の前半が無事に終わった日でもあるので、お酒をのみたい気分だが、タミフルを今夜分まで服用しているため、ご法度だ。酒抜き5日間なんて、何年ぶりだろう。何十年かもしれない。 

 今週の月曜日はこの忙しい時期にインフルエンザなんて思ったが、冷静になって考えてみたら、最近はイケイケドンドンで日々を過ごしてきており、どこかでクールダウンが必要だったのだと思った。野口晴哉の「風邪の効用」を久々に読む。いいことが書いてある。風邪によって、心身のゆがみが修正されるというのだ。なんなら一晩でなくて、もう少し発熱していても良かったのかなぁ..という気持ちになる。ただし、休める時期じゃなければ駄目だけど。

 今夜から冷水シャワーを再開したが、お酒の再開は明日にしようっと。

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