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2012年2月20日 (月)

武道から気づいた大切なもの

昨日は合気道の昇段判定会があった。昨年の10月に受けたが、時期尚早という結論であり、へこんでしまったことをこのブログに書いた。その後、秋から冬へと変わっていくなか、十分な準備とはいえないが、コツコツと稽古してきたつもりである。 

 朝は自宅で一通り復習をした。そして不思議だったのは、ミニ神棚の前で合気道の呼吸法を行なってから、しばし正座の姿勢で瞑目していると、背筋が躍動しはじめ、背中、胸、肩、首と全体がしなりながら垂直に調整されていった。こんな現象は初めてである。 

 さて、本番では一緒に入門して、一緒に昇級してきたk君と組むことになった。判定会前日に師範から相手と一体化することの大切さを指導されたこともあり、ひとつになることがテーマでもあった。順番がきて、彼と向かい合い、正座してお互いを見合う瞬間に、走馬灯の如く3年余が蘇り、かつての部下であったk君と中年同士、いろいろあって頑張ってここまできたことを懐かしく、愛おしく思えたのだった。 

 その瞬間に合否にこだわる気持ちが失せ、ただ技に心をこめてやりたいという気持ちになって、私が投げ、K君が受けで技を繰り出す。..といいつつ、左右交互に繰り出す技の、次が右か左か迷ってしまう場面が生じてしまった。四方投げで私が右手を出すところを迷い、思わず左手を出してしまい、戸惑ったK君が右手で私の左手を取りにきた。私も失敗した!と思いつつ、普段ならこういう時は頭で対策を考えて、身体がついていかずに失敗しやすいのだが、今回は気づいたときには彼が飛ばされていた。

 無意識のうちに反対側で四方投げを繰り出したのだった。無意識の身体の動きゆえか、とても大きく異様な?音をしてK君が畳に倒れていった。そのまま技を続行したのだが、審査師範がK君の不自然な足の動きを発見して、中断となった。 

 K君は足首を負傷してしまい、結果的には後日追試をうけることになった。私の受けはK君の代理として、先輩のIさんに引き受けていただいた。 

 K君にはすまないことをしたと悔やみつつ、武道としての合気道の凄さを再認識するとともに、それに耐える身体能力を練磨することの大切さを実感した。 

 前回での失敗、その後の特訓、判定会当日といった流れの中で、私が自分自身に驚いたのは、昇段することにそれほど意味や喜びを感じていなくなっていることだ。勿論、段があがっていけば、それなりの手応えがあることだろう。 

 でも、私個人としては、一緒にいる仲間の大切さや、いい歳した自分自身が成長しようと努力していること、武道の感覚を日常に生かすことに魅かれるのだ。言い方は語弊があるかもしれないが、昇級昇段はそのためのスパイスのような気がした。 

 私にとっては、この判定会の参加はとても大きな意味を持っていた。それは色々な味付けをしたスパイス、要素が融合した結果、もたらされたものだ。ほんの僅かな瞬間だがK君と対峙したときの自分の気持ちを実感したときに、私にとっての判定会は終わったような気がした。 

 K君の早い復帰を切に願う。  

 朝に読んだ本の一節の言葉が心に響いたので紹介する

最初からうまくできる人がいるでしょうか。

人は迷わずに転ばずに失敗せずに

歩むことはできません。

歩けるようになるために

人は幾度つまづいてきたことでしょう。

つまづきながら転がりながら

人は成長するのです。

何もできず何も話せない

未熟で無力な赤子から始まる人生。

間違う権利、失敗する権利を人は与えられているようなものです。

間違えることよりも、失敗することより

恐れるべきは、何もしないでためらいのうちに人生を終えること。

現象界を生きるには

苦手なものにも

全力でぶつかる。

諦めずに、悪びれずに

心を尽くすいさぎよさ。

苦手なら

なお一層のこと

虚心になって

取り組むこと。

逃げていたら

乗り越えられない。

心を励まし

内なる力を信じるのです

高橋佳子 「祈りのみち」(三宝出版)より抜粋

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