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2012年1月 6日 (金)

ビッグダデイ 自己演出と公開 

 昨夜は珍しくお酒を飲まなかったためか、明け方に目がさめてから眠れず、目が冴えてきてしまった。そこで、色々と考えたり、思い出したりとしていたら、ビッグダディが浮かんでは消え、浮かんでは消えと現れてきた。モヤモヤするので、整理してみる。

 一昨日のビッグダディ5時間スペシャルは凄かったなぁ。新春のプライムタイムに5時間ぶつけてくるとは! 。どうでもいいようなバラエティ番組でも5時間はもつまい。テレビ朝日もかなり強気で視聴率が取れるとふんで、長時間枠でぶつけてきた。私もとりあえず最初から最後までお付き合いした。 

 内容は、やはり今までのビッグダディ一家の変遷を流してから、新しい話題に入っていくパターンであった。飽きはしないが、なぜかかつてのハラハラドキドキ感が薄くなっている。それは、子どもたちが成長していって、何人かが就職したり高校生になり、大人になってきたこと。家庭の危機的状況が切羽詰っていないこと。もうすでに放映開始されてから数年たっており、ある種の慣れが一家にも視聴者にも生じてきたこと....といったことだろうか? 

  今回は、家庭の危機的状況を、高校転校、進学絡みで、先妻が子どもたちを引き取ろうと工作しており、それが家庭崩壊をもくろんでいる?といった展開であったが、それがなんで崩壊ということになるのかよくわからなかった。(先妻も奄美大島にいたときは、自己主張しないはっきりしないタイプの女性というイメージがあったが、今回は電話だけの出演だけではあるが、わりとさばけてペラペラ喋っており、なんか変なんだよなぁ...)

 先妻はいろいろある人だが、子どもたちの母親であることは間違いなく、、あそこまでヒール仕立てにしていいものだろうか。ビッグダディも別れた先妻と再婚し、子どももつくって、またすぐ離婚して、今度は若いシングルマザーを妊娠させ、再婚というここ数年間の女性関係の動きをこうして客観的に書いてみると、あまりえばれないのではないか。

 それにしても、なぜ私たちビッグダディのファン(当初はバカにしていたが、奥さんの影響で見始めたらはまってしまったのだった)  は、一家の行方を興味深く、見ているのだろうか。 

 波乱万丈な大家族の生活。そこでは、私たちが体験できない、はっきりとした喜怒哀楽の世界があり、リアルな人間ドラマとなっている。それは演出があっても、全部が嘘ではない。特に小さな子どもたちには演技の要素はなく、自然体であり、生命の躍動感が伝わってくるのだ。 

 以前、ビッグダディはジム・キャリーの映画「トゥルーマンショー」とダブって思えたのだが、違いを発見。ジム・キャリーは自覚しないまま、彼の人生、生活をテレビで視聴されていたのだが、ビッグダディは、視聴されていることを前提に生活を展開している。 

 ビッグダディの人生の選択は、彼自身とその一家のことだけを思った結果ではなく、そこに演出という要素が加わっている。自分たち家族の生活ぶりが、年に数回、定期的にテレビのプライムタイムで長時間流されているのに、それを意識せず、影響されないことはあり得ない。 

 

 こう書いているうちに、こう思ってきた。

 では、私たちの人生や、生活の中の選択は、本当に自分自身が考えた結果だろうか。ひよっとしたら、自分自身が本当にどうしたいのかというよりも、周囲からどう思われるだろうか、大丈夫だろうかという視点から選んだ結果であるともいえないか。 

 こうして、ブログを書いている自分も、日記代わりといいながら、自分のこと(一部ではあるが)を一般公開して、見せている。見てもらいたい気持ちがあるから、ブログにしている。

 なんか話が大きくなってきたが、人間は誰かの視線を気にしながら、生きている。私たちちとビッグダディの違いは何か?。自分の周辺数十人の視線と、テレビ視聴者何百万人の視線といった量的差異が問題なのだろうか。 

 家庭内にカメラを持ち込んで、一家のプライバシーを公開するのはいかがなものか?という指摘もあるだろう。だが、一家は生活全部を見せていない。実際にカメラが入らない時間の方が、多いはずだし、きっと家族の会議で、ビッグダディはいつもの口調で「俺たちの姿は日本の家族を元気にするのだ。今度はこういった展開をして驚かしてやろう」などと話しているような気もする。(個人情報保護の観点からは、家族の住居、職場、学校等が特定できてしまい、安全面からの問題があるが...)

 この一家にとって、テレビ放映は大きなレクリエーションなのかもしれない。一般家庭でも、お誕生会や運動会などを撮ったビデオをみんなで見るのは愉しい時間だ。ビッグダディ一家は、生活そのものをイベントにして、それを全国規模で見るといったダイナミックな愉しみ方ができる、類稀な幸せな家族なのかもしれない。 

 はっきりいえば、ビッグダディに対して、やっかみだったり、批判的な気持ちがありつつ、この番組を見てきたのだけど、これを書いているうちに、彼ら家族のあり方がどうかは彼らが決め、責任をもつべきだし、任せておけばいいと思った。子どもたちの教育的配慮がなんとかいうならば、果たして一般家庭の子どもたちが理想的に成長していると言い切れるか。演出による影響があっても、子どもたちはビッグダディを好きで尊敬しているのは本当だと思える。こんな親子関係がつくれたのは、ただ単にテレビが媒体となり演出した結果だけではないはずだ。ビッグダディの人格、個性がなければ、到達できるものではない。 

 ビッグダディはドキュメンタリーというよりもエンターティンメント性が強い番組だと思うが、それでも自分の家庭を電波にのせやがってとか、裏でギャラいくら貰っているのかとか、ネガティヴな思いも浮かんでくる番組である。だが、その否定の根拠のひとつであるプライバシーの公開も、現在のブログ、ツイッター、フェイスブックといった現象をみると、それほど不自然ではなくなっている。 

 この番組を面白がってみている自分って何だろうと考えていたら、こんな長いブログになってしまった。

 この一家の番組は、ピークに達して、これから緩やかに下降していくことであろう。これからは、ヘタな演出だとか野暮なことはいわずに、エンターティンメントとして愉しんで見させていただこう。

 

 ※番組放映が打ち切られたときには、ビッグダディ回想録のような出版物が出るだろうが、テレビで放映した内容をプリントするのではなく、テレビ局からの演出、指示とか、視聴者からの嫌がらせや、寄付等々の裏話的なものが読みたいな(゚ー゚)。

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コメント

南スーダン派遣の陸自部隊に隊旗授与
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投稿: 南スーダン派遣の陸自部隊に隊旗授与_614764 | 2012年1月 7日 (土) 14時44分

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