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2012年1月

2012年1月31日 (火)

橋本市長の武器は良い姿勢?

 先週末の「朝まで生テレビ」では橋本市長が6人の論客と論戦というので、録画しておいて、早送りしつつ全部観てみた。

 橋本氏の断定的な話し方や、議論のすり替え的な持っていき方に多少の違和感を覚えたが、対極する論客たちがどうも十把一絡げで、橋本氏に往なされていたようだった。論戦の中身はいろいろ各所で論じられているようだが、なぜ橋本氏に軍配があがったような番組になったのか。議論の中身について語ると泥縄式に大変な展開になりそうなので、ちょっと違った視点から探ってみる。

 Photo画面を見ながら気づいたのは、橋本氏が6人の敵たち?と、対面で向かい合うという構図からして、一人で多くの敵に立ち向かう戦士のようであった。橋本氏の何人でもかかってこいという強気な態度をクローズアップする結果となり、彼の政策や改革における自信を強調したようだった。 

 また、論客たちは前かがみだったり、腕を組んだり、目が泳いでいたりという態度が目立っていたが、橋本氏は安定した姿勢で、目線は相手にしっかりと向いており、横綱相撲のような落ち着きがあった。

 論客たちは、はじめから自分の話が橋本氏には届くことはないと確信しているようで、橋本氏と距離をおきながら、ここが悪い、おかしいと羅列しているだけのような印象だ。しかし、橋本氏はちゃんと相手の批判を聞きながら、相手の懐に飛び込んで、刀を浴びせていた。そう感じられた。

 橋本氏という存在が、危険な核爆弾なのか、救国の象徴となるのかはまだわからない。まだ、わからないが、彼によって様々な投げかけが為され、その強風によって私たちに対して自分たちのスタンスや、大事にしたいものはなんだったのかと揺さぶりをかけられているような気がする。

 そういう意味では、橋本氏という存在は面白い。彼との論争によって世の中がよくなることはなさそうな気もするが、彼と協調することによっては、良い方向に進めるかもしれない。彼を討論番組でディベートさせたり、市職員との抗争や国政を牛耳ると煽ったりするだけのマスコミは底が浅いと思う。

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2012年1月26日 (木)

剣士の焼酎

 今日は仕事で警視庁に行った。打ち合わせが終わってから、警視に案内された売店で警視庁御用達のお酒を発見する。ちょっと迷って一番高いものを購入してしまった。「剣道」という麦焼酎。

Cimg0915

 これから、この剣士から焼酎を分けて頂いて、ありがたく飲むことになります。

 最近観た映画は、

Images_2「長州ファイブ」

 長州ファイブと呼ばれ、長州藩から派遣されてヨーロッパに秘密留学した、井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、井上勝の5人の長州藩士の渡航前後の様子を描く。僕としては映画はいまひとつだったが、ネット上の感想を見たら、若い(多分)人たちが、感動していることがわかり、興味深かった。

 Images2「リミット」

 イラクで生き埋めにされた男が、ブラックベリーなどを使って脱出を試みるスリラー。一見面白いようだけと、実はあまり楽しめなかった。

 

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2012年1月23日 (月)

わーい ゆきだ (◎´∀`)ノ

 今日の東京は久々の雪になりました。夜の合気道の稽古後に、自転車に乗りながら真っ白な世界を走っていたら、自然にオリジナル鼻歌を口ずさむようになった。歌というよりも、映画音楽のちょっと優しく少し泣かせるような演奏を口で奏でるのだ。いい音楽だなぁ、オレって天才だなぁと思いながら、雪が積もった道路に自転車がつけたくっきりとしたタイヤの轍を、振向きながら確認する。自転車をこぎながら何度か振り返っていたら、万が一、滑って転倒したら大変、首の骨おったらどうすると不安になり、渋々中止する。 

 Cimg0913
10時に帰宅して、奥さんがお風呂を沸かしてくれていたので、ザブンと入り、ササッと真水の冷水シャワーを浴びる。自転車こぎながら、この雪降る夜の冷水シャワーはどんなモンダロとドキドキしていた。いつもよりも、少し長めに冷水シャワーを浴び終わると、爽快爽快。上半身裸のまま、ノーエアコン、奥さんに向けた弱めのカーボンヒーターのみの状態で数十分過ごす。途中、奥さんが下町が白銀世界に変わったことに気づき、二人でベランダから外を見物する。この半裸のまま、外に出たら面白いだろうなと笑い合う。 

 先週末にアレルギーの薬もらったので、アルコールを控えようと思ったのだけど、急遽、土曜夜は娘と婚約者と母と飲むことになり、結局三次会までいってしまった。今日は、綺麗な雪の夜だし、合気道で少々汗もかいたことだし、入浴して冷水も浴びて...といろいろ理屈つけて、薩摩司のレモンサワー(焼酎党からは非難される飲み方...)をこうして飲んでいる。 

 雪が降るとうれしくてうれしくて仕方がないのだよ、この僕は、こんなにおじさんになっても。だから、奥さんは風邪気味で先に寝たけど、僕は興奮して、こうしてパソコンに向かって、あなたに話しかけているのだ。 

 子どもの頃から雪が大好きだったけど、特に思い出すのは、中三のとき受験した高校がことごとく不合格になり、危機的状況に陥っていて最後の私立受験当日が雪だった。駅から試験校に向かう途中、空き地が全面真っ白になっているのに興奮した僕は、学生服のまま、そこに飛び込んで雪と戯れたのだった。あれから幾星霜.....おじさんになっても、僕は僕だった。 

 そうそう、もう一丁思い出した! 30歳間近であった僕は、その頃文京区湯島に住んでいて、東大のご近所であった。大雪で東大の長い坂道もスキー場のような状態になっており、興奮した僕はなぜか愛車TW200というバイクに跨って、その坂を登り、こけて転倒して、ミラーを破壊したのだった。(かつて風間深志という冒険家がTW200で南極点踏破したのだが、僕のは当然スパイクなどつけていないノーマルタイヤだった。)

 テレビニュースは、大雪で大変大変と伝えている。わかっているよ! 雪のせいで交通機関や、足元が危なくなったりして、注意を促すのはわかるよ。でも、雪をそんなに悪者扱いしていいの? 大雪で大変というけど、大雪じゃなかったら積もらないよ。雪合戦も雪だるまも大雪だから出来るんだよ。 

 ニュースで、この雪のおかげで、大きな雪だるま作れてこどもたち嬉しいでしょうねぇというコメントは当然ないだろうけど、なんでもかんでも、被害妄想的に大変大変と言わないでほしいんだよね。メディアはもう少し、社会を愉しく、豊かにする役割を背負ってほしいのよ。 

 昨夜のフジテレビで、借金大国になったイタリアを取材していたけど、借金まみれで財政破綻し、パトカーもガス欠になって警官が押しているような国なのに、なんで幸せそうで、愉しそうなのかというコメントがあった。  

 「現象に良いも悪いもない、どう受け止めるのかということだ」という言葉がある。

 雪や、夏の暑さが大変と思えば脅威となる。季節感・風物詩と思えば、自然との共生、豊かな四季のある暮らしとなる。 

 どうも、現代社会は受け止め方が、好き嫌い、損得、リスクヘッジといったような狭義の枠組みだけになってきてはいないだろうか。そんなで幸せになれるんだろうか。

 ..........ということで、ごめんなさいよ。今夜の大雪で興奮していたのに、だんだん偉そうな小言をいうおじさんになってしまいました。ごめんなさいね雪でワンちゃんたちも興奮してるのかなぁ。

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2012年1月21日 (土)

二日酔いからアレルギー社会を考えた

 壊れたビニール傘の逆襲 

 一昨日は、今年度から芸術関係の組織でお仕事をなさっている恩師と飲んだ。僕は緊張と嬉しさで次から次へとお酒のおかわりをして、かなり酔ってしまった。当然、翌朝も調子が悪い。休みたいけど、会議があるので、冷たい雨の中を出勤する。 

 地下鉄の入口付近で差していた大きめ65cmのビニール傘を力任せに閉じたら、恐ろしいことに金属の傘ボネがガタガタと高層ビルの崩壊の如く崩れ落ちたのだ。まずい ! しかもホネがバーベキューの串先のようになってビニールをプスップスッと突き破ってきた。それも幾つも。 

  そのまま捨てるのも気がひけたため、あるきながら修復を試みるが失敗。そのまま車内に突入。座席は一杯で、立っている人もそれなりにいる状態。傘先を下にする持ち方だとビニール面と散在したホネが開いてしまい大変なことになるので、傘先を上にして上下逆さま状態でドア付近に立った。 

 壊滅崩壊状態で少し開きかけているビニール傘を上下逆に持っている男を、付近の乗客たちは不審そうにみつめてきたのであった。あ-恥ずかしかったぁ  (-゛-メ) 

  二日酔いによる被害

   というわけで、朝から大騒ぎの一日だったが、体内アルコール残量の影響で、夕方になっても調子悪く、アレルギー性鼻炎が爆発し、鼻づまりと咳に困った。昨日は雨で厳寒という天気のため、いつもは混んでいるさいとうクリニックも空いていると思って、仕事帰りに寄ると想像以上に誰もいないで、すぐに診察してもらう。風邪ではないので、アレルギーの薬だけ処方してもらった。 

  薬局にいくと、小ぎれいなおばあちゃん薬剤師が対応してくれた。お酒飲むから、夕食分は就寝前に服用でいいかと念をおすと、なかなか良い返事をいただけない。押し問答が続き「咳がでるときは、アルコール入るとひどくなるから飲まないの!」と一喝され終了。 

  帰宅してお風呂であったまってから、冷水(真水)シャワーを約1分浴びる。身体の調子悪いのにそんなことをしてバカかという声が聞こえてきそうですが、風邪ではないので、水浴びすることにより、アレルギーを抑制する副腎皮質ホルモンの分泌を促すのです。浴びた後は、とても爽快で温かくて、しばらくノー暖房、服はノー下着でスウェットのみで過ごしてました。

  アレルギーのこと

  アレルギーは、免疫細胞の暴走が原因らしい。勝手に暴走して、なんでもない花粉や、卵や牛乳を敵とみなして攻撃してしまう。その結果、身体に様々な過剰反応が生じ、花粉症やアトピーといった症状になってしまう。アレルギー増加の理由として、大気汚染や食品の安全性などの様々な見方があるが、人間自体の免疫力の低下、暴走も大きい。

  免疫機能を強化するためには、栄養とか休養が大切だといわれている。たしかにその通りだと思う。誰しも、偏った食事ではなく、野菜も果物も豊富に摂取し、夜更かしせずに早めに寝ることが大切だとわかっているはずだ。でも、それがなかなかできないのはなぜだろう。そして、それらがもしできたとしても、完璧とはいえまい。それは意識の領域であり、ストレスというものが免疫に対して大きな影響をもつということだ。

  ストレスは絶対悪ではなく、逆に免疫性を高めてくれる役割をもつ。ただ、バランスを欠くと心身に悪影響を与えて、悪さをしかけてくる。いうまでもないけど、だからストレスとどう折り合いをつけて付き合っていくかが、健康的な生活をおくる上では大切なことだ。  

 いま、PCに向かいつつ、テレビの報道バラエティを観ているが、日本全体がアレルギー疾患にかかっているような錯覚におちいってしまった。放射性物質の危険性を指摘する報道がこれでもかいうほど多いが、かたや放射能についての安全性を指摘する報道もあり、混乱している。安全か危険か、まだよくわからない混沌状態の中で、次々とどこそこで放射性数値がこれだけ出たという情報が流され続けてくる。私自身は、過剰反応傾向にあるように感じているのだが、この混乱した状況では過剰反応するなというのが無理なのかもしれない。放射性物質に関する免疫力がない私たちは、アレルギー症状を起こしているようだ。

  国政も、派閥争いや、政治家パッシングに明け暮れ、年金や震災復興、経済政策についてのビジョンがみえていない。取り組むべき課題は、膨大であり、それらは個別的であり、しかし財源的には一連托生でもありと、絡み合っている。一体、どこからどう取り組むべきなのか。優先順位は何か。テレビの討論を聞いていても、どうもはっきりしない。  

 そして、増税、円高ドル安、放射性物質が砕石場で発見、インフルエンザ患者急増、金正恩氏が核実験を陣頭指揮、石原都知事が芥川賞の選考委員を退任 などのニュースの洪水に浸り続けていると、生きるうえでの免疫性が破壊されてくるような気がしてきた。私たちの暮らす世界は、実は身近でもっとシンプルであるものだと思う。しかし、マスメディアによる影響は生活空間に入り込み、次々とこれは大変だとわめき、この平穏な生活も危機にさらされていると、過剰防衛ストレスを促進する。

 これら社会のあらゆる問題や、人生の中での課題に対する免疫力をつくるのに大切なのは、こども時代の環境や、教育であると思う。橋本市長はそのカリスマ性で注目されているが、教育方針を選挙で選ばれた首長が決定するという考え方には疑問がある。教育は一時的な選挙結果で左右されてはいけない領域だ。もし、4年ごとの選挙で首長が入れ替わる結果になって教育方針が変わっていったら、どうなるのだろうか。大人たちは状況次第によってコロコロ変わるから、全面的に信頼しては痛い目に会う、損することになるから信じるなという免疫をこどもたちにつけさせるだけではないのか。  

 いま教育については、学力低下や、教員の指導力不足やうつ病の休職増加、モンスターペアレンツなどの課題が目立つが、最も大切な教育理念についての定見が欠如しているのではないか。子どもにどんな大人になってもらいたいのか、社会はそのためにどうすべきか。現状ではかつての自分探し路線の失敗から、学力向上、競争力強化を目指す傾向にあるよだが、それは副次的なものであり、いま欠如しているのは、子どもたちが社会の構成員としての自覚をもって働いて、他の人と共生していくための準備としての教育ではなかろうか。

 まぁそもそも、大人自体がそのような意識ともっていないことが問題なのだけど.....。 

 定見がなく、規範が失われて、過剰反応する社会に、私はかなり危惧を抱いている。二日酔いと折れた傘の話から真面目な展開になってしまったが、また改めて過剰なアレルギー社会に対して考えてみます。(-ε-)

※ノンアルコールビールをバカにしてきた私ですが、薬剤師おばあちゃんのお叱りを受けたため、仕方なくマルエツでキリンフリーを2本買ってしまいました。ベストセラーになっている「甘い物は脳に悪い」(笠井奈津子)を読むと、カロリーオフのビールはおいしくするため人工甘味料や添加物を混ぜているが。それが身体にいいわけがない。本物のお酒には自然由来の栄養素が入っている。量は少なくとも本物のお酒を飲んだときの方が満足感は上と言われています。朝食を重要視しているところは私と立場が違いますが、その部分は納得するところです。でも、しばらくはノンアルコールのお世話になるハメなのかなぁ。

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2012年1月18日 (水)

強迫性障害が登場する映画

33_465779 ツタヤで借りた「マッチスティックメン」は、リドリー・スコット監督の作品で、ニコラス・ケイジが強迫性障害の詐欺師を演じている。神経症の演技もよかったが、後半の大ドンデン返しに騙され、なかなか面白い映画であった。 

 しかし、気になったのは強迫性障害という神経症だ。ジャック・ニコルスンの「恋愛小説家」も強迫性障害を扱った心暖まる名作であった。 

 これらの映画を観て思ったのは、ここまでひどくはないけど、僕も似たところがありそうだということだ。さっそくインターネットで調べてみると、あてはまるところが色々とあった(゚д゚;)  

 ガスの元栓締めたかとか、ドアの鍵閉めたかとかを気にするのは、普通あってもおかしくなさそうだが、大事な場面でもし、言ってはいけないことを大声で言ったらどうしようというのはあるだろうか?  僕はあるのだ。 

  大事な会議の席で放送コードにひっかかるようなことを叫んだらどうなるだろうかと想像したり、突然、上司とかに向かって罵声を浴びたらどうなるだろうと妄想したりすることが、いつもではないが、たまにあったりするのだ。まぁ、それによって自分が加害者なんだけど、結果的に被害者のようになるという、加害的被害者意識というようなものだろうか。 

  しかし、典型的症状である手洗いをやめられないとか、汚れを恐怖するなどの潔癖症の部分は、むしろ逆で、清潔感覚が欠如しているといつも奥さんに叱られている。汚い話になって恐縮だが、たしか常在菌の大切さを説く医師がいて、多くの人の菌をもらうために誰かが使った直後の便座に座るということが本に書いてあり、それから僕も便座シートペーパーを使わなくなったのだ(゚ー゚)。 

 健康面では、不調を重病に解釈する傾向があり、咳をすれば肺炎、心臓がドキドキすれば心筋梗塞、頭が痛ければ脳梗塞、おしっこの切れがわるければ前立腺肥大と次から次へと、重苦しい疾病が連想されてくる。これも強迫性なのだろうか……(ノ゚ο゚)。そういえば、4年くらい前に、職場の冷蔵庫のヤクルト飲んだら酸っぱくて、消費期限みたら8ヶ月前で、そのまま千駄ヶ谷のオイスターバーに行って生牡蠣を沢山食べたので、食中毒になったらどうしようと不安になったが、まったく大丈夫という過去の出来事が浮かんできた。あまり関係ないか..  

 強迫性障害についてさらに興味を持って調べると、その原因は脳神経や、生育環境、遺伝、ストレスなど様々な関連があるということがわかった。僕の親もいい加減なところは多かったが、結構神経質なところもあったし、乳幼児期はかなり特殊な家庭環境だったしなぁ....と回想してみてもしょうがない。  

 強迫性障害は自分に対する不信感や、社会環境に対する恐れが大きく、生きるうえでの大きなハンディをもっているように思えるが、ひょっとしたら、それがあるから成長できるのかもしれない。  

 悩まずして、大成する人はいない(勝手にそう思っただけですが...)。ここで一時休止

 

...(*^-^)  (*^-^)   (*^-^) ....翌々日から執筆再開 .....(*^-^)   (*^-^)   (*^-^)  

 変な表現だが、強迫性障害がここ数日マイブームとなっており、本を読んだり、インターネット閲覧したりして、やはり自分もその傾向があると納得するのだ。まぁ、いろいろ気にしたり、こだわったりするのは誰しも有りうることであり、人間共有の要素であろう。それが問題になるのは、強迫観念や行動が日常生活に支障を生じさせる場合である。幸い、僕は生活に支障があるほどではないが、自分を窮地に追い詰めようとする傾向は事実であり、今回は僕を含め人間という存在の不安構造を見つめる良い機会となった。 

 インターネットで調べたら、2008年公開の「memo 」という日本映画が、強迫神経症を扱った映画ということなので、ツタヤで借りてきて赤ワインを飲みつつ鑑賞。赤ワインを飲みながら観る映画ではなかった。日本映画の真面目さがあだとなり、ニコラスケイジの娯楽性の方がリアリティをもってしまったというべきだろうか。 

 現在、この社会ではうつ病が増えているという。僕の何人かの友人も、同僚もうつ病となり、仕事から離れることになった。誰しも精神疾患となり得る現代社会に暮らす自分って、どうなんだろ、なにができんのと、自問自答をするしかない。とりあえず、そうするしかない。そうしながら、自分ができること、誰かにしてあげられることをはっきりとさせていこう。 

 恐怖の原因は外にあるのではなくて、自分の内にあるのだから。

 

 備忘録的に新年になってから観た作品たち。  

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「ロンゲスト・ヤード」 高校時代に一人で銀座で観た。囚人と看守チームがフットボール対決する話で面白くて、3回くらい観たかな。この正月にテレビでやっていたのを観たが、カースタントは質素だけど、現代のより迫力があって驚いた。こういう映画が僕を救い、そういう?成長をさせてくれた。  

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「さや侍」 松っちゃんの才能は認めるし、スイスの屋外映画祭に招聘されたNHKドキュメンタリー観て、もらい泣きしたけど、僕にとって映画館で観ようとは思わない映画。 

Imagescay3rekn 「塚原卜伝」NHK-BS で全8話を一気に観た。堺雅人のいつもの笑顔で大丈夫かと思いきや、意外にも剣豪とマッチしていてびっくり。どこまで、実話なのか知りたくなった。Imagesca0vxy8h
 

「スーパー8」 合気道のお友達のT内君からたいしたことないといわれて観Imagescasuokd3たが、前半は期待していたのに、最後はやはりなんか残尿感が残るようなスピルバーグ製作映画であった。

 「マルモのおきて」
正月の全話放送を観る。ブレイクした子役二人や、あべさだおという芸名が鼻について、普通は観ない部類だが、あまりの評判の良さに流され、最終回で涙を流す破目になった。

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2012年1月15日 (日)

毎日 朝食抜き.....水かぶり

 年末から、毎日水かぶりをしている。日によって、冷水シャワーを浴びるか水風呂に入る。基本的には入浴後とか、温かいシャワーを浴びた後となるが、最近は朝にも水風呂に入ることが多くなった。 

 何人かの人に、この話をすると悲鳴を上げたり、狂人を見る目に変わっていったりするので、少々困るのであるが(何に !)。  

 では、なぜ水かぶりなのか?       

 実は昨年11月末から風邪をひいて、アレルギー性鼻炎が強くなってきたこともあり、好きなお酒を控えた方がいいのかと弱気になってきた。そのときに数年前に読んだ故小山内博先生のことを思い出したのだ。先生は労働科学研究所所長の医師で、労働者の健康管理を研究なさり、多くの企業で産業医、予防医、嘱託医として従業員の健康づくりを指導してきた。 

 健康にする小山内式4原則というのがある。詳しくは「小山内博の健康づくり講座」HPをご覧いただきたい。

Shower_2食事は活動のあとで
  …活動→食事→睡眠の順序で胃腸を守り、肥満を防止する
「体幹筋のトレーニング」
  …「背そらし」「背のばし」の体操が肩こり・腰痛を防止する
「水かぶり」
   …風呂上がりに水をかぶって、アレルギーに強くなる
「ゆっくりランニング」
  …空腹時にゆっくり走り、血液循環をよくし、生活習慣病を改善  

シャワーなら1分以上
手おけなら10杯以上
冷たさを感じなくなるまで!

 やはり、水かぶりって凄い効果があるのかもしれないと興味がわいてきて、AMAZONで未読の先生の著作を購入したり、健康づくり友の会から送っていただいたりした。  

 こうして、水かぶり修業はスタートしたのだけど、そもそも、水かぶりをしたのは今回が初めてではない。一番最初は、記憶している限りでは大学浪人中で、受験するときに風呂桶の水をかぶって出かけたような気がする。

 40代になってからは、中村天風先生や塩谷信男先生(生前に不思議なご縁があって何度かお会いできた)が高齢になっても(塩谷先生については100歳になっても!)毎朝、水風呂に入られていたことを知り、週末には入浴後にバケツの水かぶったり、フィットネスでサウナに入ってから水風呂に入るなどを2年くらいしていた。

 43歳のときに、体調管理のために朝食抜きをはじめてから、水かぶりはたまにする程度となったが、ダイエットの効果があって3ヶ月で5キロくらい減量できた。それからは体重は現在までキープしたままであり、それが僕にとっての適正体重なのであろう。 

 朝食抜き、水かぶりというと、現在の日本の健康常識から考B3えると、かなり対極に位置している
「今すぐできる体質改善の新常識」(小山内博・高木亜由子著 新潮社)には、10年くらい前に小山内先生と日の出町の保健師たちが、4原則を指導し、アレルギー激減など「日の出町の奇跡」といわれる素晴らしい結果を出した事が書かれている。しかし、それを読んだ僕は、果たして行政がその指導を受け入れて維持することは困難であろうと思った。事実、その後、日の出町はその取り組みをやめ、担当保健師も異動という結果になったらしい。

 世間の一般的見識はどうであれ、僕自身、朝食抜きの有効性は自身の身体を通してわかっているので、次は水かぶりにきちんと取り組んでみることにした。  

 現在は、①入浴後に冷水シャワー ②朝に水風呂③熱いシャワー後、真水に切り替え...のいずれかといったパターンだ。この中では朝の水風呂がストレートに水につかるため一番きつそうだが、前夜の残り湯が冷めた水風呂のため、比較的楽に入れる。これだと身体の皮膚と水の間に保温ベールが生じるような感覚になる。ただし、水が流動するとベールが崩れ、冷たさがストレートにくる感じだ。シャワーは、ベールを生じる隙などなく、ひたすら痺れるような鋭角的な刺激が続く。しかし、先日シャワーの冷水を少なめの水量ではなく、全開にして浴びたら、比較的楽であった。意識面でも、身体をだましだまし温水から冷水に変えるというよりも、どうだという感じでダイナミックに浴びたほうがいいのかもしれない。  

 浴びた後は、身体も暖かくなり、暖房なしでも、しばらくの間はパンツ一丁で過ごしても平気である。また、精神的にも爽快感があり、その達成感が日常生活にも流れ続けているような感じがする。 

 いずれにせよ、今回の取り組みは小山内先生の人柄に魅かれてのことが大きい。少食、冷水浴等を推奨する医師や専門家も多いとは思うが、小山内先生は人間的でけっこう大酒飲みであり、尊敬だけではなく、愛すべきキャラクターの人である。 

  2003年に78歳でお亡くなりになったが、熊本?にある「おさない予防医学教室」というHPには、「2003年8月死去(享年79歳)やや早い死で医者の不養生の感は否めないが、その2ヵ月前まで地方に出向き、最後まで病気すること無く、健康な人生を全うした。」と掲載されている。お酒、タバコがかなりお好きだったようだ。  

  『企業の現場から19人が語る小山内博の健康づくり』という本の中では、産業医として活躍したキリンビールや、住友スリーエム等の現場の社員からの、先生の指導による劇的な治療効果や、一緒に過ごした人間的なエピソードが散りばめられている。 

 機会があれば、小山内先生と一度いっしょにお酒を飲みたかったなぁとつくづく思ったのでした(かなりお酒がお強いらしくて午前様になりそうですが)。

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2012年1月 8日 (日)

東海林さだお先生から自分探しを教えられる

 自分探しの旅......。その甘美な響きにおじさんは魅せられる。  

 自分では気づいていない本当の自分自身がどこかに潜んでいるはず....という想いから、定職につかなかったり、外国に旅に出る若者がいる。 

 しかし、自分探しの風潮に対して、本当の自分なんて遠くのどこかにあるのではなくて、まず身近なことからはじめよ。頼まれごとをひたすらこなせ。自分探しなど幻想である。と指摘し、切り捨てる論客もいらっしゃる。 

 僕自身も、自分探しというのはなにか自己逃避であったり、9784163739908妄想なのかなと思っている。しかし、現在の自分だけがリアル100%なのだというのも、どうも違うような気がしている。  

 今回、この自分探し論争に終止符を打つべく本を発見した。それは、漫画家の東海林さだお先生の「花がないのに花見かな(文藝春秋)」の中の「自分をいますぐ探そう」というエッセイだった。 

 先生は自分はいまそこにいるのだから、そこにいる自分をどこに探しに行くというのかと疑問を呈せられ、大切なのはいまキミがそこにいる現場であると断言された。 

 歳をとっても自分探しの機会は訪れる。管理職になったものの自分に向いていないような気がする。定年退職後、これから先の人生をどう生きていくのか。七十、八十になっても自分探しの旅はおわらない。  

 先生も昔から自分は何者かということについて探求してきたのだが、最近、具体的にある"物"によって判明したらしい。その"物"とは何か。スーパーのビニール袋なのである。  

 先生は仕事場の清掃を1ヶ月間自分でやることになり、ゴミ袋であるビニール袋の入手、蓄積について、ご苦労された。ビニール袋が不足しないように袋を大・中・小と分けて調整したり、詰め替えたりした。また、ビニール袋が逼迫しているからスーパーに行って買い物をしなくちゃと思い、ビニール袋のために買い物に行くという本末転倒の行為をなさった。 

 スーパーでたくさん買い物をしたのに、1枚しか袋をくれないと、レジのおばちゃんを睨み、大きい袋に小さいのを一枚足してくれたときには、どうせなら大きいの2枚くれればいいのにと、やはり睨まれたらしい。  

 先生はおっしゃる。

 つまり、わたくしはスーパーの手提げビニール袋にこのように対応する人間であることがわかった。 

 自分探しのたびに出ずとも台所でわかった。"新しい自分の発見"ではなく、もともとあった自分が、スーパーの手さげビニール袋によって発現したのである。  

 青年よ、キミも一度スーパーの手さげビニール袋と対峙してみなさい。スーパーの手さげビニール袋に生ゴミを詰めてみなさい。そこに群れ飛ぶ小蝿をみつめてみなさい。自分はそれにどのように対応するのか。そのことによって自分がどういう人間であるかがわかる。 

 先生のエッセイは鋭意な観察眼と、人物表現の巧みと、知性溢れるユーモアといったことから多くのファンがいて、私もその一人である。 

 しかし、まさか、自分探しという深遠なテーマについて、スーパーの手さげビニール袋から真理を説かれるとは、一本とられました。  

 自分の中にいる未知の自分と会うためには、体験が必要である。その体験とは海外や、宗教的なもの以外にも、身近なことがきっかけになるものだ。  

 むしろ、戦場や、貧困地帯、世界遺産といった特殊な状況に入ることよりも、当たり前な日本の日常生活で発見した自分の姿をみつめることが大切なのだろう。  

 先生は、今までも自分は卑小で浅ましく、いじましい男であると、ウスウス感じてらっしゃったが、今回の件でそのような資質のある人間と確認された。 

 どこにいる凄い自分を探すよりも、身近にいる浅ましい自分を発見することがエキサイティングであるのではなかろうか!!

 

 ...........................かくいう僕も、今日急遽、娘と一緒に親父のいる特別養護老人ホームに行くことになり、急いでレンタカー各店舗に問い合わせしたが空車はなく、唯一メルセデスだけが5時間ほど可能であった。

 ベンツを運転するのは初めてだが、とにかく借りることにした。方向指示レバーが左だったりして、戸惑ったが慣れてくると、前を走っている小さいクルマが邪魔に思えてきた。まさにどうだベンツだという優越感がわいてきて、娘に乗り心地いいだろうときくと、いいけどニコニコレンタカーのマークがあるものねと返される。

 Imagescaeq0orrたしかに格安レンタカーのベンツであり、ナンバーは横浜だが「わ」!  。実は凄い自分だと思っていたのが、幻想であり、ニコニコのベンツで優越感にひたっている浅ましくも恥ずかしい僕が僕自身だと、この実体験で確証された。 

 この浅ましい僕からの出発だ! 明日は合気道の鏡開き!!

今日も変な展開になってしまった。 

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戦国武将になる

Cimg0881_3なんと、戦国武将になってしまいました!....といっても、衣装だけなのですが。

 成田のそばの「大和の湯」という日帰り温泉に行ったので、その近辺にある房総の村に寄ったら、鎧兜の着付けが200円でできたのです。 

  人間の心理とは不思議なもので、普段は温厚?なはずの僕が、篭手とか胴を装着するにつれて、段々と鼻息が荒くなり、獰猛な武将となっていったのです。 

 Cimg0880
 特に、自分の姿を鏡で見てからは、完全に装着前の自分の意識とCimg0878_2は違ってました。武道の目的は戦わないことだと頭ではわかっていたのですが、あの殺戮のための装具を身につけると、意識のOSが短時間で戦闘用に変化することが実感できました。 

 人間は外見から多大な影響を受ける。....多分、おじさんの僕でもヤンキーのカッコしたり、スパイダーマンの衣装をつけたり、原始人の姿になったりしたら、現在の僕の意識ではなくなっていることでしょう。 

 では、普段の生活で着ているスーツ姿、合気道での袴、家でのジャージや作務衣....それらの衣装が現在の自分に大きな影響力をもつとしたら、せめて綺麗な格好をしなくちゃと自戒するのでした。

Cimg0868 
 

 房総の村は、初めて訪れたが、昔ながらの町並みや武家屋敷、農家が展示されており、いろいろな体験もできるようになっている。

 

 ここは、けっこう穴場かもしれない。

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2012年1月 6日 (金)

ビッグダデイ 自己演出と公開 

 昨夜は珍しくお酒を飲まなかったためか、明け方に目がさめてから眠れず、目が冴えてきてしまった。そこで、色々と考えたり、思い出したりとしていたら、ビッグダディが浮かんでは消え、浮かんでは消えと現れてきた。モヤモヤするので、整理してみる。

 一昨日のビッグダディ5時間スペシャルは凄かったなぁ。新春のプライムタイムに5時間ぶつけてくるとは! 。どうでもいいようなバラエティ番組でも5時間はもつまい。テレビ朝日もかなり強気で視聴率が取れるとふんで、長時間枠でぶつけてきた。私もとりあえず最初から最後までお付き合いした。 

 内容は、やはり今までのビッグダディ一家の変遷を流してから、新しい話題に入っていくパターンであった。飽きはしないが、なぜかかつてのハラハラドキドキ感が薄くなっている。それは、子どもたちが成長していって、何人かが就職したり高校生になり、大人になってきたこと。家庭の危機的状況が切羽詰っていないこと。もうすでに放映開始されてから数年たっており、ある種の慣れが一家にも視聴者にも生じてきたこと....といったことだろうか? 

  今回は、家庭の危機的状況を、高校転校、進学絡みで、先妻が子どもたちを引き取ろうと工作しており、それが家庭崩壊をもくろんでいる?といった展開であったが、それがなんで崩壊ということになるのかよくわからなかった。(先妻も奄美大島にいたときは、自己主張しないはっきりしないタイプの女性というイメージがあったが、今回は電話だけの出演だけではあるが、わりとさばけてペラペラ喋っており、なんか変なんだよなぁ...)

 先妻はいろいろある人だが、子どもたちの母親であることは間違いなく、、あそこまでヒール仕立てにしていいものだろうか。ビッグダディも別れた先妻と再婚し、子どももつくって、またすぐ離婚して、今度は若いシングルマザーを妊娠させ、再婚というここ数年間の女性関係の動きをこうして客観的に書いてみると、あまりえばれないのではないか。

 それにしても、なぜ私たちビッグダディのファン(当初はバカにしていたが、奥さんの影響で見始めたらはまってしまったのだった)  は、一家の行方を興味深く、見ているのだろうか。 

 波乱万丈な大家族の生活。そこでは、私たちが体験できない、はっきりとした喜怒哀楽の世界があり、リアルな人間ドラマとなっている。それは演出があっても、全部が嘘ではない。特に小さな子どもたちには演技の要素はなく、自然体であり、生命の躍動感が伝わってくるのだ。 

 以前、ビッグダディはジム・キャリーの映画「トゥルーマンショー」とダブって思えたのだが、違いを発見。ジム・キャリーは自覚しないまま、彼の人生、生活をテレビで視聴されていたのだが、ビッグダディは、視聴されていることを前提に生活を展開している。 

 ビッグダディの人生の選択は、彼自身とその一家のことだけを思った結果ではなく、そこに演出という要素が加わっている。自分たち家族の生活ぶりが、年に数回、定期的にテレビのプライムタイムで長時間流されているのに、それを意識せず、影響されないことはあり得ない。 

 

 こう書いているうちに、こう思ってきた。

 では、私たちの人生や、生活の中の選択は、本当に自分自身が考えた結果だろうか。ひよっとしたら、自分自身が本当にどうしたいのかというよりも、周囲からどう思われるだろうか、大丈夫だろうかという視点から選んだ結果であるともいえないか。 

 こうして、ブログを書いている自分も、日記代わりといいながら、自分のこと(一部ではあるが)を一般公開して、見せている。見てもらいたい気持ちがあるから、ブログにしている。

 なんか話が大きくなってきたが、人間は誰かの視線を気にしながら、生きている。私たちちとビッグダディの違いは何か?。自分の周辺数十人の視線と、テレビ視聴者何百万人の視線といった量的差異が問題なのだろうか。 

 家庭内にカメラを持ち込んで、一家のプライバシーを公開するのはいかがなものか?という指摘もあるだろう。だが、一家は生活全部を見せていない。実際にカメラが入らない時間の方が、多いはずだし、きっと家族の会議で、ビッグダディはいつもの口調で「俺たちの姿は日本の家族を元気にするのだ。今度はこういった展開をして驚かしてやろう」などと話しているような気もする。(個人情報保護の観点からは、家族の住居、職場、学校等が特定できてしまい、安全面からの問題があるが...)

 この一家にとって、テレビ放映は大きなレクリエーションなのかもしれない。一般家庭でも、お誕生会や運動会などを撮ったビデオをみんなで見るのは愉しい時間だ。ビッグダディ一家は、生活そのものをイベントにして、それを全国規模で見るといったダイナミックな愉しみ方ができる、類稀な幸せな家族なのかもしれない。 

 はっきりいえば、ビッグダディに対して、やっかみだったり、批判的な気持ちがありつつ、この番組を見てきたのだけど、これを書いているうちに、彼ら家族のあり方がどうかは彼らが決め、責任をもつべきだし、任せておけばいいと思った。子どもたちの教育的配慮がなんとかいうならば、果たして一般家庭の子どもたちが理想的に成長していると言い切れるか。演出による影響があっても、子どもたちはビッグダディを好きで尊敬しているのは本当だと思える。こんな親子関係がつくれたのは、ただ単にテレビが媒体となり演出した結果だけではないはずだ。ビッグダディの人格、個性がなければ、到達できるものではない。 

 ビッグダディはドキュメンタリーというよりもエンターティンメント性が強い番組だと思うが、それでも自分の家庭を電波にのせやがってとか、裏でギャラいくら貰っているのかとか、ネガティヴな思いも浮かんでくる番組である。だが、その否定の根拠のひとつであるプライバシーの公開も、現在のブログ、ツイッター、フェイスブックといった現象をみると、それほど不自然ではなくなっている。 

 この番組を面白がってみている自分って何だろうと考えていたら、こんな長いブログになってしまった。

 この一家の番組は、ピークに達して、これから緩やかに下降していくことであろう。これからは、ヘタな演出だとか野暮なことはいわずに、エンターティンメントとして愉しんで見させていただこう。

 

 ※番組放映が打ち切られたときには、ビッグダディ回想録のような出版物が出るだろうが、テレビで放映した内容をプリントするのではなく、テレビ局からの演出、指示とか、視聴者からの嫌がらせや、寄付等々の裏話的なものが読みたいな(゚ー゚)。

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2012年1月 3日 (火)

謹賀新年

 2012年がいよいよ始まりました。 

 今日の昼は、昨日放映したNHK-BSのサムライスピリットを観ました。空手家のコラスペタスさんが、弓道や合気道、古武術などの武道を探求していく番組でしたが、いろいろと勉強になりました。 

 自分自身をコントロールするためには、日々の鍛錬が必要である。強くなって、変化していく自分を自覚することにより、自制心が芽生え、無意味な争いを避けるようになる。自分勝手な強さや、力に頼るのではなく、静かで平和な心でいることが、武術でも生きるうえでも大切なこと。

 日本も世界も混乱の真っ只中ですし、今年はマヤ暦の終わりとか、アセンションの年とか色々といわれています。 

 不安にならないのがおかしいような時代ですが、だからこそ今年はより地道に誠実に、生きていきたいと思うのです。

 

 さきほど、伊勢神宮のお札を壁にかけることができました。今までカラーボックスの上に置かしていただいていましたが、どうもすっきりしない。壁に釘を打てないので、いろいろと智慧をつかって、設置できて良い感じになりました。 011

 さぁこれから実家に行って、親戚の子らにお年玉とお菓子を配ってきます。

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