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2011年11月 6日 (日)

50歳過ぎても、成長しなければならないのか?

 昨日の朝は駅に向かいながら、これから往復二時間かけて、合気道の稽古にいく俺って変わり者かなぁとか、50歳を過ぎても、人は変化し続けなければならないとか言っている俺は青臭い人間なのかなぁとか、自問自答しながらスカイツリー見物で賑わう吾妻橋を渡っていた。 

 孔子は、四十にして惑わず、五十にして天命を知るとおっしゃっているが、果たして俺は自己確立していないまま、世迷言をいってる男なのだろうかと思いつつ、地下鉄内で中村天風先生の新刊「幸福なる人生」を読む。 

 そして今朝、サンデ-モーニングを見ながら、ミルクティーを飲んでいたら、昨日の迷いがストンと落ちた。人は努力し、成長しつづけける必要があることを。せっかくの日曜の朝だが、とりあえず整理しようっと。

 

 いみじくも、昨日途中まで読んだ「幸福なる人生」には、著名な政治家であり宗教家の老齢者は、この世に絶対的真理などないという立場で、40代半ばの天風先生を糾弾しようとして講演を聴いたら、感銘を受け回心してしまった実例が書かれていた。そういえば、天風会には東郷平八郎とか、松下幸之助といった多くの有名人が入会しており、東郷平八郎はバルチック艦隊迎撃のときに、天風先生の呼吸法をやっていれば、もっと落ち着いて撃沈される敵の艦隊をみれたというような趣旨のことを話したらしい。バルチック艦隊との戦いは東郷が50代後半だったから、かなり高齢になってから語ったのであり、あの神格化された軍人も、天風会で修業し続けていたのであり、人間としての完成を目指されていたのだろう。

 そしてこれも昨日読んだ飯田史彦「生きがいの創造Ⅳ」には、飯田氏への最終回答を光の存在が伝えていた。(.ここからは本の核心部分に触れますから、これから買おうと思っている人は注意して下さい) 

 人間がこの世に生まれてくるその目的とは.....「信じることに、挑戦する....」

 愛するは宇宙で最も大切なことだが、あまりにも深い概念のため、すへでの相手に対応させる指針としては、表現として現実的ではない場合があるらしい。昨日書いた選挙の事例をあげれば「候補者の全員を愛してみよう」という表現よりも、「候補者の全員を信じてみよう」という表現の方が適切であるように。 

 「試練に挑戦し、逆境を喜び、自分を信じもあらゆることから学びながら、大いに挑戦するのです。」                                                  「挑戦しなさい。自分の力を信じ、相手の力を信じ、相手の心を信じて、深く傷ついた方々の、真の心の同伴者になれるよう、努力し、挑戦するのです」

 僕の解釈だけど、四十にして惑わず、五十にして天命を知るとは、絶対的な安心立命を確立して、何事にも動かない座ったままの達磨像ではなく、自分の欲望、エゴの囁きに惑わされず、自分がこの世に生を受けた意味を自覚し、生きるということだ。

 動かない水は腐る。優れた武道家や芸術家は、決して現状に満足せずに、より高い領域を目指し続ける。人間は動かない固定物ではない。心がひとつのことに留まることは不可能であり、からだも心臓をはじめ内臓や、血液か動き続けており、それらが動かず変化しなくなるのは死んだときだ。 

 なんか、スイッチが入ってきたけど、いまテレビでやっているギリシアEU撤退の危機といったニュースひとつ取っても、世界も安定どころか、混乱し動き、変化し続けている。この激動の世界の変化、大震災や原発等の日本の驚異的な変化過程の中に生きるためには、自分が変わる必要はないと思っているいる限り、そのまま日本も世界も変わっていくことはない。 

 変えてはいけないのは、愛、信頼、助け合いといった(当然すぎるほど当然なのだが)ことであり、それを主軸として、自分の弱さを克服し良い面を伸ばし、社会のためにも小さなことでもいいから行動していくことに努力しなければならない。

 アインシュタインの名言には、「我々の直面する重要な問題はその問題を作ったときと同じ考えのレベルで解決することはできない」というのがある。レベルを変えるためには、私たちの発想、価値観、生き方を変えていくことが必要であろう。

 長くとりとめのない文章になってきたが、人は50歳を過ぎても変化していかなければならないのか?ということについては、是である。そもそも人は心身共に変化して生きる生物である。心だって、毎日一人で部屋に閉じこもって、何の情報や媒体と接しないで生きているわけではなく、何らかの事象体験を積み変化する。

 それだったら、変化に対する姿勢をはっきりさせた方がよい。なんとなく、だらだらとしていても齢を重ね変化していくのだったら、より自覚的に努力し、人間として成長していくことの方が素晴らしい。嫌味な表現だが、その方が生き方としては効果的効率的である。

 今朝はこれからもあらゆる体験を通して、そこから何かを学んでいこうと、改めてこころにきめたのでした。

 

.......話は変わるが、サンデーモーニング(この長寿番組もなんかNHKっぽくなってきたなぁ)でTPP問題を取り上げていた。

 どうもこの問題について、工業製品と食料品を同じレベルで議論するのはどうかと思う。原発問題で私たちは何を学んだのか。誰が悪いのかという責任追及や、フクシマはどうなってしまうのかという声は多いが、原発に対する根本的な反省が少ないように思える。

 原発の危険性を知りながらも、経済効率面を優先して、適格にリスクヘッジしてこなかった現実が今回の事故を引き起こし、パニックとなった。

 日本国内での食料生産も同じではないか。国際競争に勝つためといいながらも、国内での食糧生産が打撃を受けた場合、紛争、天災等のなんらかの事情で食料輸入がストップするといったリスクをどう捉えるのか?

  IT機器や衣料品等の工業製品が不足しても生命にも直接危害は及ばないが、食料品が不足した場合はその比ではない。農作物は製品ではなく、生命に必要な水と空気と同じくらいに必要不可欠だという視点から考えないと、利益性を重視して大失敗した原発と同じ轍を踏むことにはならないだろうか。

 原発事故と国民へのダメージを招いた、本質的なほんとうの原因追求をしているだろうか。反省してきたのか。本気できちんと反省しようとしているのだろうか。 国やマスコミに問うだけではなく、自分自身にも問いかけてみなければ.....。

 

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