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2011年9月 2日 (金)

厳島神社と身体構造

 合気道での稽古で、自分が胡坐姿になり、立っている相手に前から自分の両肩を押させてても安定して倒れないというのがある。

 

 普通は、立っている相手が体重をのせて押してくるので、簡単にひっくり返ってしまう。私もこの稽古には苦心している。まあ、徐々にで゜はあるが、倒れないようにはなってきている。

 

 昨日のことだけど、プロレスラー志願の105キロの若者(男子)にこの実験をしてもらった。私の身体は倒されず、胡坐姿勢を保持したままであったが、さすがに力が強い相手で、床もビニールだったため、そのままスーッと後方に滑っていった。まずまずである。

 

 反対に彼に胡坐をかいてもらい、前から押す。巨体が相手だから力を入れなきゃだめかなと思いつつ、普通の力で押すと、簡単にひっくり返ってしまう。何度やっても同じである。体重72キロの私よりも33キロも重たい彼がなぜ??

 

 この技は、前傾の角度とか、力を入れる場所とかのフィジカルなテクニックでは通用しない。相手に負けまいとして、気持ちが昂ぶり踏ん張るのではなく、自分の心が静かになって、相手と一体になることが重要ななポイントなのだ。 

 

昨日、私が気づいたのはこういうことだ。 彼の体重と同じ105キロで、同体型の銅製胡坐像があったら、きっと押してもひっくり返ることはないだろう。ではなぜ、私が押して、ひっくり帰るのか? 。 私の入れた力だけでは、巨体がひっくり変えることは難しい。彼が自分で倒れているのだ。 

 

 相手が押してきて、自分の型が後方に引きずられ、何とかしようと上半身に力を入れれば、下半身は逆に不安定となり、バランスを欠いて倒れるはめになる。 

 

 もし、彼が銅製胡坐像の如く、重心が最下部にあり、一部分を押されたとしても、重心が安定いれば、姿勢が崩されることはない。 

 

 では、どうすれば、姿勢が安定し、保持されるのか? それは心の落ち着きが基本である。相手に崩されそうになっても、慌ててそこに意識を居着かせずに、相手にやらせまい、自分をなんとかしようと力まないことである。

 さきほどNHKテレビで海上に建てられた厳島神社が、なぜ満潮や悪天候に耐えられるのかを放映していた。社殿は杭に固定されず、大波がきたときはいかだのように海に浮かぶようになっている。また、7~8ミリのすき間が開いており、このすき間から波を逃がす構造になっているそうだ。

 まさにタイムリーな番組をみた感じだが、厳島神社の外部からの危機管理構造は私たち人間にもあてはまる。外からの脅威に対して、心身を硬直させ固定した状態にすると、破壊されやすい状況に陥る。そのためにも、身体は中心の土台をしっかりさせ、他の部分は柔らかくしておく。、心は自分に突撃してくる外的なパワーをそのまま受けずに、開放されている自分の隙間から外力が流れ出ていくようなイメージをもつ。自分が崩れることはない。

 

 心身に中心をもつ(身体は最下部に重心を、心は静かに落ち着いた状態)ことと、どんなときにも力まず、柔らかさを保つことの大切さがやっとわかってきた。

 言葉にするのはたやすいが、それを自分のものにしていくのは簡単ではないだろう。 

 それにしても、人間のもつ可能性は凄いものだ。

 ......ということで、とりあえずお酒を飲むことにします。(◎´∀`)ノ

 

 

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