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2011年8月16日 (火)

靖国参拝と大文字焼き

   今日は今年定年となられた恩師と、靖国神社に参拝した。

  昨日と大分違い、今日は参拝者も少なかった。 

  二度と戦争を起こさないことと、日本の復興を祈る。

    恩師からは仕事について、勝つ戦さをしろ、負ける戦さはするな。二勝一敗をめざせとお話いただく。

  帰宅してニュースをみていたら、五山の大文字焼が、陸前高田市の木を燃やす予定だったがセシウム検出で中止となったとはじめて知った。薪のセシウムを燃やして、どれほどの人的被害が生ずるというのか。被災地はそこまで忌み嫌われる場所なのか......。 

 ニュースをみながら先日、行った長崎平和公園にあった上空500メートルで原爆が爆発した爆心地を思い出した。そこで、多くの犠牲者を出しながらも、生き残ったものたちによって長崎は復興していった。 

 被災地の薪を拒絶する大文字焼きの宗教的意味は何なのだろう。被災地の気持ちよりも、過度な安全への執着を選択した大文字焼きは、人々の心に癒しよりも不安を植付けたのではないか。

 そこに復興への力強いエネルギーは存在するのだろうか。 

 今回の騒動は、大文字の委員会だけの課題ではない。多分、セシウム検出された薪を燃やしたとなれば、マスコミはさも問題ありげに報道したことだろう。 

 現在の私たちを取り巻く危険と、昭和20年の危険のレベルは明らかに違う。

 あまりにもサバイバル能力が欠乏していて、果たしてこの状態で日本復興は可能なのだろうか。ついつい、いろいろと考えてしまうのだ................

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