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2011年7月27日 (水)

酒場が私の学校だった

今日は水曜日です。月曜から今日まで飲み会が3連荘でした。まだ、ちょっと酔ってますが、今日はスマートフォンの文字入力作業に辟易と疲れ果て、しかも職場のUSBから充電できなかったため、2回ほどソフトバンクショップに出かけ、一回サポートセンターに電話したりしました。結果はみるみるうちにバッテリー残量がなくなり、5%以下までは確認していますが、そのまま飲み会に参加し、3時間後は起動しませんでした。 

 帰宅して、コンセント充電して、やっと起動しました。やはり、今までの携帯電話の方が、バッテリー寿命も、入力も、ストレスレスでした。しかし、スマートフォンを買って後悔しているかと言えばしていません。新たな航海に出ていく船乗りの如く、荒海を乗り越え、未知の豊穣な大地に足を踏み入れてみせましょう。(。・w・。 )

 さて、何を言ってるのか、スマホの愚痴を言っていますが、ここ数日で思ったことを備忘録的に書いておこうと思います。(今日はですます調でいきます)

 夏シーズンが到来してから、飲む機会がかなり増えています。それ以外にも合気道のお稽古に行ったりしてしますので、奥さんの視線が気になったりもします。

 

 自分の人生、単純に計算しても飲み会は数千回単位であることは間違いありません。金額換算すると、怖いのでやめますが、ここ最近は、飲み会についてもいろいろな発見があります。 

 盛り上がる飲み会もあるのですが、かなりルーティン化している飲み会が多いことに気づきます。 

 年に2回あっているから開催しようとか、何かの仕事や行事が終わったから飲もうとか、飲む機会は様々なのですが、どうも飲み会という機会の重要度を認識していない人々があまりにも 多いことに愕然とします。

 盛り上がる飲み会は、みんなでひとつの話題に夢中になり、反応し攪拌し、新たな展開をしてとスリリングでとてもウキウキしてしまうものです。 

 でも、最近の飲み会に出て感じるのは、自分に固執せず相手の立場を意識した会話は弾む可能性が大なのですが。そうでないパターンがあります。相手を喜ばそう、少なくとも興味あるかなと、相手の立場を意識した会話よりも、ただ漠然と自分のエピソードを垂れ流す人や、どうでもいい話題、過去の出来事を描写する人たちが、多いように思えてきました。 

 私は飲み会をストレス発散の場とか、噂話大会とは思ってません。高校生のときに読んだ寺山修司の本に酒場が私の学校だったという名言がのっていた記憶がありますが、お酒の場というのは凄い可能性をもった場なんだと思います。現在の私という存在は、確実にお酒を飲む場の影響を大きく受けています。 

 お酒を通して、人は昼間の世界ではわからなかったその人の心を知ったり、緊張感が解けたなかでの新たに良いコミュニケーションがもてたりします。勿論、飲みすぎたり、お酒に飲まれて自分を忘れて他者を不快にしてしまうのは、おバカです。 

 お酒というのは、自分を伸ばす強い味方にもなれば、自分と他者を破壊する爆薬にもなるといった、凄いアイテムなのです。

 だから、お酒の場で普段の(昼間の)自分を演じているだけでは駄目です。例えば普段、自分は人見知りだからといって、飲み会でその自分に居着き、演じているとしたら、何のために飲み会に参加しているのかが不明になります。 

 飲み会には参加したけど、私は話下手だからと、話をすることを回避して、ただ飲食をして、時間が経過するのを待つという姿勢はアウトです。時間の無駄だし、相手を馬鹿にしています。 

 極論をいえば、飲み会は儀式なのです。いい飲み会は、みんなでワッと心から笑い合うものか、静かに心を開き合う時間といったことに尽きるように思えます。 

 いい飲み会にするかしないかは、自分に固執しないこと、相手の立場に立つこと、出会った貴重な時間に感謝できるかがポイントです。

 飲み会についてウンチクをこうして語っている私自体がどうも、ダサイなぁと思いつつ、自分を育ててくれた飲み会への感謝と報恩をこめて、このような駄文を書いてしまいました。

 そうそう、ここ最近「すべらない話」のDVDを何本か観ていますが、非常に会話の参考になります。 

 お笑い芸人の彼らはきちんとしたスーツ姿で、本当にあった体験談を脚色しながら、話します。 

 なんでもないような日常のちょっと変わった出来事が、彼らの話術にかかると大変面白く感じます。

 もし、彼らが、同じネタをタンクトップに短パンといったラフスタイルで、ダラダラと話したら、面白くもないでしょう。

 話ということに対する真摯な姿勢(正装)と、間の取り方(相手の立場に立つ)、そして場を盛り上げようとしている心のエネルギーが、あの長寿番組を生んだのだと思います。

 人は、せっかく言語という材料を与えられたのに、自分勝手な解釈で使用し続けて、改めて修正しようとか、精度を高めようとしていないのが殆どです。偉そうにいうようですが、飲み会はかなり効果的な自己啓発の場なのですが、たれ流しているだけの人々のあまりの多さよ。 

 人は誰かを喜ばさなくてはなりません。そう思ったのは、私のデスクから、いくつかのセクションの人たちが、多分30人くらいですが、見渡せます。彼らは、多分平均年齢が30代だと思われます。

 そこでいつもの妄想癖がでてきて、もし彼らが自分の自己主張しかしない存在ばかりの集団だったらどうなるんだろうと想像しました。それはそれはとてもおぞましく、一緒に仕事したくない集団でした。

 

 もし、彼らがお互いを生かし合うことを大切にしている集団だったら、それはそれはとても愛おしく有能な集団でした。

 あーもっと書きたいけど、そろそろ眠くなりましたぁぁぁぁぁぁあ(*v.v)。

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