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2011年7月

2011年7月27日 (水)

酒場が私の学校だった

今日は水曜日です。月曜から今日まで飲み会が3連荘でした。まだ、ちょっと酔ってますが、今日はスマートフォンの文字入力作業に辟易と疲れ果て、しかも職場のUSBから充電できなかったため、2回ほどソフトバンクショップに出かけ、一回サポートセンターに電話したりしました。結果はみるみるうちにバッテリー残量がなくなり、5%以下までは確認していますが、そのまま飲み会に参加し、3時間後は起動しませんでした。 

 帰宅して、コンセント充電して、やっと起動しました。やはり、今までの携帯電話の方が、バッテリー寿命も、入力も、ストレスレスでした。しかし、スマートフォンを買って後悔しているかと言えばしていません。新たな航海に出ていく船乗りの如く、荒海を乗り越え、未知の豊穣な大地に足を踏み入れてみせましょう。(。・w・。 )

 さて、何を言ってるのか、スマホの愚痴を言っていますが、ここ数日で思ったことを備忘録的に書いておこうと思います。(今日はですます調でいきます)

 夏シーズンが到来してから、飲む機会がかなり増えています。それ以外にも合気道のお稽古に行ったりしてしますので、奥さんの視線が気になったりもします。

 

 自分の人生、単純に計算しても飲み会は数千回単位であることは間違いありません。金額換算すると、怖いのでやめますが、ここ最近は、飲み会についてもいろいろな発見があります。 

 盛り上がる飲み会もあるのですが、かなりルーティン化している飲み会が多いことに気づきます。 

 年に2回あっているから開催しようとか、何かの仕事や行事が終わったから飲もうとか、飲む機会は様々なのですが、どうも飲み会という機会の重要度を認識していない人々があまりにも 多いことに愕然とします。

 盛り上がる飲み会は、みんなでひとつの話題に夢中になり、反応し攪拌し、新たな展開をしてとスリリングでとてもウキウキしてしまうものです。 

 でも、最近の飲み会に出て感じるのは、自分に固執せず相手の立場を意識した会話は弾む可能性が大なのですが。そうでないパターンがあります。相手を喜ばそう、少なくとも興味あるかなと、相手の立場を意識した会話よりも、ただ漠然と自分のエピソードを垂れ流す人や、どうでもいい話題、過去の出来事を描写する人たちが、多いように思えてきました。 

 私は飲み会をストレス発散の場とか、噂話大会とは思ってません。高校生のときに読んだ寺山修司の本に酒場が私の学校だったという名言がのっていた記憶がありますが、お酒の場というのは凄い可能性をもった場なんだと思います。現在の私という存在は、確実にお酒を飲む場の影響を大きく受けています。 

 お酒を通して、人は昼間の世界ではわからなかったその人の心を知ったり、緊張感が解けたなかでの新たに良いコミュニケーションがもてたりします。勿論、飲みすぎたり、お酒に飲まれて自分を忘れて他者を不快にしてしまうのは、おバカです。 

 お酒というのは、自分を伸ばす強い味方にもなれば、自分と他者を破壊する爆薬にもなるといった、凄いアイテムなのです。

 だから、お酒の場で普段の(昼間の)自分を演じているだけでは駄目です。例えば普段、自分は人見知りだからといって、飲み会でその自分に居着き、演じているとしたら、何のために飲み会に参加しているのかが不明になります。 

 飲み会には参加したけど、私は話下手だからと、話をすることを回避して、ただ飲食をして、時間が経過するのを待つという姿勢はアウトです。時間の無駄だし、相手を馬鹿にしています。 

 極論をいえば、飲み会は儀式なのです。いい飲み会は、みんなでワッと心から笑い合うものか、静かに心を開き合う時間といったことに尽きるように思えます。 

 いい飲み会にするかしないかは、自分に固執しないこと、相手の立場に立つこと、出会った貴重な時間に感謝できるかがポイントです。

 飲み会についてウンチクをこうして語っている私自体がどうも、ダサイなぁと思いつつ、自分を育ててくれた飲み会への感謝と報恩をこめて、このような駄文を書いてしまいました。

 そうそう、ここ最近「すべらない話」のDVDを何本か観ていますが、非常に会話の参考になります。 

 お笑い芸人の彼らはきちんとしたスーツ姿で、本当にあった体験談を脚色しながら、話します。 

 なんでもないような日常のちょっと変わった出来事が、彼らの話術にかかると大変面白く感じます。

 もし、彼らが、同じネタをタンクトップに短パンといったラフスタイルで、ダラダラと話したら、面白くもないでしょう。

 話ということに対する真摯な姿勢(正装)と、間の取り方(相手の立場に立つ)、そして場を盛り上げようとしている心のエネルギーが、あの長寿番組を生んだのだと思います。

 人は、せっかく言語という材料を与えられたのに、自分勝手な解釈で使用し続けて、改めて修正しようとか、精度を高めようとしていないのが殆どです。偉そうにいうようですが、飲み会はかなり効果的な自己啓発の場なのですが、たれ流しているだけの人々のあまりの多さよ。 

 人は誰かを喜ばさなくてはなりません。そう思ったのは、私のデスクから、いくつかのセクションの人たちが、多分30人くらいですが、見渡せます。彼らは、多分平均年齢が30代だと思われます。

 そこでいつもの妄想癖がでてきて、もし彼らが自分の自己主張しかしない存在ばかりの集団だったらどうなるんだろうと想像しました。それはそれはとてもおぞましく、一緒に仕事したくない集団でした。

 

 もし、彼らがお互いを生かし合うことを大切にしている集団だったら、それはそれはとても愛おしく有能な集団でした。

 あーもっと書きたいけど、そろそろ眠くなりましたぁぁぁぁぁぁあ(*v.v)。

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2011年7月23日 (土)

AQUOS PHONE 購入と立ちはだかる難題

  おじさんも、遂にスマートフォンを買ってしまった。奥さんが先週 iフォンを買ったので、羨ましくてという訳でもないのだが、携帯でダウンロードした動画とかを観たくて.思い切って買ったのだ。何で思い切りが必要っかっていうと、だってAQUOS PHONE 006SHは9万円もする機種なんだもの。 

 画面がでかいDELLとか安かったし、ガラパゴスも6万円ぐらいだったので、どっちかを買おうと思っていて、確認のため昨日、職場近くのソフトバンクショップに寄ってみた。1ヶ月くらい前に携帯を修理してもらってから、そこのお兄ちゃんとなんとなく仲良くなって数回通っていたのだ。お兄ちゃんはアンドロイドよりもiフォン派らしいが、2機種を言うと、DELLはだめ、自分もガラパゴス持っているがAQUOS 006がダントツにいいとおっしゃる。 

 DELLよりもガラパゴスの方がモバイルスイカ可能だし、ワンセグも3Dカメラもあるので、気持ちは傾いており、高価な006は高嶺の花という位置づけであった。

 しかし、お兄ちゃんにあそこまで、断言されてしまうと、気持ちが動いた。インターネットでも006の評価はダントツに高かったが、実は何が凄いのかがよくわからない。 

 多分、ガラパゴスを買ったとしても、現在の携帯電話にプラスアルファの動画とか、画面が大きくなればいいという程度の要望しかない自分にとっては満足であっただろう。

 しかし、少しでも安くとか、損するなとか、投資分のリターンとか、迷ってしまう心が微妙に気持ち悪くて、まあちょっとは贅沢して、良い気分になるのもよかろうということで、購入を決めた。

 まぁ買ったのはいいけど、帰宅してから、前の携帯アドレス帳をsdカードで、006に移す作業をしていたけど、どうもうまくいかない。だんだん、贅沢な気持ちは焦り、イラつきへと変化し、ソフトバンクに電話したらスマホ担当が忙しくて、明日返事するとのこと。購入したヨドバシにも連絡したら、006本体が手元にないのでわからないとのこと.....。

 だから、こういうIT製品はダメなのだ !!家電並みにしろ!!  かつてPCがフリーズして膨大な時間をドブにすてたトラウマがよみがえってくる。 

 落ち着け、落ち着けと006のカバーをはずし、sdカードの装着部分を再確認すると、どうもきちんとロックされていないようだった。再チャレンジすると、大成功であった。

 大きな難問?を解決できたので、お風呂に入りつつ、なぜ自分は落ち着いて物事にあたれないのか、丁寧な作業がてきないのかと反省し、風呂上りにはお酒を飲むのであった。 

 次の課題は、モバイルスイカだ。これは機種変更前に現在の残高を一旦保留しなければならないのだが、そのまま機種変更したため、再発行手続きをして500円とられた。しかも、携帯メルアドが30文字くらいあるので、それを再度入力して、失敗して消滅し、再度入力してという作業をして、おじさんもうへろへろです(ρ_;)

 あまり興味なかった3D撮影でしたが、実は結構面白かったのでした。

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お年寄りたちの殺人集団のおバカ映画だけど、これはスマートフォンで観たら迫力ないなぁ

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A浜口さんと自己開放

昨日は久しぶりにアニマル浜口氏と話す。大手新聞の取材が来ていて、その直後の短い時間だったが、考えさせられた。 

 浜口氏は、独特のキャラクターをもち、レスラー時代よりも引退後に大ブレイクをした。 

 浜口氏は、変化し続けている。 

 その変化を支えているのは、求道・探究心と人間愛という不変の基盤である。

 

 浜口氏とは、現役時代に活躍したスポーツ選手が、覇気がなくなったり、輝きが失せてしまうとしたら加齢だけでなく、自分を固定化しているからだという話になった。 

 ある程度の年齢になると、自分はこうであるべきとか、他者からこう見られなければという縛りがきつくなり、自分を開放することが困難になってしまう。 

 浜口氏は、意識的に大声で笑ったり、自分を表現することを行なっている。若い道場生たちし汗を流し、笑い、歌っている。練習後は、円陣を組み、みんなに向かって、そして被災地と原発事故、風評被害への祈りのエールを大声で叫ぶ。 

 

 固定化してしまっている自分という枠が、浜口氏のように大声で笑い、自己表現することを拒んでいる。それは何故か?浜口氏の迫力ある生き方に、驚き面白がりながらも、自分とは違うと判断してしまう基準は存在するのか。

自分は、サラリーマンで給料を貰う身分であり、メディアに出る有名人ではない。自己表現をして他人からも家族からも変な目でみられたくない。そもそも自分の自己とは何かがよくわからない....。 

 そこまでして、私たちの守りたい自分自身という存在が、どのようなものなのかが、よくわかっていないのではないだろうか。 

 浜口氏も同じなのかも知れない。違うのは、だからこそ真剣に自分を観る、知っていくということを突きつめていることではないか。そして、その作業は、時には壁にぶつかり痛みを生ずる。そして、そこでまた自分を知り、変化をする。 

 私たちは、生まれっ放し、生きっ放しの自分をなんとなく、自己だと思い込んでいる。それを自己表現や、自己開放の自己だと思っては危険だ。 

 真の自己開放とは、自分を見つめること、そして変わることを許容することによって導かれるのかも知れない。 

 年齢を重ねるほど、自分はかくあるべし、人生や世の中はこんなもんという固定観念が強くなりがちだけど、それを崩し、再構築することが大切だと思うとともに、自分を開放し表現することは、独りよがりではなく、周囲を明るくすることだとも思ったのでした。

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2011年7月16日 (土)

飲んで贅沢ばかりしての反省

 昨夜は、篠崎町のお寿司屋さんで、研修講師の仲間たちとの飲み会があった。 

 江戸川区篠崎町には、有名な本屋さん「読書のすすめ」があり、なかなか行く機会がなかったため、今回はチャンスとばかりに宴会には遅れてしまったけど、立ち寄ってみた。想像していたよりも広く、清水店長はレジ前の椅子に座ってリラックスしておられた。ここは何とレジ横にビールサーバーがあり、希望者は店内で生ビールが飲めるのだ。時間がないために、「福澤諭吉 人生の言葉」という単行本を購入して、急いでお寿司屋さんに向かった。 

 このお店は、清水店長が自分の気に入った本だけを売っているために、開店当初は住宅地の小さな本屋で店主セレクトだけを扱うのは無謀だと言われてきたらしい。やがて斉藤一人さんが立ち寄るようになり、清水店長も本のソムリエとして著作を出し、現在は講演やテレビ出演等にお忙しそうである。 

 そして今日は、竜泉にある普茶料理「梵」に、奥さんとご両親と一緒に行く。普茶料理とは「約300年前、中国、明の隠元禅師が 京都宇治に黄檗山萬福寺を建立した折より伝わる精進料理でございます。」ということらしい。この店は、52年前に創業とのこと。

 肉は一切使わず野菜類だけで、蒲焼や、てんぷら、角煮そっくりの凝っている料理が出て、美味しく愉しんだが、予想以上のボリュームでかなりお腹が張ってしまった。コース料理に3時間ほど費やし、帰りはホッピーストリートや、伝法院通りを通って浅草駅まで歩いた。 

 昨日、今日と贅沢をしてしまったけど、本当にそれに見合うだけ自分は一生懸命に生きているんだろうかと自問自答しながら、こうしてキーボードを叩いている。 

 そして、後悔したり、自分を問い詰めるのではなく、こうして贅沢させて頂けたことを感謝し、周囲に報恩していくことが、大切なんだと思っている。

 Photo

ベクシル-2077日本鎖国-」ハイテク技術を極めた近未来を舞台に、国際社会から孤立し完全鎖国を行う日本の姿を描くアニメ超大作。映像も良かったし、アクションシーンもドキドキしたし、敗戦後の闇市のようなシーンも懐かしかったけど....なんかラストがあっけなかったなぁ( ̄ー+ ̄)

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採用面接に想う

今週は新規採用の面接を2日間行なう。

新卒者を中心に、20代前半が殆どの若者たち20数人に、さまざまな質問を浴びせる。

 ただし、面接では何でも聞けるわけではない。 

 厚生労働省職業安定局就労支援室の「採用のためのチェックポイント」では、人生観、生活信条に関すること、尊敬する人物に関すること、愛読書などに関することを質問しては問題ありとしている。

 確かに出身地や、家庭環境、宗教や支持政党を質問するのは、就職差別につながる怖れがあるというのは理解できるが、尊敬する人物や、好きな本などまで聞いてはならないとなると、質問範囲がかなり限定されてくる。 

 面接の時間は大抵が10~30分くらいが多いだろうが、その短い時間で相手を知るには、質問メニューは豊富であった方がよい。もちろん、限定されているとしても、その狭隘な範囲の中で知恵を使って、質問をし続ける努力をしなければならないのだが。 

 もし、学生時代に膨大な読書量があったり、かなり愛読書に没頭した経験があったり、映画をいっぱい観て、人生や世界を学んだ受験者がいたとしても、面接ではそこには十分触れられないまま、バイトに明け暮れた他の受験者と同じフィールドに立って、その範囲の質問に応対しなければならなくなる。  

 かなり昔に私が採用面接を受けたときは、子どもの頃からコンプレックスを抱いていた生まれ育った地域と家庭環境を、自分から前面に出して答えて、ルーティン化した質問をしていた面接員たちの顔が、グッと反応し、良い意味で空気が変化していった記憶がある。  

 採用面接がマニュアル化され、画一的になってしまうのは、致し方ないし、そこで努力しなければならないのはわかるが、このままでいいんだろうかという疑問もある。

 現状の面接技法では相手の受答えに対する分析、確認、査定といった側面が強く、、相手を知るということからは離れているような気がしてしまう。

 勿論、採用面接であるから、取捨選択する必要があり、そんな甘っちょろいことを言うべきではないといわれてしまいそうだが.....。 

 組織として人を採用すべき基準は、経験や資格、自己PRといったものだけではないはずだ。「○○して成果をあげました」や、「○○資格もってます」や、「私は○○できるタイプです」といった人物ばかりが集められた組織としいうのは、いかがなものだろうか。その組織はハツラツと機能することができるのだろうか。 

 「組織は人なり」とよく言われるが、その「人」とはどんなものを持っている人なんだろう。私は、単に能力や、資格といった成果主義的な要素だけではなく、人懐っこさや、面白さ、意外性をといったものを抱えた人だとも思える。 

 だから、面接の場でも、できる限り、その人のマニュアル化された応答ではなく、生身の一部分でも知りたいと強く思うのだ。

 

 面接の場で、黒澤明や小津 安二郎を熱く語る女子大学生がいたら、びっくりするだろうなぁ....

 

 

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2011年7月12日 (火)

恥ずかしい上司

今日は課の暑気払い。

 就業後、課のみんなは一斉にバスに乗るため、出て行った。

  私は、会場がアサヒビール本社だったため、自宅に近いので後から自転車で行こうと出口に出ると、仕事上の有力者のお二人にばったり出会う。 

 これから課の暑気払いですと話してから、お二人もこれから一杯やるんじゃじゃないですかぁと、指先を振りながら、茶化した。 

 二人と別れて、自転車を漕ぎながら、人様に指差しはNGということを思い出し、そんな失礼な指差しはしてないよなぁ、むしろ指を左右に振っていた感じだよなぁと実際に指先を振ってみた。  

 暑気払い会場に着くと、若いスタッフから課長は楽しそうに自転車漕いでましたねと言われた。人差し指を振りながら、自転車を漕いでいたので、私たちのことに気づいていたのかと思いましたと言われた。 

 私が偉い人にヤバイ態度しちゃったかなと、ニタニタして、指先を振りながら自転車を漕いでいたのだが、それとみんなの乗ったバスがしばらく伴走していたのだった。

 あー恥ずかしい。スタッフのみんなはニタニタして指先を左右にふりながら、自転車を漕いでいる上司を見て、どのようにおもっただろうか( ̄Д ̄;; 

 押忍!!!!

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2011年7月10日 (日)

街場の建築論

今日は午後5時から、日本建築家協会で内田樹先生が「街場の建築論」というセミナーの講師をされるので、神宮のJIAビルまで銀座線にのって行く。

 参加者は、建築関係の方が多そうであったが、それ以外の内田ファンもいらっしゃる様子であった。 

 話の内容は、3.11以降の原発に対する国の態度や、日本人論からはじまり、市場原理から離れた建築のあり方や、共同体スケールなどのお話とともに、現在建築中の凱風館の設計、コンセプトといった盛り沢山の内容であった。

 

 西本願寺は、きっと永遠にその建物が未来も存在している前提で建築されているはずだが、現代の建築家は30年位のスパンでしかみていないのではないか。建築が市場原理のマネーからのものになっていることに対して、建築家が多い会場で、警告を発するあたりはスリリングであった。

 最後の方は、凱風館プロジェクトは、一番若い設計を担当した光嶋さんを、みんなで支え育んでいくというはなしになり、建築というものがお金のやりとりだけではなく、関わった人間のつながりから生み出すものといったダイナミックな結論で2時間が終わった。

 

 セミナー終了後は、急いで浅草に戻り、とろろ専門店「むぎとろ」で、コース料理を堪能していたうちの奥さんと親戚たちと合流する。コース料理は時間的にアウトなので、簡単なセットメニューと生ビールを頼んだ。最後の麦飯ととろろはボリュームがあり、おなかいっぱいとなる。

 

 明日からお仕事。夜のお付き合いも多い。昨日から、カルピスのアレルケアを飲み始めたのだけど、他力はよくないと思いつつ、カルピスの選りすぐりの強力乳酸菌に期待したい!(^-^;

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2011年7月 9日 (土)

選択の科学

9784163733500 全盲のコロンビア大学教授シーナ・アイエンガの「選択の科学」を読む。 

 以前、ビートたけしの「世界の天才が日本を救う」という番組の中で教授が、少子晩婚化対策としてお見合いの復活を提案していて、なるほどそうきたか!と思わず膝を打ってしまった覚えがある。 

 「選択は本能である」.....恵まれた環境にある動物園の動物が、野生動物よりも寿命が短い。たとえば野生のアフリカ象の寿命は56歳だが、動物園のそれは17歳という。動物園の動物には、過剰な毛づくろいや、意味もない往復運動などの神経症状をみせる動物が多いがその理由は、野生のときのような、「選択」ができないことに起因している。 

 英国の20歳から64歳の公務員男性1万人を追跡調査した結果は、職業階層が高ければ高いほど、寿命は長かった。これらは、職業階層の高さと仕事に対する自己決定権の度合いが直接相関していたことに理由があった。老人ホームでも、観葉植物や映画などの、選択の自由度が高いグループの方が、長生きしたらしい。 

 この本には、選択できる自由が人生をつくっていく。だから選択することの大切さを認識し、本当に必要な選択をしていこうという当たり前のようだけど、普段は意識しないことについて、科学的検証や、歴史文化的な視点と、ユーモアをもとに書かれている。

 面白かったのは、商品の選択肢が大きいほうが、売り上げも伸びると思えるが、アイエンガー教授が行なった有名な実験では 24種類のジャムを売り場に並べたときよりも、6種類のジャムを売り場に並べたときの方が、10倍の売り上げがあったらしい。  

 結婚も、自分が伴侶をみつけるのが、当たり前のようだが、世界では親族や、年長者たちが、結婚相手を強制的?に決める風習文化が存在している(かつての日本も...)。それは人権無視で、人生を悲惨にするような習慣かというと、そうとはいいきれないところがある。恋愛結婚したカップルは最初の高揚感、幸福感は10年後にはかなり減少するが、見合いや許婚では、逆に年数を経るほど高いパーセンテージとなる。

 選択肢が極端に限定されることは、生命や、幸福を奪ってしまうが、選択肢が多すぎるのも適格な判断ができなくなったり、混乱したりすることになる。 

 この本を読み終えて、現在の原発情報が多すぎて、混乱している現実の日本を思い浮かべてしまった。政府サイドの安全ですよというメッセージと、チェルノブイリを引き合いに出したりして、危険だと主張する週刊誌や、評論家たちの間に、国民はどっちが正しいのかと揺れている。 

 きちんとした情報提供を求めるのは当たり前だが、それを待っているという選択のほかに、それを求めても現実は無理であり、その状況の中で国外や、九州に逃げるのか、或いはリスクを自覚しつつ通常通りの生活を維持していくか、選択の範囲は無限大になる。

 ただし、ジャムの実験のように選択肢が拡大しては、決断ができないという状況にも陥りやすい。だから、私は、この東京で、少々節電に気を配りつつ、いつもどおりの生活をして、自分と周りの人たちと愉しんで生きていこうと思っている。 

 テレビで太田光が、放射線量に神経質になっている風潮に対して、国ははっきり大丈夫だといえ、ぶれるから不安を煽るんだと怒っていた。俺たちの年代はチクロとか、サッカリンとか、排気ガスとかで、危ないと言われてきたが、こうして元気なんだと。 

 昨夜、一緒に飲んだアラ60の方々は、中国は1964-1996年に46回も核実験を行なっており、自分らは相当の放射線量を浴びてきているはずだとおっしゃっていた。

 政府は、枝葉の数値や安全を発表しているだけではなく、幹の部分で「絶対大丈夫」というべきなのかもしれない。今のところとか、思われますとか、専門家の意見では...という責任を問われないための守備ガチガチの発表をしても、国民が納得するとは思っていないはずであるが....。政府の選択範囲が、狭隘な範囲に集中している結果なのだろうか。  

 今の日本を立て直すための選択は何か......。ついつい考えてしまうテーマだ。

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 「私がクマにキレた理由」。これはとっても面白い。 

 大学を出て、企業に就職しないで、セレブのナニー(子守り)となった女性のはなしだけど、邦題のダサさとは、比べ物にならないくらい、惹き込まれる。

 

 

 

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2011年7月 2日 (土)

ポジティヴは統合しパワフルになる力

今週は、飲む機会が多かった(いつもながら..)。火曜は合気道暑気払いで、K君とクールポコっぽく合気ネタでコントをやったが撃沈してしまい、その傷心のせいかかなり飲んでしまった。そのまま水、木、金と飲み会は続き、やっと土曜日。あー、落ち着いた。 

 午前中にクリーニングやさんに行ってから、そのまま浅草ROX書店へ向かう。私は活字中毒のために書店いるとほっとする。北海道とか、沖縄にいっても感じの良い書店があると、入ってしまう習癖をもっている。話題の現政府官僚が書いた「日本中枢の崩壊」にも興味あったが、久しぶりにスピリチュアル系のコーナーに行くと、バシャールの新刊が出ていたため、迷わず購入。ついでに横にある銀色夏生さんとECTONの対談本も購入する。 

 今日はもう何もやらんぞ(洗濯物を取り込む以外)という気分で、午後からベッドに横になりながら銀色夏生さんの本を読破し、内田先生「最終講義」の後半を読んで、「BASHAR GOLD」を半分ほど読む。 

 このバシャール本には「バシャールとわたし」という健康本体験談のようなコーナーが載っているが、その中で23歳で上咽頭ガンを発症し、バシャールの言葉をヒントにガンと付き合って、やがてガンが消滅し、現在は結婚して米国在住の女性の手記があった。

 彼女が昔読んだバシャール本には「ポジティヴエネルギーは、統合。ネガティヴエネルギーは、分離。力は分離すると弱くなり、統合するとパワフルになる。」と書かれていた。

 入院していた彼女は、「ガン細胞って.....」 「無制限に細胞分裂.....」「あっ!!!!!!!!!」と気づき、「ガンくん一体化計画」というプロジェクトとして、ガンくんたちが手をつなぎ、ひとつなり、正常細胞と手を取り合い、合体するイメージをし続け、それから正常値にもどっていたそうだ。

 

 私は そこに紹介されていたバシャールの言葉に釘付けになった。 

ポジティヴな、肯定的なエネルギーは統合する本質をもっています。急激に増加し、パワフルにつながる力をもっています。                                ネガティヴな、否定的なエネルギーは物事を分離させます。ひとつひとつをより遠ざけて、バラバラにします。                                           ですから、共同作業をするということがいかにパワフルであるかを覚えておいてくたざい。

 

 昨日の合気道では、相手の向かいたい方向を自分が変えようとするのではなく、相手と一体となって共に進んでいく稽古をしていた。 

 相手を自分と別物で、それを無理やり何とかしようとすると、技はまったく効かない。相手を分離して、憎き敵としてみるのではなく、自分とひとつになったた存在として扱うことによって、技の切れ味はまったく違う。(技をかけるために、相手と統合しようと思っていても、それでは効かない)。 

 バシャールの言葉、私もかなり昔から知っていたけど、単なる記憶の一部になっていた感があったのだが、こうして実際に自分がその言葉を、自分の心と身体を使って、現在、実証しようとしていたとはちょっと驚いた。 

 ポジティヴ....前向きで、愉快な気持ちが、心身を健康にし運命を変え、武道の技も冴える。飲みすぎてはいたけど、今週は学び多き日々となりました。(´▽`)

 

 

 

 

 

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