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2011年7月23日 (土)

A浜口さんと自己開放

昨日は久しぶりにアニマル浜口氏と話す。大手新聞の取材が来ていて、その直後の短い時間だったが、考えさせられた。 

 浜口氏は、独特のキャラクターをもち、レスラー時代よりも引退後に大ブレイクをした。 

 浜口氏は、変化し続けている。 

 その変化を支えているのは、求道・探究心と人間愛という不変の基盤である。

 

 浜口氏とは、現役時代に活躍したスポーツ選手が、覇気がなくなったり、輝きが失せてしまうとしたら加齢だけでなく、自分を固定化しているからだという話になった。 

 ある程度の年齢になると、自分はこうであるべきとか、他者からこう見られなければという縛りがきつくなり、自分を開放することが困難になってしまう。 

 浜口氏は、意識的に大声で笑ったり、自分を表現することを行なっている。若い道場生たちし汗を流し、笑い、歌っている。練習後は、円陣を組み、みんなに向かって、そして被災地と原発事故、風評被害への祈りのエールを大声で叫ぶ。 

 

 固定化してしまっている自分という枠が、浜口氏のように大声で笑い、自己表現することを拒んでいる。それは何故か?浜口氏の迫力ある生き方に、驚き面白がりながらも、自分とは違うと判断してしまう基準は存在するのか。

自分は、サラリーマンで給料を貰う身分であり、メディアに出る有名人ではない。自己表現をして他人からも家族からも変な目でみられたくない。そもそも自分の自己とは何かがよくわからない....。 

 そこまでして、私たちの守りたい自分自身という存在が、どのようなものなのかが、よくわかっていないのではないだろうか。 

 浜口氏も同じなのかも知れない。違うのは、だからこそ真剣に自分を観る、知っていくということを突きつめていることではないか。そして、その作業は、時には壁にぶつかり痛みを生ずる。そして、そこでまた自分を知り、変化をする。 

 私たちは、生まれっ放し、生きっ放しの自分をなんとなく、自己だと思い込んでいる。それを自己表現や、自己開放の自己だと思っては危険だ。 

 真の自己開放とは、自分を見つめること、そして変わることを許容することによって導かれるのかも知れない。 

 年齢を重ねるほど、自分はかくあるべし、人生や世の中はこんなもんという固定観念が強くなりがちだけど、それを崩し、再構築することが大切だと思うとともに、自分を開放し表現することは、独りよがりではなく、周囲を明るくすることだとも思ったのでした。

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