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2011年6月15日 (水)

教会の前夜式

今夜は41歳で亡くなったHさんの前夜式(お通夜)が教会であり、参列する。Hさんとは短い期間だったが一緒に仕事をして、パワフルな方だという印象が強い。

 教会は多くの方々が、Hさんを偲び、祈りをあげ、讃美歌を歌い、献花をした。 

 よく知らない讃美歌をなんとなく周囲にあわせて歌っていたら、歌詞の中に命がけで人の為に生きたというような部分があった。なぜかその部分に体が反応した。

 明日も重要な委員会があり、その下調べをして、帰宅してからも読もうと鞄につめて、教会にも持参した。でも、それは一生懸命に誰かのためにというよりも、自分が失敗しないためうまくやろうという打算が強いものだった。 

 若くして亡くなったHさんのように、自分は一生懸命に生きているるだろうかと教会の椅子にすわりながら、自問する。 

 自分は打算で生きていないか? 打算で仕事をして、人と出会っていないか? 

 式に参列した私の奥さんはお清め?に行ったので、一人で帰宅して資料を読み込もうと思ったけど、ワインを飲んでこうして自問自答している。

 自分は弱い存在だから、虚勢を張って認められようとして、疲れている。もともと弱い存在でもなく、讃美歌のように神からこんなに愛され、支えられている自分なのだ (たとえば生命への脅威もなく、こうして健康で、お酒が難なく飲めている奇跡・・・ちょっと違うか) という原点に立ち返る必要があるのかもしれない。 

 久しぶりに行った教会(昨年の結婚以来)に行ってHさんの姿をみながら、生きているということの神秘さを感じた。喜怒哀楽は地上のもので、あの世へは持っていけない。持っていけるのは純粋な魂だけである。 

 魂として、生きる自覚。それは我執から離れて、透明になってエネルギッシュに生きること。そんなことを今夜想う。

 

 

 

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