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2011年4月 9日 (土)

自粛か、決行か?

 東京の桜は満開だが、今日はこれから雨が降るらしい。今朝は花粉症がひどくなり、早く目がさめてしまった。例年だと咳き込むことは少なかったが、今年は咳もでるし、鼻づまりもコンクリートのような感じだ。調べてみたら、関東の花粉量は例年の10倍程度らしい。昨夜は上野で歓送迎会があって、その後も自宅で呑みなおしてしまい、そま反動がきたのかもしれないと反省....(ノ_-。)

 上野公園の夜桜は照明が少ないながらも、とてもきれいだった。自粛ムードにより例年のビニールシートをひいた宴会は見られなかったが、人出もそれなりにあった。私的には桜並木を薄汚れたシートで占有したり、酒や弁当のごみ、異様に甲高い声がなく、静かに桜たちをみながら、ほのかな幸せを感じられる今年の花見風景が好ましい。

 全国的に、震災被災者を考慮した、イベントや祝い事等の自粛がひろまっている。石原都知事の花見自粛発言から、公園では自粛を促す看板が立てられた。しかし、先日、看板は撤去されたらしい。行き過ぎた自粛による規制が、経済の悪影響を及ぼし、それは復興につながらないという論調もみられるようになっている。また、経済効果だけではなく、祭り等の中止については、神事、仏事であり、復興に向けた祈願に通ずる行事をやめるのは、けしからんという意見もあかっている。イベントについても、このまま開催しないと日本人のこころは暗くなってしまい、それは悪影響となるので、震災地を勇気づける意味でも開催しようという声もある。

 また、自粛という動きは、被災地の悲痛な状況に対する考慮とともに、電力需要の抑制という理由もある。自粛はすべきなのか、すべきではないのか?

 先月11日の地震直後の数日間はテレビは震災特番だけであったが、現在、おバカ番組群が復活して、震災報道がNHKの一部と、各局ニュース番組になっている現状をみると、ちょっとこれでいいのかなぁと感じてしまう。

 ニュースばかりでは暗くなっちゃうから、楽しい番組もみなくちゃというのも理解はできる(私は暗くならないけど)。でも、ここで問わなければならないのは、私たちの復興とは過去の日本に戻り、その生活とシステムを維持してこうとするのかということだ。

 私たちが震災前と震災後を比較して、失ったものはなにか、学んだものはなんだったのか。一ヶ月前とくらべて、今の日本と私はどう変わったのか。

 この国自体を襲っている危機的状況は、地震と津波だけなら自然災害の要素が大きかったが、原発問題は自然だけではなく、人的災害の要素も強い。原子力発電の危険性を知りつつ、コストと効率性から原発推進してきたのは私たちの社会である。もし事故が起こり放射物質が流出した場合は、国家的なダメージとなることを知りながら、脆弱な想定内に基づいた危機管理しかしてこなかったのは、東電と国の責任であり、自分たちの安全を無防備に依存し、委託してきた私たちの責任でもある。

 私たちは、もう一ヶ月前の日本に戻りたくても戻れない。日本が国家的危機に陥っているのは、被災地周辺だけの問題ではない。まだ危険な状態にある原発の放射汚染、経済的沈滞、被災者たちの生活支援、海外諸国の偏見の払拭等々、国家レベル、いや、国民一人ひとりによる問題の解決と新しい国づくりが必要とされているのだ。

 もちろん、そのためには、私たちが元気であることが重要だけど、はっきり言えば、テレビのおバカ番組をみて面白がっている元気レベルでは通用しない。もちろん、その面白さを糧に、何かにチャレンジしたり、誰かを励ましたり、笑わしたりできるのならば、それは良しだ。

 ただ、なんとなく、楽しければOK、経済効果あればOKというようなごまかしムードには注意しなければならない。それは、復興とか、新生ではなく、一ヶ月前の生き方をなぞろうとしているだけだから。

 長くなってきたからそろそろ、まとめなくちゃ。

 被災地のことを本当におもって、花見を自粛するのは自然な流れだと思うし、経済効果だ暗くなっちゃ駄目とブルーシートで桜を占有し、馬鹿騒ぎをしているのは、本当のおバカだ。 しかし、満開の桜の花をみながら、移ろいゆく自然を感じ、生命の躍動感とはかなさを味わうことは、とても素敵なことだ。お酒が入ったって、お喋りをしたってかまわないはずだ。

 この危険な状態の時期だけど、せっかく満開となってくれた桜を見ない手はない。桜の満開の時間は限られている。自粛としてストイックになる必要なく、花見を楽しんでいいんだと思う。ただし、破目を外さずに。

 心静かに桜の花を愛でる気持ちが、日本を復興させるのだと私は思う。その心を私たちはめまぐるしいテレビ番組のような生き方、生活をしてきて、忘れかけていた。

 イベントも、自粛風潮に対する自己防衛として取りやめているのならば、そのような上辺だけで取り繕う団体、企業に満ちた国の未来は弱々しい。イベントをやりたいならやればよい。しかし、おためごかしな被災地支援を隠れ蓑にするのではなく、一ヶ月前とは違った意識で、(それは人の生命のはかなさや、自然への畏敬、連帯への参加等)ブレーし、応援してほしい。そして、収益から義援金をどんどん出してほしい。

 満開の桜の花見、様々なイベントを体験できることの、本当の有り難さを実感し、感謝して、日々の生活を営めたら、世界は日本の底知れぬパワーに感嘆し、放射汚染まみれのイメージは払拭されることでしょう。

 さあ、花見に行こう、スポーツをみよう、音楽もきこう。飲み会も愚痴と噂、馬鹿話一色ではなくて、東電と菅さんの悪口ばかりではなくて、自分たちがどう生きるかを少しだけでも語り合ってみよう。

 そうしたら、凄い国になっていくような気がしてきた......

 長々とすみません

 

 

 

 

 

 

、 

 

 

 

 

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