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2011年2月12日 (土)

「無縁社会」と言うより「断縁社会」

NHKスペシャル「無縁社会 新たな“つながり”を求めて」を観た。孤独な人々の声を生々しく、番組は伝えている。

人間が「無縁」で生きるということはあるのだろうか。孤独を感じる自分は自分ひとりで成長したのではなく、親、保護者から衣食住を与えられ、育まれてきた結果である。誰かがいたから現在の私たちは存在している。たとえ、親兄弟が亡くなっても、たぶん親戚や友人、知人は存在しているはずである。その関係がわずらわしければ、縁を断つことも可能なのが現代社会である。

 私たちは完全自給自足の生活でもしない限りは、他者の存在がなければ生存していけない。食料をつくる人、それを運び人売る人、それを買うお金をくれる人.....。そのつながりは単なる物理事象としてのネットワークではなく、生きているということは社会の中で生かされているという事実なのだ。

 「無縁」の「縁」とは、何のことを言っているのだろう。 

 番組を観ていて、息苦しくなったのはどうしてだろう。多分、「無縁社会」といいつつも、まったく家族親族や社会との縁が存在していないというよりも、事情があるだろうけど、その関係を自ら絶っている「断縁社会」のように感じたからかもしれない。現代社会の「無縁」を拡大しているのは、外的要素ではなく、自分の内的要素が大きいのかもしれない。

 自分の話相手がいない。自分を理解してくれる人がいない。ひとりぼっちで死んでいくのが辛い.......。このNHK番組に電話して孤独なメッセージを伝える人が1万件を超えているとのことだった。

 1万人以上が、自分は淋しい、誰も話し相手がいないと訴えている。変な想像で恐縮だが、もしその人たちがNHKホールに集まり着席しながら、自分は一人ぼっちだと言い続けている空想イメージが湧いてきてしまった。自分の孤独を嘆くだけてばなく、周りにいる人たちの声をまず聴いてみることが大事だと思う。

 えらそうにいってすまない。孤独な人の気持ちがお前わかってるのかとお叱りを受けるかもしれない.....。

 .実は、私は孤独な人たち数百人に育てられてきた。故郷を捨て、家族や親類とも縁を切り数十年会っていないで、住民票や戸籍を抹消された人もいた。抹消されれば、客観的にはもう日本人としては存在しないとなる。現在の「無縁社会」当事者と自認している方々でも、殆どは戸籍があり住民登録はしているはず。

 私の家はそのように血縁関係、故郷との縁を断ち切って、肉体労働や、非社会的行為によりその日暮らしの人生を送っていた人たちの宿泊所だった。定員は約百人で、ほぼ満員だった。そこでは、一泊何百円と一日単位で料金が設定されたが、半分近くは定住して、数十年住み続けている人たちもいた。

 そこでは、必要最低限以外の干渉はしない暗黙?の掟があった。彼らは皆孤独だった。社会からも冷たい眼でみられ、差別され、無視もされてきた。それでも、自殺する人は皆無だった。そして、そこで仲間ができたり、子どもだった私を可愛がった。

 孤独・孤立を選択した彼らは、現代の「無縁社会」の人たちと同様に相当な自己葛藤はあったはずだが、その葛藤に翻弄されたままではなく、彼らは生きようとした。身体を使って、日銭を稼ぎながら生き抜いた。過酷な肉体労働でボロボロになり、仲間と酒を飲み、ある者はギャンブルをし、ある者は喧嘩をしながら、一日一日を生きた。

 私のこども時代のその体験は、ある意味で凄かった。そしてそれ以上に、うちの両親の体験は本にできるほどだ。

 「無縁社会」という言葉は、孤独を社会システムに責任転嫁できそうな響きがある。その社会をつくっているのは一部の人間ではなく、「みんな」である。社会の中で生きながらも、縁を断ち、再結しようとしない人たちが多くなってきたのが「絶縁」「断縁」社会だと思えるのだ。

 中一だった私は、井上陽水のデビューアルバム「断絶」が好きでよく聴いていた。そこのタイトル曲は、夜中に公園でデートしてたら彼女の親父が出てきて説教しやがって、何が悪いんだ、という親の世代と若い世代の断絶の唄だった。

 断絶は昔からあったし、縁が断たれても、再結できたり、新しい縁が生まれて、また摩擦が起こって....との繰り返しがこの世界だった。

 「無縁」という言葉に呪縛されてはいけない。あくまでも一時的な「断縁」状態であり、それは必ず修復できる。孤独は、一人で悩み続けても解決はしない。それを自覚して、NHKに電話するだけでやめないで、誰かの話を聞きにいこう。あなたに話したがっている誰かは必ず存在しているから。

 えらそうにいってすまない

 

 

 

 

 

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コメント

くれくれという人が多いようですが、くれという要求とあげるというギフトの両方が希薄化している人もおおくなっているような気もします

まあ、いずれにせよあげる人が少ないということなのですが....

投稿: takkun | 2011年3月 5日 (土) 07時37分

同感!

寂しいと嘆き、他人に優しさを求めているうちは
いつまでたっても無縁社会はなくならないかと。

「クレクレ」といつも言っている人の周りには
人は集まってこないよね。

投稿: yamarico | 2011年2月28日 (月) 22時15分

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