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2011年2月

2011年2月28日 (月)

今日の出来事・・・・野のユリ

 今日のはいつも以上に個人的なブログを書いてしまいましたので、本人以外は何を言っているかよくわからないと思います、すみません。

 今日は来年度に向けた大事な特別委員会があり、10数人の委員たちの前で、事項別に色々と質疑応答しなければならないのだ。しかも、その答弁は迅速且つ正確さが要求され、いい加減な自分にとってはとても荷が重い会議だ。

 委員たちの質問攻撃に撃沈する仲間たちを目の当たりにしながら、アーオレモアト30プンゴニ総攻撃ヲウケルノカと委員会室で緊張してしまった。手に汗をかきつつも、どんな苦境でもまず落ち着くことが一番大事だと思い出し、呼吸法を行なう。静かに長い呼吸をしたつもりだが、多分息が洩れていて周囲の者たちは訝しい顔をしていたことであろう。

 そして、いよいよそのときがきた!!.................が!、質問なしでスルーしてしまった!!!

私の担当分野はいろいろ複雑な課題が山積されており、覚悟をしていたのだが、そのあっけない結末に、私も100人ほどの関係者たちも唖然としたのだった。

 終了後、私が委員に画策して質問やめてもらったと疑う輩もいたが、けっしてそんなことはしない。むしろ、土日も準備作業をしていたので、ホッとしつつも不完全燃焼でもある。例えていうならば、嫌嫌行ったカラオケで、仕方なく選曲して歌おうと覚悟したら、時間切れになって歌えなくなった心境なのである。

 多分、多分これは呼吸法をしつつ、気を委員会室全体に送ったためであろう(*^-^)

................. (*^-^)......とここまで帰宅して書きました。それから夕飯食べました。そして

 先日録画していた「 Golden Circle 2010」を飲みながら観ていたら、チャボ(仲井戸麗市)が出ていてカッコよかったです。還暦を迎えたとは思えないくらい若々しいです(ちなみに私は今日、花粉症がひどくて耳鼻科に行って、通年アレルギーは手術で治らないかと医師に聞いたら、年齢を考えると手術はやめた方がいいと言われショックでした)。その他桜井和寿・奥田民生・ゆず・・中村中・寺岡呼人たちが出演していましたか、中村さんは本当に女性の妖気が漂っていました。女性以上の女性っぽく、21世紀の美輪明宏かもしれません。

 それと夕食をとりながら、奥さんと話していたのは、今日の委員会でこのままスルーするような予感(霊感?)があり、私の直前の審議中に、もしスルーしたらお前は嬉しいかと自問自答しました。それは助かるけど、消化不良で嬉しくはない。むしろちゃんと挑みたいというのが私の気持ちでした。意外にチャレンジャーな自分にびっくりしました。

 それと、ずっと苦手だった上司から、私なら大丈夫で任せられると言われのですが、今まで彼に対して自分で苦手意識を増幅させていたようでした。変な言い方ですが、彼を許し、自分を許しました。そして、何かが変わるような気がしたという話です。       

 酔っちゃってすみません。                           

.....................以上のブログを書いてから「野のユリ」を鑑賞しました。..............

.Imagescaitep03_2 シドニー・ポワチエが黒人として初めてアカデミー賞主演男優賞をとった。旅をしている黒人青年が東欧から来た修道女たちと出会い、教会を建てるドラマです。

 この映画は子どもの時にテレビで観た記憶にあって、後に淀川長治さんが、最初は嫌々手伝わされたシドニー・ポワチエが最後はこんないいこと他人にやらせられるかと自分で教会を建てると本に紹介されていました。

 また観てみたいと思っていましたが、先日BSでやっていたので再度観ることができました。何十年ぶりかに観て、シンプルなストーリーで、山場もたいしたことないのに、なんでこんなに面白く、温かくて、いい気持ちになれるんだろうとおもいました。

 この映画が現代版にリメイクされてたら、もっとシリアスっぽい罵りあいや、黒人青年と修道女の愛とか、地元業者の悪徳性とかが脚色されていそうです。

 現代映画のように無理やり、物語をリアルっぽく(実際はドラマっぽく)しなくても、登場人物がみんな良い人ばかりでも、間延びしないで面白い映画はできるんだなぁ、かつてはこういう映画があったんだなぁと感心しました。

 なんか気分がよくなったなあ

 ここをクリックしてください動画みれます 「野のユリ」

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2011年2月25日 (金)

誕生祝いに内田先生

 23日はみなちゃんの誕生日であったが、敬愛する内田樹先生と池田清彦先生のトークライブが三省堂本店で開催されるため、誕生祝いのライブ参加と、その後食事することにした。

 当日は、6時半からスタート。内田先生はその日午後にも議員会館で民主党の勉強会で講演をなさってきた。革ジャンに黒シャツにネクタイ姿で、仙石さんや前原さんたちと食事しながら話してきたとのこと。

 1時間ほどのライブ?、まあライブというよりもふたりのおじさんが勝手に喋っていたのを、100人ほどの聴衆が聞いているといった感じだったけど、導入は池田先生が養老先生と虫仲間ということもあり、虫ばなしがけっこう多かった。

 内田先生は民主党議員たちに「平成の攘夷論」をぶってきたということで、それをベースに話された。前原さんと一緒に食事したときの話などもあったが、はたしてそれをブログに書いていいものか迷ったが、ほぼその概要を内田先生はご自身のブログに書かれている。

 終了後はサイン会ということで、増補された「街場の中国論」と「14歳の子供を持つ親のために」を購入する。15分ほど待って、内田先生にサインをいただく。ネーム入れ等の要望禁止であったが、一緒に並んでいたみなちゃんをうちのお嫁で今日誕生日と先生に言ったら、あーそう、じゃあといってお誕生日おめでとうございますと特別に書いていただけた。ありがとう内田先生。

 その後は、神保町の餃子専門店に入って、お祝いをして、贅沢してタクシーで帰宅したのでした。

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2011年2月21日 (月)

世界の天才が日本を救う

 「たけしのIQ200~世界の天才が日本を救う~」という番組を途中から観る。あの『ハーバード白熱教室』のサンデル教授が、たけしやテリー伊藤、片山さつき、石破茂らを相手に、ハーバードの討議スタイルで、北朝鮮の拉致問題や、相撲の八百長を取り上げた。設問の仕方は彼の持ちネタパターンで攻めていたが、政治家やタレントの論客たちがタジタジになっているのをみて、やはりそれが現実だったかとがっくりと実感する。

 面白かったのは、少子化問題で結婚しない人たちが増えている現状の解決策として、全盲のコロンビア大学教授シーナ・アイエンガが、「親が結婚相手を決めればいい」と提案した。これはまったく予想できなかった天才の解決策だ。しかも、突拍子もないようで、実は日本は数十年前まではお見合いが当たり前の国だったのだから、まったくあり得ない話ではない。

 この案についてインタビューを受けた若者たちは、親の言うことを聞きたくない、選択の自由が奪われる、その人を愛せないなどと答えていた。しかし、教授の調査では、恋愛で結婚したカップルは幸福度が10年スパンでみると下降線をたどるのに、お見合いカップルは上昇傾向にあるという。私も以前に、恋愛組よりお見合い組の方が離婚率は少ないと何かで読んだ記憶がある。

 教授は、選択肢がないといった若者に対しては、選択肢は多くない方がいい。多いと迷ってしまい、選択ができなくなると実証をあげて反論する。

 私も、結婚相手を商品を選ぶように選択しようとしている、その購買者側に立った視点が鼻につくし、良い相手を選ぶだけの鑑定眼があなたにあるの?と疑問も持っている。せっかく結婚して子どもができたのに簡単に離婚していく若い人たちを私は多く知っており、秘かに危機感をもっている人間のひとりなのだ。

 教授はまた面白いことを言っていた。日本では最近、お見合い結婚のカップルがドラマになり大評判のようですが.....。これはゲゲゲの女房です。

 教授は25歳で結婚していない人は、親が決めればいいとおっしゃった。私もそれをとくでもないと否定する若者たちの気持ちはわかる。私もお見合いなどしたことがないのだから。だけども、お見合いという制度が社会に定着していた時代が不幸だったかといえばそうでもなさそうだし、自由恋愛ができて、いつでも誰とでも結婚できる現代社会が幸せかといえばそうでもなさそうだ。

 恋愛のドライヴ感と、結婚生活の地道さはまったく違うものなのだよ。しかしまぁ、お見合いを復活させようにも、若者たちの親の世代に子どもの結婚相手を探すだけの精神的余裕と、奉仕精神が残っているのかは難しいところだが。

 自由と競争を謳歌してきた戦後の時代は、現在という衰退の時期を迎えている。結婚も、理想の相手を選択し、ある意味利用するというように形態化してしまった。果たして、封建的?な見合い全盛期と違って、自由に選ぶ結婚相手の選択範囲がバラエティーに富んだ拡大をしたのだろうか。むしろ狭く限られた範囲の出会いが多くなっただけではないのか。

 出会いの強力ツールである合コンによって、見合いと比べて選択対象相手が質量ともに拡大化したと思う発想は陳腐である。紹介事務局が、見合いは親や親戚関係で、合コンは同僚、友人に変わっただけではないか。合コンこそ、個の緊張感や責任を回避した、寄らば大樹的なチープ化したお見合いである。

 結婚相手は自分でみつけられるのが理想であろう。でも、もし迷いが生じたり、年齢的にきつくなってきたら、お見合いという選択をする時代がきても悪くはないなぁと思う。 

 そういえば職業選択についても、昔と比べて就業形態が多様化して、職種は増えたはずたが、希望する仕事の選択範囲も多様化したわけではなく、むしろ第3次産業の大手会社を狙うという狭窄化現象がみられるなあ。

 さてさて......そして、もうひとつ面白かったのは 「迷走する子ども手当と破たん寸前の年金問題」について、日本通のロナルド・ドーア(ロンドン大学名誉教授)が、全国民に毎月10万円配ればいい。そうすれば子どもの数は増えるだろうし、老人も安心して老後を過ごせる、増え続ける生活保護も解決していくという。

 では、その財源をどうするか?たしか所得税50%とか消費税25%位の超福祉国家デンマーク並に税率を上げるしかなく、個人の自由性が国家に束縛させるようなイメーシだか、実はデンマークは世界幸福度は1位である。ちなみにわが日本は90位なのである。

 私も昔は、北欧は高負担、高福祉だが、老人の自殺者が多く、病的な国家であるというようなネガティヴイメージをもっていたが、なんか誤解していたのかもしれない。

 デンマークの人はインタビューに、ある人は幸せだと笑いながらこたえ、ある人は国が全部面倒をみてくれるから安心といっていた。

 どうもわが国では、低負担で、国に面倒をみよという要求が当たり前のようだか゛、そろそろ自己責任か、国の為に負担増するかの選択に、きちんと眼をむけるときなのだろう。

 番組の最後にサンデル教授は、対立する多数の幸福と個の権利、そのどちらもが哲学だと結んだ。

 今までこの国は多数の幸福を目的にしてきたのだろうか。一人ひとりの個人の自由と欲求をベースにした競争原理がみんなの幸福につながるという、キャピタリズム的な幻想に踊らされてはこなかったのか。 たけしの番組を観て、色々と考えてしまった。バラエティー番組に良い刺激を受けたのだった。

 飲まないつもりが、番組が終わって、美奈ちゃんも仕事から帰宅したので、熱燗飲んで、こうしてパソコンにむかっている。しあわせってなんだろう。 私たちほどしあわせについての語彙と想像をもたない国民は世界に珍しい存在なのだろうか。

  

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2011年2月20日 (日)

ジョージ・クルーニーの合気道修行にぶっ飛び!

 昨日の土曜日は私とみなちゃんとそのお父さんの誕生日が2月だったので、私たち夫婦とご両親と東京タワーのすぐ隣にある豆腐懐石うかいで遅い昼食をとる。二千坪という敷地に小川が流れ水車が回っている中庭はなかなか立派で、東京タワーの隣に伊豆高級旅館が出現したような感じだ。コース料理(豆腐だけではない)を食べて、ビール、ワインを飲み、最後は焼酎の森伊蔵があったので初めて飲む。芋焼酎独特の臭みがろ過されてすっきりとした飲み口だった。けっこう高かったと思うが、お母さんにご馳走していただき、ありがとうございました。

O0339048010549341553  帰宅してから「ヤギと男と男と壁を」を観た。これは千原ジュニアが題名つけたとのことだが、はっきり言ってセンスないタイトルだ。

 この映画は実在したアメリカ超能力部隊の話で、主演がジョージ・クルーニーとジェフ・ブリッジスとユアン・マクレガーとケヴィン・スペイシーといった大物スターたちが顔を揃えたお馬鹿映画だ。

 超能力部隊とイラクというと、ハラハラドキドキのサスペンスとか、戦闘シーンとかを期待してしまうが、そういうことはない。

 しかし、超能力者を軍隊が養成して、人間兵器として活用しようとした事実を、コメディタッチといえども、ニューエージ運動にからめた展開になっており興味深い。

超能力部隊は、冷戦時代からソ連が取り組んでいたらしいし、アメリカでも負けじと対抗して超能力研究をしたことは、政府資料のアーカイブとして残っているらしい。

 この映画を観て一番びっくのしたのは、ニューエージ修行場面として、ヨガ、浣腸洗浄、全裸混浴とか色々と出てくるのだが、特典映像の未公開シーンの中になんと、合気道が入っているのだ!。

 軍服を着たヒッピーっぽい連中が、教官から己と宇宙が和合して、相手を導くといったように教えられて、お互いに向き合って、同じ動きをしたり、ジョージ・クルーニーの呼吸投げっぽいシーンもあった。あー、びっくりした。

 西洋では、合気道を動く禅とも紹介されていたようだが、外人からみるとこの武道はエキゾチックで、神秘的なそういう感じだったのねと思わず納得してしまった。  

 お馬鹿映画だが、なぜか親近感がわいてしまった。

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2011年2月19日 (土)

ポジティヴシンキング

 昨夜は、定年退職者の送別会があった(私ではない)。私はいちおう上司なので、挨拶と退職者の経歴などを紹介した。宴の後半で女性管理者のHさんが退職するにあたっての挨拶をなさり、上司である私についてスーパーポジティヴシンキングと評されたが、このブログをみればそんなもんじゃないということがわかってしまうだろう。

 ポジティヴシンキングの効用については、多くの書籍がでている。用語としても一般的につかわれるようになった。ポジティヴ思考を標榜する著者たちは、やはりお仕事でもプライベートでも充実している成功者タイプが殆どである。

 すべてを肯定的・前向きに解釈して、生きることができれば楽しいだろうけど、それは理想であり、現実はなかなかそうはいかない。すぐに、そう生きられるとしたら、簡単に変えられる生き方をしてきたということなのではなかろうか。

 以前のブログにも書いたが、阿頼耶識という潜在意識は底知れぬパワーを持っているため、表面意識でボク明るく笑って生きるんだよと思っても、阿頼耶識を揺り動かすだけの本気のパワーがなければ、ポジティヴ呪文をただ唱えているだけのようなものである。 

 前向きに生きようとしても、阿頼耶識の中にある今までの人生の蓄積が、現実はそううまくいかない、なんか失敗するのではないかという恐怖心が、漠然とした不安感となり通奏低音のように、日常の意識の中に流れているのが現実だろう。

 そのネガティヴ意識的を乗り越えるためにはどうするのか。自己啓発本には様々なテクニックが書いてあるが、その手の本を読む人は実践するよりも、また違う本を探してとそれを繰り返す傾向がある(ワ、私のコト~(`Д´))。

 啓発本などの著者がどんなにいいことを言おうと、それは他者である。私たちの阿頼耶識は異質な存在である他者に自分を譲り渡すことを拒否する傾向にある。宗教的な儀式や、言葉を唱え続けるアフォメーションは、阿頼耶識に対しての直接的な働きかけである。私の場合は合気道での心が身体を動かすという体験を通して、意識をあり方について学び、練磨しているところだ。

 さて、ポジティヴシンキングはなぜ、大事なのか?。それは、ネガティヴな思考が自分のパフォーマンスを極端に下げるのに対して、前向きで肯定的な思考が、自分が人間としての最良の状態をつくりだすからである。

 ただし、頭だけで心身が伴わない肯定思考は、底が浅く、持続性も衝撃力もない。世の中を表面的にスイスイと渡りたいだけの小意識だけでは、本当の幸せも人生の面白さもわからないのではないか。

 人生には辛いことも、避けたいことも満載だ。世界は不条理だらけで、腐敗臭が漂う場所もあるし、未来には暗いイメージがつきまとう。このどうしようもない世界(缶コーヒーBOSSのCMみたいな)だけど、悪いことばかりじゃなく、子どもの笑顔に溢れ、親しい人との抱擁や、優しい眼差し、暖かい親切がてんこ盛りでもある。

 不条理な現実を受け止め、そこにある悦びと可能性を見出して信頼した状態が本当のポジティヴ思考の姿だと私は思う。苦難の中に生き、絶望の淵にあっても、神を信じきったイエスの姿がそこに浮かんでくる。

 自分の利益が優先するポジティヴシンキングは単にテクニック程度であり、本物だったら阿頼耶識のカオス化しているエネルギーさえも、原動力として自分を高め、他者や社会に奉仕できているはずである。

 長くなってきたけど、なかなかスーパーポジティヴシンキングの持ち主への道は遠いが、すこしでも近づいてみたいと願っている。 

 

 

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2011年2月18日 (金)

「ジェニンの心」は自爆テロよりも衝撃を与えた優しさ

 今日の夕方は歯医者で麻酔をしたため、合気道はお休みして、浅草の回転寿司でお好み持ち帰りにして帰宅。9時から一杯やりつつ、BSのキャロル・キングとジェームス・テーラーのコンサートを観る。

 11時からは「ジェニンの心」というドキュメンタリーをやっていた。ヨルダン川西岸地区でイスラエル兵に撃たれて死亡したパレスチナ人の子どもから、イスラエル人に臓器が移植され、その波紋と結末を追う。ドイツ映画賞最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したとのことだった。

 ドラマティックな演出をせずに、淡々と事象が流れていく感じの番組だったが、死亡したパレスチナ人の子どものお父さんの言葉に考えさせられた。お父さんはイスラエルに抵抗運動をやっていた人らしいのだが、イスラエル人はパレスチナ人から臓器されるなら、病気の子どもたちは死んだほうが良かったと思っているのではないか。自爆テロよりも臓器移植の方がイスラエル人たちに衝撃を与えたというようなことをインタビューで答えていた。

 バリバリのユダヤ教徒がいて、その娘に臓器提供されたのだが、その父親はパレスチナ人の臓器と知らなかったようで、手術中にマスコミが押し寄せてきて、かなりの差別的な発言をした。インタビューでもそのユダヤ教徒夫婦は、パレスチナの父親とは会えば挨拶はしても友人にはなれない。向こうもそう思っているはずと言っていた。

 しかし、パレスチナの父は、自分の息子の分身の子どもたちに会いに行く。ユダヤ教徒はなかなか会わなかったが、結局対面して、手術時の非礼を詫びて、こんなものではあなたのしてくれたことの比ではないがとプレゼントを渡し、また会いましょうと言って別れた。

 ユダヤ教徒は戸惑っていた。ユダヤ世界の環境から、幼少時から受けた教育からインプットされたバレスチナ人に対する差別的攻撃心が、自分と同じ宗教的対立位置にある父親が、敵の子どもに自分の子どもの臓器を提供したという現実に戸惑っていた。頭脳が奴と距離を置け、心を許すなと命令しても、からだとこころが目の前にいる、葛藤しながらもヒューマニティーに溢れた選択をした奴の存在に共鳴せずにはいられなくなっているのだ。

  世界を変えるのは、争いではなく、優しさであり、愛であると教えてくれる。

  もう、それにいい加減気づくときなんではなかろうか。人類史の争いの歴史が、みんなが幸せな世界をつくれないことはわかっているのに!!(人類が争いにより、技術革新等のイノベーションの功績は認めつつもだ)(-゛-メ)

 番組終了後のテレビニュースでは、菅総理に失望し、民主党で会派離脱と大騒ぎになっている。争いながら、牽制しながらの政治手法は、金属疲労していることにきそろそろ本腰を入れて、気づかなければいけないのに。

あーなんか酔いがさめてしまった。

 今日の歯医者は10年来通っているんだけど、いつもの院長ではなく、ごく稀にお会いする若い先生だった。その先生から「このまえテレビに出てませんでしたか?」と突然聞かれ、???ひょっとして昨年仕事で出たNHKとかテレ朝の番組かしらと思ったら、プライベートなものたった。以前個人的に映ったものがあり、それが再び放映されたのだろうか。いずれにせよ、あまりお顔を合わせることが少ないにも関わらずずテレビを観て、すぐに私だとわかっていただき、その先生が好きになった(たんじゅん)。麻酔も痛くなくよかった。いい先生ですうヽ(´▽`)/

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2011年2月16日 (水)

ゾンビランド

 昨日は大事な委員会報告のお仕事があり、いろいろ突っ込まれつつ無事終了し、夜は合気道 のお稽古をしてから、帰宅して焼きそばをつまみに一杯やりつつ、宇多田ヒカルのライブ録画を観る。先日51歳になったばかりだが、けっこうアクティヴな感じがしちゃうのね。

138  今日は今年になって初めてDVD映画をレンタルする。「ゾンビランド」は昨夏やっていて見逃したおバカ映画だ。

 冒頭から、少々グロいがコメディタッチで面白いのに、みなちゃんは怖いといって、戦線離脱して寝てしまった。

 しかし、物語の中盤からは、たいしてグロくなくて、むしろゾンビに化けたビル・マーレイが出てたり、いいノリになってきた。後半はもっと怖がらせてほしかったが、なんか爽やかに終わってあっけないけど、お酒飲みながら笑って楽しめる映画でした。

 さて、日曜日に書きかけたブログが途中まであって、完成してないけどこんな感じです。 

 昨日錦糸町で買った福澤諭吉「学問のすすめ(現代語訳・檜谷昭彦)」が面白い。若いときに読んでも、諭吉が偉そうで鼻につき、きちんと読まなかったのだが、この歳になって読むと面白い面白い。

 「天は人の上に人をつくらず」が有名だが、単なる平等思想をいっているのではなかった!

人に貴賎はないが、勉強したかしないかの差は大きい。今後は自分の才能と品格、自己の立場によって人間の地位が決まるのだ。

 現在は人民すべて平等という基本精神が成立したのだから、われわれは安心して自分の力量を発揮できるわけである。

 人民一人ひとりが自分の行いを正し、学問に志し知識を広め、各自の立場に応じて才能と人格を磨くことが、なによりも大事なのである。 

 いっぽう政府は政治の施策をわかりやすく国民に知らせることと、その政策が国民に平穏な生活をもたらすことをこそ、目的とすべきである。わたしのすすめる学問はまさにこの一点のみを目指しているのである。

 規範と自律性を失いかけている国民と、何をやろうとしているのかがわからない政府の現在の姿をみると、諭吉は何を考え、どう言うだろうか。

 現代社会のシステムや、時流が複雑化して、混沌とすればするぼと、諭吉の言葉を基調とすることが大切に思えてくるのだ

 ゾンビランドと学問のすすめって凄い取り合わせになってしまったアア.....( ゚д゚)

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2011年2月12日 (土)

「無縁社会」と言うより「断縁社会」

NHKスペシャル「無縁社会 新たな“つながり”を求めて」を観た。孤独な人々の声を生々しく、番組は伝えている。

人間が「無縁」で生きるということはあるのだろうか。孤独を感じる自分は自分ひとりで成長したのではなく、親、保護者から衣食住を与えられ、育まれてきた結果である。誰かがいたから現在の私たちは存在している。たとえ、親兄弟が亡くなっても、たぶん親戚や友人、知人は存在しているはずである。その関係がわずらわしければ、縁を断つことも可能なのが現代社会である。

 私たちは完全自給自足の生活でもしない限りは、他者の存在がなければ生存していけない。食料をつくる人、それを運び人売る人、それを買うお金をくれる人.....。そのつながりは単なる物理事象としてのネットワークではなく、生きているということは社会の中で生かされているという事実なのだ。

 「無縁」の「縁」とは、何のことを言っているのだろう。 

 番組を観ていて、息苦しくなったのはどうしてだろう。多分、「無縁社会」といいつつも、まったく家族親族や社会との縁が存在していないというよりも、事情があるだろうけど、その関係を自ら絶っている「断縁社会」のように感じたからかもしれない。現代社会の「無縁」を拡大しているのは、外的要素ではなく、自分の内的要素が大きいのかもしれない。

 自分の話相手がいない。自分を理解してくれる人がいない。ひとりぼっちで死んでいくのが辛い.......。このNHK番組に電話して孤独なメッセージを伝える人が1万件を超えているとのことだった。

 1万人以上が、自分は淋しい、誰も話し相手がいないと訴えている。変な想像で恐縮だが、もしその人たちがNHKホールに集まり着席しながら、自分は一人ぼっちだと言い続けている空想イメージが湧いてきてしまった。自分の孤独を嘆くだけてばなく、周りにいる人たちの声をまず聴いてみることが大事だと思う。

 えらそうにいってすまない。孤独な人の気持ちがお前わかってるのかとお叱りを受けるかもしれない.....。

 .実は、私は孤独な人たち数百人に育てられてきた。故郷を捨て、家族や親類とも縁を切り数十年会っていないで、住民票や戸籍を抹消された人もいた。抹消されれば、客観的にはもう日本人としては存在しないとなる。現在の「無縁社会」当事者と自認している方々でも、殆どは戸籍があり住民登録はしているはず。

 私の家はそのように血縁関係、故郷との縁を断ち切って、肉体労働や、非社会的行為によりその日暮らしの人生を送っていた人たちの宿泊所だった。定員は約百人で、ほぼ満員だった。そこでは、一泊何百円と一日単位で料金が設定されたが、半分近くは定住して、数十年住み続けている人たちもいた。

 そこでは、必要最低限以外の干渉はしない暗黙?の掟があった。彼らは皆孤独だった。社会からも冷たい眼でみられ、差別され、無視もされてきた。それでも、自殺する人は皆無だった。そして、そこで仲間ができたり、子どもだった私を可愛がった。

 孤独・孤立を選択した彼らは、現代の「無縁社会」の人たちと同様に相当な自己葛藤はあったはずだが、その葛藤に翻弄されたままではなく、彼らは生きようとした。身体を使って、日銭を稼ぎながら生き抜いた。過酷な肉体労働でボロボロになり、仲間と酒を飲み、ある者はギャンブルをし、ある者は喧嘩をしながら、一日一日を生きた。

 私のこども時代のその体験は、ある意味で凄かった。そしてそれ以上に、うちの両親の体験は本にできるほどだ。

 「無縁社会」という言葉は、孤独を社会システムに責任転嫁できそうな響きがある。その社会をつくっているのは一部の人間ではなく、「みんな」である。社会の中で生きながらも、縁を断ち、再結しようとしない人たちが多くなってきたのが「絶縁」「断縁」社会だと思えるのだ。

 中一だった私は、井上陽水のデビューアルバム「断絶」が好きでよく聴いていた。そこのタイトル曲は、夜中に公園でデートしてたら彼女の親父が出てきて説教しやがって、何が悪いんだ、という親の世代と若い世代の断絶の唄だった。

 断絶は昔からあったし、縁が断たれても、再結できたり、新しい縁が生まれて、また摩擦が起こって....との繰り返しがこの世界だった。

 「無縁」という言葉に呪縛されてはいけない。あくまでも一時的な「断縁」状態であり、それは必ず修復できる。孤独は、一人で悩み続けても解決はしない。それを自覚して、NHKに電話するだけでやめないで、誰かの話を聞きにいこう。あなたに話したがっている誰かは必ず存在しているから。

 えらそうにいってすまない

 

 

 

 

 

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2011年2月11日 (金)

「太平洋の奇跡」上映中に怒鳴るお客さんの気持ち

今日から3連休だが、あいにくの雪。来週の仕事の準備もしなければならないので、連休前半はリフレッシュしなくちゃと、雪の中を嫁とタクシーに乗って錦糸町に異動して本日封切の「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男~」を観る。

 Photo まあ初日ということもあろうが、錦糸町の映画館でこんなに混んだのをみたのは初めてだ。客層はやはり年齢が高めである。失礼ながらエっと驚くぐらい、腰の曲がった杖をついている特養ホームに入居しているような方もいらした。

 そして、上映中に驚くべきことが起きた。山中に隠れている日本兵たちに、日本民間人が米軍に投降をすすめると、日本兵が「この非国民が!」と怒る場面があったのだが、私の後方のご老人が「ふざんけんな!!何が非国民か!!お前の方が非国民だ!!」というような大声をあげて、スクリーンに映る日本兵(山田孝之)を非難された。その怒りの興奮は場内の観客に伝わった。私はあーこれからもその手のシーンが出てきそうだけど、大丈夫かしらんと不安になったが、それ一回だけだったのでホッとした。

 映画館で、スクリーンに向かって怒鳴る人は初めての経験だったが、年齢から察すると(ご本人を目視したわけではないけど声で)、戦争にかかわる辛い経験がおありなのだろうと思う。数日前のテレビニュースでも、サイパン戦を体験した方のインタビューが放映されていたが、自分の子どもや孫もこの映画を観て、おじいちゃんがいかに大変な戦争経験があったか、やっと実感してくれたというようなコメントをされていた。

 はっきり言えば映画自体に大きな山場はあるわけではなく、史実に基づいて物語が進行していき、ハリウッド映画のようなスペクタクル性は殆どない。しかし、国が違うだけで殺し合いをする戦争の愚かさと、敵にも敬意を払う人間性の素晴らしさを感じることのできる映画だ。

 主人公の大場大尉は戦後日本に帰国し、愛知県で丸栄産業代表取締役となり、蒲郡市議にもなったそうだ。会社幹部や、議員が戦争時には指揮官として、自らの命をかけて、国の為、民の為に戦い抜いたということに新鮮な驚きを感じる。

 現代の社会の構成員にはその覚悟と、体力と智恵があるのかと、疑問が生じてきた。もちろん自分も含めてのことだが....。

 世の中を斜に構えて見るのが自分の悪い癖で、今日映画の悲惨なシーンを観ながらも、この場面も台本通りに役者が演技してたくさんのスタッフが背後にいるんだなぁといやらしくニヒルになった。しかし待てよ。映画は面白さや完成度がその映画のクオリティを決めると思っていたが、面白さ云々にこだわっているのはお子様だよ(゚ー゚)。                                 映画という幻影を通していかに想像力を駆使して、普通体験できない世界や過去の歴史を、どれだけリアルに深く味わえるかというのも醍醐味なんだよと気づいた。

 だけど、つい虚実の境目がなくなり、映画館で怒鳴ったりするのはNGです。でも、なんで映画館で楽しいシーンに笑ったり、悲しい場面で泣いたりはいいんだろう?それは、場内の皆さんがほぼ同じ気持ちであることと、怒りと違って攻撃性を感じないからかもしれない。

 映画から人生や世界を勉強する。中学生のときから尊敬していた淀川長治さんの言っていることがわかってきたような気がしてきた。 

 映画館と同じビルにあったショッピングモールで、重低音スピーカーシステムを買いました。家でも迫力ある音で、映画観ようっと( ̄ー ̄)ニヤリ

  

 

 

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2011年2月 6日 (日)

HEROESサイラーの学び

 先ほどHEROESのvol.1~4までのシリーズ全話を見終えた。正月から約1ヶ月の間に77話を観てたことになり、感慨深いものがある。荒唐無稽なこのSFドラマであるが、ここまではまったのは、親子愛や友情、孤独と葛藤、正義と悪、自己献身などの様々な人間ドラマが散りばめられているからだ。ほぼ毎日のようにハラハラして観ていたため、嫁(最近はみなちゃんと表記)からは、もう明日からの人生どうするのと同情されたが、自分だって一緒に全話観たくせにねぇ。

 今、テレビではまもなく公開される「太平洋の奇跡」の特番をやっているが、主演の竹之内豊氏が「戦争が終わって、この豊かな現代社会は、人はひとりでも生きていけると思っているが、実はサイレントウォー状態で、自分の家族とかを殺すようになっており、帰国したら(撮影でタイに二ヶ月滞在)、日本ではそういう事件のニュースをいっぱい聞くことになるのではないか。ぜひ戦争を知らない人間たちがつくったこの映画を観てほしい」というようなニュアンスのコメントをしていた。

 日本が戦争していたことを知らない若者が多いと報道されていたが、65年前まで、日本は戦争をしていた。65年という歳月は、遥か遠くのようで、実はかなり間近なものである。ビートルズがデビューする17年前まで、東京タワー竣工の13年前まで、日本のテレビ放送開始の8年前まで、多くの日本人が被弾し、焼かれ、自害していたのである。               若い世代には、実感がないかもしれないが、私のように1960年生まれの者には、15年前まで戦争していたのであり、年賀状を毎年15回書いた位の僅かな年月である。

 現在の会社員や、フリーター、スポーツ選手や、不真面目な生活を営んでいる者など中年以下の稼動年齢層は召集され、戦地に送られた。そこでは、厳しい上下関係があり、上官命令は絶対服従であり、上官に自己の権利や、抗議の主張などしようものなら鉄拳制裁が待っているという、まさに非現実的な世界が現実だった時代である。

悲惨で不条理な戦争から、私たちは解放されている。本来ならば、自由を謳歌して、いのちの躍動と喜びに満ちた世界を生きているはず.....である。

 しかし、竹之内さんがおっしゃるように、心は平和ではなく、実際の戦場ほどではないが水面下に隠れた戦闘状態にあるのかもしれない。

 政界の混乱、無差別殺人、、自殺者3万人、尖閣諸島、普天間基地、クレーマー社会・・・・・・・これは平穏ではなく、異常事態である。

 餓死することも、強制労働されることもなく、安定した社会に暮らしていても、人々は脳の中で戦闘状態にあるのか?

 今日大相撲春場所も中止になった。奈良時代からの歴史があり、神事でもある大相撲が携帯メールでの八百長情報ゲームによって、存続の危機に直面している。八百長力士たちは、勝負や横綱昇進よりも、安定したサラリーに固執した結果、今回の騒動を起こした。

 HEROESの悪役で超能力が欲しくて、次々と能力者の頭を切り裂く極悪非道なサイラーは、己の孤独に気づき、ファイナルで人助けをすることがこんなに良い気分なのかに気づき、新しい世界に入っていく

(不死身のチアガールのクレアは、自己存在に悩み、義父ベネットの正体を隠し続けろという願いを裏切り、テレビカメラの前で不死身を披露してしまうが、どうもその後は幸せになれない感じが漂う)

 私たちも、サイラーのようにもっともっとと欲望や、不安からの逃避を追求してきたが、それが自分を孤独にして、むしろ喜びから離れていくことに気づいていくことが必要なのかも知れない。

 そのためにも、勝ち負けや、損得よりも、とにかく昨日書いた諭吉の説くようにいのちが躍動する生き方を最優先に選択すべきなのだろう。

 今日は、何もないような休日だと思ってたけど、なんか良い感じ!

 

 

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2011年2月 5日 (土)

 脳の王国

 519vebzyryl__sl160_aa160_ 茂木健一郎さんの「脳の王国」を浅草松屋で購入する。午後から、読み始め、途中ウトウトしたり、録画してあった金スマの楽しんごの生い立ちに見入ったりしつつ、夕方に入浴しながら読み終わる。

 茂木さんの本は、2003年に養老孟司さんとの対談本「スルメを見てイカがわかるか!」を読んだのが初めてで、茂木さんのあとがきに感銘してファンとなった。それ以降も茂木さんは大量の本を出版されており、軽い脳のはなしから、深い文化芸術的造詣ものまで、幅広いジャンルがあり、内容的には同じようなものもあるが、茂木さんご自身が日々進化なさっているようで、本の内容も新生し続けているようだ。

 この本の中身として、こども時代の脳の鍛え方としては、福沢諭吉が書いた「ただ暴れ次第に暴れさせて、ただ衣食にはよく気をつけてやり、また子どもながらも卑劣なことをしたりいやしい言葉を真似たりすればこれをとがめるのみ」を紹介している。一番大切なのは「生きもの」として元気であることだ。

 また、脳に良いこととしては、経験の多様性をあげている。一つのカテゴリーだけではなく、様々な経験をするのが、脳を成長させるらしい。

 その他、脳、人間の可能性、現代社会をどう生きるかなどの話題が盛りたくさんの本である。

 最後に内田樹さんの対談がおまけ?でついており、入浴しながら読んだけど、内田さんの「態度が悪くて上機嫌のとき、人間の知的パフォーマンスは最高になる」は面白かったな。茂木さんを武道的な人と評していた。

 武道をはじめてとする身体技法の世界では、パフォーマンスを最大化するためには、機嫌よくしてなきゃいけないというのは常識である。本当のアカデミシャンは自分の頭がいいのはもうわかっている。問題になるのは、頭がよく働くときも悪いときもあり、波があること。でもそれではいざというときに勝負にならないから、どういう条件下で頭が一番良く回転するか、そのノウハウを真剣に考える。一番大事なのは、ある状態から別の状態に一瞬で変われること

Pict0001  今夜はきりたんぽ鍋だ。冷たいビールと熱い鍋の相性がいい。この一週間は飲む機会が多かったので、家で食べるとホッとする。まあ、外で飲まなくても、家飲みしてますが.....。                          

 

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2011年2月 4日 (金)

民生委員のみなさん

 今日は民生委員の方々の新年会に出席する。ホテルの広間には約300人ほどの人々がテーブルについた。年齢的には私よりも高齢の方が殆どのように思えるが、そのエネルギーは凄い。

 地域の福祉を担ってくださる方々だが、昨夏問題になった行方不明の高齢者問題とか、増大する児童虐待、貧困化等々の多くの課題を抱えており、民生委員の成り手がいなくなってきている傾向があるらしい。

 行政がダイレクトに地域に入り込むよりも、そのあいだに地域の人々が入ることの方が、よりスムーズで効果的な展開ができる。

  だらだらと飲んで日常生活の愚痴をいったり、現実逃避しているよりも、嫌なことも多々あるだろうけど身体をはって役割に徹している方々の、その気負らず、自然な姿に人間の生き方の真髄があるように思える。

 話は変わるが、花粉症が随分とひどくなってきた。鼻水、鼻づまりはもちろん、身体もだるくなってきている。

 花粉症、アレルギーが自己防衛のための免疫機能が暴走しているのだとしたら、自己防衛ではなく、民生委員の方々のように自己を与えることに徹していったら、治るかしら。

  いま、報道ステーションでエジプトのデモを報道しているが、エジプトの人たちに花粉症の症状はあるのだろうか.......。

 

 

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2011年2月 2日 (水)

カボチャ料理

今週はそれにしてもよく飲んでいる。日曜の結婚式から始まって、月曜日は築地の海鮮居酒屋、昨夜は上野の創作中華料理、今日は明日が私のお誕生日のため、プレバースデーっぽく、家で食事する。Pict0007_2 009

 メインは、煮たカボチャにカニとか、たまねぎ、ベーコンの炒めたのを入れて、最後にクリームソース(小麦粉じゃなく米個)をかける。 生まれて初めて食べた料理だけど、美味しかった。

 ここのところ、花粉症の症状が出て辛くなってきた。昨年の10月から漢方薬の鼻療を毎日3包飲んでいるが、効果はなしか?漢方薬は長期的に飲み続けなければ、効果はでないのだろうか。まあ、こうして毎日お酒を飲んでいたら、早急な効果を期待するのが間違いかもしれないけど....。

 あーあと3時間で、51歳だぁ......。

 意識は高2のときから変わっていないような気がしているんだけど、身体と経験がそれを許さないようだ。

 感謝(´,_ゝ`)プッ

 

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