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2010年12月 5日 (日)

高校生の自分と、社会人の自分の同居

  昨夜は、高校時代の友人夫婦と会う。ありがちな中年層の話題の進行としては、世間話から入って、お互いの仕事や家庭のことなどを話し、高校時代の昔話で盛り上がり、最後の方は残り少なくなってきた人生をいかに過ごすかといった渋いテーマで締めくくられそうではないか。しかしこの夫婦の場合は、それがあてはまらない。良い意味では、親しい家族のように遠慮せずに言いたいことが言える。悪い意味では、一方的に喋りまくるとも言える。さすがに旦那は後半疲れてきたようだうだったが、奥方はテンションの高さをキープし続けていており圧倒された。

 昨日は人が変化していくことについて、ブログに少し書いたが、20年くらい前にきいた話で印象に残っている言葉がある。自分自身が変わろうとするときに、大きな障壁となるのは周囲の人間たちであるということだ。

 自分の心境の変化があったり、自己の未熟さを反省し、新たな言動を決意したとしても、周囲の人間たちからの自分に対する固定観念が、自分に対して放射され、縛られることになる。例えば、いつもお喋りで周囲を盛り上げている人が、これから落ち着いて人の話しを聴こうと少し寡黙になったとしたら、周囲からは「最近暗くなった」「なんか悩んでいるのではないか」「トラブルに巻き込まれたようだ」とか、今までの流れに違和感をおぼえ、本人の変化を容認しない状況に陥る。

 昨夜、友人は高校時代の私がいかにムチャクチャだったかを話した。自分ではすっかり忘れているが、夜中に騒いで警察官がきたこともあったらしい。そんな彼から寂しげに、私が一般常識人になってしまったもんなと言われた。

 一般人の定義が正確にはわからないけど、そうでもあり、そうでもないんだよと思った。私の中には、やんちゃで支離滅裂な自分も存在しており、消滅したわけでもない。それから、大学にいったり、仕事したり、家庭をもったり、映画や本をいっぱいみたり、武道をやったり....そこで醸成された自分のかたちが、現在の自分のなかには多く存在し、棲みついている。 もし、私が常識人になっているようにみえるのならば、(以前はそんなに酷かったの!?)、その場面その場面のTPOに適した自分のパターンを投影している結果であり、過去の自分が消滅したわけではない。

 多分、過去のトラウマだって、その傷ついた出来事を消し去ることは不可能だろう。でも、こころに確実に存在する痛みの意識、それを受容し昇華できる大人としての意識を育くむことにより、痛みと容認といった許しを共存させて、癒されていくものではないか。

 現在もこころに棲みついている高校生の自分は、社会は偽善的だ、もっと人間を自由に解放せよ、サラリーマンなんか信じるな、自分をさらけ出せと騒いでいる。世の中は恐怖に満ち、人間は残酷だ、自分も壊されてしまうと怯え、叫んでいる。きっと現在の仕事とか家庭の中にあって、その叫びの声は反響し続けていることだろう。だから、高校生の自分に語りかけるとのはこんなことだ。

 社会を偽善扱いするのは簡単だけど、非難してるだけでは何も変わらないよ。社会に束縛されるのを嫌がるのも理解できるけど、それを壊したら、もっと惨い状況に陥るよ。世界は君が思うほど、悪くもないし、怖くもない。ただ君が暗黒面しか見ていないから、それに釘付けにされているだけだよ。だから、大人になって、ある程度の責任をもち、社会とダイレクトに関わっている僕は、自分のできる範囲でだけど、仕事も家庭も、親戚や友人たちとも、できるだけの誠意とユーモアをもって、愉しくなるように頑張るつもりだよ.................と。 

 あー、また朝早くからこんなことを考えてしまった

 ☆一昨日のWヘッダーの自分へのご褒美として、上野のおもちゃやでお風呂用プラネタリウムを購入してしまったが、これも一般常識人かしら........

 

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