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2010年12月

2010年12月30日 (木)

海岸で木剣を振る中年男!

年末は伊豆河津でゆっくりと過ごしている(っていうとリッチな感じだか、ただ一泊二日の旅行にレンタカーを借りて行っているだけなんでPict0046)。宿泊するのは画家一家が経営しているギャラリーのペンションであり、雰囲気もよくて気に入って何回か訪れている。朝9時に東京スカイツリーを出発し、箱根新道、伊豆スカイラインを通って、12時過ぎに宇佐 美のふじみ食堂でお刺身定職を食べる。ここはよくバイク雑誌に紹介されている店で、僕もバイクに乗っていた頃は利用させてもらった。まさに大衆食堂なまだけど、それがまたいい味を出しているのね。

 宿には午後3時頃着いた。しばらく合気道の稽古をしていないため、剣杖を持参したので、宿の駐車場のはずれで木剣を振ったが、周囲が民家のため数分で断念する。きっとご近所の方々も、この宿が出来てから狭い道にクルマの通行量が増えたとか、見ず知らずの者たちが多くなったとかのご不満の方々もらっしゃると推測する。そこに赤いフリース姿の中年の男が、突然木剣を振り回し始めたのを目撃なさったら、それこそ一大事である。

 まだ明るいうちに露天風呂に一人で浸かってから、フロアで年賀状を書いている嫁のそばで、パソコンなどを打っていると、次々とお客さんたちがクルマでやってきた。ここはカップルが似合う雰囲気なんだけど、昨年の暮れは母と従姉妹(といっても80)も一緒に泊まった。多分ここの最高年齢組であると推する。そのときは、ここの風呂が二つあるけど、一つが故障していたので、近くの日帰り温泉に行ってから、河津七滝にある「肉月」という、かなり急勾配の未舗装の坂を上る廃屋利用の料理店に寄った。もう夕方で暗くなっているし、従姉妹は男もののLサイズのサンダルを履いてたので、かなり危険であったが、何とサンダル履きによる暗闇の高尾山ハイクのダイジェスト版をクリアしたのであった。恐るべしアラエイティだ。

そして、夕食後にまた露天風呂に入り、夜空を見上げると東京よりもかなりの量の星々たちが光っていたが、実は自宅で寝る前に見る家庭用プラネタリウムの方が、凄いと思ったのでした。あー人工的生活にどっぷり浸かってしまっている自分に呆然として、湯船に顔を浸しました。

 夜中は、夕飯を食べ過ぎてお腹がくるしかったせいか、パキスタンみたいな街で、便意をもよおし、周辺施設を探しトイレがあると思われた建物に入ると、そこは浴場で、パスポートの入ったショルダーバッグごと浴槽に浸かるという夢をみて、起きてしまった。

 熟睡できないまま、6時半頃に嫁と一緒に海岸まで車で移動する。まだImage164_2太陽は顔を出していないが、空はオレンジ色に輝いている。昨日活躍でき なかった木剣を振るが、国道に行き交うクルマから、或いは近くのコンビに駐車場から、な、なんだあの海岸で木刀を振っている危ない男!!と噂さ れているようでどうも落ち着かない。しばらくすると、太陽が顔を出す。太陽と空と海に向かって、剣を振り落とす。それがとても大切な儀式のように思えた。普段東京の道場とは違う静寂さと壮大さに包まれた稽古だった。

 宿を10時に出発し、そのまま東京の親父の入所している特別養護老人ホームに3時半に到着。夕方、お袋と砂町商店街で買い物をして、中華料理屋で飲もはじめる。明日の大晦日の年越しを我が家で迎えることとなった。急遽、親戚関係等に明日おいでメールをして、何人かがいらっしゃることになった。

 かつての自分は、年越しなどに気を使い、親類筋で集まるなど、虚礼、儀式化であり、無意味ではないかと勝手に思い込んでいた。でも、今は一緒に年を越しましょうといえる存在の大切さがわかってきた(存在といってもたいしたことはないんだけど(^-^;)

 

 明日は、夫婦二人だけと違い、人数が増えて嫁には負担がかかってしまうが、それもまた愉しと思って、2010年を締めくくりたい。

 

☆すみません、酔っ払いながら書いてますので、てにをは等文章が支離滅裂ですが、なんかフォーマットが不正とかのメッセージが出てトラブル発生してます。そのため修正できないようなので、読みづらくてごめんなさい(.....といいつつ、毎度ですが)

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2010年12月26日 (日)

ブルーレイは綺麗だった

 Pict0034 今日は待望の新しいテレビ40型が来た。なかなか大画面で鮮明でよろしい。昨日ツタヤで借りた「ブレデターズ」にはブルーレイお試し版がついており、通常のDVD再生とBD再生を51pdc8uvfl__sl500_aa300_比較することができた。結果は、ブルーレイの方が断然鮮明であり、やはり画像には差があった。しかし、プレデターズ自体は面白くなかった。今夏に劇場に観にいかなくてよかったというのが感想。第一作を超えよという高い期待はもたないが、もうちょっといろいろ面白い仕掛けがあっていいんしじゃないのかなぁ。

 今日は陽だまりのなか、2本の映画を観た。

PhotoImage  「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」これは面白い。エロかったり、グロかったりもするが、ちょっとほのぼのとしたりして、最近のコメディ映画の中ではダントツかもしれない。

「クレイジー・ハート」は最優秀主演男優賞を受賞したジェフ・ブリッジスの渋い演技と、説得力ある歌声にシビレてしまった。58歳の老いた歌手役だったけど、私とほぼ同年齢なのでビックリ。なんとも切ないような優しい気持ちになれるような秀作。

 昨夜は友人のK本さんが我が家に来て、かなり飲んでプレデターまで観て、終電ギリギリに帰った。だから今日は休肝日にしようと思ったんだけど、テレビつけたらM-1をやっているではないですか。M-1には酎ハイがあうんだよねぇ。

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2010年12月25日 (土)

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映画メモ 「武士道シックスティーン」 「ソルト」 「フローズン・リバー」

 クリスマスイヴだったからでもないが、今日は仕事をお休みして、クリーニング屋さんに行ったり、年賀状を刷ったり、寒くなったので厚手の毛布を買いに行ったり、本屋さんやジムに行ったりと色々と動き回った。

 本屋では、月間「秘伝」が多田宏先生の特集をしており、購入する。多田先生は15年位前に中村天風先生の直弟子だと知って存じるようになったが、内田樹先生の合気道のお師匠でもある。しかし、50歳の男が、秘伝を買うというのはなかなか恥ずかしいような、変人のような、なんとも言えない趣きがありますなぁ。その他、数冊を購入して、活字中毒として年末年始に備えるのである。

 さて、昨日と今日で観た映画メモ。

 Photo 「武士道シックスティーン」剣道少女もので、なかなか面白い。現代の宮本武蔵になろうとしている成海璃子がユニークで、そこまでやるかと呆れつつも、武道家としての自分と少女としての自分に揺れ動く主人公をうまく演じている。もう一人の主人公は、北乃きいが演じており、よくいる普通の女子高生タイプで、強くなるために剣道やっているのではないけど、中学生チャンピオンだった成海に勝ってしまい、成海にストーカーのように追いまくられる。

武道の描き方も、、勝ちにこだわると固くなってしまい平常心が本当に強いとか、勝ち負けよりも好きかどうかが大切など女子高生映画ティストで味付けしている。

51mrtxi7fjl__sl500_aa300_  「ソルト」アンジェリーナ・ジョリー主演で、ただの馬鹿アクション映画だと思ったが、スパイ映画として結構よくできている。ジェイソン・ボーンを意識しているみたいで、彼女の過去の秘密が映画プロットとして重要となっており、ラストを観てもシリーズ化は間違いない。

51ikby5sll__sl500_aa300_ 「フローズン・リバー」は夫がギャンブル狂で蒸発し、トレーラーハウスに住む母子が経済的窮地に立たされ、母が違法な不法移民の密入国に手を染めてしまう。かつては、豊かだと思っていたアメリカという国が、実はこんなにも貧しいということが、克明に描かれていて、新しい家を購入するというという親子の夢が、実は新品のトレーラーハウスのことなんだけど、どうも切なく胸が締め付けられるような映画だ。アメリカの貧困は日本の貧困とは違い、本当の本当に孤立しているようにみえる。日本だと本人が望めばだが、民生委員とか役所による介入がある。しかし、個人主義がベースのアメリカでは、公的扶助を受けるにしてもかなりの厳しい手続きがあるように推測する(当然、日本だって公的な経済給付には法的な手続きが必要ではあるのだが)。この映画の社会から冷酷に突き放されている、トレーラーハウス家庭の孤立感と絶望感はゾッとしてしまうくらいだが、ラストの場面に少し救われる。

 

 

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2010年12月22日 (水)

超絶!!忘年会での擬似披露宴

 今日は凄い忘年会だったぁ。子どもたちの生命を守るという大変なお仕事をしている女性10名と男性わたし一人だけ(゚ー゚;という一見羨ましそうだけど実は大変なメンバー構成であった。通常の忘年会だと偉そうな方の挨拶があり、乾杯して、テーブル毎にそれなりに会話などして、途中ビンゴなどに興じ、最後は一本か三本締めというのがよくあるパターンであろう。今日の忘年会が凄かったのは、宴たけなわの最中に、擬似披露宴が行なわれ、女性同士が新郎新婦となり、参加者がそれぞれの列席者の役を演じるという参加者全員による壮大なロールプレイングが行なわれたのだ。

 私は新郎の会社の上司ということでスピーチをさせられる。お遊びの余興といいつつも、少々の緊張を伴いながら、新郎がズッコケ社員というお題を頂戴したので、それに沿ったスピーチをする。私のスピーチは新郎は3回目の結婚式という設定にして、前の奥さんは裸族で、スッポンポンの奥さんを目の前にして夕餉の食卓を過ごしたため、消化不良で体調を壊し、離婚したということにした。そのアドリブ受けて、次の新婦の恩師の学校の先生役が、実は新婦も裸族であったと暴露し、それからそれからと続き、最後は新婦の母親が自分は厳格な躾をしたが、その反動で新婦は裸族化してしまったという涙なみだのスピーチへ繋がっていく。最初はあーなんだこの世界は!!狂った飲み会だ!!と呆れつつも、最後は大変面白かったし、良い刺激を受けた。

 この飲み会は相手を役職で呼ぶと、一言につき罰金100円が取られるルールになっていた(でもなぜか私はシャッチョーさんと呼ばれるのだけれど)、最後は1500円くらいが集金灰皿に集まっていた。

 昨夜も、平均年齢70歳代のご婦人グループと忘年会だったが、彼女らのパワーに圧倒された。

 飲み会を盛り上げるのは話題ではない。その場にどれだけ自分を解放し、エネルギーを注入するかであり、普段の自分をお人形のように席に着かせて、当たり前の会話反応をしているようでは、大人たちの法事の席に座っているおまけのような小学生と同じである。

 その場にいる人間たちと、どこまでひとつになれるか燃焼するのが、宴会の有段者であり、白帯は普段の自分を中心軸に会話するため、何の驚きも面白さも生まない。日常生活の延長であり、たまたま飲み会なだけである。ならば、別に酒を飲みながら出会う必然性はないのであり、酒を媒介として利用して、普段と違う何かをするために飲み会というものは存在するのではないか。 有段者は、飲み会の本来の目的を直感で理解し、出会った相手との相乗効果を生み、普段の日常の延長ではない、新鮮な面白さをその場に醸し出す。

 飲み会を、アルコールの作用により、リラックスして話すことだけだと思っているのは、本当の面白さを知らない初心者である。黒帯の飲み会は、愚痴を言ったり、実わぁ本音わぁというような逃げの場ではなく、(まぁそういう飲み会もあっていいけど.....)、出会った人間同士が、一体感を持ち、護摩を焚く護摩木のように、身を捧げ出会いの炎を燃やすまるで祭りのような場なのである。

 有段者の飲み会は、ただ単におちゃらけたり、無理な笑いを取るようなぞんざいな姿勢とはまったく異なり、まさに一期一会、茶の湯のこころで貫かれる。

 えらそうに書きましたが、私もまだ飲み会の有段者にはなりきれておりません。数千回にも及ぶ飲み会を通して、今日の忘年会の幹事の真摯さ、求道心から学びました。

 あー、宴会の有段者になりたい(*^.^*)。

 

 

 

 

 

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2010年12月20日 (月)

リーダーの価値は集団によって決まる

  今日は代休のため、昼に合気道稽古に行く。電車の中で、ナポレオンの戦略についての本を読む。そして、考えた。有史以来、孫子、ナポレオン、クラウゼヴィッツらに代表される戦略家たちによる戦いには、優秀なリーダーが不可欠であった。しかし、日本の菅首相をはじめとする近年の歴代大臣の不甲斐なを思うと淋しい気もするが、世界各国の首相、大統領をみても強大なパワーと魅力があるかというとそうでもない。 

 経済界をみても、松下幸之助や本田宗一郎といった大物リーダーたちと、現在の柳井正氏や、渡邉美樹氏とを比較すること自体がおこがましいような気もする。

 スポーツも芸能も、芸術もあらゆる分野で、かつてのような強大なカリスマ性をもったリーダー存在が出現しなくなっている。

 これは、やはり人類史上からみても大きな脅威であり、危機的状況だからなんとかもの凄いリーダーを輩出しなければ....というのも何か不自然な感じである。

 もう、はっきり言って、リーダーたちの質が低下しているわけではない。人間たちの優劣や強弱のコントラストが弱まっているからである。リーダーとして強いオーラを出して、目立つためには、世間一般から大きく突出しなければならない。つまり、一般との開きが大きければ大きいほど存在力は増す。

 政治を例にするならば、投票権をもっている有権者たちのチカラは、政党政権を簡単にチェンジしてしまうほど強力であり、政党はマスコミ発表される支持率に一喜一憂している。俺について来いという田中角栄のようなカリスマ首相であっても、起訴され、犯罪者に引きずり降ろされるぐらい、政治家の威信や権力は低下してきている。

 そして、もうひとつ必要なのは神秘性だ。カリスマには常人にはない何か凄いチカラをもっているという畏怖や、不可思議さがなければならない。しかし、政治家も芸能人並に、スキャンダラスな記事を書かれ、ワイドショーで話題になる。偉そうに言っていてもただの、すけべジジイと嘲笑される。

 では家庭における家族形態はどうだろう。かつてのカミナリ親父はいないし、ビートたけしの生家のような家庭があったら現代では、警察や児童相談所が介入する。もう父親は怖い存在、畏怖する存在ではなくなった。不条理な暴力をふるう親は虐待の加害者として、恐怖の対象とはなるが、畏怖の対象ではなりえない。

 リーダーシップを発揮しようとする保護者に対して、子どもは権利を主張し、親と子の関係は対等だと訴える。かつての親子は、上下関係であり、主従関係でもあったが、子どもたちの育成の義務と愛情とが前提の関係であったといえないか。

 現代は、親子関係による子育てについて、あなたたちだけでは大変でしょうと国や地方自治体が心配して、いろいろとお世話してくれる時代になった。もう、ビートたけしの酒乱の父親の無謀さに我慢して耐える必要はなくなったが、その父親を駄目オヤジと認めつつも容認する土壌は消え去った。

 しかし、それはそれでいい。もう、過去の時代に戻る必要はないし、不可能である。子どもを野球選手にするため、スバルタ教育を実践した星一徹は、この現代社会では存在しないのである。親がシャカリキになっても子どもに介入する必要はなくなった。まず、子ども自身の将来に対するビジョンを優先し、もし、スポーツ選手になりたければ、親は必要な専門機関やプロのコーチングを余裕があったら依頼すればいいのだ。 

 さて、もうそろそろ、現代リーダーシップ不在論はやめにしませんか。私はこういう方向を目指し、みんなを引っ張るといっても、みんなはみんなでそれぞれ事情があるたろうし、もしその方向が間違っていないかの検証も必要だし、間違っているようだったら責任所在をどうするか考慮しなくちゃならないし、リーダーって大変なんだから。

  でも、そんな時代であっても魅力的なリーダーは沢山、世の中にはいるはず。きっと、新しいカタチのリーダーシップが芽生えてきているのだと思いたい。それは多分、リーダー個人の資質だけできなく、リーダーを取り巻く集団の自律性や、向上心、献身性といった要素が重要な鍵であろう。

 リーダーは個で存在することなく、その属する集団の質と量によって、存在性と存在価値が決定される。だから、集団を大切にしないリーダーは失格だし、リーダーに配慮しない集団も崩壊していく。今の日本や地方、職場や家庭はどうなっていくのだろう。

 みんな、集団からの束縛を嫌悪し、回避して、それで何とかやってきたけど、良い社会にしていくためには、個々人がバラバラになっているのではなく、自分が属する集団の中で、自分の立場と理想的な役割を思うことが大切じゃないかな。

(;ω;)SMAPの中居君が良いリーダーかはわからないけど、かつてのドリフターズの故いかりや長介さんのようなリーダーが最近の芸能界ではみないような気がする。中居君が、いかりやさんみたいに、ちょっと高圧的な態度を取ったら、スマップ解散ってなるのかなぁ。

 (_ここから違うハナシ)

007_2 昨日、一昨日と母と嫁と福島の猪苗代に泊まる。母が温泉好きなのと、年末なので気分転換にということで先週の水曜に急に旅行に行こうと決めた。場所はスタッドレスタイヤのレンタカーで雪道を走りたいということで、猪苗代スキー場オープン日の土曜にそこにあるホテルに宿泊した。料金は1泊2食で約8000円だったが、温泉浴場も2ヵ所あり、食事も地産食材でよかった。ホテル従業員の接客態度も良かった。

 翌日、精算を済ませてホテルを出発し、猪苗代湖全体の景観がよろしいとすすめられた山にレンタカーを登らせた。途中、上り坂で停止したら、スリップしてなかなか前に進まなくなって、焦ってしまう。そしたら、携帯が鳴ったので、この大変なときに誰かと渋々、出るとホテルからだった。何事か?と不思議に思ったら、なんと入れ歯の忘れ物があるとのことだった! 後部座席の母を責めつつ、再度ホテルに向かう。それから、武家屋敷、大内宿に行って、午後7時に東京着。そのまま三人で居酒屋でまた飲んでしまった。

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2010年12月17日 (金)

幇間、芸者の持つドライブ感

昨日は浅草の料亭で、お酒を頂きながら芸者さんと幇間さんの芸を観た。幇間さんのかっぽれを拝見してびっくりしたのは、身体が少し前のめりになって安定しており、身体全体の重みも下にあったことだ。踊りの身体の動きが流れるように滑らかであり、酔客相手の余興でありつつも、真髄は武道に通ずると感心したのだった。

 三味線のお姉さんも.......、このお姉さんという言葉は旅館でお酒を運んでくれる60代とおぼしき婦人にも使用する呼称ではあるが、この姉さんはそれよりも大分お若いホント?のお姉さんだが。演奏後にお酌にきていただいたので、お姉さんの三味線と掛け声がなかなかさまになっており、どう誉めようと迷って、つい「弦がドライブしているねっ!」と言ってしまった。お姉さん含めて周囲の者たちは、三味線が有料道路を走っているようなイメージをもったようだったが、電気ギター系統はドライブ感というような表現で、音の切れ味と躍動を言い表すのだ゛。結局、お姉さんからはもっと違う表現で誉めてほしかったと叱られてしまった。

 さて、今日もあっしは上野のそば屋で忘年会してから、溜池山王の違う忘年会にも参加して、コージーコーナーで嫁に買ってきたケーキをいっしょに食べながら、このブログを書いています。

 忘年会が続いていますが、感じるのはみんな本当はドライブ感で生きたいんだということです。思春期の頃はみんなそう思っていたはずじゃないのかなぁ。でも、だんだん世間馴れしてきて、自己限定しながら、本当の自分の欲しているものがわからなくなってきているんだ。そういう僕もわからないまま生きている。だからといって自己限定をはずすのは難しい。多分、何かに一生懸命になることから、リミッターを解除できると思う。

 三味線のお姉さんと、芸者のお姉さんは泣きながらお稽古を続けてきたそうだ。でも、最近若い人が続かないので後輩がいないと嘆いていた。彼女らが、最初はどこまで本気で芸事に取り組んだかはわからないけど、取り組み続けることによって、新しい自分の可能性や才能が開花し、またそれが自分を未知の可能性へと導いてくれる。

 だら-虚脱系で生きても、ドライブ感は身につかない。幇間さん芸者さんヒントくれてありがとう。

 

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2010年12月13日 (月)

書道ガールズ

 今日は北千住で普通の感覚では辿り着けないロケーションにある秘密のお寿司屋さんで、S光さんの昇進お祝い会をやったが、かなりのボリュームの刺身、つまみ、寿司でありながら一人5000円(酒代込で)かからなかったのは驚異だ。結構飲んだもんね(私が一番飲んだが)。

 ここんとこ、お笑いDVDを観ているけど、「我が家」「ななめ45゜」「インスタントジョンソン」.....。みんな好きなトリオだけど、どうも東京03の演劇性、日常性、現実性といった完成度にはかなわないような気がする。.......といいつつ、インスタントジョンソンのポーキーさんが大好きなんだけど、それ中心のDVD出ないかしら。

 昨夜は「書道ガールズ」を鑑賞。51nsdsdiztl__sl500_aa300_ これは実話を基にした町おこしのドラマらしい。「フラガール」「スウィングガールズ」の親戚のような映画だろうけど、これら2作品よりもちょっとどうだろうという感想ではあるが、愉しい映画であった。

 日本の現代の女子高生たちが、ここまで書道を突き詰め、町おこしをすることに驚きと喜びを感じる。このエネルギーが日本を再生できるはずだ。

 もう、大人には期待しません、君たち若い人たちに期待します。

 こんどは「武士道シックスティーン」を借りてこようっと。

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2010年12月 9日 (木)

ハートロッカーよりもクレヨンしんちゃんが好き

 20100105010fl00010viewrsz150x 今日は帰宅して9時から「ハートロッカー」を鑑賞。昨年度のアカデミー賞6部門受賞ということであったが、最初はハラハラドキドキしつつも、どうも途中で眠たくなってしまった。イラクという紛争地域におけるアメリカ軍の活躍と葛藤といった複雑な映画にアカデミー賞を与えてしまうアメリカの病理的な面を感じずにはいられない。アメリカはやはり凋落の道を辿るのだろうか。

 ハートロッカーをけなしつつ、一昨日観たBALLAD 名もなき恋のうた」を評価する私の評価が下がりそうだが、勇気をもって言おう。「BALLAD」は良かったよお。

 クレヨンしんちゃんのアニメの実写版リメイクであり、正直いって馬鹿にしていました。最初は早送りして、冷ややかに観ていました。

 9999202536294_1mx しかし、この映画を観ているうちに草薙演じる「井尻股べえ(すごい名前)」とお姫様の恋愛をみてたら自由ってなんだろうと思った。戦国時代は生まれた環境によって自分の職業選択は縛られ、結婚もそれなりの立場に合わせたものであり、それはそれは不自由であった。だから、その縛りから解き放たれることは素晴らしいことだと思う。しかし、それが自分の好きなようにしていいと拡大解釈されてしまうと、自由が幸せという構図から、離れていってしまうだろう。  

 和歌山毒物カレー事件の林真須美被告が、高校時代の文集にi`m freeというような文章を書いていたことがあると記憶しているが、自由を謳いながら、他社を不幸にするのは間違っている。

 自由とは、束縛からの解放だけではなく、自分と他者を幸せにする選択であるはずだと、いじりまたべえとしんちゃんは教えてくれた。

  あー、また酔ってしまった おやすみなさい。

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2010年12月 7日 (火)

家庭用プラネタリウムの凄さにぶっ飛び!!

 今日は新宿で飲んできた。じつは事前に、どうも盛り上がりに欠ける飲み会であろうと予想はしていたのだが、以前お世話になった先輩も参加するらしく、お付き合いした。しかし、やはり全体的にパッとしない飲み会であった。

 合気道の修行のせいかどうかわからないけれど、参加メンバーの気の流れを観て、飲み会がどのような雰囲気になるかの感覚が鋭くなっている。かなりの高確率で的中する。以前だと、どんな飲み会でも盛り上げようと努力していたような気がするが、最近はそこまでしなくてもいいや、その場の自然な流れに任せようという気持ちになってきた。

 極端なはなし、そもそも、気が合わない人たちとは、一緒に飲まなくてもいいのだ。とも思うようになってきた。何が自分は喜び、何が自分のためになるのかが、おぼろげながらわかってきた。それを大切にしたいという気持ちにもなり、それを判断基準にしたいと思う。もちろん、この社会のなかで、すべての出会いをそのプライオリティーで取捨選択していくことは困難であり、どの辺で折り合いをつけるかということなんだけど。

 Pro2_photo01 さて、昨日はヨドバシカメラで2万数千円する、家庭用プラネタリウム「ホームスターpro 2nd edition」を購入した。さっそく、我が家のリビングで投影すると、なるほどなるほどという感じだったが(?)、さらに暗い寝室で天井に投影すると凄かった! まるで幼少期に観た渋谷にあった五島プラネタリウムを彷彿させるほどの圧倒的な迫力があったのだ。妻も興奮し、天井にぶらさがっている照明器具が邪魔なので、なんとはずしてしまった。

Pro2_photo03

 これは自動的に天体が回転し、流れ星や流星群も動き、本当に宇宙空間にいるようである。うちの安いデジカメでは、撮影不能のため、セガのホームページの写真を紹介する。                                                                                                                                      今日は朝から、プラネタリウム観たくてうずうずしていた。今日の飲み会のようにぱっとしない話題で時間を費やすよりも、みんなでこれを観ながら飲んだほうが、思い出に残る素晴らしい飲み会になったと断言する。

Pro2_photo05_2

 

 

 

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2010年12月 5日 (日)

坂の上の雲とか、泣きながら笑いやがれとか

 今日は日曜日で良いお天気だった。今朝はPCに向かった後、携帯電話がみつからず、部屋中を探したが出てこないので、嫁の携帯で自分の携帯に発信するも、すぐ切れる。バイブレーターにしてたっけと、再度部屋を探す。何度か自分の携帯に発信をした後、嫁の携帯に自分の携帯番号から発信が来る。昨夜会った友人からである。彼が持って行ったのだ。彼が犯人かしらと浮かんだが、まさかと思い部屋や洋服を探していた。どうやら、昨夜私がトイレに行ったときに、彼ら夫婦はテーブル上の私の携帯を発見し騒いでいたようだ。怒りを通りこし、呆れも通りこした気持ちで、相手の寝ぼけた声を聞いてもう面倒くさいと思い、これからかすぐに取りに行くと電話を切り、自転車で向かった。

 寒い朝の街を、情けない気持ちでペダルをこぎながら、20分ほど走って友人宅に着いた。ドアに出た彼はなぜかポケットに入っていたと弁解するが、こちらは相手にせず最小限の嫌味だけを言って、すぐ自転車に乗って我が家に向かう。なんか、このまま家に帰るのも癪にさわるので、氏神神社に寄って参拝する。朝陽の中の神社は素晴らしく落ち着いて、得した気分になる。この気持ちで自分は生きよう、他者と接していこうという気持ちが湧いてきた。

 さて、そんなこんなで今日は、ゆっくりしようということで、本を読んだりしつつ、午後4時から嫁と映画鑑賞タイムに突入する。

Warainagara 「泣きながら笑いやがれ」2009英国アカデミー賞スコットランド最優秀映画賞受賞。

なんだかよくわからないタイトルだが、とてもグングン惹き込まれるミステリーであり、イギリスらしい。しかし、コメディアンのジョークはどうも露悪的下ネが過激で、日本人には笑えるわけがない。高校生の時観たモンティー・パイソンのテレビシリーズは最高だったんだけど、ここまで酷くはなかったもんね。51fk1tygr6l__sl500_aa300_

「死ぬまでにしたい10のこと」

死とは程遠いタイプの主人公の女性が、余命数ヶ月となってしまい、人間はやはり必ず死ぬんだということを再認識しました。やりたいことの10は、なるほどと思うのと、なにこれ?と思うのが混在していました。意外にも泣きはしませんでした。

 

 今夜から坂の上の雲の第二シリーズが始まった。青年たちと国家がひとつになっていた時代の熱気が伝わってくる。ウィキリークスが話題になっているが、こういうネタが世界中で騒がれているのは、ショボイ感じもるけど、ある意味では大きな戦争を回避できる世界になってきているのかもしれない。

 坂の上の雲を観て、ナショナリズムとか思想主義に走ろうとは思わないけど、現在のスタンスで、国とか世界を変えていくということはどういうことなのかを知りたいと思う。

 戦争回避しても、平和かというとそうでもないし....。さあ、どうする

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高校生の自分と、社会人の自分の同居

  昨夜は、高校時代の友人夫婦と会う。ありがちな中年層の話題の進行としては、世間話から入って、お互いの仕事や家庭のことなどを話し、高校時代の昔話で盛り上がり、最後の方は残り少なくなってきた人生をいかに過ごすかといった渋いテーマで締めくくられそうではないか。しかしこの夫婦の場合は、それがあてはまらない。良い意味では、親しい家族のように遠慮せずに言いたいことが言える。悪い意味では、一方的に喋りまくるとも言える。さすがに旦那は後半疲れてきたようだうだったが、奥方はテンションの高さをキープし続けていており圧倒された。

 昨日は人が変化していくことについて、ブログに少し書いたが、20年くらい前にきいた話で印象に残っている言葉がある。自分自身が変わろうとするときに、大きな障壁となるのは周囲の人間たちであるということだ。

 自分の心境の変化があったり、自己の未熟さを反省し、新たな言動を決意したとしても、周囲の人間たちからの自分に対する固定観念が、自分に対して放射され、縛られることになる。例えば、いつもお喋りで周囲を盛り上げている人が、これから落ち着いて人の話しを聴こうと少し寡黙になったとしたら、周囲からは「最近暗くなった」「なんか悩んでいるのではないか」「トラブルに巻き込まれたようだ」とか、今までの流れに違和感をおぼえ、本人の変化を容認しない状況に陥る。

 昨夜、友人は高校時代の私がいかにムチャクチャだったかを話した。自分ではすっかり忘れているが、夜中に騒いで警察官がきたこともあったらしい。そんな彼から寂しげに、私が一般常識人になってしまったもんなと言われた。

 一般人の定義が正確にはわからないけど、そうでもあり、そうでもないんだよと思った。私の中には、やんちゃで支離滅裂な自分も存在しており、消滅したわけでもない。それから、大学にいったり、仕事したり、家庭をもったり、映画や本をいっぱいみたり、武道をやったり....そこで醸成された自分のかたちが、現在の自分のなかには多く存在し、棲みついている。 もし、私が常識人になっているようにみえるのならば、(以前はそんなに酷かったの!?)、その場面その場面のTPOに適した自分のパターンを投影している結果であり、過去の自分が消滅したわけではない。

 多分、過去のトラウマだって、その傷ついた出来事を消し去ることは不可能だろう。でも、こころに確実に存在する痛みの意識、それを受容し昇華できる大人としての意識を育くむことにより、痛みと容認といった許しを共存させて、癒されていくものではないか。

 現在もこころに棲みついている高校生の自分は、社会は偽善的だ、もっと人間を自由に解放せよ、サラリーマンなんか信じるな、自分をさらけ出せと騒いでいる。世の中は恐怖に満ち、人間は残酷だ、自分も壊されてしまうと怯え、叫んでいる。きっと現在の仕事とか家庭の中にあって、その叫びの声は反響し続けていることだろう。だから、高校生の自分に語りかけるとのはこんなことだ。

 社会を偽善扱いするのは簡単だけど、非難してるだけでは何も変わらないよ。社会に束縛されるのを嫌がるのも理解できるけど、それを壊したら、もっと惨い状況に陥るよ。世界は君が思うほど、悪くもないし、怖くもない。ただ君が暗黒面しか見ていないから、それに釘付けにされているだけだよ。だから、大人になって、ある程度の責任をもち、社会とダイレクトに関わっている僕は、自分のできる範囲でだけど、仕事も家庭も、親戚や友人たちとも、できるだけの誠意とユーモアをもって、愉しくなるように頑張るつもりだよ.................と。 

 あー、また朝早くからこんなことを考えてしまった

 ☆一昨日のWヘッダーの自分へのご褒美として、上野のおもちゃやでお風呂用プラネタリウムを購入してしまったが、これも一般常識人かしら........

 

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2010年12月 4日 (土)

プレッシャーとブレークスルー

005  昨日は大きなイベントが重なった日だった。午前中は仕事で年に数回の大事な委員会があり、私が報告し、質疑を受ける。夜は、合気道の審査である。どちらかといえば、合気道の方が10倍くらい準備していた気がする(どちらかではないか?)。

 一日2回のWヘッダーが確定した時に、それぞれに準備が必要で、しかもプレッシャーがかかるので、、あーどうしよう大変だ、時間調整できるのだろうかと不安だった。しかし、どうも自分の意識はわりと面白がっているようで、11月の初めにこの一ヶ月で、自分の中の落ち着きをどどう練り込むかが大きなテーマとなった。

 自分の限界ゾーンを現在のレベルから、さらにハイレベルに上昇させるためには、プレッシャーが大きな鍵を握っている。筋肉を増強させるためには、負荷をかける必要があり、より大きな筋力をつけたければ大きな負荷をかけなければならない。筋肉だけのはなしではなく、精神や身体能力も同様であり、映像教材や書籍をみたり、セミナーをはしごするだけでは、レベル上昇は起こらない。

 まず、自分を変化させる動機づけが大前提であり、自分の手帳に書いた「今年の目標」といった類はワタミの渡邊美樹氏のような人は別としても、一般人は目標から逃げたり、放棄できるため達成率はよろしくないと推測する。

 人が成長したり、変化していくのは、簡単に逃げることのできない状況に置かれ、そこで悩み、考え、笑い、行動したりすることが大きい。仕事や、育児、介護、試合、試験....。恋愛だって結婚だって、安易にくっつき、すぐ別れられるものは、消費活動と同じで、自分に変化を起こさない。自分の知らない自分を導き出すこともできない。

 この一ヶ月の集中訓練で、自分は少しだけ変わったような気がする。まったく未熟であるが、合気道の体技にも少しずつ変化が起こり、日常生活では歩行感覚が変化してきている。いままでは、割り箸2本が前後して歩く感じであったが、最近はからだ全体で歩いているような感覚だ。

 多分、合気道の審査だけではなく、仕事上のプレッシャーが倍増効果で、自分自身を追いつめ、そこから突破口を開こうという方向性が生じたんだと思う。ただ、課題と連動してプレッシャーが倍増したかというとそうでもなく、むしろ二分の一ずつに縮小されたような感じがする。

....................昨日は、打ち上げ兼忘年会で12時頃まで飲んできたが、今朝は暗いうちから目が冴え、そんなことを考えていた。

 朝陽に照らされたスカイツリーにみとれ、つい写真を撮ってしまいました。午前10時からお仕事でイベントに行かなくちゃならんいんだけど、なんか眠たくなってきた(。・w・。 )

 

 

 

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