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2010年10月18日 (月)

江戸伝統芸能まつり

Honganji 今日は仕事を終えてからすぐに、浅草の東本願寺に向かう。そこで今日は江戸伝統芸能まつりが開催されるからだ。

Geisha

 一緒に行く友人たちと手分けして、酒や弁当、つまみを分担し購入して、夜の東本願寺に集合する。今日のおまつりは、「東京芸術大学」の卒業生によるオーケストラとコーラスや江戸消防記念会による第五區纏振り」と「江戸木遣り」、そして浅草芸者の舞と盛り沢山だ。

 10月の夜は風もそこそこに吹いて、かなり身体が冷たくなってくる。仕方なく、持っていた新聞紙をひざ掛けがわりにすると多少寒さも和らいだが、3時間半もの間を酒を飲んでいるとはいえ、じっと席に座っているのは少々つらかった。

 ただ、主催者側の江戸の芸を残そう広げようという想いは確実に伝わってきた。そして、芸者さんたちの踊りを観て、その身のこなしの軽さに驚いた。彼女たちが合気道をやったらかなり上達すると思える。踊りを合気道の技と見間違えるほど、中心力と力の抜き加減が絶品だった。

気になったのは、司会者が浅草芸者の歴史を紹介する中で、「おもてなしの心をもった○○」というフレーズをよく使っていたような気がするが、芸者衆の歴史の中にある哀しみや憐れみを思うと、現代的に芸者の存在をホスピタリティー溢れる接客業としてなぞるのは、かなり違和感があった。芸者衆の芸の真髄は「おもてなし」とか、「愉しさ」だけではなく、その裏にある情動の激しさ、女としての絶望と対になっていることにある。その芸は哀しみや、はかなさの土壌を、小粋な唄と踊りで掻き混ぜることによって、幾つもの層の溝ができて、深さをうみだしているのではないか。

 そして、現代の芸者たちは、過去の歴史とは違い、自己選択で芸者としての道を歩み始めた方が多いのだろう。だから、彼女たちの芸の中には諦めや哀しみの要素は少なくなってきているのだろう。その若い芸者衆と、クラブのホステスさんや、キャバクラ嬢の方々との違いははっきりしている。それは芸者の世界は、厳しい鍛錬と継続力が要求される世界であるからだ(ホステスさんたちの中でもいらっしゃるかもしれませんが)。接客に自分なりの個性を出していけばいいじゃん! というような甘い世界とは違い、踊りや唄、立ち振舞いなどを徹底的に鍛え上げ、習得しなければ芸者にはなれないのだ。

 彼女たちの芸を堪能するには、客側にもそれなりの見識と眼力が要求される。

 おまつり鑑賞後に、チープなラーメンチェーン店でチュウーハイとみそラーメンを平らげたあとに感じるのはそんなことだ。

 

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