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2010年6月11日 (金)

リーダーは裁判官であってはいけない!

 今日は大事な委員会があり、報告の後、質疑応答となったが、予想以上に各委員からの執拗な質問に時間がかかってしまった。その後、まさに執拗な幹部から、答弁のことについていろいろと指摘をされる(ただし、その指摘については何人かの第三者に確認したが、的を得ていない指摘であった)。悪い人間ではないが、本人が自分は正しいと思い込みが固定的であり、かなり周囲から浮いてしまっている。

 真のリーダーシップとは何であるのか? 今日は、77歳のお袋と飲みながら、このことが頭に浮かんで消えなかった。 

 この時代には正解はない。正しい硬いの象徴であるはずの政府、官僚機構が溶け始めている。国際社会をみても、美辞麗句に飾った主張の中で、本当に博愛主義に満ちた国や機構など存在しない。日本の最高最強であるはずの歴代総理たちのリーダーシップはこの国を幸せにつなげてはいないで、むしろ窮地に追い込んでいる。

 今日の所信表明で菅首相は自分史を交えながら、数年先の目標を示していた。その目標の達成のためには誰が下働きをして、実現させるのか? 目標達成のために必要なのは政府でも、官僚でもなく、日本国民一人ひとりにかかっているばずだ。しかし、相変わらす゛、マスコミは料理や映画評論家のごとく品評をするだけで、なんの具体的な提言もアクションもないままだ。

 今こそ、考えなければならない状況に立った。これは多分、家族が好き放題やって、家計破綻直前で、子どもが引きこもり始めたような家庭と同じような状況なのかもしれない。

 家族を立て直すためには、最初から家族みんなでという発想だと頓挫してしまう。まずはお父さんが腹を決める。そして、自分から身体を動かすことからはじめるのが、いい筋道ではないのか。

 評論家はもういらない。評論家ばかりだったら、誰が映画をつくるのだろう。誰が自腹を切って映画を見に行くのだろう。でも、みんな評論家になりたがっている。それは自分が批判されないから安全な場所にいられるからなの。

 だから、良いリーダーとは、まずはじめに、みんなが実際に身体を動かして、何かをつくりあげていくためのきっかけを仕掛けられる人なの。

 正しいがどうかの判断も必要だけど、それだけだと審判者になってしまい、それはリーダーシップではなく、たんなるチェッカーなの。

 己の身体を動かして、人生をつくっている我が母とビールをのみながら(彼女のほうが強い)、とりとめのないことを考えてしまうのでした。

 

 

 

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