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2010年2月27日 (土)

現代霊性論

 この週末は来週の委員会に向けた準備をしようと、自宅に資料を大量に持ち込んだが、昨日浅草松屋で購入した「現代霊性論」内田樹・釈徹宗を昼前から、読み始めとまらなくなり、仕事は明日に持ち越すと決定した!! (だってこれからゆっくり入浴し、夜は実家で親族で飲むことになるもの!!)

 この本は面白い、普段速読しているが、ページを飛ばすのが勿体ないと感じてしまうほどに、二人の対談は面白い。普段、スピリチュアル、霊、宗教というものが、日常生活の中ではかなり異質なカテゴリーの中に入っているが、現在の世界をつくり、社会をつくってきたものは霊的なものの結果であると再認識させられた。

 ある市が配布したカレンダーに大安とか、友引とか書いてあったので、「陰陽道は宗教じゃないか、こんなもの公費でつくっていいのか」という抗議があり、市はびっくりして回収したらしい。内田氏はその新聞記事を読んで激怒したらしい。カレンダーに書いてある曜日は七日に一日の安息日を設けたユダヤ・キリスト教の定めた戒律だが、自分が現実に生活している場所での宗教儀礼は見過ごしておいて、関係のない他人の宗教儀礼には文句をつけるのは理屈が通らないでしょうと。

 私も同感である。私たちの生活している節目節目は宗教的行事に満ちている。正月だ、節分だ、祭りだ、お盆だ、クリスマスだ..そうそうバレンタインだってそうでしょう。カレンターの暦だって、今聴いているチャトモンチーだってルーツを辿れば、音楽の起源は宗教的なものだったはずだし、この資本主義社会だってプロテスタントリズムからだとも言われている。そして、誰しも必ず死に、そのまま焼かれるのではなく、宗教的に必ず弔われる。

 都市部ほど、占いがはやるというらしいが、宗教的、霊的、道徳的しばりが希薄化している人間たちほど、自分を縛るものを求めるのだろうか。

 最近は、既存宗教の縛りから開放されるためか、結婚式も人前だったり、葬儀も宗教とは関係なく個人を偲ぶ会っぽくやったり、それはそれでいいと思う反面、このまま人間中心だけで行ってしまってまずくはないのかと危惧もおぼえる。人間、個人が中心といいつつ、突然地球を救おうという展開はどこかおかしくないだろうか。

 個人の幸福・利潤追求と地球救済という関係はあまりにも唐突であり、その関係の中には自分以外の誰かと助け合っていこうという要素が不可欠ではないのか。マテリアルとしての自分と地球だけではなく、霊的ではなくていいからもっと、崇高な精神を大切にして生きようという視点が人間には必要ではないだろうか。

 脳が自分自身を支配し、欲望のため周囲の環境を利用し、たまには地球のために役立ちたいんだもんねと思ったとしても、最後に脳は自身をコントロールできないまま肉体として消滅していく。きっと現在の私たちの想像を超えた何かが、私たちの世界をつくり、現在も共存している。

 本当に生きてるって不思議だし、発見も多いと感ずる。年寄りになったきた分だけ、それを新鮮に実感いる今日このごろである。

  

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