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2009年4月

2009年4月30日 (木)

グラン・トリノ

Rk_ph090427  ミリオンダラー・ベイビー』以来、4年ぶりにクリント・イーストウッドが監督・主演を務めた人間ドラマ。朝鮮戦争従軍経験を持つ気難しい主人公が、近所に引っ越してきたアジア系移民一家との交流を通して、自身の偏見に直面し葛藤(かっとう)する姿を描く。イーストウッド演じる主人公と友情を育む少年タオにふんしたビー・ヴァン、彼の姉役のアニー・ハーなどほとんど無名の役者を起用。アメリカに暮らす少数民族を温かなまなざしで見つめた物語が胸を打つ。[yahoo 紹介文]

 各種映画サイトで大好評のクリント・イーストウッド監督のグラン・トリノを観る。詳細は映画関係サイトにまかせるが、久々にこれが映画だなぁとシミジミと感じる映画だった。元軍人の口うるさい老人と移民家族が交流する中で、ドラマが展開していく。インターネットではほのぼのとした交流が笑わせるとあったが、全体的には通奏低音の如く暗いトーンだったような気がする。

 イーストウッド演じる老人が死に向っていることを意識せざるを得ない展開だったが、果たしてあの最後の死に方で良かったのかは、まだわからない。でも、人のために自分を与えることが人生を豊かにするということを匂わす演出だ。ニクイ。

 何の心配もなく、愉しんで老後を過ごす....それは一見夢のようかもしれないが、それを否定して実生活で人生を突っ走るイーストウッドになぜか惹かれてしまう。 

 それにしても、この映画深いなぁ。アメリカの白人によるアイデンティティーが崩壊し、白人から他民族に移行してきていることを象徴させるのだから。特にラストシーンでは。

 

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2009年4月26日 (日)

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2009年4月25日 (土)

島田紳助「ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する」

 今日はせっかくの土曜日だけど、かなり雨が降っている。活字中毒の自分としては読書に専念できる日のため、朝から夕方までの間に数冊読破。数多くの本を読んでいると、作者が慣れで書いているのか、ライターが関与しているのか等の勘がはたらいてくる。タレント本はライターの関与が多いが、今日読んだ島田紳助「ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する -絶対に失敗しないビジネス経営哲学」は、大味ながらも、迫ってくるものがあった。

 島田紳助が会社経営しているのは初めて知ったが、彼は信頼できる知人・友人に店を持たしている。なるほどと思ったエピソードは、知り合いの金持ちが鮨屋をやると言い出したときのことだ。紳助はやめた方がいいと言った。

 いい職人が旨い鮨を握ってくれる鮨屋が、自分のものだったら楽しいという気持ちはわかる。だが腕のいい職人が信用できる人間であるかは別の話だ。人間の心というものは弱いものだ。店を誰かに任すという事は、いくらあるか数えずに机の上に大金を放り出しておくようなものなのだ。鮨屋をやりたいから職人を探すというのはj間違いの元なのだ。

 あなたが、こいつは男にしたいというような人間に出会って、たまたまその人が鮨職人だったから、鮨屋をやろうというのなら賛成できる。別の言い方をすれば、一緒にビジネスをするなら、こいつに裏切られても仕方ないと思えるくらい好きな人間とやるべきなのだ。ビジネスを成功させたいから、熱い心をもった人間を探すのではない。熱い心をもった仲間と一緒に走りたいから、僕はビジネスをするのやと思う。

 テレビを観ていると島田紳助のエラソウなところが多少ハナにつくところもあるが、ナルホド彼は全身全霊で生きている男だと感じた。あまり期待せずに読んだ本だが、改めて仲間と生きることの大事さを教えてもらった。

 今日はは島田紳助の本を読む直前に、ラサール石井の「笑いの現場 ひょうきん族前夜からM-1まで」も読んだ。 

 今、テレビはお笑いブームで、お笑いタレントがチャンネルを廻せば出ている飽和状態である。私はお笑い系が大好きで、昔から寄席にいったり、最近は若手ライブにも出かけたりしている。

 今回二冊のタレント本を読み、テレビでは、ラフな雰囲気で演じているコントや漫才が、いかにネタづくりに苦労し、練習しているか驚かされた。勿論、いい加減なピン芸人も目だっているが、人気のある芸人たちは、才能だけではなく、日夜血の滲む?努力をしていることに少し新鮮な感動を覚えた。 私の好きなトータルテンポス、サンドウッイッチマン、我が家、東京03、U字工事(栃木強調以前のほうがよかったな)、アンジャッシュ、インスタントジョンソン....そして尊敬する多くの落語家たち....。  

 お笑い系番組の乱発で、才能をもった芸人たちが、消耗しないことを祈る。

 

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2009年4月19日 (日)

ジョン・ウー監督からのメッセージ レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦―

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「 レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦―」を観る。三国志はもともと好きで20代の頃は、昔NHKでやっていた人形劇を全部ビデオで観たり、ファミコンゲームで一ヶ月間、睡眠3時間というときもあった。

 さて、映画「レッドクリフ PartⅠ」は大好きなジョン・ウー監督の作品だったが、何か大振りな感じがして画館で観る気がしなかった。しかし、なんと今月テレビ放映(封切半年後で!)されたのを観て、惹きこまれて、今回劇場まで足を運んだ。

 映画の方は大スペクタル映画の典型的なノリで、愉しめた。まぁ、いろいろ批判はあるだろうけど、かなり頑張った映画だと思う。映画の冒頭にジョン・ウー監督から「世界的不況だが、歴史から学び、未来に希望をもって生きよう」という趣旨のメッセージがある。

 ジョン・ウー監督のメッセージのように「歴史」を見つめ直し、その世界を想像してみると、人間の歴史は闘いの歴史であり、また信頼の歴史でもあったと気付かされた。人間は生きるために自然、猛獣や他の人間集団と弱肉強食の闘いをしてきたことは常識となっている。しかし、闘い、戦争、争いそれだけではない。人間が生き延びてきた歴史は、夫婦や親子、地域集団..人と人との絆や信頼があったからである。

 歴史は闘争を繰り返しながらも、希望を抹殺したわけではない。明治維新のときの志士たちの情熱は前に進もう、改革しようというエネルギーに満ちていたのではないか。未曾有の不況といわれる現在において、命がけで未来への希望につながる改革をしようという気概やエネルギーはどこにあるのだろうか。

 歴史から学ぶというのは分析し、評論家になることだけではなく、事象だけではなく実際に生きた古人たちの生き様から引き継ぐものは引き継ぐということでもある。

 日本について考えるならば、調和的で、心身統一に優れた文化・歴史がありながらも、西洋的思考に塗り替えられ、信仰も希望も、連帯感も失いながら、一喜一憂しているのが私たち日本人の現実なのかもしれない。能や舞踊、落語や武道という古人たちの仕草を快く感じ、何かを掴んでいる現在の私を、歴史や社会に対する反逆・否定を正しいと思っていた若い頃の私は驚いてみていることだろうなぁ。

 

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2009年4月15日 (水)

「会社に人生を預けるな」の広告を見ての感想

 今日は一生懸命に残業している部下たちに”すまぬ”と思いつつ、合気道のお稽古に行く。帰りの電車の中で勝間和代さんの「会社に人生を預けるなリスク・リテラシーを磨く」という新刊の広告があった。帰宅して、一杯やりながら、そのことが頭から離れないでいる。

 勝間さんのことはよく知らないが、若くして公認会計士に合格され、著書も売れに売れ、テレビのコメンテーターもなさっているのは知っている。今回の本については、日本が停滞するすべての原因は終身雇用制度にあって、自分のキャリアをつくっていくしかないというような内容らしい。

 私は終身雇用の是非については、はっきりとした見解をもっていない。かつては勝間氏と同様にその制度が日本経済システムを衰退化させると思い込んでいた。だが、グローバリズムの自己主張と自己正当化の強さに辟易としてきたし、現在のアメリカの金融状況をみても、日本を今までよくも騙してくれたな!と呆れていまう。

 確かに勝間さんは自分の力で現在の社会的認知度も高く、富裕層の立場を得られたことであろう。でも、日本人みんなが勝間さんのような生き方をしたら、どうなることだろう。素晴らしい社会、生き易い社会が到来するだろうか。

 終身雇用制度の弊害もあるだろうが、制度のもつ安心感ゆえに日本社会は成長し、生き延びてきた面もあろう。リスク・リテラシーを磨くということは、自分だけが生き残るサバイバルゲームに挑むことである。

 いまの社会、現在の世界に必要なのは、独り勝ちしようといている野心家や、リスクに神経衰弱的になっている孤立した人間ではなく、誰かと共に生きていくという連帯意識であると思う。

 人が人とのつながりを拒否して、一人或いは自分の家族を単位に生きようとしてきたことの弊害が世界に現出している。

 今朝のテレビで、定額給付金をボランティア活動に寄付している人が多いことに新鮮な喜びと驚きを感じた。私はいい加減な人間なので偉そうなことは言えないけど(言ってるか!)、現状をブレークスルーしたいなら、従来の成功原理にしがみついていても解決はしないと思う。まして自分だけ生き抜こうとする人間を、この世界は手助けしないであろう。

 著書を読んでいないため恐縮だが、多分勝間さんの言われるリスクとは、就業や経済状況という側面であろうと推測する。しかし、本当のリスク・リテラシーを追求するならば現在の社会構造というちいさな箱の世界を相手にしているのだとしたら錯覚である。誤解を怖れずにいうならば、私たちの社会は「想像を絶する不確定要素」の上で成り立っている。例えば「自然、地球規模」で見ると、予期もできないリスクとして、日本では阪神淡路大震災、中国ではオリンピック直前の地震などで大量の人々が死んでいった。そして、9.11のような人的テロや昨日のタイの戒厳令体制などは「社会・世界情勢」のリスクを象徴している。また、環境問題、食糧不足、新型感染病などの脅威は拡大し続けている。それでも...しかしまぁとりあえず、現状の平和な日本社会をベースにした設定でのリスク・リテラシーは軽くはないか?。ゲーム感覚ともいえないか。

 断言しよう。自分だけのリスク回避を図っているだけでは、あらゆる危機には対応はできない。経済面だけではなく、世界・社会情勢、自然災害も含めたリスクを回避するのに、有効な手立ては、支え合い、助け合う仲間をつくることである。

 今日の広告のおかげで、自分が何を感じ、伝えたいのかを知るきっかけとなった。

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2009年4月13日 (月)

A・浜口氏と悟り

 昨日は久々の休肝日だったために、今夜は知る人ぞ知る下町居酒屋ランキング上位の本所「わくい亭」でほどほど飲み、食べ帰宅した。まだ午後10時前なのでワインをチビチビやりながらこのブログを書いている。

 今日の夕方は我が師と仰ぐアニマル浜口氏としばし話す。浜口氏の笑いビクスはテレビで有名だが、単なる笑いではなくそれには深い意味がある。しばし、笑うことの意味・効用から禅に通ずる話となる。はっきり言おう、浜口氏は世の宗教家、思想家よりも実学としての人間学を熟知した存在だ。

 私は、氏のとおしゃべりを通して、今日わかったことがある。シャワーを浴びながら思い出したのは、昨日読んだ本の中で、禅の悟りの歌として紹介されていた歌があった。「達磨さん、ちょいとこっち向け世の中は月雪花に酒に女だ」.....。

 面白い歌だと思ったが、なんで達磨さんに欲や楽しさをぶつけるのだろうという疑問が湧いた。しかし、シャワーの熱い湯の中でとても小さな悟りが生じた。

 対極にある修行と安楽。どちらかを否定するのは、執着があるということ。

 すべてを受け入れ、あるがままに、生を愉しむこと。それが悟りなのだろう。

 こう定義しようとしている自分自身が、もう執着の根を張ろうとしているのかもしれない。

 人生は苦でない、安楽でもない。また人生は苦である、安楽でもある。 

 すべてはこころひとつということ。

 活字中毒の私は酔っても本を読む。尊敬する梅原猛氏と稲盛和夫氏の「人類を救う哲学(PHP)」。両人のおっしゃっていることは納得できることばかりである。しかし、それを読んだ自分は、その内容を仕入れて評論的になってしまう傾向がある。

 実学として、身体を張った人間学を実践する浜口氏に敬意を表する。是非、氏の実学を的確に表現できる本が出版されることを願う。

 

 

 

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ザ・バンク 堕ちた巨像

49e7d5fe859186489c5ce68472d14848  この映画は重く暗く濃厚なサスペンス映画だ。巨大バンクが利益のために武器輸出に手を出すとしいう設定だが、リアリティがある。考えてみれば、日本では銀行側は清廉潔白で、皆様に愛される銀行を目指しますという幻想を抱かせようとしているが、北朝鮮にお金を送るのは多分銀行が絡んでいるのだろうし、イラク侵攻への経済援助も銀行が中間に存在するのだろう。

映画は銀行が殺し屋を雇って殺人したりと、派手派手しいが、NY・グッゲンハイム美術館での銃撃線は凄い。5年前にNYにいったときに訪れたことがあるが、実際の美術館で銃が乱射されていると錯覚してしまう位、しっかりしたセットでの撮影だ(セットですよね?!)。

 ラストはもうちょっとクライマックスっぽくしてほしかったが、骨太の男の映画でした。これを観て銀行含めた軍産複合体に興味をもった人も多いのでは...

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2009年4月 5日 (日)

東京国立博物館での花見

 先週は、新しい部署に異動となり、慌しい一週間だった。今週も夜まで歓送迎会や、打ち合わせでスケジュール一杯となっている。そんな中、リフレッシュを兼ねて花見に出かけた。

009 場所的には浅草の隅田公園が近いが、かなりの人出で逆にストレスフルとなりそうなので、ネットで穴場を検索してみた。すると上野の国立博物館の庭園が期間限定で開放されているらしい。そんなに知られていない花見スポットなので、そこに決めて昼にでかける。

 特別展で阿修羅展をやっていたが、かなりの混雑のためそちらは断念し、一般観覧料大人600円を払って、入場する。

004 庭園は、人出もそれほど混雑はしておらず、ゆっくりと桜を楽しめた。ただ、あまり広くないので10分もあれば一周できてしまう。

 お腹もすいたので、法隆寺宝物館のホテルオークラのレストランに向ったが、10名くらいの年配の方々が並んで待っていらっしゃる。10分ほどしてから、テラス席に案内され、桜の木や、上野公園の風景をみながら、ビール(小瓶だけど700円)をいただいたら、本当にしあわせな味がした。ビーフストロガノフ(1200円)やハンバーグも本当においしかった。

その後は、せっかくだから展示物を観てまわる。本当にここは広い。花見にきたのだけど、その10倍近くの時間を、埴輪や陶磁器、鎧や刀、仏像、書、絵画等々との出会いに費やす。今日は盛り沢山の一日だ。

 今日は、北朝鮮がロケットを発射した日だ。マスコミは、きっと発射の脅威と花見客の乱痴気騒ぎを対比して、これみよがしにニュースを流すことだろう。昨夜はニュースインタビューで「発射なんて関係ねぇよ!」と息巻く花見男に対して、私は侮蔑の念を抱いたが、むしろロケット発射を気にして家に閉じこもったり、ビクビクしながら花見をしている日本人の方が情けないような気がしてきた。

 飽和状態の上野公園のブルーシートに居座っている花見客たちもただ騒いでいたり、惰性で飲んでるようなのが多かったな。もっと満開の桜を見て、興奮し、喜び、酔って、みんなと小躍りするような、国立博物館の昔の絵に描かれていたような日本人たちが増えないかなあ。

                                                                              

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