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2009年1月14日 (水)

押井守監督の生き方

 昨夜は押井守監督の「凡人として生きるということ」を読破した。私の中で押井守監督は世界的に評価されているが、どこかオタクのカリスマのようなイメージがあった。愛地球博のときの押井守監修のパビリオンは2回入ったが、期待を裏切られたと思った。

 しかし、押井守監督の映画作品は、サスガ!とつい唸るものが多いのも事実。2008年夏に出版された本書では、私のもっている押井守監督イメージが崩された。

 「若さ」の層により支持された監督だと認識していたが、監督は若さに価値はない!と断言し、若さそのものに価値はなくても無知な若者が年を重ねて、この世界で生き抜き、一人前のオヤジになっていくことはもかけがえのない価値だとおっしゃっている。 オタク、ひきこもりについても明確な意見をおっしゃるが、私が感心した箇所を紹介したい。

 社会とのかかわりを持たないことが自由とはいえない。それでは我々はどう生きればいいのか。それはより本能的に、より感動的に生きるしかないということらしい。たとえ話として、家路をいぞぐあなたにすり寄ってきた小さな子犬がいて、本当に可愛らしく、抱きしめたい衝動にかられる。しかし、あなたはそこで犬を連れて帰ったら、家族から叱られるか、飼えたとしても餌代はかかるし、毎日の散歩、旅行にもいけなくなる。...そう考え、あなたは無情にも子犬を置いて、立ち去る。

 確かに子犬を連れて帰らないことで、あなたの暮らしは変わらない。だが、子犬を連れて帰っていれば、もっと愉しい豊かな生活があったかもしれない、それこそ、旅行なんて行きたくもなくなるような、毎日の散歩が苦行でなく楽しくて仕方のないような暮らしがあったかも知れないのだ。

 あなたは何も捨てていないようで、実は大きなものを捨てている。少なくても何も選択しないうちは、何もはじまらない。

 子犬を抱き上げることができたなら、未来の可能性を留保するより、今の選択を優先できるはずだ。子犬の命を引き受けたように、次は他人の人生を背負い込むようになるだろう。そうやって社会とのチャンネルをが増えていき、あなたを必要といる人が一人ずつ増えていく、

かつてのあなたが、その姿をみたらなんと言うだろうか。ああなんて不自由な暮らしと嘆くだろうか。だが、きっとあなたにはそんな過去からの声は聞こえない、その代わりに、何物にも代え難い大きな満足を得ているはずだ。

 私自身も最近、大きな選択をした。安全でリスクが少ない生き方を捨て、今のいのちを優先させた。そのために傷つけた人もいる。葛藤はあった。自分は良い人でいたいし、他者からの噂の標的になりたくないと思っていた。でも、それでは偽りの生き方だと感覚的にわかっていた。だから素直な直感に従った。すべての人々の生き方が守りに入っていたら、世界は衰弱するのだと思う。みんな、大胆な選択ができないから、逸脱した人をスケープゴートとして扱うのかも知れない。

 監督からは「本能的に感動的に人生を選択しよう」とエールをおくってもらった気分である。

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