« 東京の夕焼けの美しさ&はやらない店に入るとお金は喜ぶ | トップページ | 「日本人の精神と資本主義の倫理」 波頭亮 茂木健一郎 »

2009年1月20日 (火)

オバマ 熱狂的な「アメリカ」・・・「日本」なぜ若者は老人に席を譲らなくなったのか

 オバマ大統領就任で沸いているアメリカの画像が、ニュースで流れ続けている。それと比較すると日本は、麻生首相のときもアメリカの熱狂さとは程遠かった。アメリカは夢を抱いている国、いろいろな人種で構成されている国、パワー信仰の強い国...だからこそ、国のリーダーはカリスマでなければならないのだと思う。熱狂的で狂信的な国と、冷めていて懐疑的な国を比較してみても、どちらがいいのかわからないし、完璧な国などありえないから、まぁいろいろな国があっていいのだろうと思うのだ。

 大林宣彦監督の「なぜ若者は老人に席を譲らなくなったのか」を読む

★かつての日本人は物事を大きくとらえ、全体をみまわすことができ、「総論的」な考え方ができた。戦後アメリカの影響もあってか「各論」で物事をとらえるようになった。目の前にある課題を効率よく解決していけば”当面”は良好な社会を維持できるはずだったが、その”当面”に期限がきてしまったのではないか。

★今の教育は「制度」でしかなく、すべてをマニュアル対応しようとしているところに問題がある。物事の本質を問うことなく、小手先だけで問題を解決しようとすればいずれ別の問題が出てくるのは道理。

★「総論」的な社会が、大人と子供の世界をひとつにする。映画も随分と「各論」的になっているが、昔の小津安二郎さんの映画なんてあらゆる年代が楽しめた。子供に好きなものばかり食べさせていたら、嫌いな野菜を好きになるチャンスはない。

★チェルノブイリで老人に席を譲らない若者たちに「君たちもいずれ老人にかるんだよ」とたしなめると、「僕たちが歳をとって老人になるって!僕たちは明日に死ぬかもしれないんだよ」と素直な顔で言った。安全な日本の若者たちが席を譲らないのは、明日が信じられないからかも知れない。

★本来子供には、何か不思議だとか、面白いというものに自然に反応する力がある。「何が」ではなく、「何か」という物事の捉え方がある。「何が」は情報だが、「何か」は情報にはならない。現代は「何か」が消えつつある。しかし、文化のためには「何か」が必要。政治,教育、環境問題・・・それを包括するのが「何か」であって、「何が」で分けて個々の問題として解決しようとしてしてもうまくいくわけがない。各論で結論めいたことを導いたとしても、そこから先に行く方法は絶対見つからない。すべての日本人が批評家になったといわれるゆえん。

 cat大林監督といえば尾道だが、私も二ヶ月前に仕事で僅かの時間だが尾道を訪れた。瀬戸内海と山々、静かに流れる時間が、忘れていた懐かしい日本の空気をかもしだしていたように感じた。

 オバマ熱気は日本人のDNAとは違う気がするが、日本が「各論」政治評論家ばかりの国では、何のヴィジョンも未来もイメージできないだろう。これからは、大人たちもこどもたちと一緒に未来を築いていくのだ。個人主張しながら、あらゆるサービスを買いながら生きるのではなく、隣人たちと繋がりあって助け合いながら生きていくパワーが大切なのだ。

 bottle今日は合気道のお稽古のあと、10時に帰宅して飲み始めましたが、そろそろ睡魔が襲ってきました。おやすみなさい....

|

« 東京の夕焼けの美しさ&はやらない店に入るとお金は喜ぶ | トップページ | 「日本人の精神と資本主義の倫理」 波頭亮 茂木健一郎 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/531400/43804256

この記事へのトラックバック一覧です: オバマ 熱狂的な「アメリカ」・・・「日本」なぜ若者は老人に席を譲らなくなったのか:

« 東京の夕焼けの美しさ&はやらない店に入るとお金は喜ぶ | トップページ | 「日本人の精神と資本主義の倫理」 波頭亮 茂木健一郎 »