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2009年1月14日 (水)

小林正観氏講演会

 今日は2年半ぶりに小林正観氏の講演会に参加した。職場からバスで10分という気軽な距離なので、正観氏の本を少しだけ読んだ友人をに誘って行った。

 正観氏の話は、相変わらずにダジャレ連続であったが、冒頭にラジオで生物学者が「動物は痛みを知らない。なぜならば痛いという言葉を知らないからだ」というはなしから入っていった。言葉によって私たちは痛みや幸せを認識する。幸せとは現象ではなく認識だ。

 感謝、争そわない、人様に役立つ...正観氏の決めフレーズが次々に出てきたが、やはり本で読むのと、実際に生で正観氏の話を聴くのは違うと思った。

 それでも気になったのは、正観氏のちょっとした言葉に常連の方々が過剰としか思えないような笑い声と拍手で反応をなさっていたことだ。講演会は6年前から数えて6回目の私だが、反応の音が強烈て耳障りで仕方がなかった。私が気にしすぎかとは思ったのだが、後から聞くと友人は冒頭の会場の雰囲気で新興宗教と同じだと思い、終盤までずっとひいてしまったらしい。残念!

 きっと正観氏は、そんな状況もご存知でいらっしゃるが、氏の物事に捉われず、良い悪いの範疇を超えた眼差しで講演を淡々としていらしたことと推測する。

 葛藤していた私は、合気道でこころをどの対象に向けるかで心身が大きく左右されてしまうことを思い出した。こころを会場側ではなく、正観氏そのものに集中させることによって、途中から会場の音に捉われず氏の言葉が自分の中に飛び込んでくるようになったのだった。

 今日は正観氏から、状態でなく、どう認識するかが自分の幸福を決定することと、競争ではなく自然のままで認め合う、尽くし合う関係ことが自分の人生を幸せに豊かにしていくということを教わったのだった。

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