« 「合気道のこころ」 植芝吉詳丸、「「痴呆老人」は何を見ているか」大井玄 | トップページ | 江戸しぐさ講演会  »

2009年1月18日 (日)

ビジネスに「戦略」なんていらない

 本日は昼にジムでウェイトトレーニングをした。ベンチプレスを軽く?100キロまで行い、あとは合気道の受身の練習をしていた。夕方から実家で母が作ってくれた鍋を食べる。ジンジャードライを土産に買っていったが、一口飲んで母は気に入らないらしく、通常のビールに換えた。私の母は76歳だが、驚異的な精神と体力の持ち主であり、昨夜はスナックのママから連絡があり、飲んでママは実家に泊まっていったらしい。母の凄さは、また今後改めてお伝えしなければなるまい。

 wine私はビールと濁り酒と、カクテル缶を飲み、帰宅後コーヒーをがぶ飲みし、PCと向かい合っているが濁り酒のせいか、軽い頭痛がしている

 さて、本日は「ビジネスに「戦略」なんていらない」平川克美 を読んだ。平川氏は内田樹氏の同級生であり、ご自分で会社を設立され、いくつかの著作を出していらっしゃる。

 私は20年位前に、NHKの日米貿易摩擦についての討論番組で、日本人で唯一アメリカに対してはっきり反論した大前研一氏の姿に感銘を受けた。それから、大前氏の著作を貪るように読破したが、私の記憶が正しければ、ビジネスに「戦略」という言葉を用いたのは氏の著作「企業参謀」が発端だったのではないか。

 平川氏の本書では、「戦略」が戦争・戦闘が前提で、それをいかに有利にすすめるかの方法論であると述べている。 闘争の目的は、敵対する相手を攻略することであり、日本がマンション購入、行列のできるラーメン屋選び、結婚相手まで戦略なしで挑んではバカをみるという風潮に違和感を覚えている。

 平川氏はビジネスについてこう定義している

 ビジネスにおいて交換されるのはモノやサービスとお金であると同時に、技術や誠意といったものが満足や信用といったものと交換されているという二重の交換こそが、あらゆるビジネスの課題の中心であり、そこからビジネスの過酷とも面白さも派生してくると申し上げたいのです。       

 平川氏の発想で面白いのは、ビジネスのフェテシズムとして、脚フェチが全体を拒否し、局部的な偏愛のように、数値や利益だけにとらえられていると、会社を構成している全体がみえなくなっているということである。会社には、結果に到るための「見えない資産」が多分に蓄積されているはずだが、短期的な微細な価値の差異で会社自体を評価している傾向にあるのではないか。

 また、内田樹氏とのダイアロ-グの中では、マーケットに淘汰されるとは粛々と受け入れるべきことだろうが、極端な話すべてのビジネスというのは、必ずいつかは淘汰されてしまう。「マーケットに淘汰されない企業」がありえない以上、長寿競争のようなことをすればいいのかというとそうでもない、という部分に目から鱗が落ちた気が゛した。

 問題なのは「戦略」をクローズアップするということはその他の無数にあった条件を隠蔽してしまうということなのです。

 人は誰でも給与のために働く場合は、給与の分だけしか働きません。しかし、自分を証明するためには信じられないような努力を惜しまないことがあります。そして、この結果に対して給与が上がったかどうかということは確かに結果のひとつであるかもしれませんが、それはおまけのようなものにすぎなくなります。科学者にとっての発見や発明に関しても事情は同じだろうと思います、そして、それはサラリーマンにとっても同じことであるはずなのです。

 人事考課制度によって、高い評価を下された人間は喜びモチベーションが一時的にでも上がるかもしれないが、低い評価を下された人間は、なにくそとやる気がでてくるものなのかは疑問である。また、業績次第で自分自身の意志や意欲が揺れ動く人間ばかりの会社は、長期的にみても不安定な組織であると思う。

 競争、勝ち組、生き残り、資産倍増、M&A戦略....このマインドも長い視点でみて、人間社会を破滅させずに、幸福な世界に導いてくれるのだろうかしら...............................

|

« 「合気道のこころ」 植芝吉詳丸、「「痴呆老人」は何を見ているか」大井玄 | トップページ | 江戸しぐさ講演会  »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/531400/43771751

この記事へのトラックバック一覧です: ビジネスに「戦略」なんていらない:

« 「合気道のこころ」 植芝吉詳丸、「「痴呆老人」は何を見ているか」大井玄 | トップページ | 江戸しぐさ講演会  »