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2009年1月

2009年1月31日 (土)

ホントは紹介したくない魚屋直営の割烹料理

 今週の夜は飲み会が続いている。上野、有楽町界隈に集中していたが、今日の新年会は入谷である。私が幹事となったが、以前何度か利用させていただいた「割烹さいとう」だ。同じ敷地内に魚屋さんを営業しているので、サカナの鮮度は抜群である。この店はマスコミにも多々登場しており、特にランチの刺身が溢れんばかりの海鮮丼のボリュームはかなりのインパクトで連日長蛇の列らしい。

 私は夕方から宴会コース飲み放題付6000円を頼んだ。イヤー最初からマグロのカルパッチョ、蟹が出ていたが、10分後に刺身の舟盛りに圧倒された。その後も色々と出てきたが、あんなに分厚い刺身たちやウニ、かにを眼の前にしながら、あまりのボリュームに為す術もなく、サカナたちを食べきれない自分が情けない。酒もビール、焼酎、最後は熱燗で酔いが廻ってきた。店を出たら、隣の魚屋さんのあんちゃんが宴会の人はこれタダでいいですよと、全員にマグロなどの切り身のブロックをプレゼントしてくれた。

 今週は高級居酒屋、下級居酒屋、トレンディ和食店等々に訪れたが、今週に限らずここさ最近で一番、リーズナブルで感動できたのは、この店です。以前よりも増して、最近、外食業界が乱戦気味になってきていることを実感しているだけに、この店の素朴な良さが光っているのかもむしれない。

 あー残してきた、刺身たちが無念....

※本当はここ数日で読んだ「義理と人情」みのもんた、「楽して、儲ける」山田昭男、「有意の人」船井幸雄のこと書きたいんだけど、まだ酔っていますのでまたの機会に!

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2009年1月28日 (水)

94歳舞踏家 石井みどりさん「よく生きることはよく動くこと」

 昨年、94歳でなくなった舞踏家石井みどりさんの本を読む。92歳まで舞台に立たれていらっしゃったらしい。

 今日は仕事関係の飲み会があり、9人ほどで3時間飲み続けたが、どうもみんな身体が硬めの人が多く、会話が良いシャッフルをしなかった。自分のことは棚に上げるが、どうも最近は、会話がエキサイティングにスィングする飲み会が少なくなってきているようだ。そこで、帰宅しココアとコーヒーを飲みながら、身体硬直の対岸にいらっしゃる舞踏家石井みどりさんの本を読むことにした。

「よく生きることはよく動くこと」

 踊り続け、後進を育て75年の石井さんの人生から生まれてきた体験と、味わい深い言腰から言葉に溢れていた。身体の使い方では、「腰から下をしっかり鍛えること。足でしっかり床を押さえて立つ。腰から上は逆に力を入れない」「床に愛着をもちなさい。床にめりこむくらい、しっかりと押しなさい」のほか、丹田を締める、息を吐くことが大事、どんな仕事も理にかなった動きがあるなど、現代舞踊のコツが武道と共通した部分が殆どなので驚いた。

 また数々のエピソードの中でも印象深かったのは、女学校時代にクラス一番の友達が自殺した。彼女は恋愛ではなく、思想的、哲学的な問題で悩んでいたらしい。すると当時の先生はこんな話をした。「人間は小さな徹底をしないことです」........

徹底というのは貫くこと。まだ人生経験が浅いうちに本の知識を鵜呑みにして、頭だけの徹底で自己中心的に死んではしかたがない。先生はさらに「あまり哲学の本など読まずに、学校の勉強をちゃんとやりなさい」とおっしゃった。

 石井さんは頭から仕入れた知識に頼ることなく、人間にもともと与えられた想像力を大切にしていきたいと思うようになったらしい。

 私は活字中毒であり、多くの本を読む。でも、頭にいくら知識を入れても、自分自身が簡単には変わらないことは身に沁みてわかっている。例えば、リラックスの大切さや、意識の集中についての本はかなり読んできたが、合気道のお稽古の中ではリラックス、集中の大切さとコツが実感として心身に響いてくる。舞踊の本を100冊読むよりも、まず3冊読んで97冊分踊ってみるということなんですね、石井先生!

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2009年1月25日 (日)

二日酔いでの演武会!! &「赤めだか」立川談春

 昨日は、新年の演武会があった。私は昨年秋に合気道入門したばかりの新人なので、有段者が最後の方とすると最初の演武となると思い、少々プレッシャーを感じていたので、早めに寝ようと計画していた。だが、一昨日、合気道のお稽古の後に、友人とやはり30分だけ飲もうということになり、早いピッチで飲んでだが結局その4倍の2時間飲んでしまった。翌朝、明け方に少し頭痛がしており、我が浅はかさを痛感した。二日酔いで演武は、合気道の神様にも申し訳なく、久々に風呂に湯をはり入浴した。なんとなく二日酔いは落ち着いてきたが、昼に待ち合わせした友人はマスクをしており、ぜっ不調で頭痛ビンビンだそうだ。まあなんとか、演武をこなしたが、武道家を志す者として、おおいに反省させられた一日であった。

 さて、昨夜も打ち上げで飲んでしまったが、本日は二日酔いもなく、午前8時からの読書タイムだ。今日は立川談志の弟子である談春の自伝「赤めだか」を読む。

 かなり売れていて、先月立ち寄った銀座の書店では一位になっていた。立川談志の強烈な個性は正月深夜にNHKで放映された5時間の談志特番からも伺えたが、彼の弟子たちは本当に大変だろうなと想像してしまう。

 談春は高校を中退して、談志の弟子となるが、内弟子ではなく新聞配達をしながらの修業だ。談志からも可愛がられたのだが、ある日、談志が稽古つけようとすると談春は風邪をひいており、師匠にうつしてはまずいと断った。それが談志の逆鱗に触れることとなって.....。築地市場での修業、高田文夫との出会い、二つ目昇進など数々のエピソードはーには惹きつけられ、一気に読んでしまった。

 弟子は師匠からの矛盾に耐える時期というが、談志の弟子たちへの愛情と師匠としての葛藤、矛盾が交錯して、師弟関係についてもハッとさせられる場面もある。

 現代社会は、落語だけではなく、教育、武道などのあらゆる師弟関係が、ビジネスに基づいたものに変貌してきている。いや、宗教だって、日常的に神仏に祈ることなく、初詣にお賽銭をあげるだけという人々が多いのではないか。オバマ新大統領のような圧倒的なパワーをもった人物が日本には出現しないのは、人間的な凄さを生み出す土壌がこの社会から消えつつあるからかもしれない。圧倒的パワーの持ち主は、自由奔放の中から生まれない。彼らは既成概念の世界に縛られてきたからこそ、より強い意識と智慧をもつことにより、固定化した壁を打ち破れたのだと思う。

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2009年1月21日 (水)

「日本人の精神と資本主義の倫理」 波頭亮 茂木健一郎

 今日はオバマ氏の就任パレードのために200万人が首都ワシントンに集まったらしい。テレビのニュースでは感動のあまり泣き出す婦人、未来に希望をもった黒人の子供たちが放映されていた。さて、日本は、昨日の国会で麻生首相に民主党議員が漢字読み取りをさせようとして話題となった。私はアメリカを絶賛するつもりは毛頭なく、問題が多い国だとも認識している。でも、こどもに未来への希望を与えられる国は、明日が無味乾燥な世界に見えてしまう国よりも、未来を創造するパワーがあると思う。たが待てよ、ひょっとしたら日本「おたく」パワーこそが21世紀を変革することはなかろうかと自問したが、自己完結的な趣味の世界構築はできても、よっぽどのことがない限りは他者の魂を揺さぶることはできないだろうから、変革の本質的なパワーには成り得ないだろうと自答するのだった。

 今日は、生酒と梅酒を飲みつつ「日本人の精神と資本主義の倫理」 波頭亮 茂木健一郎を読む。

★日本には「いつもちんたらして、毎日ボーっと過ごしているのが俺の個性だ、生き方だ」と主張する人がいるけれど、世間がそれを認めてしまうから駄目な訳で「それはただのダメ男だ」と指摘してやらなければいけない。

★うまいステーキだって、すきやきだって、肉10キロも食べたら幸せでなくなる。人間には本来の調和的な水準があるし、身体の限界もある。われわれは限界を超えて、必要以上の利便と消費を強制的に享受させられているのではないか。たくさんの肉を食わされているのではないか。そのように考えると、この経済至上主義の呪縛に対して別のスタンスをもてるかもしれない。

★日本人は優秀な人ほどリスクを取らない、だから勝てない、バブルのとき、世界の金融機関総資産ベストテンに日本の銀行が7か8行入っていたが、収益力では一行もランクインしていなかった。つまり、金儲けで勝てるほどには頭が良くないのに、「カネが欲しい」と経済万能国家になってしまった。もう一度、職人的価値観に立ち返った方が、日本人の性質としてナチュラルな姿なのではないか。

★格差社会は嫌だといっている。これではまるで世界一のランナーを目指しましょうといいながら、みんな仲良く手をつないで一緒にコールさせる幼稚園の徒競走みたいなことになる。これが日本の現状。普通のOLが自分の給料でルイ・ヴィトンのバッグを買ったり、海外旅行いける国は他にはない、格差のない社会をよしとするのであれば、全員がルイ・ヴィトンを買えなくなり、海外旅行に行けなくなる状況を受け入れるしかない。その覚悟で腹を括って社会作りをするなら、それもひとつの選択。

★田舎には自然があるし、家は広いし、めしもうまい。普通に暮らしていくにはこれほど快適なことはない。情報もネットで取ってこれる。もし、田舎暮らしに欠けるものがあるとすれば、人との出会いではないか、

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2009年1月20日 (火)

オバマ 熱狂的な「アメリカ」・・・「日本」なぜ若者は老人に席を譲らなくなったのか

 オバマ大統領就任で沸いているアメリカの画像が、ニュースで流れ続けている。それと比較すると日本は、麻生首相のときもアメリカの熱狂さとは程遠かった。アメリカは夢を抱いている国、いろいろな人種で構成されている国、パワー信仰の強い国...だからこそ、国のリーダーはカリスマでなければならないのだと思う。熱狂的で狂信的な国と、冷めていて懐疑的な国を比較してみても、どちらがいいのかわからないし、完璧な国などありえないから、まぁいろいろな国があっていいのだろうと思うのだ。

 大林宣彦監督の「なぜ若者は老人に席を譲らなくなったのか」を読む

★かつての日本人は物事を大きくとらえ、全体をみまわすことができ、「総論的」な考え方ができた。戦後アメリカの影響もあってか「各論」で物事をとらえるようになった。目の前にある課題を効率よく解決していけば”当面”は良好な社会を維持できるはずだったが、その”当面”に期限がきてしまったのではないか。

★今の教育は「制度」でしかなく、すべてをマニュアル対応しようとしているところに問題がある。物事の本質を問うことなく、小手先だけで問題を解決しようとすればいずれ別の問題が出てくるのは道理。

★「総論」的な社会が、大人と子供の世界をひとつにする。映画も随分と「各論」的になっているが、昔の小津安二郎さんの映画なんてあらゆる年代が楽しめた。子供に好きなものばかり食べさせていたら、嫌いな野菜を好きになるチャンスはない。

★チェルノブイリで老人に席を譲らない若者たちに「君たちもいずれ老人にかるんだよ」とたしなめると、「僕たちが歳をとって老人になるって!僕たちは明日に死ぬかもしれないんだよ」と素直な顔で言った。安全な日本の若者たちが席を譲らないのは、明日が信じられないからかも知れない。

★本来子供には、何か不思議だとか、面白いというものに自然に反応する力がある。「何が」ではなく、「何か」という物事の捉え方がある。「何が」は情報だが、「何か」は情報にはならない。現代は「何か」が消えつつある。しかし、文化のためには「何か」が必要。政治,教育、環境問題・・・それを包括するのが「何か」であって、「何が」で分けて個々の問題として解決しようとしてしてもうまくいくわけがない。各論で結論めいたことを導いたとしても、そこから先に行く方法は絶対見つからない。すべての日本人が批評家になったといわれるゆえん。

 cat大林監督といえば尾道だが、私も二ヶ月前に仕事で僅かの時間だが尾道を訪れた。瀬戸内海と山々、静かに流れる時間が、忘れていた懐かしい日本の空気をかもしだしていたように感じた。

 オバマ熱気は日本人のDNAとは違う気がするが、日本が「各論」政治評論家ばかりの国では、何のヴィジョンも未来もイメージできないだろう。これからは、大人たちもこどもたちと一緒に未来を築いていくのだ。個人主張しながら、あらゆるサービスを買いながら生きるのではなく、隣人たちと繋がりあって助け合いながら生きていくパワーが大切なのだ。

 bottle今日は合気道のお稽古のあと、10時に帰宅して飲み始めましたが、そろそろ睡魔が襲ってきました。おやすみなさい....

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2009年1月19日 (月)

東京の夕焼けの美しさ&はやらない店に入るとお金は喜ぶ

Image067_2  私の職場の窓からは、夕方になるとオレンヂ色につつまれたビルが目撃される。今日も鮮やかなオレンヂ色のビルがあった。思わず懸命にPCに向って仕事をしている方々を気にせず、屋上へエレベーターで向った。屋上に出るドアをあけた途端に私はアーずこいっ!!と叫んでしまった。大きなオレンヂの太陽が、東京の街を強烈に照らしているのだ。これがもし、山だったり海だったりしたら、やっぱ自然はいいなぁと感嘆したことと簡単に推測できる。しかし、東京で見る夕陽だって凄いのだ。自然の力、お日様の前では汐留もお台場も、東京タワーも副都心もどこかチャチでコンクリのマッチ箱のようだった。さあ、忙しいみんなに言いたいのは、タバコ吸いにベランダでたむろすのもいいけれど、流れる雲とか輝くお日様をじーっとみると、ホント完璧にリフレッシュしちゃうよcat

 さて、今日の夜は一人で外食ということになった。何となく今まで入ったことのない店に入りたくて、自転車でウロウロしていたら、サービスセット「生ビールとおつまみ3品680円」という看板があったのて゜、迷わず入店する。店内には客はいなくて、中国人のおかみさんが暇そうにテーブルに座ってテレビをみていた。さっそく、セットを頼む。鶏肉食べられないと言うと、マーボー豆腐と、ジャガイモ揚げ、お新香がでてくる。これら3品と生ビ゛ールで680円とは安い! 

 私は数日前のブログにも書いたが、小林正観氏の講演会にはちょっとまいったところがあったのだが、正観氏のハナシには納得することが多く、影響もされている。正観氏は有名な、おいしい店ではなくて、お客が入っていない店に入ってあげてくれとおっしゃる。例えば一日2000人の客が入るラーメン屋では私の払ったラーメン代は2000分の1だが、一日10人しかこない店ではなんと10分の1を占めることになる。喜ばれ方が全然違う。役に立つようにお金を使うには、いかに「喜ばれるか」という使い方をすることだと断言される。

 中国のおかみさんのいうことには、新年は不景気のせいなのかまったくお客がこないらしい。結局セット以外にも、サワー飲んだり、熱燗飲んだり、酢豚食べたり、また途中合流があったが、なんと2900円で済んでしまった。その2900円はとても大きなはたらきをしてくれたのだと私は勝手に思って、ほろ酔いで少し上機嫌なのであった。

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2009年1月18日 (日)

江戸しぐさ講演会 

 今日の夜はなぜか海鮮丼が食べたくなって浅草へ赴く。自転車をこぎながら1月2日に美川憲一が絶賛していた天ぷら「多から屋」を思い出し、国際通りに向ったが既に閉まっていた。そういえば店のホームページには重要なお知らせが告知されていた。   

        重要なお知らせ
1月2日のテレビ放送以来、想像をはるかに超える反響を頂いて
おります。しかしながら私どもの仕事量が全く追いつかず、通常
営業時間をはたせない状態が続いております。仕込み量を増やす
などの努力もすでに限界にきており、誠に申し訳ありませんが、
しばらくの間営業時間の変更をいたします。

 ということで当初の予定通り、海鮮丼を食べに新仲見世の日向丸の2階に行く。ビールと、さっき断念した天ぷらを食べたくなり天ぷら盛り合わせを頼む。あん肝、サワー、熱燗を頼み、最後は1200円の海鮮丼でしめたが、新鮮で美味しかった。一時間しかいなかったが、二人で丁度6000円というリーズナブルなお店であった。

 さて、今日の午後は「江戸しぐさ」講演会があり、日暮里サニーホールに行った。講演内容は本に書かれていたものと同様であったが、講演者の越川 禮子氏が82歳?にもかかわらず、背筋がしゃんとしてスーツ姿が凛々しく、話し方もはっきりしていて、またまた凄い高齢婦人に会ったものだと驚いた。

 講演をきいた後、海鮮丼とお酒を愉しみながら考えた。

 いまの日本は方向性がずれている。勿論、江戸時代がきちんとした社会とも言い切れない。だが、かつて江戸、明治時代に日本を訪れた多くの外国人たちは、きれいで清潔なまちと、庶民のイキイキとして、楽しそうな生活を見てショックを受けている。

 個の確立、自立、自由...言葉にすれば響きいいが、個が生きるためには、他者とのつながりがなければ生きられないという自覚が今こそ必要なのだ。単なるエチケットではなく、生活の知恵としての他者との関わり方を結びなおさなければ大変なことになってしまう。ひょっとしてその鍵を握っているのは、現在のこどもたちかもしれないと思った。

 

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ビジネスに「戦略」なんていらない

 本日は昼にジムでウェイトトレーニングをした。ベンチプレスを軽く?100キロまで行い、あとは合気道の受身の練習をしていた。夕方から実家で母が作ってくれた鍋を食べる。ジンジャードライを土産に買っていったが、一口飲んで母は気に入らないらしく、通常のビールに換えた。私の母は76歳だが、驚異的な精神と体力の持ち主であり、昨夜はスナックのママから連絡があり、飲んでママは実家に泊まっていったらしい。母の凄さは、また今後改めてお伝えしなければなるまい。

 wine私はビールと濁り酒と、カクテル缶を飲み、帰宅後コーヒーをがぶ飲みし、PCと向かい合っているが濁り酒のせいか、軽い頭痛がしている

 さて、本日は「ビジネスに「戦略」なんていらない」平川克美 を読んだ。平川氏は内田樹氏の同級生であり、ご自分で会社を設立され、いくつかの著作を出していらっしゃる。

 私は20年位前に、NHKの日米貿易摩擦についての討論番組で、日本人で唯一アメリカに対してはっきり反論した大前研一氏の姿に感銘を受けた。それから、大前氏の著作を貪るように読破したが、私の記憶が正しければ、ビジネスに「戦略」という言葉を用いたのは氏の著作「企業参謀」が発端だったのではないか。

 平川氏の本書では、「戦略」が戦争・戦闘が前提で、それをいかに有利にすすめるかの方法論であると述べている。 闘争の目的は、敵対する相手を攻略することであり、日本がマンション購入、行列のできるラーメン屋選び、結婚相手まで戦略なしで挑んではバカをみるという風潮に違和感を覚えている。

 平川氏はビジネスについてこう定義している

 ビジネスにおいて交換されるのはモノやサービスとお金であると同時に、技術や誠意といったものが満足や信用といったものと交換されているという二重の交換こそが、あらゆるビジネスの課題の中心であり、そこからビジネスの過酷とも面白さも派生してくると申し上げたいのです。       

 平川氏の発想で面白いのは、ビジネスのフェテシズムとして、脚フェチが全体を拒否し、局部的な偏愛のように、数値や利益だけにとらえられていると、会社を構成している全体がみえなくなっているということである。会社には、結果に到るための「見えない資産」が多分に蓄積されているはずだが、短期的な微細な価値の差異で会社自体を評価している傾向にあるのではないか。

 また、内田樹氏とのダイアロ-グの中では、マーケットに淘汰されるとは粛々と受け入れるべきことだろうが、極端な話すべてのビジネスというのは、必ずいつかは淘汰されてしまう。「マーケットに淘汰されない企業」がありえない以上、長寿競争のようなことをすればいいのかというとそうでもない、という部分に目から鱗が落ちた気が゛した。

 問題なのは「戦略」をクローズアップするということはその他の無数にあった条件を隠蔽してしまうということなのです。

 人は誰でも給与のために働く場合は、給与の分だけしか働きません。しかし、自分を証明するためには信じられないような努力を惜しまないことがあります。そして、この結果に対して給与が上がったかどうかということは確かに結果のひとつであるかもしれませんが、それはおまけのようなものにすぎなくなります。科学者にとっての発見や発明に関しても事情は同じだろうと思います、そして、それはサラリーマンにとっても同じことであるはずなのです。

 人事考課制度によって、高い評価を下された人間は喜びモチベーションが一時的にでも上がるかもしれないが、低い評価を下された人間は、なにくそとやる気がでてくるものなのかは疑問である。また、業績次第で自分自身の意志や意欲が揺れ動く人間ばかりの会社は、長期的にみても不安定な組織であると思う。

 競争、勝ち組、生き残り、資産倍増、M&A戦略....このマインドも長い視点でみて、人間社会を破滅させずに、幸福な世界に導いてくれるのだろうかしら...............................

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2009年1月17日 (土)

「合気道のこころ」 植芝吉詳丸、「「痴呆老人」は何を見ているか」大井玄

 今日は日曜出勤の振替休日だったので、せっかくだから浅草てんぷら人気店でランチを食べようと思い立ち、「あかし」というけっこう評判の店に初めて入った。のれんでていなかったが、開店寸前入り口でまだ早いですかと尋ねたら、いま開けるところだからどうぞといわれカウンターに座る。注文は出されたメニューも見ずに、雑誌、本で好評の天丼を頼んだ。店はあっという間に客で一杯になった。そして揚げたての天丼を頂く。しっとりして濃い味が多い浅草てんぷら界隈では、サクっとして上品な感じで美味しかった。店の雰囲気も良くて、これで900円なんて! また行こうと決心したのだった.....

 というわけで、今日は2冊ほど読書をしてから、夜は合気道のお稽古に行ったのだ。

「合気道のこころ」植芝吉詳丸

 今は亡き合気道二代目道主である植芝吉詳丸氏の昭和56年出版本の復刻本である。同書には開祖盛平の言葉が多く出ている。一部を紹介すると..

「相手の気配や殺意は、平常心が澄み切れば澄み切るほど直感、直覚できるものじゃ。平常心とは、例えば回転する独楽が中心に心棒の安定あってこそ静かに快く回転し、一見直立停止して見えるがごとき「スミキリ」の心の状態であるということじゃ」

「臨機応変、自在に己れを回転せしねことが大事である」

「相手の眼だけを見てはいかん。真の武とは、ありのままの己れの全貌をもって相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。だからわしは、このまま立っとればいいんじゃ」

 等々、興味深い。本書の中身も、剣の理と合気道技の関係などを説明なさっている。心身統一合気道 藤平光一宗主の「心身統一合氣道」も復刻版が出る予定とのことであり、合気道(武道)ブームが到来しているのだろうか。

「痴呆老人」は何を見ているか 大井玄

 この本は介護、福祉というジャンルの範疇ではなく、現代社会・人間論である。痴呆という概念を医療・介護側面に預けてしまい、自分自身の認知世界が正常だと信じ込んでいる私たちへの警鐘が、医師の立場だけではなく哲学、社会学の立場から書かれている。

・私たちが生きていくため、周りの世界とつながっているためには、見て聞いて話したことを記憶し、ここが何処で何時かの見当が必要だが、認知症の人々は、世界とのつながりを喪失し、「不安」という根源的情動を抱かせることになる。認知能力に衰えがないと自惚れている私たちも、この世界には百人百様の世界であがり、同じものはない。本書は認知症老人だけではなく、つながりを喪失した「ひきこもり」など、現代社会の誰もが程度が異なる「痴呆」だと断言している。

・かつて青年期の煩悶などは、人間的成長のステップと考えられていたが、現代社会は精神的苦痛に価値を認めない傾向があり強くなった。市場原理主義の競争社会では、苦痛の意義を認めず、そして苦痛をもつ人間は医療機関を訪れることにより「苦痛」を「病気化」する。

・幕末に訪日した外国人が驚いたように、庶民は貧しくても幸せで礼節に富んでいた。その理由のひとつは、彼らには祖先、子々孫々、自然、共同体などが構成する世界と繋がっているという(深層心理的)感覚があったから。

・「つながりの自己」も「つながりの倫理意識」も、江戸時代という完全な閉鎖系社会で完成させられた。戦後「封建的」と何の価値もないかの如く捨てられてしまった我々の先祖たちの思想や知恵を学びなおす必要がある。現在、日本で受け入れられている人間観は、アメリカという開放系の世界で創られた各個人はプライバシーなどの権利をもつ独立した主体であるという。しかし、そこには「つながり」の視点が欠落している。それは現在の人間のみに焦点を合わせた観方であり、先祖はもとより後代へはつながらない。

 人間は無数のつなかりの中で生きている。

cat一昨日の小林正観氏講演会の会場に、タイミングよく「江戸しぐさ」講演会のビラがあり、持ち帰ってきた。日曜日にあるということなので、参加させてくださいと本日連絡をした。

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2009年1月14日 (水)

小林正観氏講演会

 今日は2年半ぶりに小林正観氏の講演会に参加した。職場からバスで10分という気軽な距離なので、正観氏の本を少しだけ読んだ友人をに誘って行った。

 正観氏の話は、相変わらずにダジャレ連続であったが、冒頭にラジオで生物学者が「動物は痛みを知らない。なぜならば痛いという言葉を知らないからだ」というはなしから入っていった。言葉によって私たちは痛みや幸せを認識する。幸せとは現象ではなく認識だ。

 感謝、争そわない、人様に役立つ...正観氏の決めフレーズが次々に出てきたが、やはり本で読むのと、実際に生で正観氏の話を聴くのは違うと思った。

 それでも気になったのは、正観氏のちょっとした言葉に常連の方々が過剰としか思えないような笑い声と拍手で反応をなさっていたことだ。講演会は6年前から数えて6回目の私だが、反応の音が強烈て耳障りで仕方がなかった。私が気にしすぎかとは思ったのだが、後から聞くと友人は冒頭の会場の雰囲気で新興宗教と同じだと思い、終盤までずっとひいてしまったらしい。残念!

 きっと正観氏は、そんな状況もご存知でいらっしゃるが、氏の物事に捉われず、良い悪いの範疇を超えた眼差しで講演を淡々としていらしたことと推測する。

 葛藤していた私は、合気道でこころをどの対象に向けるかで心身が大きく左右されてしまうことを思い出した。こころを会場側ではなく、正観氏そのものに集中させることによって、途中から会場の音に捉われず氏の言葉が自分の中に飛び込んでくるようになったのだった。

 今日は正観氏から、状態でなく、どう認識するかが自分の幸福を決定することと、競争ではなく自然のままで認め合う、尽くし合う関係ことが自分の人生を幸せに豊かにしていくということを教わったのだった。

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押井守監督の生き方

 昨夜は押井守監督の「凡人として生きるということ」を読破した。私の中で押井守監督は世界的に評価されているが、どこかオタクのカリスマのようなイメージがあった。愛地球博のときの押井守監修のパビリオンは2回入ったが、期待を裏切られたと思った。

 しかし、押井守監督の映画作品は、サスガ!とつい唸るものが多いのも事実。2008年夏に出版された本書では、私のもっている押井守監督イメージが崩された。

 「若さ」の層により支持された監督だと認識していたが、監督は若さに価値はない!と断言し、若さそのものに価値はなくても無知な若者が年を重ねて、この世界で生き抜き、一人前のオヤジになっていくことはもかけがえのない価値だとおっしゃっている。 オタク、ひきこもりについても明確な意見をおっしゃるが、私が感心した箇所を紹介したい。

 社会とのかかわりを持たないことが自由とはいえない。それでは我々はどう生きればいいのか。それはより本能的に、より感動的に生きるしかないということらしい。たとえ話として、家路をいぞぐあなたにすり寄ってきた小さな子犬がいて、本当に可愛らしく、抱きしめたい衝動にかられる。しかし、あなたはそこで犬を連れて帰ったら、家族から叱られるか、飼えたとしても餌代はかかるし、毎日の散歩、旅行にもいけなくなる。...そう考え、あなたは無情にも子犬を置いて、立ち去る。

 確かに子犬を連れて帰らないことで、あなたの暮らしは変わらない。だが、子犬を連れて帰っていれば、もっと愉しい豊かな生活があったかもしれない、それこそ、旅行なんて行きたくもなくなるような、毎日の散歩が苦行でなく楽しくて仕方のないような暮らしがあったかも知れないのだ。

 あなたは何も捨てていないようで、実は大きなものを捨てている。少なくても何も選択しないうちは、何もはじまらない。

 子犬を抱き上げることができたなら、未来の可能性を留保するより、今の選択を優先できるはずだ。子犬の命を引き受けたように、次は他人の人生を背負い込むようになるだろう。そうやって社会とのチャンネルをが増えていき、あなたを必要といる人が一人ずつ増えていく、

かつてのあなたが、その姿をみたらなんと言うだろうか。ああなんて不自由な暮らしと嘆くだろうか。だが、きっとあなたにはそんな過去からの声は聞こえない、その代わりに、何物にも代え難い大きな満足を得ているはずだ。

 私自身も最近、大きな選択をした。安全でリスクが少ない生き方を捨て、今のいのちを優先させた。そのために傷つけた人もいる。葛藤はあった。自分は良い人でいたいし、他者からの噂の標的になりたくないと思っていた。でも、それでは偽りの生き方だと感覚的にわかっていた。だから素直な直感に従った。すべての人々の生き方が守りに入っていたら、世界は衰弱するのだと思う。みんな、大胆な選択ができないから、逸脱した人をスケープゴートとして扱うのかも知れない。

 監督からは「本能的に感動的に人生を選択しよう」とエールをおくってもらった気分である。

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2009年1月12日 (月)

ヘルボーイ/ゴールデン・アーミーにはマイッタ!

Helboy 今日は成人の日でとても寒かった。せっかく休みなので、映画を観にいくこととする。映画は「ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー」である。監督はギレルモ・デル・トロで、先月観た「永遠のこどもたち」を製作して、私のいのちを縮み上がらせた男だ。

 ヘルボーイの第一作を四年前に日比谷で観たが、今回は銀座界隈では上映していないため、錦糸町で観たが、観客層が凄かった。場内は半分ほど埋まっていたが、平均年齢は50歳はいっているのではないか?席も指定ではなく、上映20分位前になったら行列をつくって並ぶ方式なので、少々戸惑った。

 さて、映画の方は第一作を遥かに凌ぐスケールとストーリー展開で、大満足!!。まさに映画によってワクワクしたり、驚いたりして、ココロが元気になっていくという優秀作であった。

 正月にテレビでやっていた押井守「イノセント」の映像美も映画館で観たら凄いだろうなと感じたが、今回のヘルボーイも映画館で観るべき映画である。 映画ではバリーマニロウのCan't Smile Without Youを歌うシーンが出てくるが、これがまたいいんだな。さっそくyoutubeで聴いちゃった。

 私たちの普通の生活では想像もできない、こんな荒唐無稽な内容で、ひとを惹きつけて物語の世界に巻き込んでしまうギレルモ・デル・トロの才能と努力に脱帽する。

アー本当に面白かったぁ

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2009年1月11日 (日)

町会と飲む

 今日は私が働いている地域の町会の新年会があり、若輩ながら来賓としてお呼ばれした。ホテルの24階?でみた夕日に丹沢富士山のシルエットが綺麗な眺めだった。

 町会だから会長はじめ役員の方々の平均年齢は70歳以上と推測できる。会全体でも平均年齢も60歳は超えているように思えた。私はもっと若い層なのだけれども、不思議なことに40歳代以下で構成される飲み会よりも、楽しく面白いと感じられた。勿論、正式な町会員ではないため、組織のヒエラルキーによる諸問題から離れていることもあるだろうけど味わい深いのだ。

 どう味わい深いのか? 現役世代ほど自分を主張することはされない。それは謙虚というよりも、人生を無理矢理に自分流にしようとすることの無意味さを体感していらっしゃるように思えた。自然な感じでご自分の個性を出していらっしゃるようだ。

 私は昨年9月から合気道に入門したのだけれど、そこでは力まない、力を抜くことの大事さを教わっている。20代~定年前の現役層(稼動層)は、どこか社会と自分の位置とか仕事と自分の立場など、自分と他者との関係を意識して演じる、開き直っているために不自然な力みを感じてしまうのだ (無意識であったとしても)。

 今まで私たちは頑張り抜いて、現在の日本を築きあげた。しかし、それは若さの象徴として改革や野望、業績主義に走り、お年寄りたちの存在を無視してきた歴史とはいえないだろうか。現在のお年寄りたちも若いときはそうだったかもしれない。それでも、その過去を超えながら、熟成してきた現在のお年寄りたちの存在感が、私たちにとってとても大切な財産だと思うのだ。

 はよ成果出せ!勝て!失敗したら責任とれ!負け組でいいのか!と強迫神経症的に生きてきた結果が、今の日本の姿ではないのか。麻生総理が未曾有の危機というのならば、今までと同じ走り方をしていたら問題解決できないのだ。靴を新品に換えました、筋肉消炎剤をシューッとしました位では、根源的な危機には立ち向かえない。その危機とは何か、景気回復ですむのか、派遣職員の雇用促進ですむのか.....。

 私たちが求める生き方、社会についての定見がないまま、事象にダンスさせられている状況から立ち上がるためには、もう一度言う。力みが入った人間だけではなく(その人たちも必要だが)、お年寄りのもつ智慧が重要なのだ。

S2  映画「七人の侍」では、野武士たちから村を守るにはどうするか、村全体で話し合ったが結論がでなかった。水車小屋の長老に尋ねると「腹のへった侍を探し、雇うだ」という場面がある。

 麻生総理よ、(なぜ、また麻生総理がでてくるか!)、百年に一度の未曾有の危機ならば、早急な解決策に走るだけではなく、もっと時間をかけてもいいから、これからの日本人の理想とする生活や社会を考えていこうぜ!(この強気は酔ってるからなのか?)

 ...............町会の新年会で飲んだだけなのに、こんな大きな話題になってしまった!! しかし、社会や国を論じるタイミングは、新聞ネタやテレビのコメンテーターによってではなく、市井の人間たちのありふれた日常から発信するものである。なぜならば、私たちの求める社会は、特別なイデオロギーや政策によって決められるものでなく、、毎日が愉しく充実した日常生活の集合体のはずだからだ。 S4  

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読書「脳を活かす仕事術」茂木健一郎他

「脳を活かす仕事術」茂木健一郎

     脳とは考えるための器官であると捉えがちだが、行動するために身体を動かすことも脳が主導で行っていること。

     脳とは何のために存在するのか。それは「生きる」ため。「生きる」とは仕事を含めて、自分の人生を通して「生命の輝き」を放つこと。

     「脳を活かす仕事術」の神髄は、喜びの中で「脳の出力と入力のサイクルを回す」ことにほかならなない。

     生命を特徴づけているのは「自立性」と「自発性」。自ら考えて動き、成長する。これこそが生命の最大の特徴。

     「感覚系学習(感動、認識等)」は、音楽でもスポーツでも生で聴き、観ることが大切。ここが十分に鍛えられていないと「本物」を見抜くことができない。「運動系学習(書く、説明する、投げる等)」は反復による強化学習でしか鍛えられない。

     脳の出力を高めるためには、入力された感動した言葉、役立ち情報を実際に話して「出力」することが大切。その結果、自分の血となり、肉となる。

     自己との本来の目的は「情報を整理すること」ではなく、「知的な創造性を最大限に発揮すること」。そして、仕事を通して、「生命の輝き」を放つことではないか。

     仕事ができる人にお会いすると、必ずいっていいほど「実際に身体を動かす」ということを実践している。

     脳は目標を長いスパンで覚えていられない。タイムプレッシャーをかけて仕事をするときは一、ニ時間で終わるものに集中することが大切。

     脳は予測できる部分とできない部分のバランスが整った「偶有性」に満ちたものや、相手が本気で言っていることなどには興味、感心、注意を向ける。

「き・く・あの実践」小林正観

     天国度100%とはよき仲間に囲まれること

     本当の幸せとは目標達成ではなく、優しくみつめてくれる人と人の間にいること

     旅をするのに(40歳過ぎたら)「どこへ行くか」ではなく、「誰と行くか」に切り替えた方がいい。「何を食べるか」ではなくて「誰と食べるか」に切り替えた方がいい。

     空腹がなければ「おいしい」という現象はない。

「集中力」セロン・Q・デュモン

     大きな人ほど障害が小さく見え、小さな人ほど障害が大きく見える。

     集中力とは、終始一貫して心の強さ以外何者でもない。

     冷静でいればいるほど集中力は高まる。

     何をしているときでも、そのときしていることのみ考えなさい。

     決断は自分が最高の状態にあるときに下す。

     自分が考えを支配するのではなく、考えに自分を支配させるのは大きな過ち。

     精神状態が私たちの姿をつくり出す。

     思考とは生命のバイブレーションを方向付けるパワー。

     人生をコントロールしたいなら、まず自分の考えをコントロールすること。

     自分と自分の環境を魅力的にすれば、人は引き寄せられてくる。

     自分が受け取ると同じように善良な思いを送ること。

     弱い人は状況にコントロールされる。強い人は状況をコントロールする。

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2009年1月 9日 (金)

江戸しぐさ

 今日は年始出勤の振休だ。今朝は東京に初雪が降ったらしい。さっそく朝から「少年少女のための江戸しぐさ(越川禮子・林田明大)」を読む。「江戸しぐさ」はテレビ、新聞、ACポスターにと最近注目されてきている。

「江戸しぐさ」とは... 百万都市・江戸は、言葉も習慣も異なる人々が全国から集まった異文化のるつぼでした。当然おこるあつれきやトラブルを未然に防ぎ、人々が安心して楽しく暮らせるように、江戸町方のリーダーたちは様々な手立てを工夫しました。 その一つが「江戸しぐさ」です。目つきや表情、話し方や身のこなしによって、思い(心)を表現する方法です。(越川禮子)

 「しぐさ」とは形でけの仕草ではなく、思いが行為とひとつになる思草ということらしい。江戸では教育という言葉よりも、養い育む養育か、鍛え育む鍛育という言葉が好まれ、生きた人間関係の中で話し方、聴き方、物腰を見取り見習い身体に習得させてきた。

 私の中では江戸っ子というと、芝居や、落語に出てくる粋できっぷがいい、人情味もあるが、どちらかというと言葉が荒く喧嘩っ早いイメージがあった。※ちなみに江戸っ子は親子三代続いていないと正統な江戸っ子とは認定してもらえないらしく、私は8割江戸っ子である。(;ω;)

 今回、「江戸しぐさ」をあらためて見直してみると、江戸という町がエネルギシュなだけではなく、デリケートで情緒ある町だったことがわかる。

 他者との関係の中で、あいさつをする。思いやりのこころをもつ。ゆずり合う。おたがいさま。....。そんな江戸時代のしぐさを、現代社会に通用させることができるのか?!

越川禮子さんはNPOをつくり、全国越川禮子の学校で講演を精力的になさっていらっしゃるようた゛。その中で子供たちは実際に「江戸しぐさ」を体験し、驚き面白がっているようだし、「今しぐさ」という現代版を考えた。例えばエレベーターで開ボタンを押す(エレベーターしぐさ)、お店のトイレで手を拭いたペーパーで洗面器周りを拭く(清潔しぐさ)など、子供たちの反応は盛り沢山だ。

 大人がお手本を見せる!! 今朝そう思いました!  江戸時代から約150年経ち、もうとてもとてもガサツでダサい町になってきている東京を、「江戸しぐさ」から「今しぐさ」に溢れた粋でエレガントな町にします。天国のおじいちゃん(吉原布団職人)みててね!

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感謝の目つき  AC(社団法人公共広告機構)

http://jp.youtube.com/watch?v=PuFizpUhrhk

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2009年1月 8日 (木)

ヤング@ハート

ヤフーの映画紹介は以下のとおり20080818011fl00011viewrsz150x

解説: 平均年齢80歳のコーラス隊“ヤング@ハート”の活動を追った音楽ドキュメンタリー。年に1度のコンサートに向けて、ソニック・ユースやボブ・ディランの曲を練習するメンバーたちの様子を、ドキュメンタリー作家として活躍するスティーヴン・ウォーカー監督が映し出す。メンバーそれぞれのキャラクターが笑いを誘う一方、自らの老いや死を冷静に見据え、歌うことは生きることという彼らの姿に胸が熱くなる。(シネマトゥデイ)

あらすじ: アメリカ・マサチューセッツ州の小さな町で活動するコーラス隊“ヤング@ハート”。世界各地で公演を行うメンバーは平均年齢80歳の老人たちで、彼らは年に1度のコンサートに向けてソニック・ユース、ボブ・ディラン、トーキング・ヘッズなどの曲の練習を重ねていく。そんな中、コンサートまでの6週間の間に、メンバーにはさまざまなことが起こるが……。

 各映画評の評価はかなり高い映画だ。私自身も感動し、涙も流した。でも正直に言おう、爽快感はなかった!  かなり高齢のお年寄りたちが、ロックを歌う姿はインパクトがあった。でも、観ている私自身はどうなのかと鋭く突き詰められたような気がした。

 年をとっても新しいことにチャレンヂすることは素晴らしい。それを充分に伝えてくれた映画だった。さあ、人生の先輩たちの頑張りを評論家的に見ている自分自身よ、お前は何者だ"! 何にチャレンヂしているのか!!  映画の中でチャレンヂして半ばで死していくお年寄りたちの姿から、今の自分にも充分な可能性と時間があることを教わった気がする。

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永遠のこどもたち

20081009003fl00003viewrsz150x  私はホラーは好きじゃないけど、「アザーズ」の恐怖とファンタジーの雰囲気はとても好きだった。予告編で「永遠のこどもたち」をみたとき、「アザーズ」と同じ香りがして、とても惹かれてるものがあった。
 さて、映画の方は....「アザーズ」のときは、ほのかに脚から寒気がしていたが、「永遠のこどもたち」については、全身から鳥肌がピンビンだった。イヤー恐かった。音がうるさかったので星4つにしたが、とにかく「アザーズ」「リング」「シックスセンス」を足して割ったような恐さだった。
 勧善懲悪のホラーとは違い、孤児院のこどもたちの哀しさ怖さ、ただの影とか物音だけでビビル演出の旨さ、母親の愛情の強烈さ、本当に凄かったなぁ....
 終わった後も虚脱感?で、イルミネーションの街を歩きながら、入ったカフェでワインボトルを殆ど空けてきました、

 この映画はアメリカ版ホラー・サスペンス好きな方はどうかなと思いますが、私的は2008年度の中ではベスト3に入ります。
 特にオープニングのタイトルシーンは、とてもシンプルで怖ろしくて感心しました!

 いろいろと書きたい、言いたいことはありますが、観ていただいて絶対損はありません。ぜひ劇場で鳥肌をたててください!!

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読書「人生を楽しむための30法則」小林正観他

「人生を楽しむための30法則」小林正観

     魂が進化するためには肉体が必要。魂が未熟な時は「つらい」「苦しい」ととらえ、進化すると出来事全てに「愉しい」「成長できた」「ありがたい」と思えるようになる。

     千利休「一杯の温かいお茶に万感の思いを込めて、その幸せを味わいなさい」

     1,2に文句を言って残りの998に対しては全く感謝しない。悩み苦しみとはその1,2つだけをピックアップして「何とかしろ」といっている状況。これを悩みという。

     今日ただ今、この刹那を、念を入れて生きる

     誰とも闘わず、受け入れている人は「無敵」です。本当に人格が上がってくるというのは、問題を問題として認識しなくなること。いろんな現象を面白がって喜んでいく方が人生は得なようです

     光と闇は50対50ではない。光が闇に入ってゆくと100%光になる。

     不幸や悲劇は存在しない。そう思う心があるだけだという心を作り上げて生活を全うする

     本当の幸せは自己達成することではなく、人の間で生きていて、その人たちが皆温かくて愛情に満ちている。そういう人たちに囲まれていることです。

「虚妄の成果主義」高橋伸夫

・成果主義⇒毎年査定だと、一年以内に成果を出すような仕事ばかりする

     人件費は「コスト」ではなく「投資」

     「見通し」が与える活力。経営者の仕事は確信に満ちて揺るがぬことである。社員に見通しを与え明るい未来を指し示す

「発酵道」寺田啓佐

     自分の利益や欲を捨てたときに人間は救われる

     発酵を選ぶか、腐敗を選ぶか?

     中心がなんであるか、それを掴む。綱渡りの曲芸師が中心をとるコツは周りを見ながらバランスをとる。足元だけみていたらバランスをくずしていく。だから自分のことばかり考えるな。相手の喜ぶことを第一に考えなさい

     自分のところへ入れようとするんじゃなくて、吐き出しなさい。力も汗も親切もお金も自分のもっているものはすべて吐き出しなさい。吐き出したらひとりでに入ってくる。

     会社は10年で9割、30年で99%がなくなる。

「夜にそびえる不安の塔」井形慶子

自分の位置を間違えたらダメですよ。人間の感情は上がり下がりがあるのに、悪いことを基点に物事を考えたら、これから起きることの全てが悪い方向に引っ張られていきますから...

人間はね、考え抜いた結論を持ってことに当たってもろくなことはできないものなのよ。

仕事も恋も何も考えないほうがうまくいくケースが圧倒的に多い。

必死で先を読んでそうならないように立ち回ることは時に状況を悪くする。

もし、あなたが運命を変えることができるなら、それは何も考えないで、ただ、あなたが無心に動く、そんな瞬間を積み重ねるしかないの..

「デキる内臓思考」崎谷博征

     成功哲学は既製品の服。改良、テーラーメイドで自分なりの結びつきにする

     大脳新皮質が働きすぎると、心と身体のバランスが崩れてしまう

     日常、自分で意識して行動していることは殆ど無意識が処理してくれている。大脳新皮質はいつも「遅れて」意味付けを行っている。

     何もイメージせずに脳を静かに休めることが、私たちの生命力の根源である「内臓思考」につながる

     偉大な発見というのは、決して理論から出発していません。その殆どが直感やひらめきから出発しています。それを証明する道具として論理を使用する

     本当の学習とは「自然とできている」状態になること(脳内ネットワーク強化)⇒大脳新皮質を過剰に使っている大脳思考は学習の初段階に過ぎない

     内臓と脳を結ぶパイプが「自律神経」。人間の脳といっても腸などの内臓や筋肉を支配する神経系がコンピュータとして巨大化しただけ

     「内臓思考」である本能ではなく、単なる金銭欲、性欲を土台とした「大脳思考」はむしろ理論的ではない

     ハラに「なんのためにそれをしようとしているのか」問い掛けてみる

     いくらシュミレーションしても交渉はうまくいかない。いかにハラを括って臨むかが一番大切。相手が一番感じるのはその交渉に臨んだ人間の覚悟であって、あれやこれの条件問題ではない

     「大脳思考」に偏りすぎる⇒交感神経が過剰に働く⇒筋肉硬くし血流悪くなる

     リラックス状態⇒副交感神経⇒内臓の働きスムーズ

     土台(本当の欲求)を作ってから論理を構築していく。土台がしっかりしているから論理である大脳思考も冴える

     自分が何をしたいのか、ハラに問いかけ直す作業が必要。状況に振り回されてはいけない。

     「大脳思考」ではまず、問題、原因を詳細に分析する。そして、それに足りないものを補足する順番になる。「大脳思考」のベースは「現状で足りない欠けているもの」にフォーカスを当てる。常に何かを補足しなければならないというエンドレスの問題解決方法。取り繕いに終始。根本的な解決に至らない可能性。

     前頭葉の働きを静めて、こびりついた固定観念を払拭することで新しい世界が見えてくる。

     「大脳思考」を停止させる

     身体を動かす②自然に飛び込んでみる③同心に戻る

     不要なものを削ってみる。新しいことを足していくのではなく、不必要なものをまず削ってみる。行き詰まっているときこそ、新しいことに着手するのではなく削ぎ落とす

     「大脳思考」の停止⇒本来の自分像

     省く作業⇒小さな行動、試行錯誤⇒積み上げ

だまされるな!鈍重な戦車たれ!!

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2009年1月 7日 (水)

読書の効用

 昨年末、とある重要な会議での質疑応答で私は「・・・・については慎重に、かつ大胆に実行してまいります」と応えた途端に会場が湧いたが、波紋を呼んだ。慎重と大胆は相反する語彙で矛盾するのではないかという声もあった。「慎重且つ大胆」は咄嗟に出た言葉であったが、後から調べたら東国原知事なども発言していたので、私の造語ではないようだ。

ここ数日、読書メモを読み返していたら、作品不詳だったが「観察するに細心で、実行するに大胆」という名言があった。ひょっとしてここから波及しているのかもしれない。読書することにより言葉が自分の意識に浸透してきているのだと実感した。ウガッタ見方をすれば人のセリフが自分の言葉のように錯覚しているだけかも知れないが、私たちが「自分の言葉」と思っているものは自分で創り上げたものではなく、他者から直接或いは間接的に投げられた言葉によって成立しているものである。    

自分ひとりでつくった「自分オリジナル」はこの世には存在しない。自分がもし、外国に生まれて育ってきたら現在の自分はない。自分は自分の外の世界からの影響をうけながら自分になってきた。自分が完成するのは「成人になるまでのあ受けたあらゆる刺激からの集大成の結果」でなく、大人になって今も未完成のまま継続されているのである。就職し、結婚し、病気し、出世し、離婚し、老化しと...未完の自分は刻々と変化し続ける。

 学ぶとは、自分が変化することだ。「学び」が単なる知識の吸収だけならば、本など読まずにPCデータを常に持ち歩いた方が効率的だ。未完成な存在であるからこそ、新しい言葉や感動に出会い、自分を磨いていくのが嬉しいのだ。

だから、もっと驚こう、発見しよう、自分の知らない可能性を垣間見よう!!

「中谷彰宏名言集」

・恥ずかしさを消す方法は二つ。全部隠すか、全部出せばいい。周りの人の目はさらけ出しているところではなく、隠しているところに集中する。

・人生はカツどんのようなもの。ちびちび食べていたのでは味がわからない。

・成功するには成功者を演じればいい

・ここ一番で神様のサインを見よう。神様のサインはいつもこうだ「行け!」

・選択肢は二つ。今やるか、一生やらないか

・熱意はスピードでしか表現できない。神様を動かすのはスピードスピードスピード

・あなたは文句を言えない立場の人を決していじめてはいけない

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2009年1月 6日 (火)

読書「非常識経営の夜明け」ほか

とりあえず、年始休みに読んだ本のメモ

「非常識経営の夜明け」天外伺朗

・過去100年の企業経営の進化は、「合理性の追求」と「人間性の追求」という相対する二つの軸の葛藤で進んできた

・「合理性の追求」が必ずしも経営効率の向上につながっているのではなく、むしろ「人間性の追求」を進めることにより、組織が凄まじい勢いで活性化する

・「人間は言語を用いて思考する動物だ」というのは、単に新皮質における計算のみに言及。言語や論理が全く関与しないのが古い脳。古い脳が活性化した状態が「フロー」「燃える集団」

・従来の企業研修は表面的スキルばかりで深層心理的視点は配慮されていなかった

・情報システムや詳細な分析⇒やたらに忙しくなるばかりで売上につながらない。企業経営でもっとも大切なことは、まず自分が愉しいこと、次に人を喜ばせる。

・賢者は干渉しないでものごとを扱い、ことばを用いないで教えを浸透させる(老子)

・企業経営に合理主義が導入されると、人々の大脳新皮質が活性化する活動が主となり、その結果タオが消え、企業の輝きは失われていく

・組織のアソビがなくなるにつれて、うつ病の急増につながった

・山田(未来工業)の経営学

成果をあげたら餌をやるという成果主義は会社が社員を信用していない証拠

給料で差をつけると成果の低い社員を固定化する

基本ポリシーは“よきに計らえ”

会社は劇場、幕が上がればすべては役者(社員)に任せるべき

どんなセクションであれ、そのトップとして処遇すればモチベーションがあがり、本来の能力を発揮するようになる

現場のことは現場が一番良く知っており、いちいち会議など開かないで現場で即決すべき「ホウレンソウなんてくそくらえや」

経費節減を徹底する。ドケチオペレーション

常に考え工夫する。社長に逆らう社員を出世させる。

「育てる経営」の戦略 高橋伸夫

・リスクを引き受けることのできる経営者が、それなりの収入と処遇を受け、リスクを望まない従業員は雇用制度の中で安定的な賃金を受け取る。⇒自らの判断と力に対する確信に基づいて行動し、冒険する気質

・成果主義は成果主義それ自体にも適用されるべき

・手間隙かける必要はあっても「育てる経営」こそが一番確実で一番成功率の高い経営

・若い人は大人が自分の言葉で大人の話をしてくれることを待っている

・若者に必要なのは「金」でも「客観的評価」でもない。我を忘れて夢中になれる仕事であり、成長しているという手応えと仕事の達成感

・仕事の面白さに目覚めた人間だけが、本当の意味で一生懸命働く

・もともと日本企業の賃金カーブは、戦後の生活困窮期に従業員の生活保障の目的で設定されたもの。もと、日本が現在本当に不況ならば、同じことを選択すべきではないのか

「響きあう脳と身体」茂木健一郎 甲野善紀

・論理に当てはめようとするあまり、人間の能力を限定・制限してしまう。

・「満たされない空間、真空地帯」をどれだけ広大に抱えているかが、その人の才能のスケールをあらわしている

「大人のいない国」内田樹 鷲田清一

・人々は社会の公共サービスに生きることの大半を委託している。裏を返せば各人が自活能力を一つ一つ失っていく過程にある。人が幼稚でいられるのもそうしたシステムに身を預けているからだ。

・ナイーヴな思考停止した社会はじつは危うい社会。「地域の力」見えないシステムに生活を委託するのではなく、目に見える相互サービスを配備しておくのが、危機回避には一番大切なこと

・これ以上向こうにいくと危ないという感覚、ものごとの軽量の判別、これらをわきまえてはじめて「一人前」である。ひとはもっと「おとな」に憧れるべきである。

・自分の属する社会の現状にまったく責任がないというのは「私はこどもです」と宣言していることと同じ。子どもはシステムの不調には「張本人」がいると思いたがる

・サービスの提供者と顧客の関係が生活環境に充満してきたのが「ポスト産業社会」

・教養とは「言っていることは整合的だけど何かうさんくさいもの」と「まるでわからないけど何かすごそうなもの」その二つをちゃんと見分ける能力だ!

☆その他読んだ本

「小林秀雄先生来る」原田宗典

「恐慌前夜 アメリカと心中する日本経済」副島隆彦

「人生は勉強より世渡り力だ!」岡野雅行

「脳を活かす仕事術」茂木健一郎

「こころの花畑」小林正観

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2009年1月 4日 (日)

佐藤可士和の超整理術

私は読書中毒で僅かに速読もできるため(=_=) ホントカイ、毎年200~300冊位の本(雑誌少々)を読んでいる。読んでいて気に入った箇所はマーカーでラインをひくか、図書館の本はシステム手帳に書き写している。しかし、システム手帳の用紙も膨大となり整理できなくなってきたため、可能な範囲でできるだけこのブログに打ち込んでいきたい。

この正月に読んだ本は

「佐藤可士和の調整理術」 あの有名なクリエィター佐藤可士和さんが処女作で整理術の本を書いた。ポイントは「1.空間の整理..整理するにはプライオリティをつけることが大切」「2.情報の整理..プライオリティをつけるためには、視点の導入が不可欠」「3.思考の整理..視点を導入するためには、まず思考の情報化を」といったことだ。

中身的には目新しいものは余りないようだが、彼の業績であるキリン極生や、ドコモFOMA、ユニクロなどのデザイン化への過程を通して、整理術を具体的に伝えてくれていて好印象をもった。彼はなぜ整理術を語るのか? 彼はこう言っている。「整理というものは価値観を変えてしまうほどのものすごい力を秘めている。ここで語る整理とは巷にあふれる細々とした生活の知恵ではない。伝えたいことを明確にするという、コミュニケーションの本質に迫るアブローチだ」と。

・整理と、問題解決は同じベクトルでつながっている。

・問題解決の手がかりは必ず対象の中にある。優れた視点で対象を整理すれば、解決に向けての方向が明確になる。

・捨てることは"不安""とりあえず"との戦い

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ブログスタート!

以前バイクツーリングのブログを書いていましたが(といってもバイクネタは全くなしでした..)1年以上更新していませんでした。 しかし、この一年間にいろいろな変化があったことと、日記を自分のパソコンに打ち込んでいましたが、雑になったり整理することも殆どないことから、再度ブログを開始することにより、自分の情報整理と、それを例え僅かな方々にでも発信できたら幸せと思い、ブログを再スタートさせます!

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