2012年1月26日 (木)

剣士の焼酎

 今日は仕事で警視庁に行った。打ち合わせが終わってから、警視に案内された売店で警視庁御用達のお酒を発見する。ちょっと迷って一番高いものを購入してしまった。「剣道」という麦焼酎。

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 これから、この剣士から焼酎を分けて頂いて、ありがたく飲むことになります。

 最近観た映画は、

Images_2「長州ファイブ」

 長州ファイブと呼ばれ、長州藩から派遣されてヨーロッパに秘密留学した、井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、井上勝の5人の長州藩士の渡航前後の様子を描く。僕としては映画はいまひとつだったが、ネット上の感想を見たら、若い(多分)人たちが、感動していることがわかり、興味深かった。

 Images2「リミット」

 イラクで生き埋めにされた男が、ブラックベリーなどを使って脱出を試みるスリラー。一見面白いようだけと、実はあまり楽しめなかった。

 

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2012年1月23日 (月)

わーい ゆきだ (◎´∀`)ノ

 今日の東京は久々の雪になりました。夜の合気道の稽古後に、自転車に乗りながら真っ白な世界を走っていたら、自然にオリジナル鼻歌を口ずさむようになった。歌というよりも、映画音楽のちょっと優しく少し泣かせるような演奏を口で奏でるのだ。いい音楽だなぁ、オレって天才だなぁと思いながら、雪が積もった道路に自転車がつけたくっきりとしたタイヤの轍を、振向きながら確認する。自転車をこぎながら何度か振り返っていたら、万が一、滑って転倒したら大変、首の骨おったらどうすると不安になり、渋々中止する。 

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10時に帰宅して、奥さんがお風呂を沸かしてくれていたので、ザブンと入り、ササッと真水の冷水シャワーを浴びる。自転車こぎながら、この雪降る夜の冷水シャワーはどんなモンダロとドキドキしていた。いつもよりも、少し長めに冷水シャワーを浴び終わると、爽快爽快。上半身裸のまま、ノーエアコン、奥さんに向けた弱めのカーボンヒーターのみの状態で数十分過ごす。途中、奥さんが下町が白銀世界に変わったことに気づき、二人でベランダから外を見物する。この半裸のまま、外に出たら面白いだろうなと笑い合う。 

 先週末にアレルギーの薬もらったので、アルコールを控えようと思ったのだけど、急遽、土曜夜は娘と婚約者と母と飲むことになり、結局三次会までいってしまった。今日は、綺麗な雪の夜だし、合気道で少々汗もかいたことだし、入浴して冷水も浴びて...といろいろ理屈つけて、薩摩司のレモンサワー(焼酎党からは非難される飲み方...)をこうして飲んでいる。 

 雪が降るとうれしくてうれしくて仕方がないのだよ、この僕は、こんなにおじさんになっても。だから、奥さんは風邪気味で先に寝たけど、僕は興奮して、こうしてパソコンに向かって、あなたに話しかけているのだ。 

 子どもの頃から雪が大好きだったけど、特に思い出すのは、中三のとき受験した高校がことごとく不合格になり、危機的状況に陥っていて最後の私立受験当日が雪だった。駅から試験校に向かう途中、空き地が全面真っ白になっているのに興奮した僕は、学生服のまま、そこに飛び込んで雪と戯れたのだった。あれから幾星霜.....おじさんになっても、僕は僕だった。 

 そうそう、もう一丁思い出した! 30歳間近であった僕は、その頃文京区湯島に住んでいて、東大のご近所であった。大雪で東大の長い坂道もスキー場のような状態になっており、興奮した僕はなぜか愛車TW200というバイクに跨って、その坂を登り、こけて転倒して、ミラーを破壊したのだった。(かつて風間深志という冒険家がTW200で南極点踏破したのだが、僕のは当然スパイクなどつけていないノーマルタイヤだった。)

 テレビニュースは、大雪で大変大変と伝えている。わかっているよ! 雪のせいで交通機関や、足元が危なくなったりして、注意を促すのはわかるよ。でも、雪をそんなに悪者扱いしていいの? 大雪で大変というけど、大雪じゃなかったら積もらないよ。雪合戦も雪だるまも大雪だから出来るんだよ。 

 ニュースで、この雪のおかげで、大きな雪だるま作れてこどもたち嬉しいでしょうねぇというコメントは当然ないだろうけど、なんでもかんでも、被害妄想的に大変大変と言わないでほしいんだよね。メディアはもう少し、社会を愉しく、豊かにする役割を背負ってほしいのよ。 

 昨夜のフジテレビで、借金大国になったイタリアを取材していたけど、借金まみれで財政破綻し、パトカーもガス欠になって警官が押しているような国なのに、なんで幸せそうで、愉しそうなのかというコメントがあった。  

 「現象に良いも悪いもない、どう受け止めるのかということだ」という言葉がある。

 雪や、夏の暑さが大変と思えば脅威となる。季節感・風物詩と思えば、自然との共生、豊かな四季のある暮らしとなる。 

 どうも、現代社会は受け止め方が、好き嫌い、損得、リスクヘッジといったような狭義の枠組みだけになってきてはいないだろうか。そんなで幸せになれるんだろうか。

 ..........ということで、ごめんなさいよ。今夜の大雪で興奮していたのに、だんだん偉そうな小言をいうおじさんになってしまいました。ごめんなさいね雪でワンちゃんたちも興奮してるのかなぁ。

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2012年1月21日 (土)

二日酔いからアレルギー社会を考えた

 壊れたビニール傘の逆襲 

 一昨日は、今年度から芸術関係の組織でお仕事をなさっている恩師と飲んだ。僕は緊張と嬉しさで次から次へとお酒のおかわりをして、かなり酔ってしまった。当然、翌朝も調子が悪い。休みたいけど、会議があるので、冷たい雨の中を出勤する。 

 地下鉄の入口付近で差していた大きめ65cmのビニール傘を力任せに閉じたら、恐ろしいことに金属の傘ボネがガタガタと高層ビルの崩壊の如く崩れ落ちたのだ。まずい ! しかもホネがバーベキューの串先のようになってビニールをプスップスッと突き破ってきた。それも幾つも。 

  そのまま捨てるのも気がひけたため、あるきながら修復を試みるが失敗。そのまま車内に突入。座席は一杯で、立っている人もそれなりにいる状態。傘先を下にする持ち方だとビニール面と散在したホネが開いてしまい大変なことになるので、傘先を上にして上下逆さま状態でドア付近に立った。 

 壊滅崩壊状態で少し開きかけているビニール傘を上下逆に持っている男を、付近の乗客たちは不審そうにみつめてきたのであった。あ-恥ずかしかったぁ  (-゛-メ) 

  二日酔いによる被害

   というわけで、朝から大騒ぎの一日だったが、体内アルコール残量の影響で、夕方になっても調子悪く、アレルギー性鼻炎が爆発し、鼻づまりと咳に困った。昨日は雨で厳寒という天気のため、いつもは混んでいるさいとうクリニックも空いていると思って、仕事帰りに寄ると想像以上に誰もいないで、すぐに診察してもらう。風邪ではないので、アレルギーの薬だけ処方してもらった。 

  薬局にいくと、小ぎれいなおばあちゃん薬剤師が対応してくれた。お酒飲むから、夕食分は就寝前に服用でいいかと念をおすと、なかなか良い返事をいただけない。押し問答が続き「咳がでるときは、アルコール入るとひどくなるから飲まないの!」と一喝され終了。 

  帰宅してお風呂であったまってから、冷水(真水)シャワーを約1分浴びる。身体の調子悪いのにそんなことをしてバカかという声が聞こえてきそうですが、風邪ではないので、水浴びすることにより、アレルギーを抑制する副腎皮質ホルモンの分泌を促すのです。浴びた後は、とても爽快で温かくて、しばらくノー暖房、服はノー下着でスウェットのみで過ごしてました。

  アレルギーのこと

  アレルギーは、免疫細胞の暴走が原因らしい。勝手に暴走して、なんでもない花粉や、卵や牛乳を敵とみなして攻撃してしまう。その結果、身体に様々な過剰反応が生じ、花粉症やアトピーといった症状になってしまう。アレルギー増加の理由として、大気汚染や食品の安全性などの様々な見方があるが、人間自体の免疫力の低下、暴走も大きい。

  免疫機能を強化するためには、栄養とか休養が大切だといわれている。たしかにその通りだと思う。誰しも、偏った食事ではなく、野菜も果物も豊富に摂取し、夜更かしせずに早めに寝ることが大切だとわかっているはずだ。でも、それがなかなかできないのはなぜだろう。そして、それらがもしできたとしても、完璧とはいえまい。それは意識の領域であり、ストレスというものが免疫に対して大きな影響をもつということだ。

  ストレスは絶対悪ではなく、逆に免疫性を高めてくれる役割をもつ。ただ、バランスを欠くと心身に悪影響を与えて、悪さをしかけてくる。いうまでもないけど、だからストレスとどう折り合いをつけて付き合っていくかが、健康的な生活をおくる上では大切なことだ。  

 いま、PCに向かいつつ、テレビの報道バラエティを観ているが、日本全体がアレルギー疾患にかかっているような錯覚におちいってしまった。放射性物質の危険性を指摘する報道がこれでもかいうほど多いが、かたや放射能についての安全性を指摘する報道もあり、混乱している。安全か危険か、まだよくわからない混沌状態の中で、次々とどこそこで放射性数値がこれだけ出たという情報が流され続けてくる。私自身は、過剰反応傾向にあるように感じているのだが、この混乱した状況では過剰反応するなというのが無理なのかもしれない。放射性物質に関する免疫力がない私たちは、アレルギー症状を起こしているようだ。

  国政も、派閥争いや、政治家パッシングに明け暮れ、年金や震災復興、経済政策についてのビジョンがみえていない。取り組むべき課題は、膨大であり、それらは個別的であり、しかし財源的には一連托生でもありと、絡み合っている。一体、どこからどう取り組むべきなのか。優先順位は何か。テレビの討論を聞いていても、どうもはっきりしない。  

 そして、増税、円高ドル安、放射性物質が砕石場で発見、インフルエンザ患者急増、金正恩氏が核実験を陣頭指揮、石原都知事が芥川賞の選考委員を退任 などのニュースの洪水に浸り続けていると、生きるうえでの免疫性が破壊されてくるような気がしてきた。私たちの暮らす世界は、実は身近でもっとシンプルであるものだと思う。しかし、マスメディアによる影響は生活空間に入り込み、次々とこれは大変だとわめき、この平穏な生活も危機にさらされていると、過剰防衛ストレスを促進する。

 これら社会のあらゆる問題や、人生の中での課題に対する免疫力をつくるのに大切なのは、こども時代の環境や、教育であると思う。橋本市長はそのカリスマ性で注目されているが、教育方針を選挙で選ばれた首長が決定するという考え方には疑問がある。教育は一時的な選挙結果で左右されてはいけない領域だ。もし、4年ごとの選挙で首長が入れ替わる結果になって教育方針が変わっていったら、どうなるのだろうか。大人たちは状況次第によってコロコロ変わるから、全面的に信頼しては痛い目に会う、損することになるから信じるなという免疫をこどもたちにつけさせるだけではないのか。  

 いま教育については、学力低下や、教員の指導力不足やうつ病の休職増加、モンスターペアレンツなどの課題が目立つが、最も大切な教育理念についての定見が欠如しているのではないか。子どもにどんな大人になってもらいたいのか、社会はそのためにどうすべきか。現状ではかつての自分探し路線の失敗から、学力向上、競争力強化を目指す傾向にあるよだが、それは副次的なものであり、いま欠如しているのは、子どもたちが社会の構成員としての自覚をもって働いて、他の人と共生していくための準備としての教育ではなかろうか。

 まぁそもそも、大人自体がそのような意識ともっていないことが問題なのだけど.....。 

 定見がなく、規範が失われて、過剰反応する社会に、私はかなり危惧を抱いている。二日酔いと折れた傘の話から真面目な展開になってしまったが、また改めて過剰なアレルギー社会に対して考えてみます。(-ε-)

※ノンアルコールビールをバカにしてきた私ですが、薬剤師おばあちゃんのお叱りを受けたため、仕方なくマルエツでキリンフリーを2本買ってしまいました。ベストセラーになっている「甘い物は脳に悪い」(笠井奈津子)を読むと、カロリーオフのビールはおいしくするため人工甘味料や添加物を混ぜているが。それが身体にいいわけがない。本物のお酒には自然由来の栄養素が入っている。量は少なくとも本物のお酒を飲んだときの方が満足感は上と言われています。朝食を重要視しているところは私と立場が違いますが、その部分は納得するところです。でも、しばらくはノンアルコールのお世話になるハメなのかなぁ。

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2012年1月18日 (水)

強迫性障害が登場する映画

33_465779 ツタヤで借りた「マッチスティックメン」は、リドリー・スコット監督の作品で、ニコラス・ケイジが強迫性障害の詐欺師を演じている。神経症の演技もよかったが、後半の大ドンデン返しに騙され、なかなか面白い映画であった。 

 しかし、気になったのは強迫性障害という神経症だ。ジャック・ニコルスンの「恋愛小説家」も強迫性障害を扱った心暖まる名作であった。 

 これらの映画を観て思ったのは、ここまでひどくはないけど、僕も似たところがありそうだということだ。さっそくインターネットで調べてみると、あてはまるところが色々とあった(゚д゚;)  

 ガスの元栓締めたかとか、ドアの鍵閉めたかとかを気にするのは、普通あってもおかしくなさそうだが、大事な場面でもし、言ってはいけないことを大声で言ったらどうしようというのはあるだろうか?  僕はあるのだ。 

  大事な会議の席で放送コードにひっかかるようなことを叫んだらどうなるだろうかと想像したり、突然、上司とかに向かって罵声を浴びたらどうなるだろうと妄想したりすることが、いつもではないが、たまにあったりするのだ。まぁ、それによって自分が加害者なんだけど、結果的に被害者のようになるという、加害的被害者意識というようなものだろうか。 

  しかし、典型的症状である手洗いをやめられないとか、汚れを恐怖するなどの潔癖症の部分は、むしろ逆で、清潔感覚が欠如しているといつも奥さんに叱られている。汚い話になって恐縮だが、たしか常在菌の大切さを説く医師がいて、多くの人の菌をもらうために誰かが使った直後の便座に座るということが本に書いてあり、それから僕も便座シートペーパーを使わなくなったのだ(゚ー゚)。 

 健康面では、不調を重病に解釈する傾向があり、咳をすれば肺炎、心臓がドキドキすれば心筋梗塞、頭が痛ければ脳梗塞、おしっこの切れがわるければ前立腺肥大と次から次へと、重苦しい疾病が連想されてくる。これも強迫性なのだろうか……(ノ゚ο゚)。そういえば、4年くらい前に、職場の冷蔵庫のヤクルト飲んだら酸っぱくて、消費期限みたら8ヶ月前で、そのまま千駄ヶ谷のオイスターバーに行って生牡蠣を沢山食べたので、食中毒になったらどうしようと不安になったが、まったく大丈夫という過去の出来事が浮かんできた。あまり関係ないか..  

 強迫性障害についてさらに興味を持って調べると、その原因は脳神経や、生育環境、遺伝、ストレスなど様々な関連があるということがわかった。僕の親もいい加減なところは多かったが、結構神経質なところもあったし、乳幼児期はかなり特殊な家庭環境だったしなぁ....と回想してみてもしょうがない。  

 強迫性障害は自分に対する不信感や、社会環境に対する恐れが大きく、生きるうえでの大きなハンディをもっているように思えるが、ひょっとしたら、それがあるから成長できるのかもしれない。  

 悩まずして、大成する人はいない(勝手にそう思っただけですが...)。ここで一時休止

 

...(*^-^)  (*^-^)   (*^-^) ....翌々日から執筆再開 .....(*^-^)   (*^-^)   (*^-^)  

 変な表現だが、強迫性障害がここ数日マイブームとなっており、本を読んだり、インターネット閲覧したりして、やはり自分もその傾向があると納得するのだ。まぁ、いろいろ気にしたり、こだわったりするのは誰しも有りうることであり、人間共有の要素であろう。それが問題になるのは、強迫観念や行動が日常生活に支障を生じさせる場合である。幸い、僕は生活に支障があるほどではないが、自分を窮地に追い詰めようとする傾向は事実であり、今回は僕を含め人間という存在の不安構造を見つめる良い機会となった。 

 インターネットで調べたら、2008年公開の「memo 」という日本映画が、強迫神経症を扱った映画ということなので、ツタヤで借りてきて赤ワインを飲みつつ鑑賞。赤ワインを飲みながら観る映画ではなかった。日本映画の真面目さがあだとなり、ニコラスケイジの娯楽性の方がリアリティをもってしまったというべきだろうか。 

 現在、この社会ではうつ病が増えているという。僕の何人かの友人も、同僚もうつ病となり、仕事から離れることになった。誰しも精神疾患となり得る現代社会に暮らす自分って、どうなんだろ、なにができんのと、自問自答をするしかない。とりあえず、そうするしかない。そうしながら、自分ができること、誰かにしてあげられることをはっきりとさせていこう。 

 恐怖の原因は外にあるのではなくて、自分の内にあるのだから。

 

 備忘録的に新年になってから観た作品たち。  

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「ロンゲスト・ヤード」 高校時代に一人で銀座で観た。囚人と看守チームがフットボール対決する話で面白くて、3回くらい観たかな。この正月にテレビでやっていたのを観たが、カースタントは質素だけど、現代のより迫力があって驚いた。こういう映画が僕を救い、そういう?成長をさせてくれた。  

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「さや侍」 松っちゃんの才能は認めるし、スイスの屋外映画祭に招聘されたNHKドキュメンタリー観て、もらい泣きしたけど、僕にとって映画館で観ようとは思わない映画。 

Imagescay3rekn 「塚原卜伝」NHK-BS で全8話を一気に観た。堺雅人のいつもの笑顔で大丈夫かと思いきや、意外にも剣豪とマッチしていてびっくり。どこまで、実話なのか知りたくなった。Imagesca0vxy8h
 

「スーパー8」 合気道のお友達のT内君からたいしたことないといわれて観Imagescasuokd3たが、前半は期待していたのに、最後はやはりなんか残尿感が残るようなスピルバーグ製作映画であった。

 「マルモのおきて」
正月の全話放送を観る。ブレイクした子役二人や、あべさだおという芸名が鼻について、普通は観ない部類だが、あまりの評判の良さに流され、最終回で涙を流す破目になった。

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2012年1月15日 (日)

毎日 朝食抜き.....水かぶり

 年末から、毎日水かぶりをしている。日によって、冷水シャワーを浴びるか水風呂に入る。基本的には入浴後とか、温かいシャワーを浴びた後となるが、最近は朝にも水風呂に入ることが多くなった。 

 何人かの人に、この話をすると悲鳴を上げたり、狂人を見る目に変わっていったりするので、少々困るのであるが(何に !)。  

 では、なぜ水かぶりなのか?       

 実は昨年11月末から風邪をひいて、アレルギー性鼻炎が強くなってきたこともあり、好きなお酒を控えた方がいいのかと弱気になってきた。そのときに数年前に読んだ故小山内博先生のことを思い出したのだ。先生は労働科学研究所所長の医師で、労働者の健康管理を研究なさり、多くの企業で産業医、予防医、嘱託医として従業員の健康づくりを指導してきた。 

 健康にする小山内式4原則というのがある。詳しくは「小山内博の健康づくり講座」HPをご覧いただきたい。

Shower_2食事は活動のあとで
  …活動→食事→睡眠の順序で胃腸を守り、肥満を防止する
「体幹筋のトレーニング」
  …「背そらし」「背のばし」の体操が肩こり・腰痛を防止する
「水かぶり」
   …風呂上がりに水をかぶって、アレルギーに強くなる
「ゆっくりランニング」
  …空腹時にゆっくり走り、血液循環をよくし、生活習慣病を改善  

シャワーなら1分以上
手おけなら10杯以上
冷たさを感じなくなるまで!

 やはり、水かぶりって凄い効果があるのかもしれないと興味がわいてきて、AMAZONで未読の先生の著作を購入したり、健康づくり友の会から送っていただいたりした。  

 こうして、水かぶり修業はスタートしたのだけど、そもそも、水かぶりをしたのは今回が初めてではない。一番最初は、記憶している限りでは大学浪人中で、受験するときに風呂桶の水をかぶって出かけたような気がする。

 40代になってからは、中村天風先生や塩谷信男先生(生前に不思議なご縁があって何度かお会いできた)が高齢になっても(塩谷先生については100歳になっても!)毎朝、水風呂に入られていたことを知り、週末には入浴後にバケツの水かぶったり、フィットネスでサウナに入ってから水風呂に入るなどを2年くらいしていた。

 43歳のときに、体調管理のために朝食抜きをはじめてから、水かぶりはたまにする程度となったが、ダイエットの効果があって3ヶ月で5キロくらい減量できた。それからは体重は現在までキープしたままであり、それが僕にとっての適正体重なのであろう。 

 朝食抜き、水かぶりというと、現在の日本の健康常識から考B3えると、かなり対極に位置している
「今すぐできる体質改善の新常識」(小山内博・高木亜由子著 新潮社)には、10年くらい前に小山内先生と日の出町の保健師たちが、4原則を指導し、アレルギー激減など「日の出町の奇跡」といわれる素晴らしい結果を出した事が書かれている。しかし、それを読んだ僕は、果たして行政がその指導を受け入れて維持することは困難であろうと思った。事実、その後、日の出町はその取り組みをやめ、担当保健師も異動という結果になったらしい。

 世間の一般的見識はどうであれ、僕自身、朝食抜きの有効性は自身の身体を通してわかっているので、次は水かぶりにきちんと取り組んでみることにした。  

 現在は、①入浴後に冷水シャワー ②朝に水風呂③熱いシャワー後、真水に切り替え...のいずれかといったパターンだ。この中では朝の水風呂がストレートに水につかるため一番きつそうだが、前夜の残り湯が冷めた水風呂のため、比較的楽に入れる。これだと身体の皮膚と水の間に保温ベールが生じるような感覚になる。ただし、水が流動するとベールが崩れ、冷たさがストレートにくる感じだ。シャワーは、ベールを生じる隙などなく、ひたすら痺れるような鋭角的な刺激が続く。しかし、先日シャワーの冷水を少なめの水量ではなく、全開にして浴びたら、比較的楽であった。意識面でも、身体をだましだまし温水から冷水に変えるというよりも、どうだという感じでダイナミックに浴びたほうがいいのかもしれない。  

 浴びた後は、身体も暖かくなり、暖房なしでも、しばらくの間はパンツ一丁で過ごしても平気である。また、精神的にも爽快感があり、その達成感が日常生活にも流れ続けているような感じがする。 

 いずれにせよ、今回の取り組みは小山内先生の人柄に魅かれてのことが大きい。少食、冷水浴等を推奨する医師や専門家も多いとは思うが、小山内先生は人間的でけっこう大酒飲みであり、尊敬だけではなく、愛すべきキャラクターの人である。 

  2003年に78歳でお亡くなりになったが、熊本?にある「おさない予防医学教室」というHPには、「2003年8月死去(享年79歳)やや早い死で医者の不養生の感は否めないが、その2ヵ月前まで地方に出向き、最後まで病気すること無く、健康な人生を全うした。」と掲載されている。お酒、タバコがかなりお好きだったようだ。  

  『企業の現場から19人が語る小山内博の健康づくり』という本の中では、産業医として活躍したキリンビールや、住友スリーエム等の現場の社員からの、先生の指導による劇的な治療効果や、一緒に過ごした人間的なエピソードが散りばめられている。 

 機会があれば、小山内先生と一度いっしょにお酒を飲みたかったなぁとつくづく思ったのでした(かなりお酒がお強いらしくて午前様になりそうですが)。

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2012年1月 8日 (日)

東海林さだお先生から自分探しを教えられる

 自分探しの旅......。その甘美な響きにおじさんは魅せられる。  

 自分では気づいていない本当の自分自身がどこかに潜んでいるはず....という想いから、定職につかなかったり、外国に旅に出る若者がいる。 

 しかし、自分探しの風潮に対して、本当の自分なんて遠くのどこにあるのではなくて、まず身近なことからはじめよ。頼まれごとをひたすらこなせ。自分探しなど幻想である。と指摘し、またあるときは切り捨てる論客もいらっしゃる。 

 僕自身も、自分探しというのはなにか自己逃避であったり、9784163739908妄想なのかなと思っている。しかし、現在の自分だけがリアル100%なのだというのも、どうも違うような気がしている。  

 今回、この自分探し論争に終止符を打つべく本を発見した。それは、漫画家の東海林さだお先生の「花がないのに花見かな(文藝春秋)」の中の「自分をいますぐ探そう」というエッセイだった。 

 先生は自分はいまそこにいるのだから、そこにいる自分をどこに探しに行くというのかと疑問を呈せられ、大切なのはいまキミがそこにいる現場であると断言された。 

 歳をとっても自分探しの機会は訪れる。管理職になったものの自分に向いていないような気がする。定年退職後、これから先の人生をどう生きていくのか。七十、八十になっても自分探しの旅はおわらない。  

 先生も昔から自分は何者かということについて探求してきたのだが、最近、具体的にある"物"によって判明したらしい。その"物"とは何か。スーパーのビニール袋なのである。  

 先生は仕事場の清掃を1ヶ月間自分でやることになり、ゴミ袋であるビニール袋の入手、蓄積について、ご苦労された。ビニール袋が不足しないように袋を大・中・小と分けて調整したり、詰め替えたりした。また、ビニール袋が逼迫しているからスーパーに行って買い物をしなくちゃと思い、ビニール袋のために買い物に行くという本末転倒の行為をなさった。 

 スーパーでたくさん買い物をしたのに、1枚しか袋をくれないと、レジのおばちゃんを睨み、大きい袋に小さいのを一枚足してくれたときには、どうせなら大きいの2枚くれればいいのにと、やはり睨まれたらしい。  

 先生はおっしゃる。

 つまり、わたくしはスーパーの手提げビニール袋にこのように対応する人間であることがわかった。 

 自分探しのたびに出ずとも台所でわかった。"新しい自分の発見"ではなく、もともとあった自分が、スーパーの手さげビニール袋によって発現したのである。  

 青年よ、キミも一度スーパーの手さげビニール袋と対峙してみなさい。スーパーの手さげビニール袋に生ゴミを詰めてみなさい。そこに群れ飛ぶ小蝿をみつめてみなさい。自分はそれにどのように対応するのか。そのことによって自分がどういう人間であるかがわかる。 

 先生のエッセイは鋭意な観察眼と、人物表現の巧みと、知性溢れるユーモアといったことから多くのファンがいて、私もその一人である。 

 しかし、まさか、自分探しという深遠なテーマについて、スーパーの手さげビニール袋から真理を説かれるとは、一本とられました。  

 自分の中にいる未知の自分と会うためには、体験が必要である。その体験とは海外や、宗教的なもの以外にも、身近なことがきっかけになるものだ。  

 むしろ、戦場や、貧困地帯、世界遺産といった特殊な状況に入ることよりも、当たり前な日本の日常生活で発見した自分の姿をみつめることが大切なのだろう。  

 先生は、今までも自分は卑小で浅ましく、いじましい男であると、ウスウス感じてらっしゃったが、今回の件でそのような資質のある人間と確認された。 

 どこにいる凄い自分を探すよりも、身近にいる浅ましい自分を発見することがエキサイティングであるのではなかろうか!!

 

 ...........................かくいう僕も、今日急遽、娘と一緒に親父のいる特別養護老人ホームに行くことになり、急いでレンタカー各店舗に問い合わせしたが空車はなく、唯一メルセデスだけが5時間ほど可能であった。

 ベンツを運転するのは初めてだが、とにかく借りることにした。方向指示レバーが左だったりして、戸惑ったが慣れてくると、前を走っている小さいクルマが邪魔に思えてきた。まさにどうだベンツだという優越感がわいてきて、娘に乗り心地いいだろうときくと、いいけどニコニコレンタカーのマークがあるものねと返される。

 Imagescaeq0orrたしかに格安レンタカーのベンツであり、ナンバーは横浜だが「わ」!  。実は凄い自分だと思っていたのが、幻想であり、ニコニコのベンツで優越感にひたっている浅ましくも恥ずかしい僕が僕自身だと、この実体験で確証された。 

 この浅ましい僕からの出発だ! 明日は合気道の鏡開き!!

今日も変な展開になってしまった。 

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戦国武将になる

Cimg0881_3なんと、戦国武将になってしまいました!....といっても、衣装だけなのですが。

 成田のそばの「大和の湯」という日帰り温泉に行ったので、その近辺にある房総の村に寄ったら、鎧兜の着付けが200円でできたのです。 

  人間の心理とは不思議なもので、普段は温厚?なはずの僕が、篭手とか胴を装着するにつれて、段々と鼻息が荒くなり、獰猛な武将となっていったのです。 

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 特に、自分の姿を鏡で見てからは、完全に装着前の自分の意識とCimg0878_2は違ってました。武道の目的は戦わないことだと頭ではわかっていたのですが、あの殺戮のための装具を身につけると、意識のOSが短時間で戦闘用に変化することが実感できました。 

 人間は外見から多大な影響を受ける。....多分、おじさんの僕でもヤンキーのカッコしたり、スパイダーマンの衣装をつけたり、原始人の姿になったりしたら、現在の僕の意識ではなくなっていることでしょう。 

 では、普段の生活で着ているスーツ姿、合気道での袴、家でのジャージや作務衣....それらの衣装が現在の自分に大きな影響力をもつとしたら、せめて綺麗な格好をしなくちゃと自戒するのでした。

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 房総の村は、初めて訪れたが、昔ながらの町並みや武家屋敷、農家が展示されており、いろいろな体験もできるようになっている。

 

 ここは、けっこう穴場かもしれない。

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2012年1月 6日 (金)

ビッグダデイ 自己演出と公開 

 昨夜は珍しくお酒を飲まなかったためか、明け方に目がさめてから眠れず、目が冴えてきてしまった。そこで、色々と考えたり、思い出したりとしていたら、ビッグダディが浮かんでは消え、浮かんでは消えと現れてきた。モヤモヤするので、整理してみる。

 一昨日のビッグダディ5時間スペシャルは凄かったなぁ。新春のプライムタイムに5時間ぶつけてくるとは! 。どうでもいいようなバラエティ番組でも5時間はもつまい。テレビ朝日もかなり強気で視聴率が取れるとふんで、長時間枠でぶつけてきた。私もとりあえず最初から最後までお付き合いした。 

 内容は、やはり今までのビッグダディ一家の変遷を流してから、新しい話題に入っていくパターンであった。飽きはしないが、なぜかかつてのハラハラドキドキ感が薄くなっている。それは、子どもたちが成長していって、何人かが就職したり高校生になり、大人になってきたこと。家庭の危機的状況が切羽詰っていないこと。もうすでに放映開始されてから数年たっており、ある種の慣れが一家にも視聴者にも生じてきたこと....といったことだろうか? 

  今回は、家庭の危機的状況を、高校転校、進学絡みで、先妻が子どもたちを引き取ろうと工作しており、それが家庭崩壊をもくろんでいる?といった展開であったが、それがなんで崩壊ということになるのかよくわからなかった。(先妻も奄美大島にいたときは、自己主張しないはっきりしないタイプの女性というイメージがあったが、今回は電話だけの出演だけではあるが、わりとさばけてペラペラ喋っており、なんか変なんだよなぁ...)

 先妻はいろいろある人だが、子どもたちの母親であることは間違いなく、、あそこまでヒール仕立てにしていいものだろうか。ビッグダディも別れた先妻と再婚し、子どももつくって、またすぐ離婚して、今度は若いシングルマザーを妊娠させ、再婚というここ数年間の女性関係の動きをこうして客観的に書いてみると、あまりえばれないのではないか。

 それにしても、なぜ私たちビッグダディのファン(当初はバカにしていたが、奥さんの影響で見始めたらはまってしまったのだった)  は、一家の行方を興味深く、見ているのだろうか。 

 波乱万丈な大家族の生活。そこでは、私たちが体験できない、はっきりとした喜怒哀楽の世界があり、リアルな人間ドラマとなっている。それは演出があっても、全部が嘘ではない。特に小さな子どもたちには演技の要素はなく、自然体であり、生命の躍動感が伝わってくるのだ。 

 以前、ビッグダディはジム・キャリーの映画「トゥルーマンショー」とダブって思えたのだが、違いを発見。ジム・キャリーは自覚しないまま、彼の人生、生活をテレビで視聴されていたのだが、ビッグダディは、視聴されていることを前提に生活を展開している。 

 ビッグダディの人生の選択は、彼自身とその一家のことだけを思った結果ではなく、そこに演出という要素が加わっている。自分たち家族の生活ぶりが、年に数回、定期的にテレビのプライムタイムで長時間流されているのに、それを意識せず、影響されないことはあり得ない。 

 

 こう書いているうちに、こう思ってきた。

 では、私たちの人生や、生活の中の選択は、本当に自分自身が考えた結果だろうか。ひよっとしたら、自分自身が本当にどうしたいのかというよりも、周囲からどう思われるだろうか、大丈夫だろうかという視点から選んだ結果であるともいえないか。 

 こうして、ブログを書いている自分も、日記代わりといいながら、自分のこと(一部ではあるが)を一般公開して、見せている。見てもらいたい気持ちがあるから、ブログにしている。

 なんか話が大きくなってきたが、人間は誰かの視線を気にしながら、生きている。私たちちとビッグダディの違いは何か?。自分の周辺数十人の視線と、テレビ視聴者何百万人の視線といった量的差異が問題なのだろうか。 

 家庭内にカメラを持ち込んで、一家のプライバシーを公開するのはいかがなものか?という指摘もあるだろう。だが、一家は生活全部を見せていない。実際にカメラが入らない時間の方が、多いはずだし、きっと家族の会議で、ビッグダディはいつもの口調で「俺たちの姿は日本の家族を元気にするのだ。今度はこういった展開をして驚かしてやろう」などと話しているような気もする。(個人情報保護の観点からは、家族の住居、職場、学校等が特定できてしまい、安全面からの問題があるが...)

 この一家にとって、テレビ放映は大きなレクリエーションなのかもしれない。一般家庭でも、お誕生会や運動会などを撮ったビデオをみんなで見るのは愉しい時間だ。ビッグダディ一家は、生活そのものをイベントにして、それを全国規模で見るといったダイナミックな愉しみ方ができる、類稀な幸せな家族なのかもしれない。 

 はっきりいえば、ビッグダディに対して、やっかみだったり、批判的な気持ちがありつつ、この番組を見てきたのだけど、これを書いているうちに、彼ら家族のあり方がどうかは彼らが決め、責任をもつべきだし、任せておけばいいと思った。子どもたちの教育的配慮がなんとかいうならば、果たして一般家庭の子どもたちが理想的に成長していると言い切れるか。演出による影響があっても、子どもたちはビッグダディを好きで尊敬しているのは本当だと思える。こんな親子関係がつくれたのは、ただ単にテレビが媒体となり演出した結果だけではないはずだ。ビッグダディの人格、個性がなければ、到達できるものではない。 

 ビッグダディはドキュメンタリーというよりもエンターティンメント性が強い番組だと思うが、それでも自分の家庭を電波にのせやがってとか、裏でギャラいくら貰っているのかとか、ネガティヴな思いも浮かんでくる番組である。だが、その否定の根拠のひとつであるプライバシーの公開も、現在のブログ、ツイッター、フェイスブックといった現象をみると、それほど不自然ではなくなっている。 

 この番組を面白がってみている自分って何だろうと考えていたら、こんな長いブログになってしまった。

 この一家の番組は、ピークに達して、これから緩やかに下降していくことであろう。これからは、ヘタな演出だとか野暮なことはいわずに、エンターティンメントとして愉しんで見させていただこう。

 

 ※番組放映が打ち切られたときには、ビッグダディ回想録のような出版物が出るだろうが、テレビで放映した内容をプリントするのではなく、テレビ局からの演出、指示とか、視聴者からの嫌がらせや、寄付等々の裏話的なものが読みたいな(゚ー゚)。

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2012年1月 3日 (火)

謹賀新年

 2012年がいよいよ始まりました。 

 今日の昼は、昨日放映したNHK-BSのサムライスピリットを観ました。空手家のコラスペタスさんが、弓道や合気道、古武術などの武道を探求していく番組でしたが、いろいろと勉強になりました。 

 自分自身をコントロールするためには、日々の鍛錬が必要である。強くなって、変化していく自分を自覚することにより、自制心が芽生え、無意味な争いを避けるようになる。自分勝手な強さや、力に頼るのではなく、静かで平和な心でいることが、武術でも生きるうえでも大切なこと。

 日本も世界も混乱の真っ只中ですし、今年はマヤ暦の終わりとか、アセンションの年とか色々といわれています。 

 不安にならないのがおかしいような時代ですが、だからこそ今年はより地道に誠実に、生きていきたいと思うのです。

 

 さきほど、伊勢神宮のお札を壁にかけることができました。今までカラーボックスの上に置かしていただいていましたが、どうもすっきりしない。壁に釘を打てないので、いろいろと智慧をつかって、設置できて良い感じになりました。 011

 さぁこれから実家に行って、親戚の子らにお年玉とお菓子を配ってきます。

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2011年12月31日 (土)

河津旅行(殆ど駅弁について )

今日は伊豆の河津におる。河津の画家の家族(長男のお嫁さんがトンガ人で、とても魅力的な女性)が経営しているペンションに、ここ数年はずっと年末には来ている。いつもはレンタカーを借りてきているのだが、明日の大晦日は親戚たちが我が家に集まるため、料理とか準備の時間を考慮すると、万が一渋滞でもしたらもう大変,,,というわけで、初めて電車による移動となった。


 東京から河津までは踊り子号を使っての移動が一般的のようだ
が、料金が高いのと、年末くらいのんびりと風景を楽しみたいということで、帰りは贅沢して踊り子号、行きは普通電車での移動とした。

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 東京から東海道線で熱海まで行くのだけど、ぜっかくの旅行なのでちょっとだけ贅沢しようとグリーン車に乗った。上部座席に奥さんと、左右別かれてゆったりとした空間を確保した(うちの奥さんは私と身長がほぼ同じ)

 九時半に出発した途端に、さっそく東京駅で買った駅弁とコーヒーを味わう。なんで、見慣れた新橋、品川といった通勤圏内を走っているだけなのに、こんなに楽しいのだろうか。それはもちろん、年末休暇で旅行気分もあると思うが、駅弁を食べることの魅力が大きいのだろう。

 駅弁のファンは多く、デパートが駅弁フェアを開催すれば長蛇の列となり、売り切れ多発といったワンサカ状態になる。それではなぜ、人は駅弁を追いもとめるのか?

具沢山、地域主義というならばコンビ二弁当でもバラエティに富んだものや、○○県の有名店がプロデュースしたものなど当たり前になっており、逆に駅弁がコンビ二弁当にみえることもあるような気がする。いや、ありました。

 ではなぜコンビ二弁当の兄弟のような駅弁が魅力的なのか? 面倒くさいから断言しちゃうけど、それはコンビ二弁当は静であり、駅弁は動だからである。また、コンビ二弁当は日常であり、駅弁は特別だからである。

 

 コンビ二弁当は旅することなく、お客さんに買われると、殆どが購買された店から半径500メートル圏内で食べられるのだが、駅弁は数キロから、数百キロに至る長い距離を移動しながら食べられる運命にある。また、駅弁を食べる状況というのは旅行とか出張といった、普段の生活とは違うシチュエーションが多い。

 

 つまり、駅弁は住み慣れた安全圏を離れた人間に対して、栄養補給と癒しを与えるという使命をもっているのだ。たがら、人々は旅人のために身を挺す駅弁のけなげさを愛でるのではないだろうか。

 駅弁は普段買いたいと思って恋焦がれても、近くには売っていない。遠く離れた恋人のようなものだ。

 最近はターミナルビルに駅弁コーナーがあったりするけど、それは管理された動物園のライオンであって、サバンナを駆ける野獣の勢いはない(段々はなしが飛躍してきている…)

 ………….とここまで、書いているんだけど、何で駅弁のことを書いているのか、わからなくなってしまいました。夕食が終わってから温泉に入って、チューハイのんでいるため、ちょっと朦朧としてきました。奥さんは隣で年賀状を書いています。

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........それから.8時間後…..


 
早めに起床して、ジョギングっぽく海岸まで10分かけて日の出を見に行った。あいにく曇っていたけど、雲の切れ間からの陽の光は、それはそれは高貴で神聖で拝みたくなるような輝きでした。

 宿に戻り、温泉と冷水浴して、おいしい朝食をたべてから、奥さんは年賀状書きなう。

それにしてもなんで、昨夜は駅弁のことなんか書いていたんだろう?

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 ペンションにはヨットが飾022られていた。まだ紅葉もあった。

 

 

風呂も貸切ができて、ゆったりできるのがいいところ

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今年もいろいろあったけど、充実はしていたなぁ。朝陽は、天地と自分の絆を教えてくれる。海をみて思ったのは、海水73キロにカルシウムやアミノ酸、ビタミン類を入れて数十万年かきまわし続けても、自分のような人間はできないということ。

 

 人間らしくとか、ヒューマニティーとか口ではいうけど、もっと人間という存在の本質を知りたいなと思う。

 

   

.........その6時間後.........

 踊り子号は河津からは空いていて、景色もよくとても快適でした。車内で飲む生ビールも美味しかったぁ。

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河津で乗車し
た途端、誰もいないので050
自分たちの号車ではなかったが、勝手に座って大はしゃぎで写真を撮った(実は左側中央と、左側後部におじさんとお姉さんが一人ずつ、座っていらっしゃったことが発覚)。その後、自分たちの号車に向かった。

 

 

 

 2011年いろいろあったけど、ありがとうございました。

 

 

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2011年12月23日 (金)

天皇杯全日本レスリング選手権大会後、リアルスティール

 今日は代々木の東京・代々木第2体育館で開催されたレスリングの全日本選手権に行ってきた。会場は超満員で、立ち見もいっぱいで、熱気ムンムンであった。ちよっと昔だと、会場が一杯になることなどなかったけど、これは人気を引っ張ってきた女子レスリングの猛者たちの奮闘のおかげなのかもしれない。

 

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 女子72キロ級の浜口京子さんは、計15回優勝で男女合わせて通算優勝回数が大会史上最多となった。63キロ級の伊調馨さんは、貫禄で五輪代表を決めた。55キロ級の吉田沙保里さんは18歳の村田さん(東京・安部学院高)にかなり追い込まれて、会場を沸かしての優勝だった。それにしても、最近のレスリングの人気ぶりと、幅広い年齢層の観客の多さに驚いた観戦であった。

 その後、歩いて渋谷の街まで出て、味噌ラーメンを食べてから、吉田VS村田のエキサイティImagesングな試合に刺激されたこともあり、映画「リアルスティール」を鑑賞する。

 まさにロッキーに親子愛を加えたロボットボクシング映画であった。最後の試合シーンでは不覚にも泣いてしまった。面白く、ドキドキして、ジーンとくる良い映画だった。

 それにしても、西洋型の戦闘ヒーローは今回のロボットや、トランスフォーマー(これは日本発か)、アイアンマン、Mrインクレディブルをはじめ上半身が肥大化していて、力任せに打撃するパターンが多い。 

 上半身中心で部分的な運動は疲れやすく、エネルギー浪費が大きそうだが、見栄えはする。この手のジャンルではアメリカ映画に太刀打ちできない日本映画だが、日本にしか出来ない武道の身体操作を基本にしたロボット映画をつくれないものだろうか。

私もかなり筋トレで身体を追い込んてきたので、ロボットのような直線的な動きになりがちであったため、主人公のロボットATOMの動きが自分のようで、恥ずかしいような懐かしいような気分になった。(゚ー゚;

 

 今日のアマレスの選手たちは過酷な日々の鍛錬をしてきているはずだ。だから、観客はそれを信頼し、派手な試合でなくても、地味な攻防であっても納得している。

 また、今日は「リアルスティール」に出てくる真剣に試合に立ち向かい、お互いを大事にし始めた親子の姿に涙した。 

 今日は、一生懸命の姿を色々と目撃した日だった。

 最後に帰り際、スカイツリーがライトアップされていたのを目撃する。010

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ランナウェイ 人はなぜ悪人にひかれるのか。

  昨日でTBSテレビのドラマ「ランナウェイ」が終了した。最初は、奥さんが観始めたのだが、アイドルが出演している子どもだましのサスペンスだと思って、少々ばかにしながらみていた。まぁよくありがちなドンデン返しが多かったが、なんとなく観続けているうちに、逃走する主人公たちに感情移入をはじめてしまった。不覚にも。 

 Imagescanm3fg0無実の罪を負った青年たちの裏切りと友情、事件の顛末を追う元刑事の渡哲也の重厚な演技。そして、主人公アタルの存在だ。ワタルは妻か暴漢を刺してしまった罪をかぶり、服役するが、娘の生命が危なく、その危機を救うために、仲間たちと脱獄、逃走する。 

 アタルは非常に真面目で、人に優しく、妻子を心から愛している。また、誰かのために自己犠牲となることもいとわない。すぐに泣く。......そんな男がこの世の中にいるか !。....だが、いいのである。アタルは世間馴れして、斜めに物事を見るおじさんに反省を促してくれる。 

 家族を愛する。誰かを助けるために、自分にとって不利益なことでもやってのける。本気で出あった人に向き合う。.......きっと、そういうことは大切だろうけど、現実はねぇ........というのが、おじさんだけではなく世間の見方ではないだろうか。 

 アタルはいい奴なんだけど、ちょっと理想的すぎるし、逆に危ないよなぁ。もっと世間というものを客観的にみなければ、失敗しちゃうよ。(`Д´) .........実際にアタルのような存在がいたら、こんなふうに思ってしまうことだろう。 

 しかし、実直なアタルのような人間が稀少な存在となり、確かに感情があるがどこか冷めていて、自己利益を中心の人間ばかりになっている世界は、狂っていないか。

 最終回のラストで、刑務所を出所するアタルは、妻子を犯罪者の家族とさせないために、離れて暮らす覚悟をしていた。アタルは、とごか遠い地方に行って、どんな仕事に就いて、どんな夜を過ごすのだろうと想像してしまった。彼は、そのままひっそりと人生を終えても後悔はしないのだろうと思う。愛する人のために。

..

................................

 昨日の午後は、暴力団排除関係の仕事があった。同席した警察の組織犯罪担当の課長からお話を色々と伺う。最後のほうで、鶴田浩二や高倉健のような着流しのやくざといった世界はもうなくなったとおっしゃっていた。

 5日前に母と叔父と下町の割烹店で飲んだのだが、うちの母はかたぎの人ではないような独特のオーラを発している人物だ。隣席にいた初対面の男性と打ち解けて話したが、最後に私に「自分もその筋をしっているが、どこの関係ですか」とそっと耳打ちしてきたのが、おかしかった。 

 母は過去に、.ある縁があって広域暴力団組長とお見合い?したことがあり、先方は気に入ってくれたそうだが、赤子の私がいたので思いとどまったらしい。ひょっとして、そのまま結婚していたら、私の運命は大きく変わっていたであろう。場合によっては、死んでいたかもしれない。 

 子ども時代も、堅気ではない人たちと接することが多かった。しかし、彼らからは、とても可愛がってもらった記憶がある。まぁ、いろいろあったけど決して悪い印象はない。 

 一昨日の日経新聞の夕刊に山田詠美さんが、古今東西、悪人が主人公の物語は多い。人はなぜ悪人にひかれるのか。ネガティブなものがあるから人の魅力は増すと話していた。

 大震災、原発事故における政府、東電の関係者の態度は、自分の中のネガを認めず、ひたすら自己の正しさと無実を全面に押し出しているように見える。そこには、なんの共感も覚えず、魅力などはなおさらである。

 わからない。アタルがあんなにも輝いてみえるのは、彼の実直さ、純粋さだけなのだろうか。いやそれだげでは、心をうつことはないだろう。その無垢な彼が罪を犯し、背負うからこそ、とても魅力的にみえたのだろうか。 

 多分、この世にはネガティヴなものが溢れかえっており、この世で生きている限りはどんなに純粋であっても、悪の水を飲まざるをえない宿命にある。だからこそ、ネガティヴと対象的な優しさや愛、信頼、奉仕といった純粋な心をもって、ポジとネガ、陰と陽の調和をとっていくことが大切なのだろう。それは意識して、努力しないと、無自覚のネガの影響をうけ続け、侵食されることになる。

 

 朝。、そんな風に思った。

いきものかがりの歩いていこうもいい曲だった。

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2011年12月18日 (日)

サヘル・ローズさんの壮絶だった体験

 おかげさまで、DI危機も回避できました。さて、一週間があっというまに過ぎてしまったので、備忘録的に.. 

 サヘル・ローズさんの講演会に参加する。彼女は滝川クリサヘルとしてテレビ出演して、最近ではレギュラーを何本かもつようになっている。

 Imagescapkzr1zイラン・イラク戦争で4歳で孤児となり、孤児院で暮らす。8歳で養母に引きとられるが、身分の高い実家に反対され、日本在住のイラン人婚約者を頼って、来日する。しかし、そこでは虐待に会い、母と家を出て10日間も公園で寝泊りをする。見かねた学校の給食のおばさんの家に世話になり、やかで母は就職してアパート暮らしをするが、極端な貧乏生活をおくり、学校では陰湿ないじめにあう............ 

 現在はメディアで活躍しているサヘルさんだが、彼女と母親の歴史は壮絶で感動的であった。講演の冒頭で彼女は、色々講演しているけど、講演後に、あなたは大変だった苦労したと自慢したいのかというような声がもあるけど、けっして不幸を自慢したのではなくて、日本にいては想像できないが世界では貧しく、食べることができない人が沢山いることを理解してほしい。そして、食べ物がある、屋根がついた家があることの有り難さに気づいてほしくて、講演をしているとの趣旨を話した。 

 彼女は「戦場から女優へ(文藝春秋)」という本を出しているが、その本には触れていない養母のエピソードを話した。イランでは養子をもらうのには、様々な条件があるが、子どもを生めない女性でなければならないらしく、若くて未婚で健康あった養母は、手術してメスを入れて、こどもを産めない身体にしたらしい。

 なせ、そこまでして、サヘルさんを自分のこどもにしたかったのか? 高貴な身分で苦労のなかった養母が、日本でホームレス生活、殆ど食べられない赤貧生活、トイレ掃除などの肉体労働に耐えることができたのか?

 さすがに、サヘルさんが中学生のときは生活に耐えられなくなり、二人で心中しようとしたらしいが、最後にサヘルさんが養母の手を握りしめたときに、若かった彼女の手が皺だらけでゴワゴワになっていることに気づいた。 自分のために苦労してくれた若くて綺麗な養母が、年老いたことに気づき、その恩返しをしようと決意し、彼女は進学し、努力して現在に至った。  

 彼女に対する級友のいじめや、先生の差別的態度は壮絶で、聴いていたらメラメラと怒りがわいてきて、こいつら絶対に許せん、制裁を下してやるぅ!!と感情的になっている自分にハッとした。しかし、現在の彼女は彼らをゆるし、むしろ感謝しているというのだ。

 講演最後に、みなさん平和ボケしないでくださいと彼女は訴えた。まだ20代半ばの女性から言われるもなんだが、彼女の壮絶な体験により説得力があった。日常生活のなかで当たり前になっているが、食べ物があることや、雨に濡れない住居があることに感謝しなければならない、いや感謝したいと思った講演だった。

 

 昨日の土曜日は、母と奥さんと、千葉県野田市にあるグランローザ潮の湯に行ってきた。新しくてきれいな施設で、源泉かけ流しの露天風呂や、別料金の岩盤浴やアロマサウナも異空間っぽくて面白かった。

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ただし、館内持込飲食は禁止なので、母がつくったおにぎりは食べられないため、同市内の清水公園のアスレチックの池付近で、日差しを浴びながら食す。とても、いい雰囲気で美味しい。 

 紅葉はもう終わりの時期だが、残っていた少しの紅葉をたのしんだ。

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(-ε-) NHKBSで放映されていた「グッドワイフ」シーズン1を、1ヶ月半かけて鑑賞し、昨夜終了。しかし、シーズン1が終わったという達成感はなく、引き続きシーズン2を見なければならないのでもう大変! また就寝時間が遅くなってしまう(ノω・、)

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2011年12月11日 (日)

おしりの危機! DIの暴発か?? と向島百花園

  ちょっとシモネタになりますので注意してくださいね !

  ここんとこ、風邪をひいて、長引くなぁと思って、先週の金曜日に二回目の耳鼻科に行った。風邪というよりも、それによりアレルギー性鼻炎の症状がひどくなったらしい。咳がまだ出るというと、あなたのような顔色の良い人は、絶対肺炎なんかじゃないと断言された。

 ここんとこ体調イマイチであったし、合気道の稽古も半月ばかり行っていない。 やっと、来週からアスリート復活だと意気込んでいたのだが....。 

 昨日は泊まりの仕事だったが、間近で外装工事をしていて凄い音がしたり、夜中に寝付けなかったりと、少しお疲れモードになり、今朝帰宅した。さっそくトイレに入ると、ちょっとおしりを締め付けるような感覚があり、便器を除くとロゼワインと真っ赤なストロベリージャムの点々が見えた。これは、切れたに違いない。悪い病気だったらどうしようという不安もよぎったが、二ヶ月前の合気道合宿後はボラギノール初体験をしたし、9月の大腸がん検診ではシロであったこと、今朝のおしりを通過するときの締め付け感からいうとDIに間違いないであろう。 

ここ数日、抗生物質と酒の副作用を経験してからというもの、お酒の量が減ったため、水分量が不足し、大きい方が固めになったからかなぁ。僕の水分摂取の半分から3分の1は、ビールとかサワーから取っていたような気もするし.....

 それにしても、女性と違い、男は下半身からの出血には不慣れなためか、動揺してしまう気弱な自分が情けない。早く治ってくんないと、トイレに大きい用事で入るたびに、ドキドキしちゃうよぉ。稽古も不安になっちゃうよ。投げられて受身とるとき、刺激されるだろうなぁって。(;д;)

...................と、DI の話題はここまで。

 

                  向島百花園の紅葉見物

 001昨日の土曜は仕事のため、今日は貴重な休日で、天気も大変良いということで、最近こっている紅葉狩としゃれこむことにした。行き先は都立公園情報では紅葉見ごろの、ご近所にある向島百花園。

 

 自転車で(DIが気になりつつ)150円の入園料を払って園内に入る。やはり、都立公園の中ではかなり狭い。紅葉は入り口付近と、園内に数本あるだけであった。

 

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僕が花の写真をとることなんて、今まであまりなかったけど、どういう心境の変化があったのだろうか。

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 晴れた日にお弁当をもって、ゆっくりまったりするのに気分がいい庭園だ。

 

 昔の僕は、自然が好きだといいながら、実はアウトドアだったり、オフロードツーリングだったり、旅行だったりと、自然を利用しながらエンジョイしていたような気がする。 

 

 はっきり言えば、自然公園で何もせずボーっとしたり、写真とって感心したりするのは、自分の能動性を発揮せず、まるで欧米の高齢者のような無駄な時間の過ごし方のようなイメージがあった。 いつも、何かしなくちゃ、変えなくちゃ、解決しなくちゃ、向上しなくちゃと急かす自分がいた。まぁ、それが僕の自己啓発の原動力にはなってくれたのだけど、それはどうも違うんじゃないかと思いはじめた。  

 

 脳で考え、つくってきた自分という存在をそのまま放置して、変化しよう、向上しようとすることには無理があった。それに気づいた!。 

 

 オレは忙しく疲れている現代人だから、自然と触れ合うことによって少しでもリラックスしよう。自然には心身の疲労を癒し、リフレッシュさせる効能がある。だから少々、時間とお金をつかってでも自然と触れ合おう。それが今後の自分にとってはプラスとなるであろう.......。そう思って、生きてきた(かなり極端に脚色しているが)。

 

 百花園のまったりした雰囲気とまぶしいお日様に照らされるなかで、自分は自然そのものなんだなぁと思った。紅葉も、梅も、椿も、草や池も、土も鑑賞対象ではなく、自分そのものであると。 

 

 へんな例えだけど、海の中で、マグロがアジをみて、オレとは違う存在だとおもったり、イカがイソギンチャクをへんな生物だと思っていたら変な感じがする。姿は違っても、海という世界を共有して共存している存在どうしなのだ。人間も草木も、マグロと海草のような関係なんじゃないだろうか。お互いが存在することによって、酸素、二酸化炭素の交換がおこり、生命を維持できている。その共生システムは、意図的、作為的に狙ったシステムでなく自然発生したものだ。もし狙った存在がいるならば、それは神だろう。

 

 公園でまったりするのは正しい。(まだ忙しく写真とったりしてるけど)。自分という存在を想定外のまったく斬新で新しい感覚でとらえることが大切なのだろう。

 

                                                                、

 
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それから自転車で言問橋に向かい、長命寺の桜もちをお店でいただく。その後、言問橋たもとにある割烹上総屋で昼食。三段重が1000円で安くてうまい。生ビールもグイグイ。

 

 牛嶋神社でお参りした。ほろ酔いですみません。
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032               帰り際の隅田公園にも綺麗な紅葉が。

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2011年12月 6日 (火)

数ヶ月ぶりの休肝日

 先週から風邪をひいてしまった。ちょうど調子の悪さがピークな日に多くの資料を検討する会議があり、何十人かのみなさまが各資料の説明をする数十秒から2分位の時間に夢を見るのを繰り返していた。気力で治そうとしたが、弱気になり土曜日に熱はないのだが、鼻水、鼻づまり、咳がひどいので耳鼻科に行った。 

 ここ数日、変なだるさがあって、薬のせいかなと思っていたが、よく検証してみると、抗生物質とアルコールは相性が悪く、副作用が生じるリスクが大きくなるため、双方は回避すべき関係であったのだが、私はその掟を破っていた。 

 土曜は焼酎とワイン飲んでから薬のんだり、日曜はサワーのんでちょっとしてから薬のんで、就寝前にワイン飲んだり、月曜はサワー飲んでから薬飲んだりと、大人としての分別からかけ離れた行いをしていた(;;;´Д`)。 

 実は、今日も午前に開催された委員会があり、発言を求められたりしたのだが、どうも調子がわるく、声にも張りがなく、パワーダウンしていた感があるため、久々に休肝日を決意した。決意して、夕食のすき焼き風肉豆腐と納豆、ベーナスを食べながら、キリンの「休む日のAlc.0.00%」というノンアルコールビールで我慢した。 

 一体、最新の休肝日はいつだったのだろうか。夏に仕事がらみで一日だけ飲まない日があったような記憶があるのだが....。ちなみに私は特別な日以外は、昼間から飲みたいと思わないのでご安心を。、

 先週の具合悪さピークの水曜に、しばらくはなるべく家で過ごそうとツタヤに寄ってDVD4本借りた。

 

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「レッドヒル」 コーエン兄弟の「ノーカントリー」っぽいらしいということで借りたが、まぁオーストラリア映画だなぁという感じのアクションスリラー。

「メアリー&マックス」人形アニメーションがこんなにも人間ドラマを醸し出したことに拍手!!

「借りぐらしのアリエッテイ」地球で人間がこの寸法で生きていられ、食べ物も丁度よいサイズになっていること(ニンジンが50メートルであったり、2mmだったりせず)を思ったら、これは神の意思なんだろうなと感じてしまった。

「息もできない」くらいの迫力がある映画。
 

さぁ、寝なくちゃ。

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2011年12月 4日 (日)

種ともこ デビュー25周年記念ライブ

   種ともこさんの25周年記念ライブがあり、横須賀まで行った。種さんの音楽を聴くようになったのは20年ほど前になる。彼女のユニークな美声と曲作りに魅せられた。

 
 最近はなかなか聴く機会がなかったのだけど、たまたま新しいアルバムが出たことを知り、オフィシャルホームページをみると、新曲「スキ!」の動画があり、昔と変わらない種さんがイキイキと躍動して聴こえてきて嬉しくなった。
 

 12月4日に25周年記念ライブ開催とのインフォメーションがあり、翌日早速予約したのだった。
 今日行ったのは 横須賀 Younger Than Yesterdayという飲んだり食べたりしながらショーがみれる大人のライブ会場。案の定、比較的にそれなりの年齢層 が多かったが、若い人もいて、フレンドリーで落ち着いた雰囲気の会場だった。   

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 曲構成は種さんのデビューから現在までの各アルバムからチョイスした歌を時系列で演奏する。ステージでは種さんの歌とピアノ、トランスバランスという女性三人のグループがコーラスとアコーディオンや小道具を使って演奏する。どちらかといえば僕はアコースティックだけの演奏よりもエレキバンド演奏が好みなのだが、種さんのボーカルとピアノの強烈なドライヴ感覚に圧倒された。それにトランスバランスが美しく 躍動感あるコーラスと、時々のユーモラスさで素晴らしいサポートをしてくれた。 

  一部、二部あわせて2時間半の時間は、まったく中だるみしないまま、種さんの魅力とその歴史と未来を十分に堪能できる濃厚な時間だった。これほど、卓越したテクニカルなヴォーカルであるのに、技量以上に人格?人間性を感じさせる歌手は珍しいように思える。 

 歌が商業ベースの資材となり、粉飾され、商品価値を高めるのが当たり前の時代に、自分を基軸にした歌づくりをしている彼女の姿勢は素晴らしい。しかも、商業価値はなくても自分なりの歌でいいという自己満足的なベースではなく、彼女の歌曲はかなりの高レヘルに達している。そう自分には思える。

 商業的に成功を納めているとはいえないかもしれないが、デビュ-当時からの曲を聴いても彼女のセンスは抜群であった。今日のステージで聴いた限りでは、古い曲でも新鮮で斬新であり、完成度の高さが感じられる。 

 正直いうと僕は種さんの猛烈なファンではなく、CDだって全部もっていないし、ライブも16年くらい前に渋谷で聴いただけだ。でも、そのときのライブで印象にのこっているのは、阪神淡路大震災後だったため、新しいアルバムに入れようとしていた曲を中止したのだが、その曲を特別に披露すると言って、そのタイトルがたしか「東京に地震がきたら」というのだったように思う。その曲がまた凄くいい曲で、鳥肌がたった憶えがある。 

 種ともこさんについて、こんなに語るのはライブでお酒を飲んで、帰宅してからもワインを飲んだせいだろうか? でも、それを差し引いても素晴らしいアーティストである。

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 今日のコンサートは、4時半からだったのと、多分、生まれて初めて横須賀訪問だったので、旅気分で軍艦クルーズに乗船しました。いろいろコメント書きたいけど、もう11時過ぎで、風邪気味のため、写真中心にします。

 

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 ←米エンタープライズ。010

 

日本の潜水艦↓

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 ←軍艦カレ|

 

 この後、種ともこさんの歌というのは、どういう取り合わせ?

   おまけ 

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 ←うちのマンションから(賃貸)、トッタ今朝のスカイツリー

 

   これから風邪薬のんで寝ます(昨日行った耳鼻科の先生の話だと、熱出ないで咳だけの風邪がはやっているらしいです)

   おやすみさない(*゚▽゚)ノ

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2011年11月27日 (日)

紅葉狩り 奥多摩 秩父

今日は紅葉を求めて、浅草から奥多摩湖、桧原村、秩父、飯能と強行軍であった。レンタカ-を午前8時半から12時間借りており、午後8時半にはなんとかギリギリで返却できた。あぁ~よかったぁ~。

 2週間ほど前に京都に紅葉を求めていったが、まだ時期が早かったため真っ赤に染まった紅葉がみれず、今日は再チャレンジ。 

 いろいろとコメントしたいのだけど、帰宅して1時間ちょっとの間に、一気にビールとサワーを飲んで、ワインなうのため、最小限のコメントでいきます。なぜ、そんなにまでして早くUPししなければならないのか?

 それは、多くの方々の紅葉情報を参考にさせて頂いたおかげで、今日も充実した一日を過ごせたからです。その恩返しです。酔ってきたから、変な部分はお許しくださいませ......。

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 まずは最初は、渋滞レスで奥多摩湖に行きました。湖は綺麗でも、紅葉は期待していたほどの場所は発見できず、桧原村方面に行きました。
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 昼時になったので良い店はないかと探した結果、すてきな茶房を発見しました。そこではランチプレート1500円をいただきました。普段はサラダが苦手な私ですが、とても美味しくいただけました。

 022それから、北野武監督のDOLLSのロケ地だった鳥居観音にまいりました。時間はすでに3時をまわっておりましたが、紅葉は綺麗でした。 025_3

 駐車場のおじさん曰く、朝は陽が当たってとても良い景色だそうです。少し残念でした。観音さまは200円払うと中に入れます。展望台まではかなり昇ります。

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 紅葉は綺麗でしたが、ピークは過ぎてきたようです。

 

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  鳥居観音からクルマで約30分ほどかけて、東郷公園 秩父御嶽神社に到着。すでに4時を過ぎており、タイムリミットを意識しつつ、境内をすすむと、凄い紅葉がありました。   奥さんは風邪気味なので、マスクしています。それから、京都に行ったときの峰定寺での修業時に杖が必需アイテムだったので、今日も使ってます。

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 東郷元帥の銅像がありました。この方は中村天風先生の弟子でいらっしゃいました。
 失礼ながら後姿の写真も撮らせていただきました。

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 今日は11時間半で、350キロ走行しました。なんか、紅葉狩りというよりもドライブだったようですが、かなり濃厚な時間の使い方をしました。今回頑張ってくれたのは、日産マーチくんでした(*^-^)

 平均年齢というものがあるが、紅葉をみられる年も、あと30回はないんだろうかなぁ..多分.....。

 この世は美しいなぁ.......゚゚(´O`)°゚

 

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2011年11月26日 (土)

パニック映画は人生の教科書だった

Imagesca5cjdkb_3  韓国映画「TSUNAMI -ツナミ-」は昨年日本て公開され、今年の1月にDVD発売された作品、。いろいろと話題になった映画なので関心はありつつ、どうも観る気持ちにはなれなかったが、ついにDVDで鑑賞する。 この手のパニック映画としては珍しく、前半の殆どは長い時間をかけた登場人物たちの紹介であり、普通の韓国ドラマを観ているような感じになった。しかし、よくありがちなテレビドラマのようなシーンをみながらも、これから襲ってくる津波を思うと、その日常というものがいかに脆くはかないものかという気持ちでダレずにみることができた。   

 パニック映画を観ていていると、物語の展開にある種の.類似性があることに気づく。異変に気づいた主人公と、その声に耳をかさない隣人、専門機関、国家たちがいて、対応が遅れたり,誤ったりして、傷口が拡大してから、想定外の事実を認めざる得ない状況に陥る。そして、まあ大抵の場合は、主人公は様々な危機を乗り越えて、最後まで生き残るパターンが多いのだけど。  

  パニック映画から何かを学ぶというのは、自己啓発マニアの領域に入ってしまうようで、どうしようかと思うのだが、ちょっと想像してみることにしよう。 

  映画は最初からパニックが起こるのではなく、たいていはイントロダクションでこれから起こる事件を予感させるようなショキングな場面だったり、あるいは、全く今後の混乱には触れないで淡々と登場人物たちを紹介するような場面が多い。最初にショッキングな場面をもってきたとしても、その後は淡々とした登場人物の紹介シーンになるのが殆どである。  

 ここでは、日常生活をとりあえず、描写しておくというのが、パニック映画のミソであるように思える。つまり、これから起こるパニックは、特殊な時空の話ではなく、観客のみなさんが生きているこの世界のことなんですよと、釘をさしておくのだ。 

 それからが、何かを知ってしまった主人公は、みんなに大変なんだと伝えようとするが、誰も聞き入れてくれない。映画はフロンティアというのは孤独なのだということを教えてくれる。もし、主人公が話して、すぐにみんなが信じて動き始めたとしたらどうだろう。どうも、映画に対する面白みが半減してしまうだろう。なかなか想定外のことを人は受け入れられないが、気づいた者はあきらめていはいけないと映画は伝えている。  

 やがて、ただならぬ事態に直面された人々は、阿鼻叫喚の中で、パニックを起こし、中には自分勝手な暴走をはじめる人も出てくる。ここで、主人公は人助けに奔走する。けっして自分だけ生き延びようなどと考えずに、ひたすら走る、わめく、知恵を出す、励ますといった人間的な努力、出力を全開させ、誰かを助けることに尽くす。まさに、他者への奉仕、自我の忘却が大切だということを、スクリーンから投影される。  

 やがて、最後は、あっというようなクライマックスを迎える。非現実的な(まぁそもそも映画自体が非現実的なものなのだけど)奇跡のような解決にいたることが多い。大抵は主人公と恋人、家族は生きのびるようだが、アルマゲドンのように主人公が生命を投げ出して、人類を救出することもある。いずれにせよ、パニックが起こっても人類は生き延びるということである。決して、どしゃぶりの雨のような状況でも、必ず晴れるときが来ると人生訓めいた教訓を伝えている。 

 そうなのだよ。 パニック映画は教訓の宝庫なのである。「この世界には未知の出来事が起こりうるものだ」「フロンティアになるということは、周囲からの理解をなかなか受けられない孤独だと自覚せよ」「混乱時こそ、自分を捨て、他者のために生きよ」「嵐は続かない晴れ間が必ず来る。まさに念ずれば花開く」。...

 

 .なんか無理矢理の感もあるなオレ.....。まぁ、でもおバカ映画が大好きなわたくしとしては、変に複雑に歪曲された人間ドラマよりも、まったくのバカ映画の方が、妙なリアリティーがあったりするのが不思議。.

  東電幹部や、保安院の方々は、推測するに司馬遼太郎や、ビジネス書を好んで読まれていたはずです(かなり強引な解釈..)。勿論、私も愛読しましたが、少しでも御馬鹿なパニック映画をきちんと鑑賞なさっていれば、映画に出てくる自分の立場に固執して、未知の事態を鼻にかけない登場人物たちと同じになってしまうことを、回避できる可能性も少しはあったかもしれません(ちょっと無理やりですが)。

 

その他鑑賞メモ

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「アジャストメント」

 この映画は、自己犠牲・他者奉仕というよりも、自分の欲するものは追及せよ、たとえ天使たちからの忠告であっても無視せよ。そうすればうまく勝ち取れるという、いかにもアメリカらしい映画。天使というか、神というか運命を計画しているキャラクターが、なんなのかよくわからなかったなぁ。

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「トロピックサンダー」

ほんとうのバカ映画(誉め言葉ではなく)。これもアメリカ受けらしいギャグ満載。一応、前文のパニック映画の解釈対象外。

 

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「川の底からこんにちは」

 お化け映画ではない。こういう小ぶりなユーモアとヒューマンタッチな映画は日本映画の得意とするところ。観た後は心地よさが残った。 

 所詮、自分たちは中の下なんだから、頑張ろう。好きとか嫌いとかは置いといて、やらなくちゃならないことあるでしょう。....こういうメッセージはアメリカ映画にはないよなぁ。

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2011年11月20日 (日)

ゴダイゴ礼讃

 lovelyここはゴダイゴファンでなければわからいかもしれない部分.....

Photo1_20142 昨日、渋谷でゴダイゴコンサートが開催されて、なんとyahooのトップ記事になっていた。多くの新聞やテレビも報じていた。じつは何を隠そう僕はゴダイゴファン35年生なのだ。 

 ゴダイゴがデビューした当時は、僕はドゥービーブラザース、サンタナ、デイヴメイスン、国内ではクリエーションとかコスモスファクトリーに凝っていて、ゴダイゴのことを中途半端な軟派バンドとして馬鹿にしていたのだった。 

 しかし、テレビで西遊記が始まり、ガンダーラ、モンキーマジックに惹かれ、アルバム西遊記を友人に借りてファンになってしまった。そして、1977年に発売されたアルバム「DEAD END」に圧倒され、現在でも僕の中の名盤となっている。 

 ゴダイゴ人気が大ブームになっているときは、コンサートを聴きに行ったり、ゴダイゴのロゴ入り長袖トレーナーを日常的に着ていて、周囲からバカにされた(当時のブームは児童年齢中心だったせいか;ω;)。 ゴダイゴのアルバムは勿論、タケカワユキヒデのソロアルバムも買った。解散後は、彼のソロコンサートにも行った。 

 1999年の再結成時は、栃木で研修があったのだが、うまくすり抜け新宿厚生年金ホールに観に行った。同年、アルバムも発売されて、中でも「WE'VE GOT TO GIVE THE EARTH A CHANE(地球を我が手に) 」は本当に名曲である。 

 最後に行ったコンサートは、2007年の東京芸術劇場の「2007 TOKYO 新創世紀」だった。その日はアルバム「DEAD END」中心の構成で感動した。特に僕の大好きな「孤独な面影」が大コーラス隊と合唱され、涙ボロボロであった。 

 若かりし頃はゴダイゴファンということで、色々と弾圧?されてきたが、こうして2012年を迎えようとしている現在も、ゴダイゴが彼ららしい音楽を創造していることを誇りと思う。ゴダイゴが長続きしているのは、年齢を重ねてもメンバーがそれぞれの個性的な生き方をして、 お互いを認め合っていること。曲目が若さや情愛だけではなく、社会や世界、宗教といった世界観を持ち、構成も組曲など多様なカテゴリーにわたっていることであると思う。  

  オーバーな表現だけど、自分の人生で、こんなに長く愛せるアーティストがいて幸せな男だと思います(*^-^)。

 ※先日発売されたGODIEGO BOXは3万円ぐらいする。どうしよう....(`ε´) 

 ※3年位前に、仕事関係でタケカワユキヒデさん招いたイベントがあって、責任者が友人だったため、サインお願いしたら、ホントに色紙に書いてもらってくれた。しかし、やはりできればゴダイゴのサインがいいなぁと思ったのでした。

 ※昨日のコンサートは、奥さんが仕事だったため断念。ゴダイゴを一人で聴きにいくのは何か違和感があり、こういうのは、やはり夫婦で行きたいと思うから(*^.^*)。

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2011年11月19日 (土)

仕事をするときは上機嫌でやる

昨日のブログで京都清水寺前の張り紙「仕事をするときは上機嫌でやる」を貼り付けながら、そういえば数年前に斎藤孝「上機嫌の作法」を読んだことを思い出し、お風呂に入りながら読み返してみた。 

 ・不機嫌さは「なんらかの能力が欠如しているのを覆い隠すため」だとしか考えられません。

 ・不機嫌な人を尊重するような社会を容認してしまっては、歯止めが利かなくなります。不機嫌というものは何の力もでもないことをはっきりさせ、社会に認識してもらいたいと思います。

 確かに人生いろいろあったけど、思い返してみると、不機嫌な人たちというのは、何かを隠そうとしているタイプが多かったようだ。それは大人というよりも、駄々っ子のような幼稚な存在のイメージがある。そういう僕自身は割と不機嫌にならないタイプだと思っていたが、仕事を真剣にやろうとすると、眉間に皺がよって恐い顔をしていると指摘されたことが何度があった。反省。

 ・知的な人間は、やたらとニコニコ愛想よく振舞ったりしないものだという思い込みもある。作家や学者というのはどちらかというと根暗で不機嫌なものに違いないというイメージ。しかし、実は作家も学者も本当に頭のいい人は知的かつ上機嫌な人が多い。

・今は「バカで不機嫌」が増大中です。気分をコントロールできるということは社会性があることだという意識を確固と持ちましょう。不機嫌が癖になると、動きにくくなります。運動不足と同じように、こころの運動能力が下がってしまうのです。

 「バカで不機嫌」が増大中というのが、面白くガツンときた。上機嫌に対するイメージも、ご機嫌伺いや媚びへつらい、というようなマイナス先入観がある反面、仏頂面をしてドッシリと構えているのが、頭を使っているような気がするのも事実だろう。インターネットで調べると仏頂面とは「仏頂尊の恐ろしい面相にたとえたもの。不機嫌ににふくれた顔つき。」とある。仏像の恐い一面をそのまま表現して、不機嫌に生きるのはどうなんだろうか。 それが得なんだろうか、幸せなんだろうか。

 合気道を稽古しているとわかるが、不機嫌な顔を実際にして、相手にからだを押させると身体が硬直化し、簡単に崩れてしまうが、笑顔をつくって相手に押させると、身体は柔らかく安定し動かない。 

 反応の速さ、周囲に対する感応力、柔軟で安定した身体の動きはこころが落ち着いた状態、特に上機嫌のときに最高のパフォーマンスを発揮するように思うのだ。 これからの時代は仏頂面だらけの集団組織ではなく、まさに上機嫌な人間集団こそが、困難な状況を切り開いていくのだろう。

 さてさて、今日はこれから奥さんが仕事から帰ってくるので、昨日買ったボージョレーヌーボーを上機嫌に飲みましょうっと。

 ※今日は大雨と強風のため、昼に茹で太朗に行った以外は、家で過ごす。昨日買った内田樹「呪いの時代」読破。DVD「スカイライン」を鑑賞。映画館で観なくて本当によかったパニックムービーであった。

 

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※一昨日観たクリントイーストウッド監督「ヒアアフター」はとてもよかった。津波シーンが出てくるため、3.11と公開が重なり、途中で上映中止となった映画。死の世界に存在する人と現実世界を生きる者とのドラマだが、オカルトチックではなく、ヒューマンドラマとして完成されている。マットImages_3・ディモンを見直した。

 

 ※先週観たのは「英国王のスピーチ」。ラストシーンでは、指揮者が指揮棒を振るようにスピーチ指導をしていた。スピーチは言葉だけではなく身体性が肝だと勉強になった。 

 

 

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