2012年5月26日 (土)

酔って候

51odevcdusl__sl500_aa300_  昨夜は合気道の稽古後に帰宅して飲み始め、逆に今日は早朝に目が覚めて眠れなくなってしまったため、昨日購入した炭粉良三氏の「合気深遠」を一気読みした。

 本の中には実際にお会いしたことのある方も登場して、興味深い。このシリーズを読みながら思うのは、炭粉氏の文章のうまさだ。合気探求、人との出会い、私生活の様々なエピソードを、ご自分の言葉で組み立てられており、読者を炭粉氏と一体化させ、一気に読ませるなど、かなりの知恵者だと伺える。

 私も合気道を稽古しているが、技そのものや、意識の活用方法にこだわりがちである。炭粉氏の探求されている合気とは、その真髄においてスポーツ化、テクニカル化した現代武道を凌駕し、愛を基調とすることによりトンデモ系と誤解されるリスクを背負いながらも、着実に理解者を増やしていっているようだ。

 ぜひとも、一度お会いして、力ではなく愛を注入した技をかけて頂き、投げ飛ばされてみたいものだ。(炭粉氏の師である保江邦夫先生の新著書はいつでるのだろうか。楽しみだ)。

 本の中で触れていた近藤孝洋氏の「極意の解明(平成4年刊)」が図書館にあったので、早速借りてきた。本の最後に参考図書として私が愛読した高橋佳子著「人間のまなざし」、高橋信次著「心の発見」があったので、びっくりした。

41vxqwu7f7l__sl75_ 今日は レンタルしてきたイキモノガカリのアルバム「ハジマリノウタ」を聴いてみた。僕の好きな映画「泣くもんか」の主題歌が入っているので、今もこうして聴きながらPCに向かっている。

その「泣くもんか」と対極にあるのが、ここんとこ寝る前に毎日のように見ているアメリカのテレビシリーズ「グッドワイフ2」だ。弁護士事務所を通して様々な葛藤する人間ドラマが展開されている。このドラマを観ていて思ったのは、何のために人はお金を沢山欲しがるのか、権力を求めるのか、他者より勝ち抜こうとするんだろうかという、素朴な、こどものような疑問だ。

 広い家に住みたいから? ゆったりと食事したり、入浴したり。騒いでも隣人を気にしない空間は魅力的である。

 外食して美味しいもの食べたり、海外旅行にも行きたいから? それの気持ちもわかる。

 将来何があるかわからないから貯蓄.......(と、ここまで書いてから、午後6時からの85歳のいとこの誕生会に出発!)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(午後11時10分に帰宅し、パソコン開始し赤ワインなう)001

  今日は85歳、79歳、74歳のご婦人と、70歳と62歳の殿方、あとは40代3人と50代の僕(先ほどまで私)の9人(親類7人)で、向島の割烹で誕生会を開催した。そこそこ飲んで食べたので、僕としてはこのまま二次会は避けて、今日ゲストで来てくれた40代の仲間だけで静かな場所に移動して、しんみりとグラスを傾けたいと願っていたが、79歳の母から014「次いく」という声が聞こえてきたのだった。

 結局、全員でスカイツリーまで歩いていって、ソラマチで少しの買い物をして、世界のビール博物館のテラスで世界のビールを注文した。外国人のギター、バイオリン、ベースの演奏があったのだが、どうも墨田区の屋上とマッチしていないような気恥ずかしさをおぼえたのだった。

 お年寄りたち(しかもデキアガッテイル)を連れての混雑状態のソラマチ見物だったため、迷子が出ないように、転んだりしないように、階段をさけるようにと気を使いすぎて酔いが冷めてしまって、こうして帰宅してワインなうなのである。

 そうそう、夕方まで書きかけたことは、財力や権力を得ようとするのは、身体の味覚や、触覚の満足だったり、他者との優位性だったり、生命維持のための蓄えなど、個人の身体的範囲に限定された狭い世界のこだわりでないかということだった。

 人生の目標達成=幸せ と思い込んでいるとしたら、ほんとうに金や権威、名誉の獲得というのは自分が考えて設定したものなのだろうか。人類史上、有史以来の先祖から受け継いできた遺産として、自分も引き継いだだけではないのか。

 スカイツリーを観ながら、これを自分のものにしようとは思わないし、これで稼いでやろうとも思わない。ただ、縁ある人たちと、ちょっと酔って、ライトアップツリーを見上げることが幸せな時間なのだ。それだけでいい。

 イキモノガカリの「泣くもんか」を聴いていると、涙が出そうになる。

 これからの時代は、マテリアルの物量で幸せかどうかを判断するのではなく、頭ではなく心で幸せに感じる時間をどれだけ体験できるかが、幸福者の基準となる。

 もちろん、経済的安定は大切であって、それを無視した自堕落な快楽は、幸福とはいえず、単なるエゴ快楽である。ギリシア哲学者エピクロスのいう「快楽主義」とは享楽ではなく、精神の平安による快楽ということだ。

 幸せ=勝者或いは享楽...といった図式を、ぜひとも書き換えていきたいと思うのだ。

 そうでなければ、耳にタコフレーズである「みんなが仲良く、安心・安全な社会」などできるわけがない。政府もマスコミも念仏のように唱える「安心安全な世界」を,リアルなものにするには、真剣にエゴという怪物と向かい合い、飼い慣らす必要があるのだ。

 すみません、今日は酔っているので(まぁいつもですが)、今日はこの辺で....

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2012年5月24日 (木)

スカイツリーのプラネタリウムを観た.....

  今日はこってりとした一日であった。

 昼食は浅草で明治11年創業の老舗割烹「一直」の会席を堪能した。「一直」は以前の古風な料亭だった頃の印象しか残っていなかったが、最近、改築されて新しく清潔で由緒あるお店になっていたので驚いた。料理もとても美味しく、正真正銘の料理人の味を堪能できた。 

 夜は、奥さんと待ちあわせをして、開業三日目のスカイツリーそらまちに行った。思ったほどではないが、やはり混んでいた。プラネタリウム好きな僕としては、以前からソラマチのプラネタリウムを狙っていたのだが、今日は8時の回のチケットを購入することができた。 

 夕食は、インド料理店でカレープレートと生ビールを注文する。 

 プラネタリウムは二つのプログラムがあり、8時の回からはヒーリングっぽい「フォレスト 星明りの森(約50分間上映)」で、アロマの香りも演出されている。

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 最初の動物や、海などが出てくる大迫力のオープニングCGには圧倒されたが、本編のフォレストが始まった途端、嫌な予感を覚えた。どうも、だる-いのだ。森林や天体の動きも殆どないまま、いかにもヒーリングという音楽と、みんな疲れてるだろが森は優しく癒してくれんだぞという説教じみたナレーションに退屈してきて、殆どの上映時間を眠気との戦いに費やすことになった。 

 もう一方のプログラム「星空は時を越えて」は竹中直人ナレーションで迫力ある画面らしいので、機会があったらこちらを鑑賞してみたい。 

 そして、驚いたのは、プラネタリウムの星空を観ながら、なんか馴れてんだよなぁという感覚が生じてしまったのだが、それは1年半前に購入したセガの家庭用プラネタリウムの影響であったのだ。家庭用とはいいつつ、リアルな宇宙空間を部屋の天井に映し出し、転回し、流れ星も流れるといった、素晴らしいオモチャ?なのだ。 

 はっきりいえば、今日のプログラムは、うちのプラネタリウムを超越したものではないように感じた。僕が期待するのは迫力の躍動感の大画面であるため、「星空は時を越えて」に期待したい。 

 先ほどのプラネタリウムを観ている最中、無性にレモンサワーが飲みたくなったので、帰宅してレモンを絞って芋焼酎と炭酸で割って、今グイグイやってます。

014 僕は芋焼酎のサワーがすきなのですが、以前に焼酎専門のお店で、芋焼酎頼んで炭酸で割りたいと頼んだら、店主から炭酸はないとお叱りを受けました。

 
 今朝、気づいたのですが、毎日お酒を飲んでいるので、睡眠時間7時間、夜7時から12時まで飲んでいるとすると、覚醒時間の約3分の1が酔った状態となります(もちろん、日によって酒量は違ってきますが)。僕と言う人格は、覚醒している3分の2と、酔っている3分の1で構成されていると考えると、かなりいい加減な存在なのではないでしょうか。  

 ...と書きつつ、思ったのは。覚醒時間の多くを金儲けや、ゲーム、テレビ視聴、噂話に費やすのも、同じようなものなのかなとということです。

 スカイツリー..... 下町の逆襲です。 

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2012年5月23日 (水)

祝スカイツリーオープン

今日は職場幹部たちとの飲み会があり、先ほど帰宅した。

 帰宅中に見たスカイツリーがあまりにも美しく、重量感を増していたので、興奮してしまい、こうして酔っているけど、PCに向かっている。ちなみに奥さんは、僕が飲み会のため、ソラマチにいるらしい。

 ここ数日はスカイツリー絡みで写真を撮ったので、列記しておこう。013_2

 009_2一昨日の21日は金環日食であったため、サングラスをして薄目をして太陽を眺める(サングラスして視てはいけなかったらしいが)。想像していたよりも、あっけない感じで日食は終わっていった。その日食よりも、スカイツリーと日食を狙ったのか、歩道の真ん中に三脚を立てて、通行妨害している俄かカメラマンたちの横暴ぶりに唖然とする。 記念にしたい気持ちはわかるが、齢を重ねたアマチュアカメラマンたちよ、そこまでして、それを撮って何を残そうとするのか。僕はやるせない気持ちで自転車を漕いで、職場に向かった。

018_6 昨日22日はスカイツリーのオープン日だ。悪天候のため、残念であったが、よくよくツリーを見ると、ライトアップが雨雲にかかって幻想的なムードを醸し出していた。

 僕はスカイツリーに対して、029_9今までどちらかというと批判的な立場にいた。

 スカイツリーは東京タワーのような日本を代表する優美さがなく、傍から観ると工具のドライバーのような外観に、品格がないのではないかと、苦言を呈することも、酒席では多々あった。正直に言うと。 

 しかし、ライトアップされたツリーを観た途端、自分の浅はかな感性を反省した。ツリーはまるで、鮮麗な江戸きりこのグラスに注がれた華麗なカクテルのように輝いていた。 

 酔ったついでに自慢っぽくいうならば、僕は数年前まで東京タワーまで歩いて10分のところに住んでいて、犬の散歩コースであった(現在は墨田区住まいだか..)。散歩して真下から眺める東京タワーの勇姿に感動しており、スカイツリーを批判的にみていたが、それは大きなカン違いであった。 

 東京タワーは真っ赤の鉄骨むきだしの、総重量的なライトアップに圧倒されるが、スカイツリーには透明感と神秘性の不思議さがある。 

 まさに昭和の時代のタワーから、新時代のツリーへの転換である。メディアのスカイツリー関連番組のしつこさには辟易とするが、日本のどこの繁華街もチェーン店化して没個性となっている現代において、ツリー効果による下町復興という路線は面白い。

 奥さんがソラマチから帰宅してきたので、ここらへんでやめておく。

 

 おまけに今日のスカイツリー。

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 今日の飲み会では、人間の存在理由と有限性、プラトン、ソクラテスの時代と現議会制民主主義の関連などを問題提起しましたが、最初から酔って飛ばしすぎて、周囲はあっけにとられて、少々浮いてしまいましたご様子....

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2012年5月17日 (木)

奇跡!! 隣ビルに飛ばされた道着の救出作戦

 今日は風が強かった。

 帰宅すると、朝に干したはずの合気道着が強風でハンガーごと、飛ばされベランダから消えていた。 

 我が家は6階だが、隣接ビル(3階建)の屋上に飛ばされていた。屋上といっても人が出入りできる構造ではなく、単なる屋根のようなものである。その屋上には、隣接するビルの窓も近くにはなくて、我が家のベランダからは5、6メートル程度の距離があり、物理的には飛び降りて拾うことくらいしかできないのだ。 

 ネーム入りで、気に入っている道着であり、何とか救済したいと思ったが、なかなか困難な事態であり、飛び降りる勇気ないし、もし飛び降りたとしても、そこからどこにも行けない構造で、最後は道路に飛び降りしかないのだ。

 このまま放置するという選択もあったが、長い期間を雨風埃紫外線にさらされ、汚れてボソボソになった道着をみるのも忍びなく、何とか救済すべしと決断する。

 とりあえず、棒状のものを結合させて長い竿をつり、道着を引張って道路に落下させようと思い、うちにはクルクル廻すつっかえ棒の大小3本があったので、ガムテープでくっつけながら、道着に届くか試してみた。しかしまだ、全然届かないので、部屋中の棒状のものを探すとクイックルワイパーの柄の部分を発見して、装着する。それでも、まだ道着には届かない。道のりは遠く険しいものだ。 

006 ということをしているうちに、奥さんが夕食を作ってくれたので、美味しいスパゲッティとポテトと卵料理をワインとサワーで頂き、食後再び救出活動に入った。 

 比較的に軽いと思っていた棒たちも、繋げてみるとかなり重くなり、隣のビルに向けて伸ばすと、ガムテープがみしみしと唸り、しなって恐ろしい状況である。長さを稼ぐ必要があり、それも軽量でなければならない。 

 少し太めの針金があり、ツッパリ棒の先頭にまきつけた。針金の先を曲げて、釣り針のようにした。それを、道着に向けて投げるが、まだ長さが足りない。予備の針金もないため、ビニール紐を巻きつけ延長する。

 距離的に長さは充分となったが、投げてもなかなか道着に引っかからない。引っかかっても、力を入れて上げるとすぐに解けてしまう。しばらくして、かなり良い手応えがあったので、強く引張ってみる。しかし、今度は全然持ち上げられない。 

 当然である。ビル屋上に設置してあるエアコン室外機の網の部分に引っかかってしまっていたのだ。それに気づいて009何とかしようとしたが、なかなか外れない。あきらめて、針金と紐を切り離して放置しようとしたが、物理的につっかえ棒の先をベランダに戻すことが出来ない状況にあり、放置したければ繋がった棒たちを屋上に放り投げるしかないのだ。そのような行為が社会人として許されるのか。 

 傷に塩を塗るようなまねはできないため、おじさんはひたすらミシミシいう棒を左右上下に振り回して、室外機の呪縛から解き放たれたのだった。 

 もう、これは釣堀と同じだなと思って、強風に合わせて紐の位置をずらしてみた。しばらくすると、手応えあり。袖口に引っかかったようだ。 

 ミシミシいうガムテープ音を気にしながら、棒の竿を上に上げると、竿がかなりしなってきた。何とか、道路に落下させようとしたが、ここはひとつ賭けにでようということで、そのまま3、4メートルほど持ち上げて、何とか無事にベランダの手すりまで持ってくることができた。 

 まさに、驚異と感動のこの奇跡に立ち会えて、良かったぁ。感謝です(ノ_-。)

 まもなくスカイツリーがオープンということで、盛り上がっている墨田区で、夜の強風の中、ツッカエ棒3本とクイックルワイパーの柄を黒いガムテープでつなげて、その先頭にビニール紐と針金を巻きつけた竿状のものを、ベランダから隣のビルに垂らしている中年男を目撃したら、貴殿はどう思われるのだろうか。興味深いものである。

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2012年5月 6日 (日)

宮城県、岩手県

  このGWは東北に行ってきた。

 宮城県と岩手県だ。

 東北地方では、昨年は震災により旅行客が激減したため、今年は東北に訪れてくださいとキャンペーンを行なったり、いろいろなメディアでPRしていた。  

 被災地に旅行ということに対して、果たしてそれはどうなのだろうかという気持ちもあったのだが、東北を訪れて、僅かだが観光費を使うことの意義や、被災状況を自分の目に焼き付けておくことや、東北の素晴らしさを味わうことも大切なのではないかと思って、3泊4日の旅に出たのだった。

 一日目は、仙台でレンタカーを借りて、昨年に世界遺産登録された平泉を訪れ、一ノ関に宿泊した。 

 二日目は、あいにくの大雨だったが、気仙沼から宮古へとクルマを走らせた。 

 瓦礫はかなり片付けられているようだが、破壊された建物や、かつて建物があった区画などには津波の痕跡が残っていた。  
 

2012_040 道路を走っていると、巨大な船が、地上に取り残されたままになっていた。

 これだけ大きな船を陸地に運んだ津波の凄さと、この船を撤去するための手間と費用と想像すると、ため息が出る。 

 そのまま、保存管理していくという選択もあるだろうが、被災された方々の気持ちを考えると、簡単な話ではないだろう。 

Headface_3 昼には、大船渡に着いたので、屋台村で食事をした。ここの家庭料理「えんがわ」は、86歳の被災されたおばあさんが、屋台村ができることをきっかけに初めて飲食業をはじめたお店だ。おばあさんは、娘さんと二人でお店をやっていて、仮設住宅に住んでいらっしゃる。

 Engawa_header_2 このお店を知ったのは、数日前にテレビ東京「 レトロ食堂2~よぼよぼシェフ 愛の一皿」を観たのがきっかけだ。おばあさんの前向きな生き方と、それを支える人たちに感動して、涙が出てきてしまい、ぜひこのおばあさんの作る「ひっつみ汁」を食べようと思ったのだ。 

 
 小さなお店は復興のために仕事にきている方や、地元の方、観光客でいっぱいであった。娘さんが常連さんと、「昨日は北海道からテレビを観て、この店にきてくれたお客さんがいた」という会話をしていたので、実は僕らも東京から同じですといったら、驚かれた。 

 あいにく混んでいて、おばあさんとゆっくり話すことはできず、挨拶だけであったが、とてもあたたかく、かつ生きるバイタリティーに溢れた空間であった。

 お店を出てから駐車場まで、50メートルほどであったが、真横から吹く暴風雨に、傘は破壊され、ずぶ濡れになってしまった。ずぶ濡れになった途端、突然大笑いしはじめた自分に驚き、唖然とした。.....なんで笑ったんだろ。.クルマの中で、濡れたズボンを脱ぎ、ジャージに履き替えた。靴は仕方がなく、そのまま履いていた。 

 2012_044

二日目の宿泊は早池峰山だったため、北上する。国道や三陸道を通ったりしていたが、コースがずれて林道のような道路に入ってしまった。数キロ走って気づいたが、大雨の中、引き返すのも抵抗があり、ワイルドに20キロ強の林道を進んだのだ。 

 この日は、全国的に大荒れの天気で、東北太平洋側の地域でも大雨洪水暴風の注意報がだされ、数時間前に通った気仙沼もその日の夜に避難勧告が出されることになった。

 宿は、山奥にあり、キャンプ場の宿舎といった感じで、釣りにきている方が多かった。翌朝にお風呂に入ると私ともう一人しかおらず、その男性客が話かけてきた。原発事故によって仮設住宅にお住まいで、複数の会社経営をなさっていたが、それも駄目になってしまったとのこと。釣りが趣味で、ここには毎年来ているそうだ。 

 入浴中の短かい時間だったが、いろいろなお話ができた。なかでも、警察が規制する以前の被災地を狙った犯罪などの話を聞くと、複雑な気持ちになってしまった。東京がもし、同様の状態になったら、犯罪やパニックなどのリスクは県の比ではなくなるだろうと思った。

 

 三日目は、くりこま高原近くで、長女と彼氏とそのご両親に会うことになっており、遠野から南下することにした。雨が降り続いているのと、時間がなかったのて゛、遠野では美味しいコーヒーを飲むことを主目的とした。 

 かといって、どこが美味しいのかわからないため、ネットで検索したら地元の人が推薦する店ランキングがあり、そこのコーヒー部門第一位の店にきめた。

 喫茶「詩季」は、遠野に着いたのになかなか見つけることが難しくて、ナビに住所を打ち込んだら、なんと駅から歩いて数十秒の真ん前にあった。ここは喫茶店というよりも、様々なかわいい小物雑貨が陳列されており、インテリアの中のカウンターでコーヒーを飲むといった感じである。

 お店には、他のお客さんがいなかったため、ママさんとゆっくりお話ができた。ここは是非見ておきなさいと薦められた博物館や桜並木を訪れた後、古川駅方面にむかって南下する。 

 待ち合わせ時間までに、少し余裕があったため、大崎市のさくらの湯に行くが、大混雑であった。短時間だが入浴、髭剃りをして、濡れた服を取り替えた。 

 ガソリンを満タンにし、レンタカーを返却してから、長女と彼氏と合流し、彼氏の実家にご挨拶に行く。立派な家であった。震災当日は相当な揺れがあり、一週間ほど電気がない生活をされて苦労されたという話などを聞く。

 その後、みんなで和風レストランに移動して、大いに飲み、食べた。楽しい時間のため、予定時間を過ぎて、午後10時40分の新幹線に乗って、仙台のホテルに向かった。  

 

 2012_072四日目は、石巻市にバスで移動し、自転車を借りて、海岸
まで行く。強風で自転車が漕ぎづらく、停めると倒れてしまう。海岸近辺もある程度は整理されてきているが、やはり津波の被害は相当なものだったことがわかる。2012_079    

 いくつかの家では、そこにお住まいの方々がいらっしゃるようだった。自転車を走らせていると、庭先でお花の手入れをしている女性と目が合った。なんだか、自転車で通り過ぎていくだけの自分が申し訳ない気がして、私は軽く会釈をした。女性も軽く会釈を返してくださった。

 
 
 

 

 自転車を返してから、仮設された石巻立町復興ふれあい商店街で、牛タン定食を注文した。ほんとうに美味しかった。テールスープも絶品だった。時間がなくて他のお店をまわれなくて残念だったが、イベントが開催されており、みんな楽しそうだった。

Fureaitop_2

 こうして、昨日までのGWの出来事を打っているが、明日から仕事で、また日常生活が繰り返される。

 その日常生活というものは、実は不変で確実な循環ではなく、多様に変化し続けていくものなのだろう。 

 この東京にも大きな自然災害が襲ってくる危険性は大きい。 

 だから、そのために備蓄や、連絡方法を徹底させることも重要だが、今回改めて思ったのは、小手先の準備だけでは、首都直下災害を乗り切ることは難しい、いや乗り切るという発想自体が、現実の恐ろしさを認識していないのだろう。 

 なんと表現したらいいのかわからないのだが、準備するのは防災グッズの用意だけではなく、自然の脅威に対する覚悟と、みんなで助け合おうという意識と、そのための勇気が必要なのではないだろうか。 

 繰り返されるようにみえる日常生活が、実は変化し続ける「自然」という土台に支えられているのだから..........。

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2012年4月29日 (日)

孫の婚約者の父の頭を叩く祖母(´□`。)°

長女が結婚することになったので、昨日は彼氏の両親が仙台からご挨拶にいらっしゃった。

まだ、明るい五時からスカイツリーの見える割烹で、接待する。

最初はきちんとお互いにご挨拶をしてから、乾杯となり、料理が次々と運ばれてくる。

普通、こういう席では瓶ビールで、ちっちゃなグラスに注いだり注がれたりするのが定番である。

 しかし、79歳の私の母は、そのコップでチマチマ飲むのが嫌いで、いつもジョッキでビールを飲むため、途中から瓶ビールをやめて、スカイツリージョッキ(といってもただ634mlのビールジョッキ)を注文して、一同グビグビ状態となる。 

 僕もコップで飲むのは嫌いで、飲み会では自分のコップにビールがなくなってきても、誰も気づかず注いでもらえない状況に陥ることがよくある。その場合は、誰かのコップにビールを注いであげて、僕のコップにもビールがなくなっているんだからね!メッセージを発信し、相手も、おっ、気づかずにごめんね、どうぞどうぞ!という対応をすることになる。それが面倒くさいので、ジョッキでグビグビがいいのだ。 

 しばらくすると、隣の大広間では、年配の方々が高校の同窓会ということで芸者衆を呼んでおり、三味線、和太鼓の演奏がはじまった。仙台のご両親も芸者さんを観たことがないというので、お店にお願いして廊下から見物させていただいた。とても、にぎやかでお祝いの席にはもってこいの余興であった。 

 我が母は、飲むと自分中心に喋って、周囲を聞き役に徹しさせる傾向があるため、事前に今日の大事な席では静かにしていなされと諭していた。乾杯当初までは、比較的おとなしめ(それでも相対評価ではうるさい)にしていたが、段々とアルコールが廻るにしたがって、当初はお父さんと呼んでいた呼称が、やがて隣に座り込みあんたと呼ぶように変化していった。 

 二次会ではBARに行ったが、そこでもご両親の間に座って、喋り続け、最後はお父さんの頭をひっぱ叩くようになっていったのだ。それも何度もで、パンパンッという音を聞かされるたびに ・・破談・・ という文字が宙を舞ったが、気さくなご両親で、そんなおふくろを気に入って下さったようで安心した。 

 それにしても、随分飲んだので、帰宅してから頭痛がした。 

 今朝は、幸い痛みは治まっていたが、パンパンッという音が、耳に残ってしまい早く目覚めてしまったので、自分を落ち着かせるためにこうしてPCに向かっているのである。

 パンパンッ....。また反響してきたぁ。。゜゜(´□`。)°゜。

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2012年4月21日 (土)

「サロゲート」...身代わりロボット社会

我が家は夜に予定が入っていないときは、だいたい夕食後の九時過ぎから、映画を観る。だから長い映画だと遅くまでみることになってしまう。昨日は夕食を終えて、鑑賞開始が10時近くになったため、ツタヤDVDの中から短めのを選んだ。

Images ブルース・ウィルスの「サロゲート」は、面白い映画であった。近未来社会では、自分と分身(サロゲート)が接続されており、サロゲートが社会生活を営み、自分自身は家で装置をつけているだけだ。まぁ、そこで事件が起こるわけだけど、ブルースのサロゲートは髪がフサフサしており、私も夏のボーナスでカツラをつくろうかと思ってしまうほど若々しかった。 

 人々は安全な自宅にいて、事故等のアクシデントがある外の危険な世界ではサロゲートが仕事をしたり、恋愛したり、人間的営みを行なっている。もし、サロゲートが事故でケガしたり、死んだりしても、代替品があり、何の影響もない。サロゲートは自分の好みに合わせて年齢も容姿を選ぶことができる。高齢になって歩行困難になっても、若々しい自分として社会生活を営むことが可能なのだ。 

 私たちは肉体をもった存在として、生まれて死んでいく。そこでは様々な危険もあり、喜びもある。病気にもなり、年老いていく。そこでのリスクヘッジを完璧にするために、サロゲートは開発された。しかし、どうも装置をつけて寝ている人間たちが、心身ともに病的であり、これが安全で快適な人生と呼べるのかと思う。 

 この映画は荒唐無稽であるけど、ある種のリアリティーも含まれている。特典映像では実際の最新のロボット技術が紹介されていたし、ケーム、SNSといったバーチャル世界で肉体をもたない自分が、誰かと出会ったり、戦ったりすることも現実になっている。  

 そういう私も、常にスマホやPCと接しており、寝るときやお風呂、稽古以外は身近にないと不安な依存症?である。もし、サロゲートが流行していったら、私も乗ってしまうタイプかもしれない。 

 しかし、私たちの生きているリアル世界は、食物連鎖の世界であり、生老病死の世界でもある。はっきり言えばバーチャルな世界は動植物を殺生し、摂取し、排泄する極めて原始的な世界から派生した擬似的て脆弱な仮想世界である。 

 最近騒がれている直下型地震が実際に襲ってきたら、バーチャルな世界に浸ることは困難となり、眼の前の現実的な極限状況と向き合い、対決しなければならなくなる。 

 このバカっぽくみえる映画は、実は肉体をもった人間としての人生、喜び、愛について問題提起している凄い映画だと、いま気づいたのだった。

 ※学生時代に東京タワーでアニメキャラクターの着ぐるみのバイトをしていたことがある。人気キャラのため、子どもたちはもちろん、若いおねえさんたちや外国人たちと握手したり、写真撮影されたり楽しかったのだが、反面、修学旅行の男子学生やガラの悪い男たちから頭を叩かれたり、こずかれることもあった(握手して思いきり力を入れてくるバカ者もおり、逆に握り返してバカたちに悲鳴をあげさせてやった。負け知らず)。

 そのバイトをしながら感じたことがあった。、自分に寄って来る人や、イタズラする人たちなどそれぞれに対して喜怒哀楽の感情がわいてくるが、人々の反応は着ぐるみキャラクターに対してであって、自分自身に対してではない。もし、魂というものが本当に存在して、人間は肉体という着ぐるみを着ているようなものだとしたら、肉体が本当の自分と思い込み、悩み、一喜一憂しているのちょっと違うのかもしれないと.....。 

 さて、真実はどうなんだろうか。(-ε-)

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2012年4月18日 (水)

バトルシップ

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 今日はバカ映画の会であった。今回は国のキャリア組の方もゲスト参加して頂き、「バトルシップ」を鑑賞した。昨年の「トランスフォーマー・ダークサイドムーン」がすごい佳作に思えるほどの、徹底した米国製バカ映画てあった。 この映画を選んだ僕としては、なんでこんな映画を観なきゃならないのかという周囲からの責めを想像して、鑑賞中も反省したのであった。

 しかし、この会は映画が社会性、人間愛、芸術性といった部分が見受けられない映画であるほど、盛り上がる集まりである。トランスフォーマーのときは、ピアノ生演奏があるスカイラウンジで反省会をしたが、予想に反して数分で終わるはずの映画の話題か数時間にわたって、トランスフォーマーネタで終始した。 

 今回の映画も、うちの奥さんと二人で観にいったとしたら、鑑賞後の気まずさが圧し掛かる超バカ映画だが、今日はバカ映画メンバーのため気持ちが軽くなり、いろいろと映画について語れた。 

 バトルシップは、戦艦と宇宙船がミサイル攻撃をドンパチやるだけの映画なのだが、そこから発展させて、指揮官のあり方、孫子の兵法、日米の戦略的相違などを語りあえるのは、やはり意義深い。

 終演後、串揚げ食べ放題、飲み放題の店で、一気に飲んで食べて、語ってきた。一気に大量のお酒を飲んでしまったが、多分二日酔いにはならない楽しい会でした。

 

 遅いからも、もう寝ます(*´v゚*)ゞ

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2012年4月15日 (日)

平成中村座

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 今日は浅草隅田公園の平成中村座に歌舞伎を観にいってきた。小笠原騒動という演目で、御家を乗っ取ろうとする家臣の勧善懲悪の話たが、狐の恩返しや、亡霊出現、家族の自害、大立回りといった展開で約4時間(三回休憩有)があっという間にすぎていく。 

 こういう話を映画で観たら、ちょっと引いてしまうだろうなと思う。これは、歌舞伎でなければならないのだ。それも昔の歌舞伎小屋を意識した仮設の平成中村座だからこそ、舞台と客席の一体感が心地良い異次元空間へと誘ってくれた。 

 今日は歌舞伎を堪能できたので、これからお風呂に入ってから、ちょっと晩酌しようっと。

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2012年4月14日 (土)

講道館、ブロレス....カリスマは何処へ

  昨日も少々飲みすぎた。一次会はホテル、二次会はサラリーマン居酒屋、三次会はイタリアンレストランという無秩序なコースを辿った。最初は紹興酒に中華料理、そしてほたるイカをつまみに酎ハイ、最後にピノノワールとスパークリングワインで締めるという無節操ぶりだ。そんなこともあり、今日は読書とDVDの一日だった。 

 夢枕獏「東天の獅子」を読み終えた。講道館創設期の武道家たちの物語だが、ほんとうに面白い。現在ではスポーツ化されてしまった柔道が、実はかなり実践的で危険な古武術から進化したものだということがわかった。投げただけで終わりではなく、相手が戦えない状態にするまで、戦い続けるのだ。アルティメットファイトの原型だろう。

 大東流創始者の武田惣角も出てきて、ダイナミックな武術の戦いが展開される物語だ。現代だと武術家というものが、評論家や、著作家、セミナー講師のようなイメージも持ったりするのだが、明治という時代には生命を賭けて、満身創痍で戦うことも実際にあり、その血と汗と痛みの上に、現代武道が成り立っていることに新鮮な驚きを覚えた。冒頭で作者が、こんな面白い小説を真っ白な状態で読める読者がうらやましいというようなことを書いていたが、作者が渾身をこめた作品であることが伝わってきた。

 
そして、午前の雨の中、佐川急便の配達の人が濡れながら、「燃えろ!新日本ブロレス」というDV61bdozvtil__aa115__2Dブックを届けてくれた。読む部分は殆どないが、昭和の新日本プロレスの名勝負をDVD化した厳選したコレクションシリーズだ。今回はvol.1を試しにamazonで購入してみた。

 最初の試合は猪木舌出し失神のIWGP決戦だ。私はリアルタイムで30年前の蔵前国技館の3階席でこの試合を観戦していた。猪木信者の私は、猪木が当然初代IWGPチャンピオンになると信じており、それが自分の人生の大きなイベントのようになっていた。しかし、まさかハルク・ホーガンのアックスボンバーにより、失神リングアウトになるとは..想定外!だった.....(`0´*)。

 聞くところによると、このコレクションは人気があるらしい。若い世代の方々は、ご存知ないだろうが、かつて新日本プロレス中継は、毎週金曜日午後8時という超ゴールデンタイムで大半は生中継で放映されていたのだよ(全日本プロレスは土曜夕方)。

 現在のようにプロレスが衰退して久しいが、技は多様化し、テクニックも向上しているはずなのに、どうしてあの頃のような凄い熱気を感じられないのだろうか。 

 今日の夕方に韓国映画「力道山」を観たのだが、テレビ初中継で力道山がシャープ兄弟に勝ったシーンで観客が総立ちになりバンザイをして、アナウンサーと解説者は泣きじゃくっていた。敗戦の屈辱と、白人に対する劣等感がプロレスによってカタルシスとなり、日本人を熱狂させた。

 では、第一次プロレスブームが戦後という要素が大きいとすれば、1980年代の黄金期は何だったのか。タイガーマスクという奇跡的なスターによるものか、長州、藤波の抗争、ハンセンやハルクホーガンといった白人レスラーか、UWFによる新しいムーヴメントか.....。 様々な要素があげられるが、私はプロレスラーの持つイメージが大きいと思う。 

 かつて、プロレスラーは普通の人間ではなく、怪物や超人的な存在だと思われていた。キャラクターとしての商品価値を高めるために、多くのレスラーが野獣、悪魔、巨人、呪術、仮面等々の西洋怪奇映画に出てきそうなキャッチコピーをもっていた。 

 何台も連ねた大型バスを引いたり、飛行機の酒を全部飲み干す、新幹線の食堂車メニューを全部食べる、多数の警官を叩きのめす等々のエピソードをもち、プロレスラーは一般人からかけ離れた存在として際立っていた。猪木、馬場といった大御所については、そこまで奇人とみられることはなかったようだが、天から選ばれたカリスマとしてのオーラを漂わせていた。 

 しかし、現在の過度な情報社会では、プロレスラーのミステリアスな部分を保持するのは困難であり、まして自身のブログやツイッターで情報発信しているレスラーも多くいて、レスラーは身近な存在(或いは一般人と同じ)となっている。また、プロレス団体も無数に乱立しており、素人の延長のようでもプロレスラーと称せられるので、他の競技のアスリートよりも位置づけが曖昧となっている。 

 ブロレスという競技は、絶えず八百長論が付随しており、他の競技とは違ったショー、見世物といった観点で見られがちである。特に近年、暴露本が出たり、スキャンダルが報じられ、プロレスの神秘性は失せかけている。 

 その特殊な競技世界をエンターテイメントとして割り切って、ネット上での情報交信を頻繁に行なうファンが多くなれば、必然的にプロレスは狭小なジャンルとなっていき、一般ファンを獲得するのは難しくなることだろう。 

 未だに佐山、藤波、長州、天龍、大仁田といった往年の選手たちが、現役として活躍?しているのはこの世界の特殊性ゆえだし、私も彼らの試合を楽しみたいとも思うのだが、この状況が続けば新たなプロレスの幕開けはないだろうと思う。

 こうして、私にブロレスについて語らせれば、かなりのボリュームとなってしまうので、この辺でやめておこうと思う。私も、若い時とは違って、プロレスを殆ど観ることはなくなっているが、最近、プロレスについて思いを巡らせる時間がでてきた。 

 実は私はブロレスに御恩があるのだ。就職に際して、昔に元部長から聞いた話だと、私は採用面接で有名校出身者と張り合っていたらしい。私は三流系大学で不利であったらしいが、プロレスを語り、かつ毎日プロレストレーニングを行なっていることが気に入られて、採用されたらしい........。(そのような組織の是非については省略....)

 微力ながらも、おじさんはプロレス界全体の復興を願っています。(゚▽゚*)

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2012年4月 9日 (月)

居酒屋化した花見?

 昨日は良いお天気でお花見日和だった。 Cimg0954

 Cimg0929うちから自転車で5分の隅田公園に行くと、凄い人出だった。最近は、浅草界隈はスカイツリー効果もあって、毎日かなりの人で賑わっているのだが、今日は拍車をかけての黒山のひとだかり状態。 

 やはり、桜とスカイツリーの写真を撮る方々が多く、私も負けじと両者を絡めた写真を撮った。
 

 それにしても、通路には少しの隙もないくらいに、ブルーシートが敷きつめられ、宴会をしているのだが、見慣れた風景とはいえ、どうも違和感を覚える。

 澄んだ青空と、満開の桜の木の下に、大量のブルーシートが敷きつめられて、缶ビールや一升瓶、ペットボトルに、唐揚げやポテトチップが並んでいる光景はどうもスッキリしない。 

 このモヤモヤはなんだろうか。ブルーシートは、ホームレスの方々を連想する傾向が強いこともあろう。シート上の酒盛りは居酒屋での飲み会の延長だったり、車座になって静かにジュースとスナックを食べている若者たちに対して、どうして桜の木の下に陣取っている必然性があるのかという疑問もあろう。

 お花見というと、のどかで健全な江戸時代からの娯楽というようなイメージをもっていたのだが、どうも違うようだ。例えるなら居酒屋、日帰り温泉休憩室、コンビニ前の集団という世界が、桜の樹の下にワープしてきたような感覚にかられてしまう。どうも、満開の桜は主役ではなく単なる景色であり、アラビア居酒屋の岩場、アクアバーの水槽の熱帯魚と同じようなものなのかもしれない。

 のんびりと静かに、ゆっくりとした時間と空間を自然のもとで過ごしたいと願っても、この都会ではなかなか難しそうだ。それならば、入園料を払って飲酒禁止の都立公園に行けば、なんとかなるものだろうか。

 あぁ花見の季節は、江戸時代にタイムスリップしたいと思う。現在と比較して娯楽がなかったあの時代には、満開の桜を観ることが大きな愉しみであったのだろう。ワクワクドキドキしながら桜たちをみつめ、愛でたことであろう。物凄く楽しいイベントであったのだろう。あぁ、そんな時代にワープして、のんびりとお酒を飲みたい。

 おじさんの私は、、自然溢れる露天風呂に浸かっているのに会社の話を長々としている男どもに怒り、骨抜きされた武道の必修化に怒り、花見客の居酒屋現象化に怒っている。失望している(;д;)。人混みの中を無理やり走る自転車や、隅田川の桜沿いで騒音撒き散らしているジェットスキーたちに呆れている。Images泣いている(ノ_-。)

 自然への畏怖と感謝を失いかけている現代人にとって必要なのは、とりあえず静かになることだと思った。

 我々がこのまま自然、神といったものに対する畏怖を忘れ、我欲に生きていくならば、大魔神(佐々木ではなく、大映映画)が、いつ復活してもおかしくはない。

愚痴っぽいおじさんを笑わば笑えぇ!o(;△;)o

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2012年4月 8日 (日)

どうした!?ビッグダディよ

 昨夜、ビッグダディが放送されていた。この番組はうちの奥さんが大好きで、毎回観ているので、私もつられて観てしまう。数年前は、偉そうで個性的な父親に違和感を覚え、やらせっぽいなと皮肉たっぷりの眼差しで観ていたが、だんだんと大家族の喜怒哀楽や、自然に溢れた奄美大島の暮らしぶりに魅かれてたのも事実である。 

 しかし、再婚してからのビッグダディは、奄美での強引で冷静で茶目っ気のあるリーダー的父親の面影は消えていき、若い妻をもってしまった普通の亭主のイメージが強くなってきた。そして、昨夜放送されたスペシャルにはかなり失望した。もう番組の大半は、夫婦喧嘩で、それも切ったウィンナーを鍋に入れる入れないとか、どうでもいいようなレベルのはなしばかりだ。まぁ、夫婦喧嘩というものは天下国家や、国際問題といったものではなく、掃除洗濯食事に関するものや、チャンネル争いといった低次元での争いが殆どではあるが...。 

 夕食後ほろ酔いでいい気持ちだった私は、長時間にわたる夫婦の口喧嘩の放映を観ていて、だんだ気持ちが殺伐としてきた。なんで、こんな罵り合いを見せられ続けるのだろうか。かつてのビッグダディは、従順な子どもたちと、それほど攻撃的ではない先妻という家族構図だったからヒーロー的存在として成立したのか。一般的な大人と対峙した場合には、彼はヒーローではなく、ちょっとだけ変わった一般の人物となってしまうのだろうか。 

 昨夜の番組のサブタイトルに「離婚の危機」とはやしたて、無理やり危機感を煽って、そのために口喧嘩シーンを多くして、視聴率を上げようとしているのはミエミエだ。だいたい、狭い台所で口喧嘩してシーンでも、夫婦の前には3~4名程度のスタッフが撮影していることを考えれば、それは夫婦の喧嘩ではあり得ない。夫婦喧嘩のお芝居である。 

 かつての番組は、演出が多くても、子どもたちの姿や、島の自然といった素の部分があって、それが大きな魅力だっが、ここ最近鼻につく不自然な芝居と、派手でオーバーなBGMによって、この番組がもっていた魅力は消えかけているように思える。最近は林下一家も安定してきて、大きな事件や話題がなくなってきたのかもしれないが、視聴率をとるために安易に離婚の危機を煽るというチープな発想の演出には呆れてしまう。  

 混乱し、疲弊した日本のなかで、どんな逆境でも生き抜く逞しさと、家族の絆の大切さを訴えていたビッグダディは、ひとつの清涼剤となってくれていただけに残念に思う。

 いつのまにか、ビッグダディのスペシャルが放映されるたびに、感想を書くようになってきた。それは、私の中に家族や人間のつながりへの郷愁が強く存在するからなのだろう。だからついつい、テレビ番組なのに、ああだこうだと感じて、考えてしまうのかもしれないが。 

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2012年4月 4日 (水)

新人への教訓にスタンハンセン!

昨日は全国的に暴風雨で大変だった。傘を一本駄目にして、ずぶ濡れで帰宅したら、部屋が揺れていた。最初は地震で震度2強~3ぐらいあるのではないかと勘違いしたが、7階建てビルの6階にある我が家は、強風によって揺さぶられていたのだ。

 入浴中も、浴室が揺れ、風呂のお湯が波打ち、換気扇からは強風により阿鼻叫喚の叫びが聞こえてきて、怖かったぁ。(;´д`)  風でここまで地震のように揺れるのは初めての体験だ。これは地震が日常的なものとなり、きっかけがあればすぐに結びつくためだろうか。

 週明けは新規採用となったフレッシュな職員たちをお迎えした。会議室で、我々のセクションにきた新しい仲間と管理職連中の初顔合わせということになり、出席した。 

 自己紹介の時間ということになり、ただ、所属と名前を言うだけのセレモニーと思っていたら、司会から新人職員たちに先輩としてのアドバイスを言ってくれとの注文が入った。唐突なオーダーに少々戸惑いつつも、ありきたりでなく、自分が実感していることは何だろうと考えたら、....あった。.......スタン・ハンセン.............。51jv75v7z3l__aa115_

 週末にスタン・ハンセンの自伝「魂のラリアット」を読んだ。ハンセン著となっているが、これはプロレスファン用の子供だましな内容なのではないかと疑っていたけど、内容は一般書として通用するものでハンセンの人柄や、プロレス業界についてきちんと書かれていた。 

 印象に残った箇所かいくつかあったが、新人職員に紹介したのは、あのハンセンがデビュー戦では、あまりにも緊張してパニックとなり、呼吸困難になったことからの教訓だ。 

緊張によってこれほどまでに体の動きがコントロールされる。という結論は、その後のレスラー人生において最高の教訓になった。逆に言えば、余計な緊張さえなければ40分でも60分でも戦いが続けられる。緊張は試合経験を積めば積むほど自由自在にコントロールできる。ベテランになればなるほど10の持っている力を10、あるいはそれ以上に保持できるというわけである。

 心身のパフォーマンスを最高に発揮するためには、リラックスが必要不可欠だ。だからといって緊張するなといっても難しいが、リラックス=力の発揮ということを憶えていてほしい。自分も改めて、それを自覚したと1分程度スピーチした。 

 何人かの管理職からは、スタンハンセンといった途端に失笑がおこり、改めて自覚したといったところでも今頃気づいたの?と隣からチャチャを入れられたが.............。

 

 あまりにもハンセンの本が面白かったので、続けて藤波辰爾自伝を読んだら、長州力がプロレスとは何かという質問に、間だとコメントしていた。これも深い。

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2012年3月31日 (土)

武道必修化による武道破壊

今週は、飲み会が続いている。

 昨日の朝は、二日酔い気味で、花粉症マスクをしていたら、いつもと違うマスク臭がした。自分の口からアルコール分が排出されていることに気づく。午後は、職場のスタッフがケーキのサバランを買ってきたくれたが、かなりラム酒がきつくて、酔いが廻ってしまった。そのまま、年度末の飲み会に参加した。お酒を飲みすぎると睡眠に悪影響を与えるらしくて、今朝もこうして早く眼がさめたので、PCに向かっている。 

 昇段審査

 ちょうど、一週間前に泊りがけで昇段審査を受験した。肉離れが完治していないため、審査当日の朝一番で整骨院に行き、ガチガチにテーピングしてもらった。肉離れによって、受験できない可能性が大きかったが、何とか整形外科医から、無理しないという条件でお許しを頂いた。 

 この一ヶ月余りは、仕事と肉離れで、合気道の稽古は一時間しかできていないし、肉離れの痛みは残っていて再発の危険性もあり、審査で一緒に組む相手とは事前稽古もできないまま、ほぼぶっつけ本番になるという過酷な?条件を背負いながら、上野から東北本線に乗車した。 

 初日は、午後から夜までぶっ通しの講習があった。しばらくは肉離れを殆ど意識せずに、受講していられたが、多人数がけという乱捕りのときに、右ふくらはぎに痛みが走った。また、杖技でステップするときも痛みを感じた。これにより二日目の本番への現実的な不安が芽生えた。 

 講習を終え、入浴後、相方のTさんと缶ビールを飲む。私たち以外の受験者たちは真面目な方ばかりで、お酒は飲まれないようだった。ビールは一本だけにして、就寝。しかし、同室になった方のいびきが凄まじく、熟睡できなかった(;ω;) 

 二日目の朝は、雪がちらついていた。広い道場は当然、暖房はなく寒い。 

 何とか、肉離れを悪化させることなく、無事に審査を終えることができた。初段合格となる。

 当初一緒に組んで受験するはずだった負傷したkさん、ぶっつけ本番につきあって下さったtさん、道場の師範をはじめ、励ましてくださった仲間たちに感謝。

 武道必修化  

 ニュースをみていたら、昨日の産経に「大外刈り」禁止 中学柔道指針 試合は座った状態で 静岡 という記事がでていた。県教育委員会は、事故防止のため、全国的にも厳格な内容の安全指針をつくったらしい。

 何のため武道を必修化するのだろう。多分、教育委員会は武道による教育効果よりも、事故、責任追及への防止対策を重視しているのではないか。

 記事では、県教委では「中学校では柔道の試合を全く行わないこともあり得る。礼に始まり礼に終わる柔道の精神は十分に学ぶことができる」と強調した。とあるが、その根拠は何か? 

 武道が礼節を重んじるのは、自分と相手の生死を賭けた戦いの中で、生き抜くための英知であり、必然だからだ。戦国時代のように殺傷を目的とした武術を昇華させ、己を律し、相手を受容しすることによって、心身の最高パフォーマンスを発揮させる術としたのが武道なのではないか。  

 生徒に礼節を学ばすといいながら、大人たちが武道教育によるリスクを怖れるあまり死や戦さの要素を排除し、骨抜きにした武道もどきにどれほどの効力があるのだろうか。そこまで、いびつなカタチにいじるならば、茶道をやった方がいいのではないか。 

 そして、疑問なのは多くの教員が武道経験がないということだ。礼節教育=武道という短絡的な発想を武道経験のない人間たちが審議し、国策として推し進められ、武道経験のない教員が俄仕込みで武道研修を受ける。そして、投げ禁止、座ったままの試合、ヘッドギア着用等の厳重な安全対策がなされた柔道を年間12時間程度、授業として行なう。それにより、生徒は礼儀正しくなるというのは、無理があるんじゃない ? 書いていて苦しくなってきた。  

 そもそも、それを武道というのだろうか。祭礼の神輿を担ぐときにもケガ人は出るが、ケガ防止のためとして神輿をプラスティック仕様で軽量化したとしたら、それを神輿と思う人はどれほど存在するだろうか。日本全国でプラスティック神輿が普及したら、日本の祭りは存在し続けられるだろうか。

 

 戦後、GHQによってその危険性(技だけではなく、思想としても)からスポーツ化され、変容されてきた武道を、日本は今回はとことん自らの手で潰そうとしているのだろうか。今回の騒動については、米国は絡んでいないように思えるのだが.....。 

 

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2012年3月18日 (日)

東京大空襲と下町

 NHKスペシャル「東京大空襲」を観た。昭和20年3月10日には、1日で10万人の命が失われた。場所は現在、僕が住んでいる隅田川沿いの下町地帯だ。 

 偶然にも今日の朝は、半藤 一利『15歳の東京大空襲』(筑摩書房[ちくまプリマー新書]を読んだばかりなので、番組の内容とダブってイメージしやすかった。  

 普段の生活で当たり前のように利用している言問橋も吾妻橋も、浅草松屋も焼夷弾によって焼かれた人たちの屍で溢れていたなんて...。 

 国民が人間としてではなく、戦闘素材のような扱いを受け、ツタヤDVDのパニック映画に出てくるような死に方をしていた時代から、まだ60数年しか経っていない。 

 そして、まだ世界には、飢えている人、暴力の支配下にある人たちが溢れかえっている。しかし、幸運なことに僕たちは日本に住み、餓死の怖れも、暴力的な弾圧や搾取もなく、文明生活を享受できている。でも、その幸運に対する安堵や感謝よりも、不安と不平不満に満ちた生活を送ってしまっている。 

 東京大空襲や、終戦記念日、原爆投下日に、戦争は繰り返しませんということをマスメディアは強調するが、どうやって戦争を阻止するのか。言論の自由か平和を保障するというのだろうか。現在の言論の自由が確保されている(されていぬ説もあるが)状態ならば、平和が維持され続けるのだろうか。 

 マスメディアは、営利企業である。『15歳の東京大空襲』を読むと、改めてマスコミや、政府が戦時下で情報操作して国民を欺き、混乱させたかがよくわかる。 

 戦争絶対阻止。そう本気で思っている。だからこそ、僕は僕の暮らしの中で、できることからやろう。誰かを攻撃したり、自己主張ばかりせずに、他者の声を聴こう、できる手助けをしていこうと思うのだ。たいそうなことを言う前に、まずはそこからだと思う。

      ........  .......  .......  ..........  ......   ...... ....... ..... .... ..... ..........

 僕の奥さんが先週金曜から、イギリスの知人のお見舞いに、ロンドンまで行っている。そのまま週末、振休、春分の日と続くので、夕食はどうしようと考えていたら、予定が埋まって、土曜は母宅、今日の日曜は高校時代の友人と(何と母も乱入)、明日は久人振りに会う兄貴と母宅、火曜は娘と会うことになった。特に母との3連チャンは予想外であった。

 今日は、高校時代のM君と会って飲んだが、彼と僕の母は共通の(異常なほどの)テンションの高さを持っており、僕は殆ど口を挟めないまま、聞き役に徹していた。疲れた。 

 特に、M君は、荒くれ男の仕事をしているので、服装も黒の皮ズボンに皮チョッキで堅気ではない雰囲気をもっている。話していると彼なりの哲学や発想があって、たいしたものなのだが、声も大きいし、エキサイトした口調もうるさいし、ぞんざいな言葉、下ネタ....疲れた。 

 帰宅して、なんか疲れたなあと自問自答している。そうしたら、M君に疲れたというよりも、自分の中でかつて彼と同調していた高校時代の自分が葛藤していることに気づく。

 僕たちは高校時代から、一般的?高校生(普通に勉強している奴、不良ぶっている奴、スポーツ馬鹿等々)を斜に構えて馬鹿にしていたような気がする。自分たちは、どこにでもいるような奴らとは違って、かなり個性的な人間だと思っていたような気もする。 

 特に僕は中学時代から、サブカルチャー(音楽、映画、小説、評論等)に汚染され、一般人、普通の生活、日本社会といったものに対する嫌悪と、優越意識を持ってしまった。 

 僕はその偏った思いと、生まれ育った下町特有の露悪的雰囲気との相乗効果で、今まで色々な人たちに不快な思いをさせてきたのだと反省する。すまない。 

 僕は、現在の割とお堅い職業や、武道稽古などのなかで、「何真面目ぶってんだよ」とか「世の中なんて汚れてることを忘れるな、偽善者め!」と無意識的に自分を責め、揺さぶっている過去意識があることを実感している。それが自分の変化を阻み、苦しみの原因ともなる。今日は、高校時代の友人と会ったので、高校時代のノリも大切にしなければとは思ったが、どうも嘘くさく、演じるむなしさがあり、やめてしまった。もう、僕はあの頃とは違う存在になっている。それをつくづく実感した。偽りの自分を演じていれば疲れるだけだ。

 映画ALWAYSではかなり美化されているが、下町には魅力的なところがいっぱいある。でも、自分なりの下町人間像を演じたり、顕示することはハシタナイことだと思う。露悪的と正直であること、誠実であることは全く違う世界だ。 

 僕はおじさんになっても、意識は16歳のままだと豪語?していたが、どうやら訂正すべき時期にきているようだ。16歳の僕は、誰かとつながり、その環を広げていくことはできなかったはずだ。現在の僕は16歳ではなく、社会の一構成員である大人だ。若者がファッションや、言動で自分をアピールするが如く、自己固執するような者は大人ではない。子どもである。  

 子どものような柔軟さや、ビックリするチカラをもった上で、知識や経験が豊富で、優しくタフな大人。人情に厚い下町気質を持ち、世間に向き合う大人。そういう大人にわたしはなりたい........ 

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2012年3月14日 (水)

やはり、肉離れ!

ウワァ、やはり、肉離れであった。

 月曜モーニングに洗濯物を干してから(花粉対策もして)、みんなの出勤時間直前に電話して「肉離れなったみたいで整形外科寄ってくるから、お弁当も頼んでおいて。今朝のスケジュールどうなってたっけ」とkさんに伝えると、驚いた様子もなく「はい、わかりました」と淡々と対応してくれた。変に騒がれるより、その方がありがたい。 

 開院直前の整形外科に行くと、すでに何人かの高齢者の方々がリハビリしたり、診察したりしていた。 

 看護師さんに名前を呼ばれ、事情をドクターに話すと、即レントゲン撮影となった。数分後、先生からレントゲン写真をみせられる。最初、腓骨と筋肉の着き方?のようなことを色々といわれたのだが、どうもドクターが何をいいたいのかよくわからない。かなり運動とかをやっているでしょ?といわれ、合気道3年半というと首をかしげたように感じたため、ジムでウェイトトレーニング20年と言ったら、納得してくれた。どうやら、骨と筋肉の構造が普通ではなく、運動選手特有のものらしかった。ちょっと嬉しい。 

 しかし、ドクターはレントゲン写真を前にしながらも、私のふくらはぎについて何も言わないので、こちらから肉離れですかと尋ねると、そうであった。 

 来週末に審査があることを告げると、痛みは数日でとれるだろうけど、組織が完全にくっつくまで3週間といわれているとのこと。結局今週末に、再度状態をみせて相談となる。 

 歩行は片足を引きずっていたのだが、それはNGという。多少痛くても普通の歩き方をしなさいと指導される。ネットで調べると、無理して歩くのはよくない、再発、傷が拡がる等々の情報に溢れているので、少々戸惑いつつも、中村天風先生のおっしゃるように、船に乗ったら船頭任せ、医者にかかったら医者任せと開き直った。

 とはいいつつも、普通歩行はけっこう辛いものがあり、短い歩幅で摺り足をしながら歩く羽目になった。しかし、意外なことに自転車を漕ぐのは全然問題なし。登り坂でもスイスイ漕げてノーペインで前に進めた。

 職場に約1時間遅れで到着する。廊下での摺り足に気づき、普段はあまり話さない人も驚いて、どうしたんですかと尋ねてくる。それを何人にもなので、トイレに行くのもおっくうになる。  

 お風呂とかお酒は控えるべしなのだが、寒かったので、シャワーではなく湯船に浸かりたかったので、片足だけ浴槽から出して、お風呂に浸かった。ちょっと違和感はあるが、まぁ仕方がない。当然、お酒も少々?たしなむことになる。

 

 火曜日は、かなり痛みもひいてきた。しかし、まだ歩行は普通通りとは行かない。夜は、外食しようと10分ほどの距離を歩いて、蕎麦屋にもいけた。スクワット(脚の屈伸)も、ほぼ普通通りできたのでびっくりした。ただ、バックステップをした途端に、激痛が走った。まだ、無理は禁物。当然のことなんだけど....。

 本日、水曜日はかなりいい感じになってきている。まだ痛みも残っており、歩行時のバランスは痛めた右足4、かばう左足6という感じだが、見た目には普通の歩き方であるとの証言が多数であった。1時間前に帰宅し、片足出して入浴してから、こうして記録を書いている。  

 まだ痛みはあるし、慎重に行動しなければなるまいなぁ。さぁ、とりあえず、買ってきたお刺身でビールといきます。新鮮なたんぱく質を補給し、筋肉繊維を強固につなげます!

 

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2012年3月11日 (日)

審査前にまっ、まさかの肉離れ!!

ここ最近は、仕事が多忙であったり、インフルエンザにかかったりと、なかなか合気道の稽古ができなかった。

 先週は会議室に一日中ずっと座りっぱなしが殆どで、身体も鉛のような疲れを生じていた。

 昨日の土曜は、合気道の特別な稽古があり、数日前に参加申し込みをしたが、気持ちのうえでは。最高潮を迎えた仕事がやっと一段落つきそうでホッとしたいという欲求や、身体がどことなくだるいという気分が重なり、どうも稽古に行くには重たい気持ちになっていた。

 もちろん稽古は、強制ではないのだが、しばらくきちんと稽古していないし、二週間後は昇段審査があるしと、自分を無理やり駆立てていた。

 事件はそんな状況でおこった。稽古がはじまって数分後、私が相手に向かって横面打ちを少し力強く打っていったら、 右足のふくらはぎが、たまに朝に起こるこむら返りのような状態になった。ただちに稽古をストップして、様子をみたが、どうもよくならない。

 師範に足がつりましたと報告してしばらくストレッチしたりしたが、痛みは続いていた。

 最初は気持ち的には少々義務感で参加した稽古であったが、稽古がはじまると、時間を有効に使って、技を練磨したいという気持ちが高まっていた。何度か立ち上がってトライするが痛い。結局、一時間以上過ぎて、剣技のときから稽古に参加したが、剣を振り落とすのはいいが、足の移動時には痛みが生じた。一時間半の稽古で実質10分程度しか参加できずにいた。

 帰り際、路上を歩くと、普通の筋肉痛ではない痛みを自覚した。足をひきずるようにして、駅に向かう。当初の予定では、途中二つ目の駅で降りて、銭湯で稽古の汗を流して、岩盤浴に行っていた奥さんと合流して、外食することになっていた。

 電車にのりながら、インターネットで痛むときにお風呂に入っていいか調べたけど、よくわからないので、そのまま杖剣袋をほんとうに杖がわりにして銭湯を探す。初めてだったため、銭湯がみつからないのと、痛みがひどくなってきたため、駅に引き返し、お店に入った。後からきた奥さんと合流して、いろいろと飲み食いする。

 現在、私が調べたところ、この症状は肉離れではないかと察する。

そうだとしたら、昨夜、私は発症後の厳禁事項である入浴と飲酒というタブーに触れたことになる。まぁ入浴は免れたけど。

 そして、現在気になるのは明日からの出勤であり、もうひとつは二週間後の昇段審査である。通常、肉離れは三週間安静といわれているらしく、せっかくの審査に行けなくなってしまう。

 もちろん、審査に行けないのは、ずっと準備してきただけにもったいないなぁと思う。.....しかし、もし延期になったとしてもチクショウ! 口惜しい!という葛藤は意外にも少ない。数日前には、一緒に合気道に入門し、一緒に昇級し、三週間程前の判定会で僕と組み怪我をしてしまったKさんにメールで、なぜかKさんと一緒に夏に受験してもいいという気持ちになりましたと報告したばかりであった。

 まさか、その想いが現象化したわけではないと思うが、昨日の朝に少し読んだリズ・ブルボーの「からだの声をききなさい」には、あなたに起こる全責任はあなたにあると書いてあった。稽古してふくらはぎに痛みが生じた瞬間に、私はその言葉が響いてきた。

 稽古に行く前は、土曜はゆっくり休みたい、ここんとこ多忙だったんだから、無理する必要はないんだ。身体も疲れ気味だし、一時間以上もかけて道場にいくなんて変わり者だ,,,,,。否!、そんなワガママを言わずに稽古すべきであるといった、休んでゆっくりしたい気持ちと、それを批判する意識がカオス状態となって渦巻いていた。私の身体が私のルーズな気持ちに応えて、身体モードを脱力モードにしたのだが、私の意識が無理強いして身体を動かした結果、怪我が生じてしまった。

 この全責任は私にある。休むなら休む。稽古するなら稽古すると、はっきりとした気持ちで選択すべきであった。中途半端な姿勢が招いた結果であり、今回の教訓をこれからに活かし、昇華させることにしよう。 

 一年前の今日に震災が起こった。震災当日は、不眠不休でいろいろとお仕事をしたが、現在の自分の姿をみると、いざというときに役に立たない運動不足のおじさんでしかないようだ。身体のメンテナンスと、前向きな気持ちを忘れまい。忘れまい。

 それにしても、あーだるいなぁと午後に吾妻橋を渡りながら、数時間後は片足を引きずりながら、再度渡ることになろうとは....。人生はわからない。わからないから、真面目がいちばんだ

 ありがたいことに、退屈だったり、まどろんだりすることがない日々をおくっていることに感謝。

ただ、つらいのは、入浴とお酒がダメなことなんだよなぁ(ノ_-。)。

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2012年3月 4日 (日)

ALWAYS三丁目の夕日'64

 昨夜は五日ぶりにお酒を飲んだ。食事前に養命酒を一杯飲むと、日本酒と同じ度数だけあって、すきっ腹にくーっときた感じであった。まさに五臓六腑にしみわたるとはこういうことなのか。しかし、数分したら、少し頭が痛くなった。かなりの空腹時にぐっと一気飲みはさけるべきだったかもしれない.....。

 日曜朝、サンデーモーニングが始まると何かを書きたくなる(これもおじさん症候群のひとつなのであろうか)。テレビでは原発事故報告書について、いろいろとコメントをしている。みなさん正論であろう。だからといって、今回の事故における誰かの責任を論じられても、なにか消化不良の気持ちが生じている。まぁ、テレビ自体が、世の中が混乱して大変ですよと伝えるだけで、解決しようとは思っていないので当然だが。

何だろう、このデッドエンドに陥って、グルグルまわっている感じは。 

 ミルクティーを飲みながら頭に浮かんでくるのは、一週間前に観た「ALWAYS三丁目の夕日'64」だ。しかも3Dで観てしまった。当日は体調不良だったせいか、作品自体は前の方がよかったように感じた。特に第一作はよかったなぁ。オープニクングから涙がボロボロこぼれて、終わったときには目じりから顎まで、涙の軌跡が塩のラインとして痕跡を残していた。 

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 今回のは、エピソードをいろいろと盛りこみ、「かなり綿密なプロットを仕組みやがったな。どうせ企画会議でここで観客をワンワン泣かせてやろう、ここでは爆笑シーンを入れて、年配に受けそうな東京タワーのCGにして、ついでに新幹線とオリンピックも入れて....。いっそ3Dにして盛り上げよう!と電通と日テレたちがペットボトルのお茶を飲んでホワイトボードの前でワイワイやってやがったんだろ!」と斜に構えた思いが生じたのだが、やはり涙腺が緩んでいた馬鹿なオレです。
 

 三丁目の夕日のヒットは、昭和という時代、高度成長期へのノスタルジーだといわれている。現在、日本の景気低迷は長引き、格差社会だ、年金制度破綻だなどいろいろ問題が多い。しかし、マテリアル的には各家庭にはカレーテレビ、冷蔵庫があり、エアコンやレンヂも普及し、食品、衣類、生活用具の選択範囲も拡大して昭和30年代と比較すると大きく生活環境は向上した。  

 それなのに、なぜ成長する前段階を懐かしみ、よかったよかったと映画が大ヒットするのか。多くの人はこたえるだろう。あの時代は物質的な豊かさはなくても、人と人との心のつながりがあった。幸せだったと。 

 では、あの時代に戻りたいのかと問うと、二つ返事でYESと答える人は少ないはずだ。では現代日本の行き詰まり(息詰まり)に耐え切れず、過去回帰への願望が生じてしまったのか。未来に希望がもてないから、未来に希望がもてた時代への羨望をもったのか。 

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 この映画は、未来というキーワードが大切な要素となっている。映画全体に未来への希望が満ちている。鈴木オートは会社を大企業にして、子どもに家業を継がせようとしている。茶川は貧乏生活をおくりながらも、作品が評価されることを願い、文学の魅力と可能性を信じている。六ちゃんは愛する人との幸せな結婚生活を夢見ている。それぞれの家族が、そしてあの時代の日本人たちが未来は豊かに幸せになれると信じ、懸命に生きていた。
 

 映画は「未来は変えられる」「頑張れば未来は開ける」というのがモチーフだが、現在の日本をみれば「この先、未来はわからない」(震災、原発問題、放射性物質の脅威、景気低迷、国際競争力etc.....)、「頑張ってもどうしようもない」(直下型地震の可能性、年金破綻、格差社会、政局混乱etc......)といった、まさにデッドエンド状態だ。 

 しかし、もう現状否定して過去回帰ばかりしていても仕方がない。お年寄りが昔を懐かしむように、過去を愛でても、現在という時間は変わらない。ただし、過去から学ぶべきところは多い。

 昭和30年代の高度成長期は、戦争特需などの外的要因もあるが、その頃の大人たちはみんな戦争、敗戦体験者だったという事実が大きいのではないか。一度、どん底を味わった人間はあとは這い上がるだけである。過酷な戦争体験と比すれば、仕事に精を出し、より高い収入や、物質的快楽を希求するのは自然な行為であっただろう。 

 そして、個人の生活向上は、国力と比例することを理解しており、東京オリンピックの開催や、新幹線の登場はまさに国民としての高揚感いっぱいで、日本の未来に胸を弾ませていたことは想像するに容易い。 

 さて、現代日本に生きる私たちは、戦争を知らないで自由を謳歌する世代が政局を握り、官僚となり、企業の中心となっている。国民も殆どは戦争を知らずに、特に若い世代は戦後の自由主義に浸った親や教師たちから影響を受けている。つまり、どん底も知らずに、それなりに危機感をもたずに生育してこれた国民によってこの国は構成されてきている。ノスタルジーとしての昭和30年代にうっとりすることはできても、当時と比すると社会的、人間的なバックボーンや、国との一体感、未来へ期待感など桁外れに違っていて、当時の生き様や世のありようを復活するなど到底不可能であり、模倣するにも限度がある。 

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 では、あの映画はたんなるエンターティンメントと割り切ればいいのだろうか。当然、そうであっていい。しかし、私自身がこだわってしまうのは、未来を信じ、開拓していこうという気配が感じられなくなっているこの時代に、かつての時代にあった情熱を少しでも吹き込むことはできないものかという焦燥感である。
 

 昭和30年代に大宅壮一が予言したように、テレビというメディアによって国民の思考力、想像力は低下してしまったのか。国民は自力で未来を開くことにエネルギーを注ぐよりも、消費マインドによってサービス受給者、購買者という受動的立場を軸におくようになっていった。サービスを受けるために、泣き叫ぶ脅すといったクレーマーたちが台頭し、自らの責任を省みず学校や、病院、行政に対して不条理な態度で圧力をかけていった。未来に対するヴィジョンがもてないまま、若者は漠然とした自分探しという体のいい言葉に躍らされたり、就職希望の職業、地域等を狭く限定してしまい、きちんとした仕事につけなかったりもする。 

 選択肢が多くなればなるほど、人間は混乱し、選択できなくなる。選択の科学のシーナ・アイエンガー教授は、自己決定権が寿命や幸福感を決めるといっているが、ネットの進歩とともに情報の洪水は津波となって、生活に飛び込んでくるようになった。放射汚染についても膨大で多種多様な見解があり、その騒然とした状況の中では、何が正しいのか、何を選ぶべきなのかがわからなくなってしまう。 

 映画の昭和30年代は、まだ一生懸命に働けば、それなりの成果がでると信じられた。仕事と人生が一体化できた時代であった。かつて生活を保障してくれた会社は成果主義が導入され、終身雇用は破壊された。農業は国際競争の波に翻弄されようとしている。漁業も放射能汚染水の影響を受けている。一生懸命に生きるよりも、トレーダーや、ネットビジネスといった虚業の如き業界が儲かって、もてはやされる時代である。個人の利益が優先され、国とか、地域とかは、もう関係のない時代になってきている。

 

 そこで、この映画だ。 

 このブログもかなり長くなってしまった。どんどんどんどん色んなことが浮かんでくる。私たちは決して30年代に戻ることはできない。産業構造や国際関係、居住環境、生活様式、行政形態等々を変えることはなかなか難しい。 

 だが、意識を変えることは可能でる。もちろん、それも簡単にはいかないことは重々承知しているが、意識は変えることができる領域なのだ。 

 橋本市長のような、オレが引張ってやる型のリーダー(これも昭和っぽいが)を、みんなが注目し、期待しているのはわかった。主張している道州制もシステム化しただけでは、産業活性化にはつながらないだろう。いかに各州が危機感をもって、命がけで対策に取り組んでいくかが問われるのだ。

 橋本さんよ、もっともっと危機感がなくなり、消費マインドの化身となった日本を挑発してほしい。高度成長からバブル崩壊、消費マインド、無縁社会といった一連の推移の中で培った意識では、現状打破できないことを訴えてほしい。あなたの主張の是非はともかく、半覚醒状態になっている日本に火をつけられるのはあなたかもしれない。 

 国や地域と一体化して、未来に夢を託して、行動していくこと。それがあの映画のモチーフにもつながっていくことではないのだろうか。個人の主張と、利益優先だけではなく、他の存在と一体化して、未来を想像し、現在を過ごす。

 なんか今日は当たり前すぎることで、終わってしまった感があるが、そんな結論になっている。

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2012年3月 2日 (金)

インフルエンザに感謝 !

 五日前の日曜に熱が出て、月曜に病院にいったら、まさかのインフルエンザだったのだ!  

Images前日の土曜は半日仕事をして、身体がなんとなく筋肉痛だけど、日頃の鍛錬のせいだと思い、そのままジムにいって、少し運動してから冷水シャワーを浴びた。日曜はヨドバシカメラで空気清浄機を買って、重量5キロだったがそのまま梱包してもらい手に持って移動して、シネコンで「オールウェイズ三丁目の夕日3D」を観て、移動して、亀戸の升本でコース料理をたらふく食べた。日曜も身体がなんか痛むなと思っていたが、生ビール1杯とサワー3杯のんだら、どうも調子がおかしい。顔が赤くなりボーっとしてきた(普通は酔えばそうなるけど、普通じゃない状態で!)。

 帰宅して熱を測ってみたら37度8分であった。これはいけないと思い、すぐに布団に入った。しばらく寒気がしたが、明け方には汗をかいていた。熱は平熱にもどったが、一応念のために職場にお休みをいただいて、病院にいった。検温すると6度3分であったため、「これじゃインフルエンザじゃないですねぇ」と勝手に診断を下した僕に対して、ドクターはまだわからないから、インフルエンザか調べてみましょうと、鼻の中に綿棒のような検査キットを挿入された。少し苦しかった。 

 結果がでるまで15分というので、一旦病院の外に出て、マルエツで買い物をしてから、病院に戻って、名前が呼ばれた。「インフルエンザA型がでました」......。「熱がたいして出てないのにですか?」....「症状は人それぞれです」....。 

 今週後半は重要な会議があって、ぜったい休めない日程なのだった。どのくらい安静にしている必要があるかと問うと、学校の基準を参考までにと渡してくれた。インフルエンザは解熱した後2日を経過するまで登校してはならないとのことである。大人の場合は明確な基準はないが、学校保健安全法を目安にすることが多いらしい。 

 解熱して48時間ということならば、翌日も職場は休まねばならないと心は沈むが、重要な委員会には間に合うと思うと、良いタイミングであったとホッとした。火曜日は自宅で委員会準備したかったので、誰もいない朝早くに職場にいって、資料をかきあつめた。8時に人がきたので、すぐに帰宅した。  

 それにしても、7度台の熱がパッと出た日曜は、朝から木刀片手素振り200回、冷水浴、買った空気乾燥機を持っての移動、映画鑑賞、暴飲暴食という盛り沢山の一日であった。また、前日の土曜も休日出勤、トレーニング、冷水シャワー、夕食は奥さんが仕事のためホットモットで買ったステーキ弁当つまみに飲んで、午後11時頃からシーフードヌードル食べから、茶碗蒸し(残したヌードル汁で卵をとき、レンヂで暖める。テレビでやっていて一位となった驚きグルメ!)を食べるという暴挙に出ていた。

 こんな生活をしていて、よくぞ7度8分一発で終わってくれたものだ診断結果が出たときは冷水シャワーを2ヶ月やってきたのに、なんでインフルエンザなんかにっ! と思ったが、インフルエンザの予防接種をしても完全防止はできないらしいが、感染しても軽症で済むといわれている。これは冷水シャワーの予防接種効果だと納得した。 

 今回のように夜7度8分の熱が出て、薬も飲まずに翌朝平熱になったら、普段だったら当然の如く出勤していたのだが、2週間前に職場のO係長がまさかのインフルエンザ休暇になったこともあり、もしインフルだったら他の人に感染させてしまうリスクがあつたため、念のため受診したのだった。  

 3年前の初夏にも、同様のだるさと全身痛があったが、就業後に回転寿司で飲み食いして、映画を見に行って、帰宅してどうしても辛いので測ったら8度3分の熱があって、数日間寝込んだ経験があった。ひょっとしてインフルだったかもしれない。そのときは3日間休んで平熱に戻した。  

 仕事に行くとインフル関係者が多くいたが、みんな8度以上か、薬をすぐ飲んで平熱に戻した人ばかりであり、自然治癒でインフルの熱を一晩で下げたと言ったら、尊敬のまなざしでみられて嬉しかった。;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

 今日は大事な委員会の前半が無事に終わった日でもあるので、お酒をのみたい気分だが、タミフルを今夜分まで服用しているため、ご法度だ。酒抜き5日間なんて、何年ぶりだろう。何十年かもしれない。 

 今週の月曜日はこの忙しい時期にインフルエンザなんて思ったが、冷静になって考えてみたら、最近はイケイケドンドンで日々を過ごしてきており、どこかでクールダウンが必要だったのだと思った。野口晴哉の「風邪の効用」を久々に読む。いいことが書いてある。風邪によって、心身のゆがみが修正されるというのだ。なんなら一晩でなくて、もう少し発熱していても良かったのかなぁ..という気持ちになる。ただし、休める時期じゃなければ駄目だけど。

 今夜から冷水シャワーを再開したが、お酒の再開は明日にしようっと。

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2012年2月24日 (金)

委員会報告で言い間違えた!

 昨日は、お仕事で企画総務関連の委員会があり、報告、説明をした。 

 いつも、報告前は緊張するのだけど、昨日は少し勝手が違った。  

  当然、緊張はするのだけど、直前になって先日の合気道の判定会審査と同じ状況だと思い、緊張している心を放っておき、自分の更に内なる部分を意識した。すると、強面揃いの委員の皆様が、仲間のように思えてきて、そこで話ができるのは、実は楽しいことではないかと感じた。  

 通常、報告は説明原稿を読むのだが、原稿を読むだけの説明は聴いている方も嫌だが、読んでいる方も気乗りしないものだ。これなら、資料をみながらその場で説明した方が、説得力があるのだが、議事録が公開されるので、どうしても原稿が必須となる。  

 だんだん、棒読みしている自分に嫌気がさしてきて、少しペースをあげて読む。すると、委員会がザワザワしてきた。どうやら言い間違えたらしい。ダンピングというべき箇所を違う言葉を使ったらしい。指摘されてから2秒間の間に、オレはなんと言ってしまったのか!?と焦る。まさか、シモネタに通ずるものでは...(;・∀・)。 

 実際は「ダンピングの防止」というのを「ダビングの防止」と読んだらしい。速読得意で、右脳体質の私は、文字の羅列を一瞬で読み取るのだが、「ダンピング」と「防止」を使用頻度の高い「"ダビング"防止"」と脳が判断し、瞬時に言葉として身体出力したのだ。  

 「しっ、しつれいしました! ダンピングでごわす!!」と即座に謝り、訂正した。

 委員会終了後に何人かの人たちから、声をかけられた。非難、叱責の嵐かと思いきや、意外にも皆さん好意的であった。長時間の緊張が続いていた委員会に予想外の笑いが起こって、和んだらしい。質疑をうまく切り抜けるために私が計画的に間違えたと思って、さすがだねぇという方もいらっしゃった。私はそんな作為的な挑戦ができるほど太っ腹ではない、自然に無意識が生んだエピソードである。

 このように言い間違えをしたが、単語を構成する二つの音の違いで、状況が変わってしまうことに改めて驚いた。そういえば、政治家や芸能人の失言も、現象的には数個の発声音がつくりだしただけなのだけど....。

 

※長時間の委員会のため、口が渇く。イメージをはたらかせてレモンサワーを飲んだところを想像した。スーッとほろ酔いでいい気分になりそうであったが、いろいろ問題ありそうなので中止した(´□`。

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